はてなキーワード: 変数とは
現実の複雑性を直線一本でぶった切ったつもりになって悦に浸る典型的な自己放尿。
国家の意思決定を「周囲の中国人がYESと言うかNOと言うか」という茶番レベルに縮退させ、国際政治の階層性も、個人の立場の分布も、リスクの非対称性も、全部まとめてゴミ箱に放り込んだまま、勝手に100%だの絶対だのと断定している時点で、論理の地盤が自己放尿している。
そもそも、個人がどんな意見を持つかと、国家が武力行使を決定するかどうかは別問題だし、個人の発言は職場環境、監視、ビザ、経済的依存、家族の安全保障など複数要因の制約下にある。
変数が多次元で絡み合っている状況を、「中国人は必ずこう言う」と一本化し、その一本化を自分の正しさの証明だと勘違いしているから、ロジックになっていない。
さらに、「もし台北が戦場になったらどうする?」という恫喝めいた情動誘導であって、論理じゃなく脅しの形を取った自己放尿。
論証ができない人間ほど、最後は脅しと極端なイメージで相手を黙らせようとする。まさに自己放尿が垂れ流しモードに入り、理性の回路がショートした症状だ。
国家・個人・政策・安全保障を全部ごちゃ混ぜにし、一貫性のない前提を積み上げたまま、自分で作った人形と自分で戦って勝利宣言して自己放尿しているだけ。
ロジックでも洞察でもなく、自分の妄想の中で架空の中国人を動かして「ほら、怖いだろ」と言っているだけだから、議論としては成立していない。
いいえ、「今の物価高=全部が円安(=Japanese yenの下落)が主因」というわけではなく、複数の要因が重なっている中で円安が「物価上昇を助長する要因」の一つになっている、というのがより正確な見方です。少し整理します。
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• 日本はエネルギー(石油・ガス)や穀物、原材料などを輸入に頼る割合が高いため、円安になると「輸入価格」が円換算で高くなります。たとえば、外貨建ての価格がほぼ一定であっても、円安で支払い時の円額が増えれば、消費者・企業のコストが上がります。 
• 実際、Bank of Japan(以下BOJ)の資料でも、「円安の再開(=円の価値が下がる)の影響で、輸入物価が上昇し、それが消費者物価にも波及しつつある」と言及されています。 
• また、経済分析機関によると、為替変動(特に円安)の影響が、かつてよりも日本の「輸入・消費者物価」に与える影響が強くなってきた、という指摘もあります。 
よって、円安は確かに「物価上昇(インフレ)を促す要因」として機能しています。
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⚠️ ただし、“主因”というほどではない理由
• BOJの資料では、価格上昇を「一時的・外部要因(輸入原材料・エネルギー・食料)によるもの(『第1の力』)/賃金上昇等による持続的なインフレ(『第2の力』)」という枠組みで整理しています。円安は『第1の力』の一部とされ、「持続的なインフレを引き起こしているか」という意味では、まだ十分ではないとしています。 
• また、円安の影響が「消費者物価全体」にどれほど直接的に波及しているかについては、“影響があるが緩やか”という分析もあります。例えば、ある報告では「2021〜24年の間、輸入価格・生産者価格には為替影響が強まったが、消費者物価にはまだ限定的」という調査があります。 
• その他、世界的なエネルギー・食料価格の上昇、サプライチェーンの混乱、物流コストの高まり、また賃金・雇用状況など国内側の要因も併せて価格を押し上げています。
• 例:BOJ発言では「エネルギー・食料価格上昇」がこの数年の日本のインフレを牽引してきた主要因の一つとされています。 
つまり、円安は「物価高を加速させるトリガー/増幅器」にはなっているが、「物価高の唯一・主な原動力」とまでは言えないというのが現状分析です。
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📌 結論として
「物価が上がっているのは、円安が原因か?」という問いに対しては次のように答えられます:
• はい、一部は円安の影響です。特に輸入品・原材料・エネルギー・食料などで円安は価格を押し上げる力が働いています。
• いいえ、それだけが原因ではありません。むしろ複数の要因が重なっており、円安はその中の一要素であって、「主因」とするには少し慎重であるべきです。
• 日本の物価・インフレがこの先どう展開するかは、円安の動向だけでなく、賃金上昇がどれだけ持続するか、輸入コストがどう推移するか、国内需要がどう変化するか、など複数の変数に左右されます。
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もしよければ、**「日本の物価高・インフレがどのくらい円安のせいか数値・推計で見た分析」**を一緒に探して、より定量的に理解することもできますが、どうしますか?
