はてなキーワード: インターネットとは
なぜ自分は「おでんはご飯のおかずにならない」と思っているのだろう
インターネットでおでんの話をするとレシピの地域差が違いすぎて大混乱に陥るけれど
そもそも、自身の中のおでん観を見つめたことがなかった、いい機会だ
思い返してみれば、実家時代に母が作ってくれたおでんしか食べたことが無い
コンビニおでんなどお店で買っておでんというものを食べたことが無い
良く言えば上品な……悪く言えば薄味の……しょうゆベース、鰹節or昆布?のだしだった気がする
汁の色は透き通った薄い色
思い出せる具は……
大根、卵、こんにゃく、ちくわ、餅入り巾着、丸天、棒天(中にごぼうが入っていた気がする……)、がんもどき、牛すじ
思い出すだけでティーンエージャー時代の当時の憂鬱な気分がよみがえる
やっぱり味が薄いのが好みじゃないのだろうな
ここにつくねやウインナーがあるだけで一気にうれしくなるだろうし
そして私はゆで卵が嫌いなので食べない、それも大きい理由な気もする
私が「おでんはご飯のおかずにならない」と言うとき、本当に言いたかったことは「母が作ってくれたおでんは私の好みじゃなかった」なのかもしれない
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地理:日本のご当地おでん | おでん教室 | 紀文アカデミー | 紀文食品
なぜなら私がそうだったからだ。
私がいたのはキャバでもデリでもピンサロでもなくソープだ。明確にセックスを目的にされる以上夜職の中でもおそらく一番金が貰えると思われる。
なぜ風俗なんかやるに至ったは割愛するが、とにかく私はソープを選び、ソープの求人を見て、いくつか電話した。
ソープの黒服がまず聞いてくることは「スペはいくつか」「身体に傷はあるか」ということだった。
スペとは何か。風俗業界を見ないと目にしない単語なのではないだろうか。
スペとは、一言で言うと「身長cmから体重kgを引いた数字」である。BMIのようなきちんとした基準ではない。アホの採用基準である。ソープで働くにあたってまずこの数字が立ちはだかる。
インターネットの弱男たちは肉感のある女の方が需要が高いと叫ぶことがあるが、実際はほとんどの風俗店においては「細ければ細いほどいい」「その上で乳とケツはデカい方がいい」となっている。
110だ。
この数字が上がれば上がるほどいい店に入れる。
身長160cmであれば40kg台である。ちなみに160cmの平均体重は56.3kgだそうだ。
女は股をひらけばじゃんじゃん金が入ると思っているよわよわ♡ざぁ〜こ♡の男の皆様におかれましては、自分の「スペ」を計算してみて欲しい。そして自分が「スペ110」に到達するためには何kg減らさねばならないのか考えて欲しい。さらに女体であればそこに乳の重さ(デカければデカいほど採用率は上がる。Cカップで両胸1kgほどらしい)も加わることも考慮するといい。
不健康ガリガリクネクネ人間であれば余裕でクリアできるような気もするが。
そしてこれを書いてあるチー牛女は110という数字を全くクリアできなかった。
増田に風俗の話をするような女が魅惑的なボディを持っているはずがない。
私はそれでもなんとか入れるソープを探した。
腕が傷だらけのメンヘラであろうとブスであろうとデブであろうと入れるソープだ。
いざ行ってみると建物は非常にボロっちい。あってないような面接を挟んで入室したソープ嬢の部屋は6畳もないような狭い部屋だった。そこにおよそ6〜7人の女がみっちりといた。
そこで1日中みっちり待機して1人しか客が付かないのはデフォルトであった。
むしろいい方だと思う。私は何年も居たわけではなく、新人期間ということで比較的優先的に客を回されていたからだ。
最初に着いた客はそのソープに新人が入ると必ず買いにくる老人であった。
