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はてなキーワード: アトリビュートとは

2025-04-27

AIIQは53万?

IQの「テストに」過剰適応してるだけに見えるんだがなー。

IQって、いろんな能力のうち、ある種の能力複数集めて、どれくらい中央値から外れてるかを無理やり1軸で評価してるだけだから、その数値だけを持って「人間を超えた!」っていっても「は?」としか思わん。

パターンマッチング文書検索システムが、パターンマッチ文書検索能力けが高いってだけの話でしょ w

別に世界理解しているわけじゃない。

いわゆる東大卒をはじめとした高学歴の中にそこそこの割合混じってる、パターンマッチングが速いだけのアチーブメントテスト脳に近いんだと思うが。

例えばクイズ系とかね。

学生時代なら、まぁ、すげぇなと思わなくはない(≒思ったことない)けど、「で?」としか言いようがないタイプ

どこの現場にいても、このタイプは本当にただの邪魔者害悪なんよね。

自分はできる。

俺は……賢い!

って思い込んでるから、本当に扱いに困る。

「そんなのどこのWebページにも書かれてない」から始まって、「ここのページにはこう書かれてる」まで。

そう、そこの一文には、「単語の連なりとしては」そう書かれてるけど、その前に前提条件が書かれてたり、暗黙の前提条件があったりするだろ? この場合適用外なんだよ。

とか、

ここの××って単語は、こっちの同じ単語とは別の文脈のものなんだよ。

ってのが理解できない。

例えばドメイン駆動開発の「ドメイン」。

これを「業務ドメイン一択だと暗記してる役立たず。

業務ドメイン」は「幾つもあるドメイン概念」のうちの、たかが1軸に過ぎないし、優先順位としてはさほど高くない概念だ。

業務ドメイン分割」して、「DDD採用してます」って、それ、業務ごとの分割しただけの、帳票画面駆動開発。つまりDDD否定された手法を引き続きとってるだけだって理解できてないんよ。

からちょっとした画面の仕様変更があるたびに、大山鳴動の騒ぎになる。

ちゃんDDD採用してたら、大抵がアトリビュートちょっと追加するだけで済む。

これはアジャイルの特徴、特性ではない。

DDDのそれだ。

ウォーターフォールであろうが、容易に実現できる。

君の頭が足らんだけだ w

Frontとサーバサイドの二箇所で、StructなりClass変数を追加するだけで、DB更新スクリプトを走らせる必要すらない。

DDDって単語とともに公開されてるWebページを、字面だけ追っかけてHowToを猿真似するからそうなってんだよね。

DDD目的としていた状態になってないから、そいつは間違い。失敗。うんこ

お前の能力が、DDD必要としている能力に遥かに及ばなかった、ってだけの話だ。

これ以上他人様に迷惑をかけないために、潔く引退しろ w

事程左様に、エンジニア界隈見てると、そもそもの「エンジニア必要能力」が自己認識より遥かにかにかに低い人がゴロゴロしてるように見える。

その傾向が、近年マシマシになってる気がする。

2025-04-13

DDDは帳票・画面駆動開発のアンチテーゼなのだからsudoモデリング矛盾じゃないか

今の現場で信奉されているんだが、おいおいおいおい、考える頭がねーな、AI駆逐されてぇのか? SIer仕草のままじゃねーか。

と呆れてものも言えん。

90年代の、箱庭的な単機能小規模完納プロダクトなら帳票・画面駆動開発で十分だったが、常に成長し続ける宿命を背負った多機能Webサービスでは、帳票や画面遷移、デザインから立ち上げたら、絶対に発生する手戻り、仕様変更についていけなくなるだろ? ってアンチテーゼとしてドメイン駆動開発が提案されたんだけどな。