「関税を上げれば、奴らは頭を下げてくる」
→ プーチン&ネタニヤフ「俺の条件を呑め」トランプ「聞いてないよ・・・」
→ 「エプスタインファイル公開法に賛成した奴は、裏切り者でMAGA失格」
→ 「優秀な人間は死んだ、戦後に残るのはどうせ劣った人間だけだ、帝国内の資産をすべて破壊せよ」
「ぼくのかんがえた さいきょうの農法なら、3年間で大躍進、アメリカに追いつける。スズメを殺せ、密植しろ」
→ イナゴ大発生、3000万人餓死。スターリン、スズメ送ってくれ。
→ 「誰かが妨害したから失敗した。紅衛兵、犯人を探して吊るせ!」
「流通? 土地制度? 知らん。人間の精神力で経済が変わる。新しい社会主義的人間を創る」
→ コンゴ・ボリビアでのゲリラ戦は地元支持を獲得できず、捕縛・処刑。
「腐敗を一掃し、アマゾンを経済成長に利用、ブラジルを強い軍事国家にする」
→ 選挙で負けたら軍部と支持者が暴徒化、退任後ブラジリア連邦議会襲撃。
「強いトルコを蘇らせ、世界の中心に返り咲く」「金利は悪。利息を禁止する」
「世界の中心で咲き誇る日本外交」「台湾有事は存立危機、米軍と一緒に台湾を守る」
これら威勢のいいリーダー、ポピュリスト、もう少しはっきり言うなら「デマゴーグ」たちが、スローガンと真逆の結果を招いてしまう原因は、大きく分けて4つある。
この4つのメカニズムが、スローガンと正反対の結果を引き寄せる。
デマゴーグは、複雑な世界や社会を理解できない支持者を狙って、単純なスローガンで世界を動かせる、社会を変えられる、と主張する。
国内の社会制度であっても、複数の変数の相互作用で動いている。
デマゴーグは相手国の都合を無視しがちだが、威勢のいい言葉は、相手からの反動を必ず引き出す。
複雑系に単純な力技を当てると、構造的に必ず、反作用が跳ね返ってくる。
外交・戦争・経済などは、制度や前史・資源の制約によって決まり、威勢のよさと結果は全く別物である。
政治学ではよく知られているが、強い言葉で得られるのは支持ではなく「期待値の上昇」である。
デマゴーグは人気を得て政権を取りやすいが、取った後のハードルは上がり、実現はかえって難しくなる。
例えばトランプは、実現不可能な政策をぶち上げてはそれを引っ込めることを繰り返し
TACO(Trump Always Chickens Out.) と言われるようになった。
支持率は上昇も下降も早い。
支持率が高ければ高いほど、期待値だけが肥大化し、必ず失望へ転化する。
結果としてスローガンと反対の結果になる。
ロシアがウクライナを3日で下せると高を括って無理攻めしたことで、ウクライナはゼレンスキーの下で結束してしまった。
プーチンはゼレンスキー政権をネオナチと呼んだが、皮肉にも、プーチンはナチスドイツと同じ失敗を繰り返した。
ヒトラーは東部戦線でソ連を過小評価したことで、逆に総力戦動員を引き出してしまった。全く同じだ。
イエスマンで固めた側近、自分の古巣である諜報機関からの報告を信じた。
だが、側近や諜報機関は、敵よりも上司を恐れており、プーチンに弱気の報告を上げる方がよほど怖いと考えたのだ。
威勢のいいリーダーは周囲に、本当の悪いニュースが上がらない、現実と乖離した仕組みを作ってしまう。
威勢のいいスローガンは、熱狂とともに共通の敵を作り、仲間を結束させる。
だが、敵を倒しきれないと熱狂が冷める。
イラクには戦争の大義であった大量破壊兵器は、最初から存在しなかった。
ディープステートのように、存在しない敵であればなおさら、倒すことも証明することもできない。
最終的に、デマゴーグは側近への信頼を失い、支持者を恐れるようになり、味方の中から裏切り者を探して攻撃し始める。
ヒトラーは「国民こそ裏切った」「生き残っているのは劣等民族」として最後に焦土作戦を命令した(ネロ指令)。
トランプはちょうど、自分に票を投じたMAGAの人々を敵と呼び始めたところだ。
・・・でもな、実は5つ目の原因がある。
地球上にこれだけ「威勢のいいリーダーほど逆の結果を招く」例があるのに、
それでも強いリーダーを求め、わかりやすい嘘をつくデマゴーグを求めてしまう主体は、国民だ。
「こんなことになるとは思わなかった」と言い、デマゴーグのせいにしたり、反対者のせいにしたりしながら、
また次のリーダーを探してしまう・・・そんなお前ら=俺らが何とかしないといけない問題だよ、これは。
SNSが発達して、このビョーキは以前よりひどくなってしまった。
興奮と熱狂で政治家を選ぶな。威勢のいいリーダーほど、疑いの目で見ろ。
乱文をそれなりに読んでもらえてありがたい。
高市批判でサヨク認定されているのは笑ってしまった。俺は筋金入りの自民党員なんだがな。
俺が、冒頭の失敗例にスターリンやポルポトや習近平を挙げていないのは、
この3名が「威勢のいいリーダー」に数える価値もない、保身だけの凡愚だからだ。
他方で、威勢のいいリーダーの中には、ごく少数、成功した者もいる。
その点について以下に追記する。
俺が個人的に認めうるのは、チャーチルと、リー・クアンユーの2名だけだ。
アタテュルク、ドゴール、ベングリオン、鄧小平、朴正煕などがそれに次ぐ水準にあると考えている。
だが、この7名は大きな失敗を挽回できずに終わり、その失敗はその後数十年たった今でも、国の行く末に影を落としている。
7名の失敗が何であったかは、ここでは触れない。それぞれの国の歴史を学べばわかるはずだ。
この4点が、スローガンと正反対の結果を招かずに済んだ原因だ。
これらのリーダーにあって、威勢のいい言葉は常に「国民に一時的な負担・負債を我慢させるための嘘」として使われた。
(国民の多くがその嘘を、嘘と知りながら渋々従った、あるいは軍事力で抑え込まれた、という面もあったろう。)
それは百害あって一利ない。
人口オーナス期で苦しいのは皆わかってる。