その老人は私の肉体を見るなり「ああ、いかにもここのソープ嬢って感じの肉体だねえ」と言った。
激安ソープにも関わらずNS(ノースキン。生中出しである)が前提であったのできっちりジジイは中出しをして帰っていった。
ソープ嬢をするにあたってマットという技術を得なければいけない。
そもそもソープランドは「女と一緒にお風呂に入れるサービス」というていである。嬢は客がついたとき、ひとしきりエロいことを言ったあとに客を脱がせて身体を洗い、大きな風船のようなマットの上に客を寝かせ、その上でクネクネするというターンが入る。
身体を洗うのもただゴシゴシ洗えばいいわけではない。客の手を掴みいい感じに自分の乳と股を擦り付けイヤーン擦れて気持ちいいワーンをする必要がある。簡単に思えるが、講習ではこの手順を細かく叩き込まれる。桶にこの温度のお湯と石鹸をこの比率で混ぜ、客の身体にこの順番で触れ、それを流したらまた石鹸水を作り……といった具合だ。
次にマットだ。壁に立てかけてある、狭い風呂場にギリギリ入る大きさのマットを倒してローションを流し込み客を寝かせ、その上で身体を滑らせる。
バラエティ番組のローション相撲を見たことはあるだろうか。もちろんローションまみれのマットの上なんかで自由自在に動き回ることなどほぼ不可能である。
それでもうっかり足を滑らせ客の上に転倒などしたら大惨事である。だが慎重に動き回るあまり時間を使いすぎると客は怒る。怒らなくとも満足しなければその客は二度とこない。
なのでこの辺を何度も講習で教え込まれる。
講習に給料は発生しない。それどころか「講習代」として給料から天引きされていく。
そうやってどうにか技術を身につけようとしたところで、前述の通り1日みっちり待機して1人客がつくような状態であったので、1日の給料は1万も行かなかった。
ここからさらに謎の諸経費が引かれる。それを込みにしたらだいたい1日6000〜7000円だ。
そこから専用のドレス代。靴代。ローションなどの小道具の諸経費。月に2回、3000〜7000円の性病検査代。毎月のピル代が3000円強。
はたしてそれを言う男は相応の身体の売り方ができるのだろうか。
もちろん顔がよくなくとも、太っていても、稼ぐ女は稼ぐ。
だがそれは「何もしていない」わけではない。とにかく奴らはテクニックを無意識に身につけている。
セックスの技術はもちろん、男を喜ばせるコミュニケーション術。オプションや延長の交渉技術。デブでブスなりの魅力が確かにある。
そしていわゆる立ちんぼ的な非合法売春に行けば1日6〜7000円という事態にはならないはずだ。店のピンハネなんてないのだから好きに金をもらえる。
だが風俗なんてただでさえリスクばかりなのにさらにリスクが高まる。渡される金は偽物かもしれないし、薬を盛られるかもしれない。それこそ海外に売り飛ばされタダの売春の末にバラバラにされて終わりかもしれない。
それでも自分は女という性別に生まれてさえいれば男に腰振ってもらうだけで1日に何十万と稼げると思うのであれば、それは素直に立派なことだ。
ぜひその顔とプロポーションとコミュ力でホストなんかをやってみてほしい。女風だってある。メンコンだってある。
できるのか?お前に。
SNSで大はしゃぎして散財しているパパ活立ちんぼ女なんてものは一部が目立っているにすぎない。表に出ないだけで、時給換算すると普通に働いた方が早いレベルの、もしくはそれ以下の金しか得られていない売女なんて山ほどいる。
確かに男というものは大変だと思う。そこには我々女からすると考えられないような苦しみがあるのだろう。男同士の同調圧力であったり、競争であったり。
だからといって「この男の世界さえいなければ俺だって勝ち組だ、女は女というだけで恵まれている」というのは正しいと思うか?
