他界系が「ポジティブに考えろ!引き寄せの法則」と発狂しているのを見たことがあるだろうか?
あいつらは現実を見ていない。世の中にはネガティブなことが実にたくさんある。
といっても、ただネガティブに見ればいいってもんじゃない。うつ病患者が非現実的な妄想で落ち込んでいるのは、ネガティブパワーの間違った使い方である。
アクセルを踏む、スピードが一定を超える。そのときにスピードを緩めるためにブレーキを踏む。これがネガティブフィードバックだ。
「過剰なポジティブ」に関連付けられるものが「錯乱」「犯罪」であるのに対し、「適度なネガティブ」に対応するのは「安定性」である。
我々は、交通ルールを守って正しい速度で運転したいわけである。
これらのニュースから学べることは、自分がそのような事件を犯してしまう可能性があると認識し、事前に防ぐことである。
例えば詐欺事件を見てわかるように、詐欺師は儲かればいい、バレなければ何をしてもいいと考えている。これはポジティブシンキングである。
誰にバレなくとも、悪いことはしてはいけない、と学ぶことが重要である。これはネガティブなことは起こると想定したネガティブシンキングである。
私は自分を愚者と認識している。中学生、高校生のときはひどいものだった。ゴミを山に捨てたり、人を殴ったり、ということを平気でやっていたのである。
愚者は物事をポジティブに考える癖がある。「どうせバレない」「自分には損にならない」「得になれば何をしてもいい」という具合である。
愚者が賢くなるためには、「してはいけないこと」をネガティブフィードバックから学ばなければならない。
例えば子供が盗みを働いたと親が知ったときに、親はそれを叱らなければならない。インターネットで犯罪予告をした若者は、警察の指導で学ばなければならない。
鞭から「してはいけないこと」を学べば、愚者は賢者とまではいかなくとも、今よりは賢くなるだろう。
「パーティへ行くよりも、葬式へ行ったほうが良い」これはユダヤ教徒に伝えられてきた文である。自分がいつかは死ぬと理解し、知恵を得るためである。
伝道の書 7:2
悲しみの家にはいるのは、 宴会の家にはいるのにまさる。 死はすべての人の終りだからである。 生きている者は、これを心にとめる。
人生は単純な白黒の世界ではない。ポジティブとネガティブは、車の両輪のように絶妙なバランスの中で機能する。
現実を直視しなければならない。ネガティブシンキングは決して人生を暗くすることではない。むしろ、光を見るための、より鮮明なレンズなのだ。
愚者は表面的な楽観主義に溺れ、賢者は深い洞察力で現実を見つめる。「してはいけないこと」を学び、「なぜいけないのか」を理解することが、真の成長につながる。
だろう運転が上手くなるにはだろう運転をするしかないもんな