ご提示いただいた内容は、経済成長やGDPの測定に関するいくつかのモデルや課題を簡潔に表現したものと理解できます。
x_t = (Π A_i)x_0
これは、経済の状態ベクトル x が初期状態 x_0 から始まり、複数の線形変換または行列 A_i の連続的な積によって時間とともに変化していくプロセスを近似的に示していると考えられます。
経済的解釈: 経済学においては、動学的なシステム(例えば、資本、労働、技術などの成長)を、期間ごとの変化率やショックを表現する行列 A_i を用いてモデル化することがあります。
この式は、連続的な経済ショックや政策介入の累積的な影響を示す形式として解釈できます。
r_1 > g > r_2
これは、経済全体の成長率 g と、異なる種類の資産(または異なるポートフォリオ)の収益率 r_1 および r_2 の関係を示しています。
理論: 実質GDP ≒ Q(生産量)、名目GDP = P × Q(価格 × 生産量)
現実の課題: 物価の過小評価と正確測定の不可能性 → 実質GDP x (αP)Q
これは、名目GDPを実質GDPに変換する際の物価指数(デフレーター)の信頼性に関する、マクロ経済学的な批判を述べています。
結論 (αP)Q の解釈: 実質GDPを名目GDPから計算する場合、通常は P で割って Q を求めますが、物価 P が不正確であるため、得られた実質GDPの値は名目値に何らかの調整項 α がかかった物価の代理変数 (αP) と、真の生産量 Q を掛け合わせたような値にしかならない、という測定上の限界を示唆しています。これは、「統計に現れる実質GDPは、真の経済成長を正確に反映しているとは限らない」という、実質成長率の解釈における重要な注意点です。
プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。
近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。
開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のものが出回っている。Eclipseとか今考えるとよくあんなので開発できてたな。
いまや小学生からおばあちゃんまでアプリ作りに熱中し、高校生はIoTとかやり始め、大学生は商業レベルか?ってレベルのものをネットで発表し、私はウェブアプリのスマホでのレイアウト崩れひとつすら直せず静かにエディタを閉じてnoteで過激タイトル記事を書いている。
掛け算に順序があると思っているような知能の下級雑用係(自分のことを教育専門職だと思い込んでいる)ですら「小学生にプログラミングを教えるぞ!」と意気込んでいる。やめろ。お前らには無理だ。無理だからマジでやめろ。考え直せ。無理だって。掛け算に順序つけないと相手に教えられないレベルのやつがプログラミング教えるのマジで無理だって。算数とは次元が違うって。「ピーチ姫いつも簡単に誘拐できるし今度はベヨネッタも誘拐してみるか」ぐらいの無謀さだって。やめとけ。マジでやめろ。
まあそんなこんなで入り口はめちゃくちゃ広く、入門するのはマリオカートより簡単である。話逸れるけどSwitchのマリオカート、運転アシスト機能ついて初心者でもコース完走できるようになったから心折れちゃった人ももう一度チャレンジしてみてね。
それとは特に関係ないんだけど、大学行ってた時ティーチングアシスタント(TA)っていう授業のお手伝いさせられたのよね。ちゃんとお金出るやつ。
学部の3年か4年から始まって、院の1年か2年までやってて、途中で休学挟んだから、ええと、あー、うん、数年間TAやってたんよ。数学とプログラミングのコマ。CとOctaveとかいうやつ。Cのほうは情報学科で、Octaveは違う学科。JavaとかC++のコマはTA入れさせてもらえなかった。
プログラミングの実習は週2コマ(連続)あって、情報学科なら必修科目。なのでサポートは相当手厚く、先生とTAが絶え間なく机間巡視し、わからないことがあればセンパイがなんでも答えてくれるというわけだ。授業外でもサポートはしており、わからなければ先生や研究室にいる学生に好きなだけ聞きにいっても良いということになっていた。必修だから落とされたら困るしな。
2コマだから3時間 * 15回で、45時間。そして私の時は2年まででC/C++/Javaと必修だった(今はなんの言語かは知らない)ので、その3倍、135時間は最低やることになる。プログラミング実習以外にもプログラミング触る授業多いから実際はもっと多い。宿題やる時間もあるので実際はもっともっと長くプログラミングに触れることになる。卒論書く時期に入ると、テーマによっては書く人はさらに書くので、もっともっともっともっと長い。
これだけ時間をかければほとんどの人がプログラミングできるように……ならない。むしろできない人の方が多い。なんで。why。教えて。
会社になるとさすがにプログラミングできるできないは死活問題である。
「今日から入ったxxでーす。業界未経験ですがよろしくおねがしまーす。さっそくなんですけどPythonのここわかんないんですけどどうすれば……あっそうすればいいんですね。次はここなんですけど……なるほど!ありがとうございます。じゃあまた明日ー」
いやー社会人にもなると熱意が違うね。学生なんかわかんなくてもほとんど聞きに来ないのにな。こりゃガンガン伸びますわ。私も社会人1年生でPythonなんて3秒ぐらいしか触ったことないから適当答えてるけど。
「ちょっとお時間よろしいですか?」「いやちょっと今忙しいから後になっちゃいますわ。すんません……」
そんなこんなで1週間ぐらい放置してしまった。やべー絶対嫌われる。どこまで進んだかな……?えっまだそこ?進んでなくない?
