2025-09-20

「心のデスノート」って表現の方が俺は気になるし、暴力的すぎてよろしく無いと思う

「私はあの人の名前を心のデスノートに書きました」という言葉は言い方がやや迂遠なのでそのハッキリとした意味を捉えきれなかった人が多いのではないだろうか?

シンプルに言えば「アイツ、死ねと思ってる。死んで欲しい。私を不快にする奴は死ね」ということだ。

これほど危険思想もないだろう。

人類歴史上続く数々の刑罰の中で「人を不快にしたか死ね」という内容について書かれているものはほぼ存在しない。

殿様が「俺の前を横切るのはムカつくから死ね」と口にしたら近衛が飛んできてズバーっと切り裂いたみたいな話もあるが、これらは「不敬罪」に該当するものであって「不快罪」では断じて無い。

不敬罪」は「封建社会における上下関係絶対性を否定したことに対する罪」であることを、あえて注釈しておく。

しかしたら、彼女の主張はある種の「不敬罪」に対してのものだったのかもしれない。

「私という稀代の天才に対して、そのような事を語るのは、私の掲げる実力主義世界観においては、不敬罪に該当します」という発言なのだろうか?

これは強烈な差別的思想であると言える。

「この国では肌の白い人にだけ人権があり、肌の黒い人には人権がない。肌の黒い人が白い人の人権侵害するのは、社会根底を揺さぶ不敬罪なので、不穏分子への見せしめとして殺しておく」という価値観のもとで行われた差別的懲罰人類史には多く登場する。

これらが肯定されていたのは20世紀の前半までで、21世紀には「絶対に許されない人権意識に対する罪」として批難されていることを知らない人はいないだろう。

「心のデスノートに書きました」という発言を公の場ですることは許されてはならないと思う。

それはつまり「具体的に名前は言わないが、これだけは言わせて欲しい。死ねーーーーーー!!!」と叫ぶことと最終的には大差ないのだから

人を指して死ねと口にすることは現代社会では厳しく批難される行為だ。

人格否定することに他ならないのだから

そんなことをしているような人間が、「これはある種の権利侵害ですよ」なんて語っているのをマジメに議論すること自体馬鹿馬鹿しいと思う。

私の結論としては「名を伏せたとしても公の場で誰かに死ね」と語るような人が口にする差別問題権利意識なんて、そもそも議論俎上に載せる価値もないものではないか?」ですね。

いや本当に、なんでみんな「ノイズ」のほうに注目するんだろう。

死ね」は駄目だってことを教わらないまま35歳辺りにある価値観回帰不能点を通り過ぎてしまったのかしらん。

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