手戻り、仕様変更ドメインのコンセプト、概念に沿って発生する。

というのが基本アイディアだ。

帳票・画面という具象はあえて捨象し、コンセプトという抽象昇華することが本質ということだ。

抽象思考不自由エンジニアが、すぐに具象に飛びつきたくなるのはわからんではないが、それによって以前の帳票・画面駆動開発のマイナスが消せてるか? w

画面、帳票のグルーピングをしてるだけじゃねーか w

本当のDDD観点からすれば、帳票・画面は、ドメインコンセプトの一断面での切り出しに過ぎない。

如何様にも切り出せる。

足りなきゃアトリビュートを追加すれば済む。

手戻り、仕様変更なんて、道端の犬糞の向きを変えるほどの手間ですらない。

一旦ドメインコンセプトを実装したら、他の機能ほとんどは、それをどう適用するか、パラメータレベルの違いしかない。

ドメインコンセプトレベル検証(テスト)すれば、いくら機能が増えようが、パラメータ検証だけで済む。

こちらがTDD、DevOpsに繋がる。

Do you understand ?

こちとら、オライリー本のつまみ食いとか三下が書くWeb記事をありがたがって鵜呑みしてやってるわけではない。

他のいろんなエンジニアが同じことに悩み始めていた20年以上前クライアントの先輩エンジニアにヒントをもらって始めた内容だ。

当時、上司設計交渉を続けていたが、毎度毎度仕様変更が入り、何かずれているんでしょうか? と聞いた。

「君は僕たちの業務理解できてない。僕たちにとって〇〇がどういうものか。僕が足りないと感じるのは、君がその要素を理解できていないからだ」

とヒントをくれて、気がついた。

「僕たちにとって〇〇がどういうものか」

まり、その業務(ドメイン)のコンセプトを無視したら、利用者が本当に欲しいものが実現できないし、手戻りが発生したら対応できないし、変更についていけない。

そりゃ当然だ。

そのドメインのコンセプトの集合体、「ドメイン世界」と一致してないから。

手戻り、仕様変更、いずれにおいても障害が生じるのは、そのねじれのせいだからだ。

コピペして無意味な消し忘れをしたジュニアエンジニアカーゴカルトプログラミングと笑う無能エンジニアをたくさん見てきたが、この手のWebの何の根拠もない言説を鵜呑みにして、検証することもなく、HowToの上っ面だけをなぞる猿こそ、何百倍も罪深いカーゴカルトエンジニアだと、自覚しろよ。

お前のことだよ。

お前の語るのはDDDじゃない?

じゃ、お前のやってるそれは、問題解決してるか? w

お前のDDDこそ、無意味なハリボテだ。

2023-05-05

謎のチョーカーや腰巻きカーディガンギャルアトリビュートであり、そのリアリティについて言及するのは宗教画に描かれた神を普通人間じゃんと言うようなもの

2019-10-19

anond:20191019165123

元増田です。皆さんトラバで参加いただきありがとうございます

さて、正解は「2」だそうです。なぜでしょうか?

元ネタ記事から孫引き(『芸術新潮2003年6月号「ヴィクトリア朝の闘うヌード/筒口直弘」)ですが、詳細は以下の通りだそうです。

この2人のヴィーナスが、それぞれどういう場にいるかを、よく見比べてください。レイトンの絵の背景に顔を出す青い海は、おそらく地中海。ドーリス式の柱も立っているし、画面の左下にはヴィーナスアトリビュート引用者注・このモチーフはこのキャラクターを表す、という約束ごと)である薔薇の花と鳩が描かれています

一方のムーアの絵は、そこがどこかも判然としない室内風景ですよね。画面の下に描かれている染付の壷なんて、明らかに1869年当時(引用者注・この絵が描かれた年代)の日本趣味を反映している。

まり、こういうことなんです。レイトンヌードは、その場面設定からして、古代ギリシャ世界ヴィーナス像以外のなにものでもない。一方、ムーアヌードはといえば、画家アトリエのような室内でヌードモデルを描いたとしか見えない作品でした。レイトンヴィーナス像の伝統というものをきちんと踏まえているとすれば、ムーアヴィーナスは、A