もしかしてこれ全部教えないとダメなやつか。そりゃ大学4年間プログラミングやったやつでもプログラミングできないんだから、そうか。よく考えると当たり前だよな。
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
Error: variable 'a' is undefined, line 24
↑のエラーは架空のエラー文(英語下手でも許して)だけど、エラー、出るよね。プログラム組んでたら。んでやっぱいるのよ。エラーを「にらみつける」やつ。解決しねえって言ってんだろ。
「エラー出たんですけど、どうすればいいんですか」
「エラーにはプログラムがなぜコンパイル通らないかの原因がそのまま書かれている。例えば今出ているError: variable 'a' is undefined, line 24は、24行目の変数aが未定義ということを示している。事前に変数aを定義していないか、打ち間違えてsになっているとかではないのかな?」
だいたいが「腑に落ちねぇー」みたいな顔する。まあ、一気に喋りすぎたしな。疑問点1個1個潰していくか。
「何か疑問点ありそう?変数ってなにー、とか、定義ってなにー、とか」「ないです。わかりました!」
わかったのか。よかった。またモニターをにらみつける開始。なんでだよ!!!!「お前顔にチョコついてるぞ」って言われたらチョコ拭き取るだろ。変数aが未定義ですねって言われたら変数a定義すりゃいいだろ。
でもプログラミングド下手なやつ(全人類の7割ぐらい)は、エラーをにらみつけてる。ずっとにらみつけてる。防御力下限まで下がったかな。にらみつけてて何が変わるんだよ。
「英語読めなくて……」
いや「a is undefined」なんて「He is Superman」ぐらいの英語だろなんで読めないんだよ。お前この大学どうやって入ったんだよ。たしかどの入試方式でも英語あっただろ。単語わからんかったらググれ。
「aが未定義って書いてあるんですけど、ここのfor文の私の考えが間違ってるのでしょうか」
いや24行目のaって書いてるだろ。まずなんでそこ無視するんだよ。お前がfor文で使ってんの教科書通りのiだろ。24行目ってわかるか?for文あるの40行目あたりだよな?aとiが違う文字ってわかるか?
「さっきのエラー直したら新しいエラーが出たんですけど、どうすればいいですか」
千尋!贅沢な名だねえ
変数に名前をつけろ。関数に名前をつけろ。クラスに名前をつけろ。全てに名前をつけろ。
C言語の古い教科書だと「a」とか「b」とか「i」とかで書いてるけど、そんなの人間が読めるわけねえだろ。冷静に考えろ。「input」「output」「index」とかにしとけ。
2重for文の変数名i, jにしたら絶対途中で打ち間違えるだろ。お前は打ち間違える。そういうやつだ。2重ループなんてどうせ行列計算の課題だろ。rowとcolumnにしとけ。これで打ち間違っても気づくし、それぞれに意味が付いてくる。
ちなみに同じ長い名前にも優劣がある。「result」よりも「sum」のほうが強い。「result」はなんの結果かわからない(全ては結果であるので)が「sum」は合計値であることがわかるからだ。「password」と「plainPassword」なら「plainPassword」が勝つ。暗号化されていないパスワードであることがわかるので、情報量が多いからだ。
ただし例外はいくつかある。「tmp」は一時変数であることが(プログラマにとって)明らかだ。「dir」はディレクトリであることがわかる。「src」「dist」あたりもよく使われる。このあたりは短くていいんじゃねーかな。
でも、この前温度センサ扱うプロジェクトで「tmp」って変数名使って温度(temperature)と脳内で混線してバグって発狂してた同僚いたけど。そういうときは名前長くするか別の名前使おうな。
関数の名前なんて「calcAverageFromArray」ぐらい長くしていいから。「myFunc」とかしなくていいから。「fetchJsonDataFromUniversityInternalServer」とかでいいから。マジで。いやこれ本当に。
そもそも今時ディスプレイでかいし、識別子なんて先頭数文字打ったらエディタが補完してくれるし、短くするメリットがない。
それでも名前が長いと感じる?関数がでかすぎるんじゃないか。細かく処理を分けるとかしてみろ。「combineArrayAndFindMax」関数は「combineArray」と「findMax」に分割したらいいと思うぞ。名前が長いと思っても名前を削るな、機能を分割しろ。自然と名前が短くなる。
それかシンプルでかっこいい名前を見つける。「convertEvilHtmlToPeacefulText」は「sanitize」に置き換えることができる。イカす名前だ。
プログラミングできない奴はマジでこれらのことをやらない。ずっとaとかbとかzとか使ってる。お前それ自分で読めんのか。読めねえだろ。myfuncってなんだよ何するんだよ。お前自分で理解できてんのかそれ。
それでも頑なにaとかbとか使う。なんでだよ。
動作原理わからず書き散らすな。動作原理っつってもそんな深いところじゃなくて言語表面上レベルの動作な。
リテラルは値を作成して、代入は値に名前をつけている、とかその程度のレイヤー。メモリがどうこうとかはいらんと思う。あっでもポインタのときはいるか……。めんどくせえな。
まあ動作原理っていうか自分が何やってんのか理解してくれって程度の話になるんだが。
例えばfor文で処理50回まわすとき、「50回分の処理を行なっている」ではなく「ループ開始時に変数を初期化。条件判定して成立していれば文の中を実行する。条件変数の値を変化させてまた条件判定からやり直す」ぐらいの粒度で捉えててほしいかな、という気持ち。
これはfor文で詰まる人がやたら多かったからだ。彼らはfor文をアトミックな操作だと思っていた。つまりfor文はひとまとまりの命令であり、長いfor文とprintfの間に粒度の違いはないと思っていたらしい。
つまり、「for文の中でエラーが起こる」という事象がほぼ理解できない。forはアトミックであり、内部など見えないのだから。じゃあお前が今書いたfor文の中身はなんなんだってやんわり聞くと「さあ…?」みたいな反応が返ってくる。はあ。
