はてなキーワード: ICFとは
住宅断熱に関する日本の議論が時代遅れ過ぎるのに、技術が遅れてる自覚がなさ過ぎて、日本人が一億総『信大おじさん』みたいになってる件。
『ワア!中国が発泡スチロールで家を建ててるぞ!シッパイスルゾWニヤニヤW』
←いや、それICFって言って、10年以上前から欧米で使われてる構法…
『ワア!中国のマンションは断熱材を外から貼ってるぞ!断熱材って内側から貼るんだぞ!!知らないんだ?W』
←外断熱の方が結露などの防止に適しているのは海外では常識。日本だけ施工の手間がいやで内側から貼ってる。つまり安普請なのは日本。
『日本の気候は高温多湿だから!断熱気密とか寒い欧米だけのもの!』
←断熱が夏にも効くのはもはや世界の常識。国連環境計画の支援で南米やアフリカ、東南アジアでも高断熱化は普通に浸透している。『断熱すると夏に結露する』なんて非科学的なことは後進国でも言わない、日本だけの迷信。
(『結露』は本来、温度差が大きい冬の方が起きやすいので、アラブみたいなヤバい暑さの土地でもなければ夏の方が安全なのがそもそもの常識。)
『断熱』の話は知れば知るほど、日本がこの10数年でどれだけヤバい衰退国になったのかがわかる問題。
科学的には当たり前の大したことない技術だけど、だからこそ、それくらいもまともに扱えない日本の低レベルさがヤバい。
そして、中国なんかはむしろ欧米に学んで進んでる方の国なのに、それにも気づかないくらい世界の潮流に無知で傲慢な根性の歪みがヤバい。
さらに言えば、これが『ヤバいこと』だとすら、これだけ言っても多分伝わらないんだよね、ほとんどの日本人には。
その一番の理由は多分、『断熱』ってのがなんか生活感があってダサイみたいなガキの感性。
エネルギー問題から健康問題から、国の予算に直結する重大事だからどこの国でも取り組んでるのに、それを『なんかダサイ』で無視できちゃう幼稚さ、視野の狭さ。
おっしゃる通りICFそのものを読んだことはなく、解説のみを読んで把握しているだけなので間違いがあるだろうとも思う。そう言うこであれば、具体的にどう間違いがあるのかを指摘してほしい。
また、第三者から精神障害であるとされる不安は特に抱いているわけではない。確かに側から見て明らかにASDの特性があるとしても、本人に生活機能の障害の自覚がなく、顕著に生活に支障が出ているとは言えないケースに、本人をASDと診断するのは妥当なのか?という話をしている。
私の考えや疑念に対して、どう間違っているとあなたは考えているかということを私は知りたい。増田における煽りの文化は無くなってほしいと思うので、あなたがいくら私を煽ったとしても、あなたが返信を続ける限りにおいて人として会話を続けたい。もう話を続けるつもりがないのであれば、誠実に、煽りなく、人間同士が対面で話すのと同じように、話すつもりはないと伝えてほしい。
増田でのそういう煽りはもう飽きたのでいらないよ。レスバしたいわけじゃないので普通に考えを聞かせてくれ。自分は素人であるし、誤っているところがあれば指摘して貰えばそれは喜んで受け入れたい。
ICFを持ち出したのは障害の診断基準の客観性を問いたいわけではなく、障害の定義の話をしたかったから。彼氏がASDといえる特性が顕著にあったとして、本人から生活機能の障害があるとみなしていないときに例え専門家であっても診断してしまってよいのかという話。
ICFでは職場や家庭で役割を果たせない「参加制約」も生活機能の障害に含んでいるから、元増田と彼氏の間のパートナー関係が円滑に築けていないということをもって障害があるということはできるかもしれない。ただ、元増田の基本的な訴えが共感できる日常会話ができないというレベルのもので、それを言ったら単なる性格や価値観の不一致で起きる不仲でさえも障害となってしまうかもしれない。やはり彼氏本人が持続的にコミュニケーションや対人関係に支障をきたしていると考えて、支援を求めている時に初めて障害ということが適切なんではなかろうかと思う。
ICFが恣意的なものに過ぎないというのは、それはそうなんだけど、保険医療や福祉のベースとなる考えであるし、障害概念は当事者者の生活機能とQOLの向上を目的とし、その支援のために福祉サービスなら医療があるという大事な考えを内包しているので、尊重すべきかと思う。そうした考えは無視して障害概念を使おうとするのは、医療や福祉の根底を毀損するような差別的なイメージを社会に流布することになりませんか?ということを言いたい。
言いたいことは理解しているのだが、自分の懸念は現代の障害概念から逸脱してないか?ということを気にしてる。
そもそも現代における障害はICFに基づくと個人因子と環境因子の2つが生活機能の障害を引き起こしているときに初めて「障害」と認められるわけで、生まれがらの環境とは独立した「障害者」というのは存在しない。そして、生活機能の障害がある/ないは、よほど生活が破滅していない限り基本的には当事者の視点から考えると理解している。本人が生活に支障をきたしているから、その障害の解消のために診断がつけられ、適切な治療や配慮がなされる。
それが今回のようなケースでの障害の推定は、は非当事者の苦しみを説明する「障害物」そのものとして当事者を扱ってるわけで、それは精神医療が目的とするところの診断とは相当異なるのではないだろうか、と危惧する。
具体例を探すために役立つといっても、ASDはスペクトラムな概念なので元増田の彼氏とは異なるタイプのASD当事者もたくさんいるし、ミスリードを招く恐れもある。
人間は誰もが、自分の「翼」を持っていて、勇気を出してその「翼」を広げることで、思わぬ場所に到達できる。その「翼」をテーマにした物語。
(オフトピ)片翼の飛行機は敢えて作る理由がないから作られないけど、推力に余裕があって制御メチャ頑張れば飛べると思うよ(非対称翼機の延長)。式を見てないしそういう意図だったのかはわからんけど…