2025-08-30

元祖ニューエイジとしてのサン・テグジュペリ

学生時代になんとなく雰囲気で感動してみたりやっぱり釈然としないものを感じたりしながらそれっきりになっていた。

堀口大学の大時代な美文調の訳がわるいのかとも思ったが、どうも元がろくでもないのだ。

人間土地」等で繰り返し提示されるのは逆転の発想、レトリカルな視点の転倒である

  • 砂漠に寝転んで夜空を見上げると、宇宙深淵に潜っていくダイバーのような気分だ。
  • 私が遭難して、帰還しようとしているのではない。私からはぐれてしまった世界と人々を助けに行くのだ。
  • (機位を失って飛んでる時)あの星々のどれか一つが地球なんだ。


なんかどれもこれも…中高生自分でこれは凄いぞと思って書いた文章みたい。

そこヒネったから何なんだよ。

戦間期飛行機乗りという最先端職業体験による高揚を糞ポエミーな文章で書いたらバカウケした。作家サンテグジュペリ一言で表すとそういうことになる。

(「南方郵便機」にはもうちょっと素朴な職業倫理やタフガイ礼賛があったが)

そして気分の高揚は気分の高揚以上の何かではないのだ。飛行機というツール世界の全く新しい見方可能にした、とかいうのはただの独り善がりの妄想である

100年という時間が、往時のパイロットの高揚にレトロフューチャー的なもっともらしい陰影を与えている。しか現代の我々はコレにそっくり物語パターンを知っている。

宇宙飛行士が真理に目覚めただとか。

脳みそネットに直結して神に出会うだとか。

そういう陳腐なスピ話、「アプリケーションによって人間がいま一段の進化を遂げる話」に、我々は今さら目を輝かせたりしない。

それらと「人間土地」が何か違うのか?

何も違いはしないのだ。

あれ?フランス人作家ってひとり残らず思わせぶりなだけのカスじゃね....?

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