関数についてもなかなか誤解が多かった。関数「sum_array(a, b)」と関数「average_three_numbers(a, b, c)」は全く別の原理で動いているのだと。ここでの「全く別の原理」というのはシグネチャが違うとか実装が異なるとかそういう意味ではなく、コーラを飲んでゲップが出る原理と糸電話で声が伝わる原理ぐらいの全くの別、という意味である。
彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理を学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。
そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数の戻り値と関数の戻り値を足す」とか「関数の引数に関数の戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。メソッドチェーンとかやった日には大学潰れると思う。ただ、これはC言語が悪い部分もあると思う。配列とかいじりだすと、初心者が書けるレベルの関数だとあんまり値返さないしな。
たのむ、他のはできなくてもこれはできてほしい。自分が何をやりたいのかは理解してほしい。流石にお前のやりたいことなんて他人にはわからんぞ。
「配列の中の数値の合計値を求めたいんです」とか「名前と身長と体重をひとつにまとめた構造体が作りたいんです」とか。簡単なのでいいから。
「いま何やろうとしてどこで詰まってる?」って聞いても「……?」みたいな反応されたら困るんだよ。
例えば「キーボードから数値を10回入力し、それぞれの値を配列に格納して、最後に配列の値を逆順に表示せよ」みたいな問題が出てきたときに、「キーボードから値を入力する」「10回繰り返す」「配列に値を格納する」「配列の値を逆順に表示する」に分解できると思うんだけど、自分が何やりたいのかわからない奴はまずこれができない。
彼らには「キーボードカラスウチヲジュッカイニュウリョクシソレゾレヲハイレツニニュウリョクシテサイゴニハイレツノアタイヲギャクジュンニヒョウジセヨ」に見えている。
かろうじて「キーボード」「ハイレツ」あたりの単語は拾えるらしく、標準入力から値とったり配列を作ったりはしてるんだけど、そこから先に進まない。モニターにらみつけてる。またにらみつけるかよ。
あれだ、算数の文章題できなくてとにかく文章に出てくる数値足したり引いたりするやつ。あれのプログラミング版。文章が読めない。
こういう人にはメモ用紙取り出して、まず文章が何について言ってるのか、どういう工程に分けることができるのか、今後も同じことが起こったときにどうやって分けるのか。みたいなのを教えるんだけど、大抵あんまりしっくりこないらしく、成功したことは皆無。なんとかうまく教えたいんだが。
もうこのあたりになってくるとプログラミング関係なくね……?ってなるんだけど、意外とそういうプログラミング関係ないところで詰まる人めちゃくちゃ多いよ。
今すぐプログラミングをやめろ
――この二十数年、日本社会を覆ってきた「改革」という言葉ほど、
コイゼミ政権下における構造改革は、当初「既得権益を打破し、市場の透明性を高める」ことを目的としていた。
しかし、その過程で生まれたのは「市場化による新しい既得権益」であった。
実際にはその空洞の中に「改革を名目にした私企業と政治家の共栄圏」を築いたのである。
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バケナカヘイゾー氏の理論は、自由化と競争を通じた経済活性化を唱えるが、
実際には「官による資金配分のルートを、民間経営者層へ委譲する仕組み」に過ぎない。
制度的には「国家が税金を経由して企業に補助金・契約を投下する新たな官製経済」を形成している。
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2016年1月、長野県軽井沢町で発生したスキーツアーバス事故は、
この時点で、事故の“種”はすでに撒かれていた。
国交省の担当者は「競争原理によって非効率な事業者が淘汰される」と述べたが、
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実際には「民営化の名による公共部門の再配分装置」を構築した。
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そして、政治家や経済学者たちはその犠牲を「避けられない副作用」と呼ぶ。
あるいは、万博に投入される数千億円の公費を前にした自治体の疲弊を、
それでもなお「改革の成果」と言えるのだろうか。
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明治維新以来、この国は「変えること」に道徳的価値を与えてきた。
いつしか“誰のために変えるのか”という問いを失わせた。
そして、いまもその坂は下り続けている。
誰もハンドルを握っていないまま。
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あー、うん。
でも、AI使ってまとめないとわからんってくらいでかい規模、忘れ去られた内容、増改築が重ねられたスパゲッティな構造の場合、「理解したつもりになる」ってのが一番怖いんだよ。
でも、わざわざ設定されていると言うことは、「何か意味があった」わけだよ。
AIはよくわからんあやふやなのも、「自信を持って言い切ってしまう」。
絵とか、議事録なら、モブの一人の指が6本になってようが、うっすい内容の会議要旨の取りこぼしがあろうが、大勢に差は生じない。
けど、プログラムなんて、なんてことない1行、1文字、1ビットが生死を分けることも稀ではない。
他のプログラムであまり見たことがない、ってだけで、オミットされるだろうと余裕で想像できる。
無条件でAIを礼賛し、否定派を鼻で笑う「イケてる最先端のエンジニア」が多いけど、ちゃんと検証できてるか?
