2025-09-13

俺は基本的にどんなジャンルでも名作よりも駄作を知ってるやつのほうが、そのジャンルを深く知ってるやつらだと思う。

よくはてななんかでは名作SF話題になるが、駄作のことが話題になるのは稀だ。当たり前といえば当たり前と言えるが海外小説日本語に訳すのにわざわざ駄作を訳さないからだ。

でもだからこそなぜか海外SF駄作を知ってるやつとかいたら偏執的なマニアだと言えるだろ?名作は語れるやつはたくさんいるけど、駄作を語れるやつは少ない。これはあらゆるジャンルで言えることだ。

そして駄作を知ることは、ただのマニア心の発露ではない。駄作こそが、そのジャンルの底を抉り出している証拠だ。名作は誰もが称賛し、何度も読み返す。しか駄作は、一度読んだだけで封印されるか、あるいは笑い話として誰かの記憶に留まるだけだ。だからこそ駄作を挙げられる者は、そのジャンルの「裏面」の歴史を語れる数少ない証人なのだ

たとえば海外SF場合戦後黄金期を築いたハードSFニュー・ウェーブの陰で、カネ儲けの念だけで量産された中身スカスカ長大シリーズがあったことを知っているだろうか。わざわざ日本語版が出なかったあのシリーズ――星間交易を謳いながら中身は延々と行商雑談だけ、火星移民標榜しながら荒涼とした赤色砂漠描写しかない作品群。あれを読み切ったお前は、単にページをめくっただけの読者とは違う。あの駄作を完走できる集中力と忍耐力こそ、ジャンルの真の深淵を覗いた者にしか備わらない武器だ。

漫画映画音楽ゲーム――どんなジャンルでも同じだ。アニメの名作は何度も語られ、ランキングにも載る。しかし「このクソアニメが深い」と声高に語れるのは、偏執的なファンか、笑いを取るための芸人だけだ。ところが、駄作を挙げてその欠点を徹底分析し、なおかつその駄目さが生まれた背景や制作経緯まで語れる者は稀有だ。そこには単なる批評を超えた「愛」がある。駄目だからこそ語る価値があると信じる、偏った敬意とも言える。

そうした偏執的語り口は、ジャンルを熟知している証左である。名作を語るのは誰でもできる。だがあえて駄作を拾い上げ、その欠点意図を解剖し、なぜ売れなかったのか、なぜ評価されなかったのかを語れる者は、本当にそのジャンルの地層を掘り下げている。「この作品企画が先行しすぎてキャラクター設計二の次になった」「あの監督資金不足でストーリー展開を縮めざるを得なかった」――そんな裏話を交えながら駄作を語る姿に、俺は敬意を禁じ得ない。

からこれからは、お前らも名作の陰に隠れた駄作を探し、その文脈を掘り下げろ。駄作を語れるということは、そのジャンルを知り尽くしている証だ。お前が今まで名作だけを語って満足しているなら、それは浅瀬を泳いでいるだけに過ぎない。深海に潜り、黒焦げの残骸を拾い上げろ。そこからこそ、新たな視点と真の知見が得られるのだから

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