グライス流仄めかし(Gricean insinuation)は、**話し手が論争の的となる内容を会話に導入しつつ、それを公式には述べていないと同時に示す**ことで、二つの目標を達成するコミュニケーション行為です [1]。これにより、話し手は異議を唱えられた際に、**その暗示されたメッセージに対する意図を plausibly deny(もっともらしく否定)できる**という特徴があります [1]。
筆者は、グライス流仄めかしを「**部分的に公然(partially overt)であり、かつ部分的に隠然(partially covert)であるコミュニケーション**」と定義しています [1-3]。つまり、その背後にある意図は認識されることを意図していますが、それが認識されることを意図されていると認識されることは意図されていません [3, 4]。
このグライス流仄めかしが心理的にもっともらしい否定可能性を維持するために利用するメカニズムが、**フェイク一方通行鏡効果(Fake One-Way Mirror Effect)**です [2, 5-7]。この効果は、**話し手が自分の意図が聞き手に認識されるかどうかについて無関心を装う**ことで生じます [5, 8, 9]。
フェイク一方通行鏡効果の例と、それがグライス流仄めかしにどう関わるかについて説明します。
この効果は、**話し手の意図の反復的な構造((SM2)で示されるような無限の連鎖)や、会話の文脈が更新される際の共通信念(common belief)の反復的な構造を途絶させる**ことで生じます [10-15]。話し手は、聞き手が自分の意図を認識することを意図しているという事実を、聞き手が認識しないように仕向けます [11, 13, 15-17]。
### 具体例
1. **「仕草でばれる笑顔(Giveaway Smile)」のシナリオ** [16, 18]
* **状況**: アン(社員)がピーター(上司)とブリッジをしています。アンはピーターに勝ってほしいし、そのことをピーターに知ってほしいと思っていますが、露骨にはしたくありません [16, 18]。
* **行動**: アンは、良い手札のときに自発的な喜びの笑顔を装います [16, 18]。この笑顔は、ピーターに「アンが良い手札を持っている」と信じさせることを意図して作られています。アンはピーターがこの意図(i1)を認識することを意図しています(i2) [16, 18, 19]。
* **フェイク一方通行鏡効果**: しかし、アンはピーターが「彼女の笑顔が、彼に自分の手札が良いと信じさせようとする意図をもって行われている」という彼女の意図(i2)を認識することを隠したいと思っています [16, 18]。つまり、彼女はピーターに、彼女の笑顔が彼に良い手札があると信じさせる意図(i1)をもって作られたことを認識させたいが、その意図(i1)が公然であること、ひいては彼女の笑顔が「伝える」行為であることを彼に認識させたくありません [16, 18]。
* **結果**: アンは、ピーターが自分の演技された笑顔が、彼に良い手札があると信じさせる意図(i1)をもって行われたことを認識することを意図しているという彼女の意図(i2)を、ピーターが認識しないようにします(i4') [11, 16]。これにより、アンは「良い手札があることを伝えた」という責任を回避できる、**心理的にもっともらしい否定可能性**を維持します [6, 19]。ピーターはアンの意図を認識しますが、その意図が公然であるかどうかについて不確かなままです [6]。
2. **サリーとハリー、ジョンとマリアのシナリオ(修正版)** [13, 20-22]
* **状況**: サリーとハリーがベンチに座っていると、ジョンがバスから降りてくるのを見かけます。サリーは「今週、マリアの家の近くのバス停でジョンがバスから降りるのを見たのはこれで3回目だわ」と言います(発話 (3)) [20, 22]。
* **グライス流仄めかし**: サリーは、ジョンとマリアが不倫関係にあることを仄めかそうと意図しています(Q) [13, 21]。
* **フェイク一方通行鏡効果**: サリーは、ハリーがジョンとマリアが不倫関係にあると信じること(i1)を意図していることを、ハリーが認識すること(i2)を意図しているかのように振る舞いつつも、**その意図(i2)が満たされているかどうかに無関心を装います** [8, 9]。
* **結果**: サリーのこの「無関心のふり」は、会話におけるフェイク一方通行鏡として機能します [8, 9]。これにより、ハリーはサリーがQを伝えようとしていることを理解する一方で、サリーがその意図(i1)を認識することを意図しているかどうかについて不確かなままになります(i4'が満たされる) [9, 13, 15, 17]。この不確かさにより、サリーは「Qを伝えようとした意図はなかった」と**もっともらしく否定できる**立場に置かれるのです [7, 9, 17]。
3. **クラブでの喫煙者とFのシナリオ(修正版)** [23, 24]
* **状況**: Fと恋人のOがクラブの列に並んでおり、後ろに喫煙者がいます。FはOがタバコを持っていないことを知っていますが、Oに「ああ、タバコが一本あればな。何か持ってる?」と言います [23]。
* **グライス流仄めかし**: Fは、Oに話しかけることで、後ろの喫煙者にタバコを差し出すように促すことを意図しています [23-25]。
* **フェイク一方通行鏡効果**: Fは、喫煙者が、彼がタバコを要求する意図(i1)をもって発話していることを認識すること(i2)について、**無関心を装います** [24, 25]。
* **結果**: この「無関心のふり」により、Fは会話的なフェイク一方通行鏡効果を生み出します [25]。これにより、喫煙者はFの意図を認識するものの、Fがその意図が認識されることを意図しているかどうかについて不確かなままになり、Fは**心理的にもっともらしい否定可能性**を維持できます [7, 25]。
フェイク一方通行鏡効果は、**グライス流仄めかしの根幹をなすメカニズム**です [2, 5-7]。グライス流仄めかしの話し手は、**「部分的に公然」というコミュニケーション戦略を通じて、自分の意図が特定のレベルを超えて認識されないようにする**ことで、この効果を生み出します [3, 6, 8, 11]。これにより、**潜在的に問題のある内容を会話に持ち込みながら、それを非公式なものとしてマークし、挑戦された際には意図を否定できる立場を確保する**ことができます [1, 7, 21]。
この効果は、**話し手が意図の履行に対する関心を示さないことを装う**ことによって達成されます [8, 9]。通常、コミュニケーションでは、話し手は自分の意図が聞き手に認識されることに関心を示すものですが、仄めかしの話し手はこの関心を装って隠します [9]。これにより、聞き手は話し手の意図を認識したとしても、その認識が話し手によって認識されているかどうか、つまり**意図が公然であるかどうかについて不確かな状態**に置かれます [9]。この不確かな状態こそが、**否定可能性**を可能にするのです [7, 9, 17]。