自分が理解できないことをやれてるから素晴らしい、って目隠し手放しで車運転しているようなものだって理解できてるか?
今までの炎上現場の状況からすると、こういう輩は一番最初に逃げ出してるからな。
経営者も、こういうなんか良さげな物言いする奴は、真っ先に疑った方がいいぞ。
AIを使うなら、その構造を理解して、その外側から検証できるだけの十分な技術力を持った上で判断しろよ?
まぁ、それができるなら、「AIマンセー!」とか言えないだろうから、不可能だろうけど w
数年後、「AI使って大量生産されたうんコードをなんとかしてくれーっ!!」って企業が大量に出現するだろう。
んでもって、その事態を収集できるだけの技術力を持つエンジニアは、ほとんどいないだろうし、彼の手足として動けるエンジニアすら数えるほどしかいない、育っていない、って状態になるだろう。
どの「AI活用Webサービス企業」も、低給料で雇った「運用エンジニア」を大量動員して、連日連夜の手動操作で誤魔化し続けるしかない、って消耗戦、デスマーチを、倒れるまで続けるしかなくなるだろう。
この世の、少なくとも疑いようのない真実の一つに、7つの習慣で言うところの「第7の習慣『刃を研ぐ』」ってのがある。
AIは、自動ナマクラ鋸を増やしているだけだと理解すべきだし、そこだけ量が増えても、その後の搬出処理がついていけなければ意味がないと言うことも理解すべきだ。
そもそも、木を切り出すと言う時に、ノコギリだけに注目するのがどれほど馬鹿かを理解すべきだ。
一連の流れを考えれば、ノコ引きの技術より、どう搬出するかの経路、切り出すに従って移動する集積地の移動戦略、さらにはそもそも優れた木材にするために何年も前から間引き、枝打ち、その前に日当たりなどを考えた植林計画をしておくという「事前準備」。こちらの方が、目立たないけど大事だって理解しとけ。
フェミニズムの分類が多すぎると聞いて
記述集合論(Borel階層, Projective階層, 汎加法族)
モデル理論(型空間, o-極小, NIP, ステーブル理論)
再帰理論/計算可能性(チューリング度, 0′, 相対計算可能性)
構成主義, 直観主義, ユニバース問題, ホモトピー型理論(HoTT)
体論・ガロア理論
表現論
K-理論
初等数論(合同, 既約性判定, 二次剰余)
解析数論(ゼータ/ L-関数, 素数定理, サークル法, 篩法)
p進数論(p進解析, Iwasawa理論, Hodge–Tate)
超越論(リンドマン–ヴァイエルシュトラス, ベーカー理論)
実解析
多変数(Hartogs現象, 凸性, several complex variables)
関数解析
バナッハ/ヒルベルト空間, スペクトル理論, C*代数, von Neumann代数
フーリエ解析, Littlewood–Paley理論, 擬微分作用素
確率解析
マルチンゲール, 伊藤積分, SDE, ギルサノフ, 反射原理
常微分方程式(ODE)
偏微分方程式(PDE)
非線形PDE(Navier–Stokes, NLS, KdV, Allen–Cahn)
幾何解析
リッチ流, 平均曲率流, ヤン–ミルズ, モノポール・インスタントン
エルゴード理論(Birkhoff, Pesin), カオス, シンボリック力学
点集合位相, ホモトピー・ホモロジー, 基本群, スペクトル系列
4次元トポロジー(Donaldson/Seiberg–Witten理論)
複素/ケーラー幾何(Calabi–Yau, Hodge理論)
スキーム, 層・層係数コホモロジー, 変形理論, モジュライ空間
多面体, Helly/Carathéodory, 幾何的極値問題
ランダムグラフ/確率的方法(Erdős–Rényi, nibble法)
加法的組合せ論(Freiman, サムセット, Gowersノルム)
彩色, マッチング, マイナー理論(Robertson–Seymour)
列・順序・格子(部分順序集合, モビウス反転)
測度確率, 極限定理, Lévy過程, Markov過程, 大偏差
統計学
ノンパラメトリック(カーネル法, スプライン, ブーストラップ)
実験計画/サーベイ, 因果推論(IV, PS, DiD, SCM)
時系列(ARIMA, 状態空間, Kalman/粒子フィルタ)
二次計画, 円錐計画(SOCP, SDP), 双対性, KKT
非凸最適化
離散最適化
整数計画, ネットワークフロー, マトロイド, 近似アルゴリズム
Littleの法則, 重み付き遅延, M/M/1, Jackson網
常微分方程式の数値解法(Runge–Kutta, 構造保存)
エントロピー, 符号化(誤り訂正, LDPC, Polar), レート歪み
公開鍵(RSA, 楕円曲線, LWE/格子), 証明可能安全性, MPC/ゼロ知識
計算複雑性
機械学習の数理
量子場の数理
相転移, くりこみ, Ising/Potts, 大偏差
数理生物学