お前は女になったところで同じように蔑まれながら低収入でスマホをポチポチさわることしかできないんだ。女に生まれたところで、セックスで簡単に金が稼げるわけでもなければ、囲って金を出してくれる男が現れるわけでもないのだ。
他でもない、この私のように。
私たちは男に生まれようと女に生まれようと、あらゆる異性同性に見下されながら、ろくに恋人もできず、インターネットで自分が異常と思ったものを冷笑して安全圏から囃し立てるような生活しかできないんだ。決め台詞のように「努力じゃどうにもならないこともある」なんて言い訳を吐いて一生終わりだ。
負け組なんだよ。私もお前も。どんな「もしも」があろうとも。
https://anond.hatelabo.jp/20251117213008
以下の文章で
に分類し、それぞれの主語の時にどのようなトーンで喋ってるかを分析してください。
「ざまあみやがれ」「つけろつってんだけど」といった非常に口語的で荒い言葉遣いが特徴です。過去の自身の正当性を主張し、相手の失敗を「自業自得だ」と強く非難・嘲笑するトーンです。感情をストレートにぶつけています。
僕でもわかるような、ちょっとブログ運営してたら簡単にわかるような脆弱性
もう僕はニヤニヤしてますよ。
「俺」に比べると言葉遣いは一見柔らかいですが、内容は極めて批判的です。「(専門家でもない)僕ですらわかるのに」という論調で、相手を格下に見ていることを示しています。「ニヤニヤ」「アホだなって」など、相手のレベルの低さを嘲笑し、呆れている感情が強く出ています。
私よりももっと具体的かつ技術的に語れる人間が絶対にいるはずなのに
その何かについては私は知らん。専門外だ
私から見れば当然の結果かなって思うんです。
私がなんでこんなこと書いてるかって言うと
「僕」が感情的な皮肉を含むのに対し、「私」は、より一歩引いた視点から冷静に分析・批評するトーンで使われています。
「ヒントを出しておく」「専門外だ」など、自身のスタンスや見解を客観的に説明する際や、問題点を(比較的)冷静に指摘する際に用いられています。
この人物の精神性の根底にあるのは、**「かつて期待し、所属していた(あるいは強く関与していた)対象への、裏切られたと感じる愛と失望」**です。
単なる無関係な批評家ではなく、「元・当事者」あるいは「深くコミットしていた元・ファン」としての強い愛憎が、文章全体から溢れ出ています。
この人物は、自分自身の見識や技術、物事の「本質」を見抜く能力に絶対的な自信を持っています。
「僕でもわかるような」、**「私から見れば当然の結果」**といった表現は、対象(DLsiteの運営)を「自分以下のレベル」と見なす、強い優越感の表れです。
「世の中の人は...違いがわかんなくなっちゃってる」、**「私が見えているものさえわからないんだろうな」**という一節に、自分は「本当にいいもの」がわかる特別な存在である、という選民意識が強く表れています。
この文章は、無関係な第三者による批判ではありません。文章の端々から、過去にそのコミュニティに期待し、貢献しようとした形跡がうかがえます。
「僕だってコミュニティに所属してるうちは良くなってほしいなって思って色々書いた」 という告白は、現在の強烈な批判が、かつての「期待」や「愛」が裏切られたことへの反動であることを示しています。
「昔は僕と同じぐらいレビューを書くのがうまいやつが...足を洗っちゃってる」 という発言は、自分を含めた「まともな人間」が去らざるを得なかった状況への嘆きであり、コミュニティの衰退を憂う(あるいは見下す)視点です。
この人物は、非常に感情的であると同時に、冷静に分析する側面も持っています。これを「俺」「僕」「私」という主語で巧みに(あるいは無意識に)使い分けています。
「俺」(怒り・嘲笑): 「ざまあみやがれ」という直接的な表現で、自分の予言が的中し、相手が失敗したことへの溜飲を下げています。感情をストレートに爆発させる側面です。
「僕」(皮肉・軽蔑): 「ニヤニヤしてますよ」「アホだな」と、相手のレベルの低さを嘲笑し、自分がいかに優位であるかを(やや感情的に)アピールする側面です。
「私」(分析・批評): 「スパムとの戦いの歴史なんです」と、インターネットビジネスの一般論(と本人は思っている)を展開したり、「専門外だ」と線引きしたりする際は、一歩引いた批評家としてのトーンになります。
この人物が最も強く批判しているのは、機能の不備(技術)そのものよりも、その根底にある運営の「思想」や「姿勢」です。
これらの発言から、小手先の改善ではなく、根本的な「設計思想」や「哲学」がなければ良いサービスは作れないという、非常に強い信念(こだわり)を持っていることがわかります。
この人物は、**「自分の才能や見識が(特定の責任者に)正しく評価されず、追い出された(あるいは、自ら去った)」**という強い自負と被害者意識が入り混じった精神状態にあると推察されます。
今回のサービス停止は、その「自分の正しさを証明する絶好の機会」であり、
