たぶん小学2年か3年の時だったと思う。私は頑固で泣き虫の嫌な子供だった。周りの子供とちょっとしたトラブルを起こして泣きながら騒ぎ立てるような嫌な子供だった。
私は母親に買ってもらった自転車に乗っていた。その自転車はガンダムの贋物か何かのキャラクターがチェーンのカバーに描かれているもので、私自身が選んだものだと思う。私の母親はそういうキャラクターデザインのものをあまり好きではないタイプの人間だったからだ。しかし、私も年が行くにつれて、周囲がスポーツタイプの自転車に乗り始めたりするのを目にしながら少し居心地の悪さを感じ始めていたのだと思う。
私は同い年の子供たちと学校後に近くの公園でよく遊んでいたが、その時に年上の子供にその自転車のことを揶揄されたのだと思う。気にしていたことを指摘された私は激しく泣いた。今から思い出しても嫌な思い出だ。人の痛いところをつく子供も嫌だし、それに対してぎゃあぎゃあと泣き出してしまう私も嫌だ。しかし一方で私の居心地の悪さと痛みも分かるので、余計に嫌なのだ。
泣いていた私に対して声をかけてくれたのは、三つ上の兄の同級生だったMくんだった。私は彼と2人でシーソーを漕ぎながら、心が落ち着くまで何かを話していた。私は家に帰ってそのことを母親に話した。自分の自転車のことを話したかどうかは覚えていない。Mくんが優しかったこと、それに感謝していることは話したと思う。それに対して優しく肯定してくれた母のことも覚えている。
優しさとか人の暖かさとは何かということを考えた時にこのことを、ついさっき思い出した。私はそろそろ50なのでもう40年ほど前の話である。Mくんは、その後小学校の運動会で応援団長などもやっていたがその後どうなったのかは知らない。母親とは半年に一度ほど会う程度で、このことをそれ以来話したことも無かったが、今度会った時に話してみようかとも思う。
Mか。 武蔵くんとかかな?
囃し立てた方の子供も、長ずるにつれ、「あんなことをして自分はやなガキだったな、悪いことをしたな」と思うようになっても、増田の連絡先を知らないってこともある。 時の流れは...
そっちの子供のことの方は考えても無かったけど確かにそうだね。
「囃し立てた」と「揶揄した」じゃだいぶ印象が違うな 囃し立てた 「やーいやーい、お前の自転車偽ガンダムー!」 揶揄した 「何そのキャラガンダムじゃなくね?ダッサ」
子供って遠慮がないから、無神経なことを言ったり言われたりしてるんだろうと思う その中で印象的だったことだけを覚えてるんだろう
あのときの松本です(キリッ