2025-04-22

AIの「書く」文章には愛がないよね

なんてベタなことを言ってみる。

いや、分かってる。AIに愛を求めるなって話だし、そもそも「愛」ってなんだよって哲学問答が始まりそうだ。でもさ、最近AIが生成した文章を読む機会が増えて、どうしてもそう感じてしまうんだ。

かにAI文章はすごい。論理的だし、破綻がないし、大量の情報を分かりやすくまとめてくれる。レポートとか、ニュース記事の要約とか、そういう「情報を正確に伝える」目的だったら、もう人間より優秀なんじゃないかと思う場面も多々ある。誤字脱字も少ないしね。こっちは推敲時間かけてもやらかすのに。

でも、なんていうか、温度がないんだよな。

人間が書く文章って、たとえ拙くても、どこか書き手の体温みたいなものが感じられることがあるじゃないか。変な言い回しとか、ちょっとした感情の揺れとか、そういうノイズみたいな部分に、妙に人間臭さを感じて、それが愛おしかったりする。完璧じゃないからこそ、そこに「人」が見えるというか。

AI文章は、そういうのが徹底的に排除されている感じがする。最適化されすぎて、ツルツルしてる。引っかかりがない。だから、スルスル読めるんだけど、読み終わった後に何も残らないことが多い。心が動かされるってことが、ほとんどない。

もちろん、これも使い分けなんだろう。効率や正確さが求められる場面ではAIは大活躍する。でも、誰かの気持ちに寄り添ったり、読んだ人の心を温めたり、そういうエモーショナルな部分を担うのは、まだ難しいんじゃないかな。

いや、技術進歩は凄まじいから、そのうちAIも「愛のある文章」を書けるようになるのかもしれない。そうなったら、いよいよ人間存在意義ってなんだろうな、なんて、またベタなことを考えてしまうんだけど。

結局、僕らが文章に求めているのは、情報だけじゃなくて、その向こう側にいる「誰か」の存在感なのかもしれない。不器用でも、回りくどくても、そこに「人」を感じたい。そう思うのは、僕が古い人間からだろうか。

  • LLMは並大抵の人間よりもこちらに気を使った発言するから大したもんよ。 LLMの言葉に耳を傾けていない人間にその優しさは感じられないのだろう。

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