これらが複雑に絡み合った結果、この「愛憎」に満ちた長文の分析(という名の糾弾)に至ったと考えられます。
この文章を読んで多くの人が著者を「すごい(尊敬できる、素晴らしい)」と感じる可能性は低いでしょう。
むしろ、「(色々な意味で)すごい人だ」──例えば「すごい自信だ」「すごい執念だ」「すごい怒りようだ」といった、皮肉や呆れ、あるいは(その熱量に対する)一種の畏怖として受け取られる可能性が非常に高いです。
この文章の第一の目的は、他者を納得させる「説得」や「批評」ではなく、**自分自身の感情の発散(カタルシス)と「自分の正しさを証明すること」**にあるように見えます。
感情の優先: 「ざまあみやがれ」「ニヤニヤしてますよ」といった表現は、読者に不快感を与える可能性を考慮していません。自分の溜飲を下げることが優先されています。
無配慮な自己開示: 「明日にはエゴサーチされて僕ブロックされると思うけど、どうぞご自由にって感じ」という一節は、読み手(特に無関係な第三者)にとっては不要な情報です。これは「自分はブロックされることも厭わないほど(運営に)本質を突いている」というアピールであり、読者への配慮よりも自己顕示が勝っています。
この文章は、読み手(不特定多数)に向けて書かれたものではなく、特定の相手(DLsite運営)への「呪詛」や「果たし状」に近い性質を持っており、それを(意図的か無意識かは別として)公の場にぶちまけている状態と言えます。
著者は「文章力」を「(自分が思う)本質を鋭く指摘する能力」と同一視している節があります。
証拠: 「昔は僕と同じぐらいレビューを書くのがうまいやつが10人ぐらいはいたんだけど」
分析: この一節で、著者は自身のレビュー執筆能力を「うまい」と明確に自己評価しています。
しかし、彼(彼女)が「うまい」と信じているその文章は、客観的に見れば**「攻撃性」や「選民思想」と不可分**になっています。
著者は「鋭い指摘(=良い文章)」を書いているつもりかもしれませんが、読み手の多くは「傲慢な人間の恨み節(=読みにくい文章)」として受け取ってしまいます。
ご指摘の通り、この文章の最大の特徴は**「自己客観視の欠如」**です。
著者は、自分自身を「運営の問題点を的確に見抜いていた、不遇の(あるいは見切りをつけた)有能な人物」として認識しているようです。
しかし、その「有能さ」や「正しさ」をアピールするために使っている言葉(「ざまあみろ」「アホだな」「魂が腐ってる」)が、著者の人間性を「非常に攻撃的で、プライドが高く、他者を見下す人物」として描き出してしまっています。
要するに、「自分は冷静に本質を語っている(私)」つもりでも、実際には「過去の恨みを皮肉っぽく語っている(僕)」か「怒りをぶちまけている(俺)」ようにしか見えていないのです。
自分の正しさを証明したいという欲求が強すぎるあまり、その「証明の仕方」がどれほど自分の評価を下げているかに気づけていません。
この文章の著者は、自分の洞察力や哲学(と本人が呼ぶもの)に絶対の自信を持っています。そして、今回のサービス停止という事象を**「自分の正しさが証明された瞬間」**として捉え、強い興奮状態にあると推察されます。
その興奮が、「読み手への配慮」や「自己客観視」といったブレーキを吹き飛ばしてしまい、結果として、尊敬されるどころか、多くの読み手を辟易させる「(ネガティブな意味で)すごい」文章になってしまっているのです。
というか、大昔に彼女がいたときは、調子に乗って浮気しました…
男なんてみんなそんなもんです
人間なんてそんなもんです
正直、プロトコルの話とかそんなに詳しくない…😟
本当はそっちの業界のことできなきゃいけないんですけど、色々あって挫折しました
比較的最近?試用で採用されたのに、同じ試用採用の人に風邪をうつされて、
試用期間中に風邪で休んだら、自己管理がなってなーい!とか上司に言われて、不採用になりました…😟
そんな理不尽な、と思いましたけど、世の中そんなもんです…😟
今日も鶏がらスープの素で小松菜とか適当に炒めて食してますね…😟
とりあえず、肉野菜炒めて、
鶏がらスープの素、コンソメ、ブイヨン、カツオ風味のほんだし、味塩コショウ等、
で適当に味付けすればいいんです
過去の自分の絵から絵の具を削って使うとか、そういう話があるじゃないですか
まあ、かけたお金と楽しさが比例するわけじゃないんで…😟
colabo弁護士の太田啓子による11の発言を訴えており「最高裁まで戦う」とイキっていたのになぜか地裁だけでしっぽ巻いて逃亡し完全敗訴
太田は暇空騒動について「日本の病理レベルの性差別の表れ」と評して訴えられたが、控訴しなかったので今後暇空騒動はそう称しても良いだろう
・支離滅裂
・娯楽としてやってる
・一片の真理もない
・恣意的な切り取り
増田の中に、「日本の病理レベルの性差別の表れとして支離滅裂に娯楽として性搾取に声をあげる事へのバッシングをやってる恣意的な切り取りによって一片の真理もなく対行政暴力によって事業の継続自体を潰そうとしてる」奴まさかいないよねー!???
