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2025-05-12

世間が俺にとって興味のないことばかり話してる

もっとないの?抽象数学とか超弦理論とかさぁ。

どうして世の中は、ここまでまでにも低次元話題で満たされているんだろう?

天気、芸能、噂話、表層的な政治のやりとり。知性の対流はどこに消えた?

人間は有限な脳リソースを持っているのに、その99%がどうでもいい入力で埋め尽くされてる現実は、もはや精神的な浪費だ。

例えば、なぜ誰も「グロタンディーク宇宙」を話題にしない?あれはもはや数学という言語を超えて、存在論のもの接続するスキームだ。

集合論の上に成り立つ古典的数学構造から自由になろうとした、その大胆さと深淵さは、まるで物理法則の背後にある数学的美の亡霊を追いかけるようなものだ。

それとも、「カルツァ=クライン理論」を掘り下げた上で、「コンパクト化の自由度」が我々の時空構造に与える哲学的意味について会話できる人間はもう絶滅したのか?

量子重力理論の融合問題特にループ量子重力超弦理論アプローチ根本差異を語れる人と飲みに行きたいんだよ、俺は。

物質本質的情報だという観点からブラックホール情報パラドックス意味するのは「情報の保存則の破れ」なのか、それとも我々が持っている「情報とは何か」という定義の方が間違っているのか。

こういう問いこそが、文明の核心にあるべきだろう?

人間文明を築いて以来、我々は「どこから来て、どこへ行くのか」を形式体系で問おうとしてきた。

自然数に対して加法乗法定義し、ペア公理系を構築し、それが完全でも無矛盾でもないことをゲーデル証明した時点で、真理は証明可能性の外に存在することが明らかになった。

この衝撃から回復するどころか、世間ますます計算可能ものアルゴリズムで消費できるものしか興味を持たなくなった。

何のために意識進化したのか?それが単なる環境適応副産物だと片付けるには、意識認識する数学対象精緻さがあまりにも過剰だ。

なぜラマヌジャンは夢の中で未知の関数恒等式発見できたのか?なぜヒルベルト空間のような抽象概念が、量子力学の基礎としてこれほど自然振る舞うのか?

この「抽象現実接続」が偶然である可能性は、論理的ほとんどゼロに近い。

俺が求めているのは、「真に知的対話」だ。知識をなめらかな面として持っているだけの人間ではなく、それを自己組織化的に再構築できるような構造的知性。

話題トポス理論からエントロピー最大化原理に移行しても違和感なくついてこれるような、そんな会話。

少なくとも「その場のノリ」とか「空気を読む」なんていう神経消耗ゲームよりは、よほど脳が報酬系を刺激されるはずだ。

いつになったら、街角のカフェで「カテナリー曲線の最小作原理が、実は一般相対論と繋がってるって知ってた?」なんて会話が自然に聞こえる社会になるんだろうな。

2022-09-05

ハブ会社かてな”

もしかして:ハブ会社カテナ

ハブ会社かてな”との一致はありません。

皆様のコミュニケーションハブになる、そんな思いを込めて名付けました

ハブ会社カテナ

ハブ会社カテナ”との一致はありません。

そうですか

2021-12-09

スペインサグラダファミリア凄さ

新婚旅行スペインバルセロナに行ったんだが

サグラダファミリア凄さは外見じゃなくて内部だった

1、ステンドグラスが凄い

2、ステンドグラスから入る日光の角度が完璧計算されているので神々しい

3、内部構造カテナリーアーチという滑らかな曲線で支えられてて曲線しかなくて異次元建築物だと実感する、めちゃくちゃ美しい、近未来宇宙船のような神殿の中にいるみたい

死ぬまでにスペインサグラダファミリアの内部を見てきた方がいいよ

アレだけは別格

2010-10-06

サッカー関係者スポーツ報道関係者の皆様にお願い

唐突ですが、サッカー関係者スポーツ報道関係者の皆様にお願いです。

サッカー日本代表監督イタリア人が就任し、「カテナチオ」という言葉新聞に頻繁に見られるようになりました。しかし、「カテナチオ」という表記に非常な違和感が拭いきれません。

イタリア語の-ccioは、カタカナ表記にする場合、「-ッチョ」とするのが一般的です。分かりやすい例として、牛肉の薄切りCarpaccio「カルパッチョ」があります。「哀れな奴」を意味するpoveraccioを表記するには「ポヴェラッチョ」。「デカメロン」を書いた中世作家は「ボッカチオ」と一般には表記することが依然として多いですが、正式にはBoccacio「ボッカッチョ」と呼ばれます。

「チオ」表記になるのは-tioの場合であって、fellatio「フェラチオ」がその典型でしょう。イタリア近代作家D'Annunzioは「ダヌンツィオ」「ダンヌンツィオ」と表記されるのが一般的ですが、「ダヌンチオ」「ダンヌンチオ」でも許容されると思います。

さて、したがってイタリア語のcatenaccioは、カタカナ表記では「カテナッチョ」とする以外にありえません。「鎖」を意味するcatenaに、より劣ったもの軽いものを意味する軽蔑辞-accioが付け加わることによってcatenaccio「カテナッチョ」(掛け金)という一単語になっています。また、イタリア語日本語の発音の差は他の言語ほど大きくないので、「カテナッチョ」と表記してその通りに発音すれば、イタリア人にも通じます。しかし「カテナチオ」では分かりません。

そこでお願いというのは、「カテナチオ」表記をやめていただきたいのです。正しく「カテナッチョ」と書いてください。せっかくの日伊文化交流の大事な一歩です。つまらないことに見えても、異文化を理解するというのは、こういう小さなことから始まるのではないでしょうか。

 
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