数理神経科学
無裁定, 確率ボラ, リスク測度, 最適ヘッジ, 高頻度データ
データ解析
むしろ逆だ。「不思議に思わなくなったこと」こそが、知の腐敗、つまり自己放尿の始まりである。
子供の頃に抱いた「なぜ?」は、世界を構造的に捉えようとする知性の原型だ。
それを「無知だから」と片づける態度は、思考停止を正当化するための自己放尿にすぎない。
自分が理解できない現象に対して、「性欲がすべてを説明する」と短絡的に断じることこそ、最も原始的な無知な自己放尿行為である。
「性欲」で説明できると信じた瞬間、お前は思考の排泄を終えた気になって便座から立ち上がった。しかし、そこに残っているのは知的探究の成果ではなく、自己放尿の尿跡だ。
人間の結びつきを「性欲」という単一変数で閉じることは、複雑系を線形近似で片づけるような暴挙である。
進化心理学、社会的文脈、愛着理論、自己同一性の相互補完性、それらすべてを棚上げして「分かった気」になる。この「分かった気」が、まさに無知の証拠だ。
好奇心から、「森博嗣 の 全てがFになる のトリックを解説して」とGeminiにお願いしました。
返答は
森博嗣の『すべてがFになる』は、高度な理系的な知識に基づいた、非常に巧妙なトリックが用いられているのが特徴です。
作品の根幹となる密室殺人のトリック、そして登場人物に関する重要な「裏のトリック」は、主に以下の2点に集約されます。
孤島の研究所の一室は、コンピュータ制御のエレベーターでのみ出入りが可能であり、出入口は常に録画され、人が通ればすぐにわかるという厳重な密室でした。
この密室を可能にしたのは、コンピューターシステムの欠陥を利用した**時限プログラム(トロイの木馬)**でした。
作中に登場するメッセージの「F」は、コンピュータで使われる16進数の「15」を意味します。システムの内部で時刻などをカウントする変数が、16進数で最大の数値である「FFFF」(10進数で65535)になった瞬間に、**意図的にプログラムされた「誤作動」**を起こすように仕組まれていたのです。
* 誤作動の内容:
この誤作動によって、出入口の監視カメラの記録が約1分間遅れるように設定されていました。
* トリックの実行:
真賀田四季は、この監視カメラの記録が遅れるわずか1分の隙を利用して、自室から脱出しました。
密室を破ったのは、物理的な仕掛けではなく、プログラムされたシステムの盲点だったのです。
読者に真賀田四季が殺害されたと思わせるのが、この事件の最大の驚きです。
* 死体の正体:
最初に発見されたウエディングドレス姿で両手足を切断された死体は、真賀田四季本人ではありませんでした。この死体は、四季が叔父との間に産んだ実の娘であり、四季によって15年間、部屋に隔離されて育てられていた子供です。
* 真賀田四季の行動:
真賀田四季は、前述の「1分の隙」を利用して脱出し、その直後に所長を殺害。そして、外部から呼ばれた「真賀田四季の妹」である**「真賀田未来」**として振る舞い、研究所から脱出します。
* 結論:
真賀田四季は、最初から「誰にも会わずにこもっている天才プログラマー」という設定自体を利用し、実は死体ではなかった。彼女は、自らが創り上げたシステムと伝説を利用して、外界への脱出を果たしたのです。
これらのトリックは、単なる密室の謎解きに留まらず、人間性や存在意義といった哲学的なテーマと密接に結びついています。
YouTubeでこの小説の書評動画がありました。『すべてがFになる』をネタバレなしで書評する動画です。
【理系ミステリの名作】『すべてがFになる』をネタバレなしで書評!【森博嗣】
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というものでした。
その「日本企業1990社を18年間追跡した研究」という主張について、私が確認できた限りでは、そのままの形で信頼性のある学術研究として裏付けられたものは見つかりません。いくつか類似・関連する研究はありますが、主張の文言(1990社・18年間・利益率低下)をそのまま支持するものは確認できなかった、というのが現状です。
調べた内容
Web記事などで、「日本企業1990社を対象に18年間の分析で、女性取締役が増えるとROAが0.1ポイント低下した」という記述が見られます。
→ ただし、その記事(ナゾロジー等)は学術論文ではなく、二次情報を噛み砕いて紹介したものです。
ナゾロジー記事自体では、「この研究は … 『Journal of Risk and Financial Management』に発表されている」といった表記があります。
→ ただし、その論文そのものを確認できるソースは私が見つけられませんでした。
日本の女性役員・取締役比率と企業業績の関係を扱った先行研究はいくつかあります。例として:
「上場企業における女性活用状況と企業業績との関係」では、正社員女性比率が高いほど利益率が高くなる傾向があるという結果が報告されています。