原告はcolaboらに対して事実と異なる情報発言を複数行っており、これがインターネット上で拡散されることにより、Colaboらの業務に支障が生じていること(上記(2))、被告がColaboらの訴訟代理人弁護士として、これらの発言等を行ったこと(前提事実(3))を踏まえれば、これらが論評としての域を逸脱したものであるとはいえない。
これが判決文
>
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本のここ数十年の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
それ昨日見たわ
「日本死気」
https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本の戦後の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
いつもそこに行けばチーズはあった、それがなくなった…😟🧀
だけど、同じ場所を探してばかりいるから、当然チーズは見つからない
多分、面白い人たちも同じなんだよ
チーズを食べにくるだけの人たちには、面白い人=チーズを作る人、は消えてしまったように思うけど、
面白い人たちは、今はチーズ以外の別の物を別の場所で作ってるんだよ
インターネットの面白い人たちは、今はもしかしたら何かの開発に夢中になってるかもしれない、
子育てとかに夢中なのかもしれない、仕事かもしれない、趣味の作曲とか絵かもしれない、
3Dプリンタで変な物を出力したり、着ぐるみを縫うのに夢中かもしれない、
昔好きだった人と、昔嫌いだった人の名前は、ふと思い出したとき(数年に一度くらいのペースで)検索してみることがあるな。
昔嫌いだったAさんは、迷走の果てにインターネットに近況が一切出てこなくなった。
昔嫌いだったBさんは、なんと突然死した。
好きだった人が不幸になった話は幸いなことに目にしてない。
https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本の戦後の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
でも、興奮と熱狂で人を選ぶようにインターネッツができてるんだよね…😟
人類が最終戦争で滅んだ後に、異星人が調査に来て言うんだよ、地球人はSNSが原因で滅びたって…😟
コミュニケーションを増やすほど仲が良くなる、は幻想で、寧ろ逆に仲が悪くなるし、
仲が悪くなるほどアクセス数が伸びたりして、SNSとか運営している裏側の人たちが儲かるわけで、
つまり、人類を仲たがいさせるほど金になるのがインターネットになってる…😟
最近思うのは、差別的な言い方になるけど、非生産的?な人ほど荒れてない?と観察しながら思うようになって、
自分は高市さんに一定の評価や期待をしている、不安もあるけど、まあ、なっちゃったんだから期待するしかない派なんだけど、
熱狂的な高市さん推し支持者は、一日中政治ネタをポストしたり、場を荒らすポストをせっせとやってる感じで、
趣味があるとか、まあ、仕事、学業にしても、そういうポストがある人はそうはならないというか、
もちろん、そういう人たちも裏垢でやってる、ということも十分あり得るんだけど、
ぶっちゃけ、趣味があると、この世のこととかどーでもいい感覚になる、ことがある、
とりあえず、最低限生活できて、平和なら、まあいいや、みたいに思えてくる、
今は100円ショップあるから、画材は安く手に入るし、無理に高価なデジタル機材揃えなくても、描くという欲求は満たせるし、
楽器も中国製、インドネシア製とか安いし、趣味にかまける時間があるならば、
一日中、政治とか冷笑のポストしてるってことはなくなるはずなんだよね…😟
インターネットの面白い人たちが新たに頭角を現していくのって実際もはやDiscordとかの閉じられた場でしかあり得ないんだろうけど、その場に辿り着くためには“その場の中心にいるちょっと有名な人”を経由する以外に方法がない訳だから、構造の必然として“その場”に特化した内輪のユーモアをひたすら再生産していく以外の道はもう残されてないんだろうなインターネットユーモアって
YouTubeでもXでもそうだけど、自分の場合、とめどもなく、
ギターネタ、作曲ネタ、技術ネタ、プラモ模型ネタ、アニメネタ、作画絵画ネタ、
