ノーム・チョムスキーとエドワード・ハーマンは、1977年の書評「又聞きの又聞きの又聞きによる歪曲」において、カンボジアに関する三冊の本を評するなかで、フランソワ・ポンショーの『カンボジア・ゼロ年』(フランス語の原書)も検討した。ポンショーには不注意な点があるものの、読むに値する真剣な本だ と評した。この本は、ジャン・ラクチュールのセンセーショナルな書評によって、またたく間に有名になった。しかしラクチュールの書評は歪曲を含む不注意なもので、ポンショーは共産主義者によって現実化される自己虐殺 (ラクチュールの造語) 政策を明らかにしたとか、クメール・ルージュは 二百万人を「殺戮した」と 「豪語した」 とかいう、根拠のない宣伝文句が各種メディアに踊ったのだった。チョムスキーとハーマンは、ポンショーの本すらまともに読まれないまま、報道のなかで雪だるま式に情報が歪められて、だれもカンボジアの現実をまともにみようとしなくなることを問題にしていた。
ところがなぜか翻訳された英国版の著者付記には、チョムスキーたちが大殺戮をなかったといい、難民たちは妥当な情報源ではないという、などと書かれていた。これがポル・ポト擁護説のはじまりのようだ。チョムスキーたちは二巻本『人権の政治経済学』の下巻『激変の後』33のなかで既に反証している。そもそもポンショーの本を読むに値する真剣な本だと評価するのは、かなりの虐殺があったことを前提としている。さらに、「難民たちの報告は深刻にうけとめねばならない、ただし扱いには注意深さと慎重さが欠かせない」というポンショー自身の指摘に同意していた46。
チョムスキーたちが『人権の政治経済学』下巻の『激変の後』でカンボジアの章をたて、詳細にその報道を検証しているのは、そもそもこのように根拠もなくいいかげんな流言飛語が流布する様子をきちんと把握することを目的としていた。またカンボジアの報道に焦点をあてるのは、合衆国による秘密爆撃が看過され、また同時期に同じインドシナ地域で同規模 (人口比ではそれ以上) の殺戮が東チモールで繰り広げられていたにもかかわらず、ほとんど報道されなかったことと比較するためだ。事実を調べもせずに根拠のないポル・ポト擁護説をくりかえすことは、再び東チモールの悲劇から目を逸すことになる。チョムスキー=ポル・ポト擁護説は、『人権の政治経済学』であらかじめ反論されている。
『人権の政治経済学』を出版した翌年の1980年にも、チョムスキーがカンボジアのポル・ポト政権を取り巻く策略に加胆しており、ポル・ポトを擁護しているというような論説が掲載された。これに対しては、数週間のうちに二つの反論が掲載された。その反論は、一部だけしか読んでいないこと、二つの巻にわたる著作全体の要点を見逃したこと、上巻の内容を無視したこと、著者たちの主張を矮小化したこと、事実を歪曲したこと、不正確に伝えたことなどを指摘していた。どちらも、チョムスキーからの反論ではない。しかし、ここに並べられた指摘は、チョムスキーにまつわる流言飛語に共通する特徴をよく示している。
https://x.com/kimarx/status/1904824340459512132 二十年前の話。 チョムスキー「イスラエルの極右をこのまま放置しておくと、パレスチナ人が根絶やしにされてしまう!」 世間「そこまでやばく...
ポルポト政権擁護してたやつじゃん 西側の逆張りずっとしてるだけでしょ
ノーム・チョムスキーとエドワード・ハーマンは、1977年の書評「又聞きの又聞きの又聞きによる歪曲」において、カンボジアに関する三冊の本を評するなかで、フランソワ・ポンショー...
表現を規制、反対意見を検閲するようなことに反対してる声明に トランスカルトと関連づけるのは品位を欠くと思うが
トランスカルトに自由に反論できるようにすべきって意味なんよ