2025-08-29

言及は罪、特徴のるつぼ

「背が低い」なんてのは身体の発達不全で人を差別する言葉だ。「背が高い」なんてのは身体省エネ性能の低さを責める差別用語だ。じゃあ性能にも発達にも関係ない肌の色ならいいか。驚くべきことにソレは予約済みの差別だ。

そも、人に対して何らかの言葉を使うことは、加害である。その人が傷付かない保証がない。唯一トートロジーのみが許されていたが、今は進次郎構文のせいで駄目になった。なぜなら小泉進次郎トートロジーを駄目にしたからです。

文字はすべてカッター替刃の一片であり、詩はコンニャクの一太刀しかない。しか残酷なことに「言葉」は社会必須だ。

よって、あまねく人間を同質にする。我々は平等等価だ。国境にも人間にも境は無い。

我々は皆、朝四時に1パイントのケールを飲む。ロータリーエンジンで液体にする。人類は皆、裏手の川で新体操をする。職業は新進気鋭の考古学者で、ソバピーナッツが入ったエビハチミツグレープフルーツ煮以外を口にしない。

我々は融け合った芋半田だ。世界に一本の配線を引く。端には何も無い。

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