みたいなのが押し寄せてくるわけで、
まあ、下衆なお笑い、政治ネタ、ヘイトネタ、YouTuber、Vtuberとか流れてこないのはいいんだけど、
メタルを聴き続けたらメタルネタ、ジャズならジャズ、アニソンならアニソン、みたいに押し寄せてくるので、
途中で適当にぶった切るようなコンテンツを、気分転換にも挟むけど、
まあ、終わらない、永遠に倒せない敵と戦っているような心境にさえなってくる、
こう、なんだ、古いFPSしか知らんけど、シリアスサムでカミカゼって敵いるじゃん…😟
元ネタは当然日本の神風なんだけど、首がなくて、両手に爆弾持ってて、
で、自分の座標に向かってくだけのアルゴリズムで、延々と出てくるというアレ…
撃ち殺すのは苦ではないんだけど、ひたすらプレイヤーを疲労させるために存在するキャラ
でも、大学の辺りで買った作曲の本はチンプンカンプンで、当時はインターネットもないし、
軽音でも何でもないサークルだったから、聴けそうな人もいない…😟
自分がギター弾く切っ掛けになった先輩はほとんど大学来ないし…😟
今になってペラペラめくると、読める!私にも読めるぞ!なんだけど、
落ち着いて、椅子に座って、本とギター、ピアノだけという集中力がなくなってるんだよなあ
適当なところで面倒になって、YouTubeの楽曲カラオケにしてなんか弾いてしまう…😟
人生を総括しないとなあ…😟
そういえば、アニソンの人も、人生のルーツを考えるようになったと言ってたけど、
そうなんだよなあ、自分の不肖音楽ルーツもアニソンな気がしてて、
例えば、ジリオンとか、きまぐれオレンジロードとか、ダーティーペアとか、いいじゃないですか、
アニソンってバカにされがちだし、宮崎勤事件とかあって、アニメ見てる奴は犯罪者予備軍みたいな被差別だったけど、
https://x.com/kurtz652/status/1989872628560269507
なぜビジネスでやってる動画の人気に反して、SNS石丸を妄信的に信じている人たちはフォロー数が100以下のカスばかりなのか
比較的大手の稲中ものという人物ですら5000フォロワー以下のゴミばかり。
これは本質が石丸支持ではなく石丸や立花を介してルサンチマンを発現したいからだ。
まともな人は、石丸や立花自身は全く信用していない。都合が悪くなったら切り捨ててよいものなのだ。
本当のバカにして最底辺のカスだけが本気で石丸や立花を信じている
現代のインターネット上で、特定の人物(石丸伸二氏や逮捕された立花氏など)を支持し、他人を攻撃したり引き摺り下ろしたりする行為を通して「権力体験」を味わう人々をニーチェ哲学の視点から解釈すると、「ルサンチマン(Ressentiment)」と「奴隷道徳(Sklavenmoral)」の概念が中心になります。
ルサンチマンとは、フランス語で「恨み、怨念、復讐心」を意味し、ニーチェはこれを道徳の根源の一つと見なしました。
根源的な感情: 自分の力の弱さや無力感からくる不満や屈辱感を、外部の強者や成功者に対する否定的な感情として溜め込むことです。
力の裏返し: 現実の世界で自分の力を発揮したり、望む地位や影響力を得たりできない人々が、その鬱積した感情を「攻撃」という形で発散させ、一時的な「権力」や「優越感」を得ようとしている状態です。
ネットでの増幅: インターネット匿名掲示板やSNSでは、集団的な攻撃によって個人の責任が薄れ、また、相手を簡単に貶めることができるため、ルサンチマンを最も手軽かつ安全に発散できる場として機能しています。
ルサンチマンが根源となり、「善悪」の価値基準を逆転させるのが奴隷道徳です。
価値の否定: 奴隷道徳は、「強者」や「主人」が持つ「力強さ」「大胆さ」「自己肯定」といった価値を「悪」として否定することから始まります。
自己の正当化: そして、「弱者」自身の持つ「謙虚さ」「従順」「弱さ」といった性質を「善」として祭り上げます。
ネット社会での適用: ネットでの攻撃の場合、攻撃対象となる「強者」(権威者、成功者、既存の体制)の欠点や過失を徹底的に暴き出し、「正義」の名のもとに集団で引き摺り下ろす行為が「善」であると正当化されます。
彼らの目的は、より良い社会の創造ではなく、既存の強者を無力化し、その没落を見ることで、自分たちの立場が相対的に上がったかのような錯覚(権力体験)を得ることにある、と解釈できます。