「女性取締役会構成と企業パフォーマンス」に関する研究では、日本企業においても、正女性比率と業績との相関が産業、企業規模、コントロール変数の扱いなどで変わるという指摘があります。
また、女性取締役比率と業績の関係については、正確な因果性を識別するのが難しいという指摘が多く、肯定的・否定的・中立的な結果が混在しているという整理もなされています。
Koara
先行研究のレビューをまとめた文献も、「女性取締役比率と企業パフォーマンス(ROA, ROE など)」の関係が、業種、企業のコントロール変数、内生性の扱い、サンプル期間・地域性などに強く依存するという見解を示しています。
主張の形(1990社、18年、利益率低下)をそのまま採るには、以下の点が問題です:
現時点で、その研究が査読を経た学術論文として公表されているという確証を得られていません。
一般に、女性取締役の増加が業績を一様に下げるという結論は、既存の日本・国際研究との整合性が取れないことが多い。様々な研究で、正負・中立の結果が報告されており、単純な「増えると下がる」という因果を支持するものは弱いです。
もしそのような相関があるとしても、「女性取締役が増えたから利益率が下がった」のか、「利益率が悪化していて、それが背景にあって取締役改編が行われた」のか、逆因果の可能性や操作変数をどう扱うかなどがクリアでないと主張は弱くなります。
10代の頃って、「世界」というクソでかいものをよくわからないまま自己の中に組み込みがちだ。
結果的に当然処理しきれず、圧倒的な「世界」に降参することになる。
リリイシュシュのすべてを読んで、マジで最低な話だと思ったし、吐き気すら覚えた。
結局、ナルシスト的な被害者意識に閉じこもっていた自分から卒業しなきゃいけないってことだ。
世界と自己を同一視して「俺の世界=俺の苦しみ」みたいに抱え込むのは、構造的に破綻している。
まぁそれが美しいし、このリリイシュシュのすべてはその自己のなかに世界を抱え込むことによって生まれる気色悪すぎるけど美しすぎる世界を描いてるんだろうけど。
だから世界と自分を分離する。世界で何が起きても「へえ、そんなのもあるんだね。でも俺は俺だから」って言える距離感を持つ。
隕石が明日降ってきても「そっか、じゃあね世界」で済ませられるくらいに。
俺はエーテルというのは関数のようなものなのではないかと思った。
いじめられている子にとっての世界とは「自分をいじめるもの」でしかない。
けれども、自分と世界を分離することで、世界の中には「いじめるもの」もあれば「助けてくれるもの」「助けないもの」「何もしないもの」とてもたくさんのものがある。
たくさんありすぎて困るんで俺ら青春を情報科学とかいうドブに間違えておっことしちゃった人間には馴染みのある関数にして一般化してみる。
それは場合に応じて自己が持つ変数を引数にreturnを持つ動的な関数である。
自己: xの時、世界: f(x)でありいじめが起きた時、「司法に頼る」みたいな突拍子もない自己に世界を持っていたら思い付かないような閉ざされたアイデアを世界の引数に対して入力できる。
俺と世界は別であって、世界に対して俺は自由な入力を与えられる。
だからある時のxに対する世界: f(x)に執着する必要はない。
あるときf(x)が「いじめ」という最悪のyを返したとしても、それが世界のすべてじゃない。
別の入力x2を試せば、y2=f(x2)という全然違う出力を得られるかもしれない。
重要なのは「fそのもの」であって、個別のf(x)じゃない。俺たちは世界の像に絡め取られるけど、ほんとは関数自体の抽象的な存在が唯一の「世界」なんだ。
しかし関数という抽象化概念を人間とかいうクッソ低脳な猿が理解できる訳もないので、代わりにリリイシュシュがそれをエーテルとして表現した。
んで主人公の雄一や青猫は10代特有の自己と世界を同一視する世界観によってリリイシュシュの音楽を自己と同一視することで、そのエーテル=f(x)を自分自身と重ねる。
俺たちオタクは「自律・自立」に憧れつつも、そうはなれない人間的な弱さに対する「執着」だ。
自己と世界をごちゃ混ぜにして精神が参ってる10代の世界観は魅力的だ。
見苦しいオタク像は、脱毛をしないとか、オシャレじゃないとか、女の子に気配りができないとか、生理的に受け付けないとかそういうものを表現しがちだ。
けれども本当に俺らオタクが醜いのはそういった幼い世界観にいつまでも縋って、挙げ句の果てに世界を受け入れることができないことを知って、美しい世界だけを選び始めたことだ。
中途半端に世界から距離をとりつつも、自己の中に世界を組み込むことに固執している。
つまり可愛い女の子がイチャイチャしてる萌え〜なアニメを好んで選びその世界と自己を同一視して酔いしれるということだ。
てか、世界を選ぶ余裕があるってことは、その裏にある関数的な世界の構造を半分理解してるじゃないか。
そうだよ(便乗)ずっと俺らは知ってたのに知らないふりしてただなんだ。