Venusという題名のとおり「ヴィーナスのようなもの」、つまりヴィーナスのものではなくて、単なる現実モデルヴィーナス風に描いたヌードにすぎなかった。

先ほど紹介したムーア作品への2つの評が変に回りくどい言い方で貶していたのは、この事実を口に出すのがはばかられて、ぐっと呑みこんだ結果だったんですね。だからムーアの絵を見た評者も、本当は「道徳的にやましいところ」を感じていたわけですよ。

引用者注ムーアの絵は「あまりにも醜くおぞましいために、その趣味に反対する以外、他に反対しようという気にもならない」「このようなヌード作品には反対しようがない。というのも、まったくもって不愉快きわなりないからだ」といった具合に、具体的に「どこがどう」という指摘ではなく、ヘンに奥歯に物が挟まったような表現批判されている)

というわけで、この例では19世紀中ごろのヨーロッパ画壇における文脈にめちゃくちゃ依存しているわけです。

21世紀日本という全く背景が異なる我々が理解できなくても、たぶん「まあ、当時はそうだったんだろう」と考えるほかないのかなあ、と個人的には思いました。

上の引用にあるムーアの絵への批判の筆致も、最近日本でも何か似たようなのをよく見るような気がしますが、人間歴史というのはこうやって繰り返すものなのかも。

上記リンク先のブログ記事2010年まきおこった「非実在青少年表現規制問題」に関連した内容ですが、昨今かまびすしい「表現の自由はどこまで認められるか?」という問題についての観点からも興味深いので、ぜひ皆さんに見ていただきたいです。(というためにこのクイズ投稿したのが半分くらいなので、読んでみてね!)

2018-12-11

構図真似てるだけじゃん。

あいうのは先人の表現に染まりきった後人が自分表現を作れず、安易な手抜きをやっているだけにすぎない。

宗教画シンボルアトリビュートとは全然違う。

https://anond.hatelabo.jp/20181211115411

2018-03-20

anond:20180320160506

最近自分のことを発達障害とかADHDかいう人多いよね。なんでだろ?昔はそんなに言う人いなかったよね。いや、ほんとうに発達障害ADHDが昔の方が少なかったのか?そういうことではなく、そういう人の割合は変わってないと思うんだよ。なのにやたらと主張する人が多い。何のために主張してるんだろ?「自分発達障害からしょうがない。」と自分にも他人にも言い聞かせてるのだろうか?自分の苦しみを他人に分かってもらって少しでも妥協してもらおうとしているのだろうか? こんなことを書いていると批判される。たしなめられる。「あなた私たちの苦しみが分かっていない!差別主義者だ!」と攻撃される。そうかもしれない現代は苦しんでいる人を攻めてはいけないのだ。疑問にすら思ってはいけないのだ。ましてやこんな風にSNS意見言ってはいけないのだ。こんな風に他人の苦しみがわからずに、空気を読めずに自分の感じたことをそのまま話すことはいけないのだ。だ・か・ら、自分発達障害というアトリビュートアサーションすることによって、自分自身の存在肯定しているのだ。僕は悪くないと。

2014-09-19

うふふふふ

アトリビュートは引喩――アリュージョン系統の神働術だ。

 神働術は神やその御使いといった上位者の力を借用・引用することを得意とする呪術であり、【星見の塔】の四大分類では宗教的世界観の具現化は邪視宗教的記号運用呪文、高位の霊的存在との交信は使い魔、聖遺物などの使用は杖という解釈がされる。

 しかし、そうした特定様式スタイル記号コードはそれを自明のものとして理解していなければただの装飾的で思わせぶりな言動でしかない。知識のデータベースを参照する者。情報を共有している者。すなわち同じ世界という文化圏に属していなければその情報は読み取れない。

 
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