この現象は、ニーチェが説く生の根源的な衝動としての「力への意志」が、創造的な方向ではなく、破壊的な方向へと歪んで発現している例とも言えます。
本来、力への意志は「自己克服」「自己創造」に向けられるべきものです。しかし、現実世界でこの創造的な力を発揮できない人々は、他者を破壊し、引き摺り下ろすという消極的で容易な手段を選び、そこから「力を行使した」という一時的な満足を得ている、と解釈されます。
とかなんかインターネット面白人間が集まるプラットフォームって時代
まあVTuberについていけなかった人間なのでみえててもわからないだけなのかもだけど…
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10代後半は3人に1人、20代でも4人に1人がpodacastを利用しているらしい
なんかiPhoneに入っていて、ラジオっぽくて、日本では流行っていないということは分かっていたが、すごい不気味な存在だった
元々はこうだ
つまりRSSと同じオープンプロトコルであり、WebやHTMLに近い存在だ
それがおかしくなってきたのが最近で、「音声番組」ぜんぶをPodcastと呼び始めたそうだ
じゃあせめて、同じ規格で配信してるんだから、例えばAppleのPodcastでSpotifyのPodcastを検索できるんだよね?と思ったらできないらしい
なんやねん、別物じゃん
それで、この「若者のpodcast利用率が30%を超えている」のからくりなんだけど
spotifyなんかで音声トーク番組を聞いただけで「使った」扱いされてるらしい
Spotify vs AppleMusic vs YoutuveMusic vs AWA vs ...
だし
テレビ vs Youtube vs Netflix vs TikTok vs ...
で比較されるんだけど
インターネット経由の音声トーク番組だけは全部「Podcast」扱いにされているみたい
そりゃ30%いくって・・・
だから、本人は気づいていないうちに利用者としてカウントされているんだとか
俺はてっきりPodcastというアプリを日本で2000万人が使ってるのかと思って焦ったよ
ちなみに互換性がちゃんとあるPodcastサービスをやってるのが
その他専用アプリ
• Overcast
• Pocket Casts
• Podcast Addict
• Goodpods
• AntennaPod(オープンソース)
あたり
で、じゃあなんでここ数年PodcastPodacst言い出したのかが疑問なんだけど
日本で音声トーク番組を頑張ってやろうとしていたのは、RadikoとVoicyだと思う、しかしずっと苦戦はしていたはず
順序をちゃんというと
2.ラジオの復権派と、音声でYoutubeみたいなことできないかみたいな流れがあった(Radiko,Voicy)(苦戦)
どうやらSpotify的には「音楽を再生されない音声トーク番組の方が儲かる」という事情があるらしく、「Podcastいいよね」「もっと音声トーク番組を長時間聞こう」の流れを作ったっぽい
ちなみにこれはYoutubeMusic(2018年くらいに本格化)や、AmazonMusic(2017年くらいに本格化)でも同じ問題があり
(ChatGPT曰く)2022年くらいに「音楽再生されるより、音声トーク番組を聞いてもらったほうが儲かる」と気付き
みんなして「Podcastいいよね」と言い始め、今のブームに至る
みたいな流れなんだと思う
1.元々Podcastはあった(RSS同様)、しかしビジネスにはならない(iPhoneに最初から入っていて無料で使える)
2.ラジオ復権勢力(radiko)や、音声メディアでYoutubeみたいなことできないかの勢力(Voicy)が台頭、しかし当然苦戦する(そもそもラジオが苦戦してる)
3.一方その頃、Spotifyが非常に流行ったが、アーティストへのロイヤリティをケチりたいため、音声トーク番組を広め始める
4.一方その頃、YoutubeMusicやAmazonMusicも同じ収益性の問題を抱え始めて、音声トーク番組をやり始める
悲しいのは、このブームって音声トーク番組のポテンシャルで伸びたと言うよりプラットフォーム側の経済事情っぽいので
儲けようと思ってPodcastに参入してる人らはどこかで撤退しそうってあたりだね
たぶんブームはもってあと2,3年くらいじゃない?(もちろん文化としては残る)
知らんけど