ここでいうTSFというのはtranssexual fiction、主にはtranssexual fantasyという創作ジャンルを指す。
その中でも特に、男性がなんらかの要因で女性の肉体となってしまい、性的な行為を受けるといったR-18創作のジャンルについての話になる。
男性であった主人公がそれまで味わったことのない快感に戸惑い、屈服し、慰み者にされ女性となったことを受け入れる、というのがおおまかな一連の流れである。無論バリエーションは豊富であり、これらに当てはまらないものも多いが、ここでは一般化したTSFエロ創作について語るものとするので目をつぶっておいてほしい。
さて、女性にTSFした男性は、性的な「責め」を受けることになる。そこで感じる未知の快感に戸惑い、責めを行う者は「女のよさ」を教え込む。
ここで疑問が起こる。その快感を与えるためには果たして、女性にTSFする必要はあったのか? と。
男性がペニスを用いた射精以外で得られる性的快感は、現実には膨大な種類が存在する。ドライオーガズムだけで何種も方法が存在し、なにより前立腺という女性には存在しない快感を得られる器官がそもそも男性には備わっている。(前立腺がTSF後も残る、というパターンもあるが、であればなおさら男性の快感の存在を重視すべきだろう)
また、女性にTSFしたから「責め」で快楽を感じる、というのも疑問となる。女性の肉体であれば簡単に快楽を与えられるというのは、過度な女体神話と言わざるを得ない。快感を与えるための性感帯の開発に薬物やナノマシン、魔法などを用いてショートカットすることをエクスキューズとするのなら、今度はなぜそれを男性の肉体に対して用いなかったのか、という話になる。たとえば性的快感を目的に開発させるスペンス乳腺は男性にも存在し、女性と同等の快楽を得られることが知られている。
TSFエロでシコる者にとって、女性の肉体は自身の肉体とはまったく別のファンタジー上の存在であり、それを安全な場所から性的客体化して楽しんでいる。同時に、彼らはなにより、自身と地続きの肉体が性的客体化されることを恐れている。
自分と異なる女性の肉体であれば、どんな責め苦も快感として受容して構わない。だが自分の肉体から地続きとなる男性の肉体で同様の責め苦・快楽を受けることは、端から拒絶するしかない。女体であれば可能な行為が、いざ自分の身に降りかかる段になると尻込みして、TSFに転嫁する。さらに言えば現実に自分の肉体で試そうとすることもない。
自分と異なる(と思っている)肉体のファンタジー視と、自分の肉体でも再現・体験が可能であるはずの快感への忌避感。TSFはその言い訳、逃げ口上として用いられているのではないか。
臆病者としか言いようがない。自分の肉体の持つ可能性を無視し、ファンタジーとしてしか快感を受け取ることができないのだ。
結局なにが言いたかったというと、男性の快感は射精だけではないのだから、自分の身体を大切にして、愛おしんであげてほしい。それがいつかきっと、他人への優しさに変わるだろうから。
何言ってんだと思ったけどいい話だった😭
NTRと同じで要するに強い男根信仰の現れのバリエーションでしょ そのタイプのTSF