Xで、婚活アカウントによる「未婚の非モテは冷笑系である」旨のポストを見た。ブスでも貧乏でも結婚はできる、その後DVや不倫等の問題の可能性はあるにせよ、一度も結婚が出来ていない人間は冷笑してくる。こちらの話に冷笑で返すのでとにかく一緒にいて不快というもので、冷笑している自覚は無いが未婚中年の自分はちょっと我が振りを見返そうと思った。
もう一点。
自分は昔からオタクをやっており今はとあるアイドルを推している。ガンガン積むタイプではないが歴は長い。
自分の推しは認知が早いらしく、2回目で「この前〇〇だったよね」と覚えててくれる、自分のファンにピンポイントでファンサをくれるという。
しかし自分は何度現場へ入ったって一途にその人の色のペンラしか振らないにも関わらず1度も目線が合ったこともないし、接触でも毎回「はじめまして」のテンションを数年続けている。
嫌われるほど話してもないし、現場で目立つこともない。
ファンサをもらって喜ぶ同担や、推しと話した内容で親密さを滲ませる同担について、きっとアイドルはファンに合わせた喜ばれる対応をしているのだろうと思う。
ファンサを欲しがるファンにファンサし、ファンサを欲しがらないファン(アイドルオタクには「自分はパフォーマンスを評価しているのであってそんな安っぽいことはしてほしくない」という厄介な考え方の人もいる)もいる。
アイドルがファンサをしない自分は後者だと思われているのだろうか。自分はファンサが欲しくないのだろうか、欲しいのだろうか。中年にもなってファンサを欲しがるのはみっともなくて恥ずかしいと思っているだけで内心は欲しいのだろうか。
考えてもわからなかった。
好きで通っていた飲食店で、ある日「いつも来てくれる常連さんにだけ出すメニューです」と認知対応をされた。
「これからも、必要だったら言ってください」とそれをもらえる暗号のようなものを伝えられ、気持ちが冷えて味は好きだがその店に行かなくなった。
自分が一方的に好きだったのにそれをちょっとでも認識されてるとわかると一気に冷める。
アイドルに対しても同じように冷めてしまいたくない、けど、自分と同じだけ時間やお金をかけた人が貰っているものを自分だけもらえていないのもみじめになる。
アイドルは敏いので、ファンの要望を汲み取って対応しているのだろう。
対アイドルであればそれでも良い。
けど、年々会う機会が減っていく友人に対してはどうだろう。すっかり疎遠な家族に対しては。
子供のころに家族でショッピングセンターへ行き、妹が駄々をこねてソフトクリームを買ってもらっていたのを見て、自分も食べたいけど言い出せなかった。帰りの車の中でソフトクリームがほしくてボロボロ泣いてしまい「店にいるうちに言え」と親から叱られた。
欲しいものを欲しいと言って買ってもらい、大喜びできる子供と、欲しいと言わず後から悔しくて泣き出す子供。前者の方が可愛いに決まっている。
そのまま大人になってしまったせいで意固地になり気持ちは殻に覆われ開示する自己を自分でも認識できなくなってしまった。
他人に頼ることも甘えることも、こうしたいとも言えない、しかし無欲なわけでもなくそれが何なのか正しく伝えられるほど自分とも向き合えないつまらない中年の出来上がりだ。
世の中の大半の人は学生のうちにこういったことは済ませておくのだろう。他人と寄り添う楽しさも苦しさも知らないまま、自分はどうなるのか。