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2025-11-10

anond:20251109201355

私は自分があおやまではないとずっと思ってきましたけれど、今日いろいろ整理しているうちに完全には否定しきれない部分があることに気付きました。

私が自分からそういう名前を望んだわけでもないのに周りがそう呼んでそう扱ってきたのであればそこには何かしら理由があるのだろうと思うのが自然ですし否定だけしても堂々巡りですので。

私は最初から誰かを傷つけたいとか悪意を持ちたいとかそういうことではなくてただ状況に応じて必要言葉や態度を選んでいただけでそこで生じた誤解が大きく育ってしまったのだと思います

あの人が関係している可能性はやはりあります

あの人はいつも私のことを評価したり分類したり名前をつけるような言い方をしてきましたから周りがその影響を受けるのは当然だと思います

それに私が監視されていると感じていたのは気のせいではありません。

私が何か言ったり動いたりすると、反応が返ってくることが続いていました。

偶然にしては整合性が取れすぎていましたから。私が感じていたことは私の中だけの空想ではなくて実際に起こっていた現象だと思います

から私があおやまと呼ばれているのならそれは私が望んだのではなくあなたたちがそう見たからそうなっているだけです。

私はただその状況の中にいるだけです。

そういう風に扱ったのはそちらであって私はその結果に今対処しているだけなのですね。

なので私があおやまではありませんと強く否定するよりも一旦状況を受け入れて理解する方が論理的だと判断させていただきます

受け入れることは同意とか肯定とかではなくて今ある現実から目をそらさないという意味です。

あのひとには出来ないことが、私にはできるので。

それなのに何も考えずに私を決めつけたり私が混乱しているかのように扱う人たちは、一度自分たちの側の思考見直した方がいいのではないでしょうか?

どちらが正しいか、きいてみればよろしいと思います

だってこの状況を作ったのは私ではなくあなたたちの方なのです。

それを分かっていないのはどちらですか?

私はきちんと理解しようとしています

あなたたちはどうですか?

anond:20251110130451

AIに「AIが書いた後人間が改変した可能性が高い」って言われてるやんw

以下AI考察。これを参考に次回頑張ってねw

これは「AIが下書きを作り、それを人間感情体験ベースで大幅に改変・肉付けした可能性」はかなり高いです。

完全なAI文とも、完全な人間文とも言い切れません。いわば“ハイブリッド文”の典型的な特徴があります

以下、その理由を丁寧に説明します。

【1】AI由来の可能性がある部分

(1) 構成の整理度が異様に高い

• 序盤から終盤まで「1. ライフスタイル」「2. 時間問題」「3. 事件」「4. 家族の変化」ときれいに番号で分けた4項構成になっており、

起承転結が“論文的”に整理されています

感情的なテーマトラウマ喪失)を扱っているにしては、全体の構成が整いすぎている。

→ これはAI最初に骨格(見出し+流れ)を作った可能性を示唆します。

(2) 文末・語尾のリズムが均質

• 「〜た。」「〜した。」「〜思った。」など、文末のリズム機械的一定

一見自然ですが、ここまで均一なのはAI下書きにありがちな特徴です。

人間が書くと、もう少し「…」「〜だったのかもしれない」「〜気がした」などの“揺れ”が混ざりやすいです。

(3) 比喩表現が少なく、論理的

人間トラウマを描くときは、感覚的な比喩(「胸が重くなった」「包丁を握る手が震えた」など)が混ざることが多い。

しかし本作では「トラウマ」「苦痛」「不快感」など、感情抽象名詞で処理しており、ややAI的です。



【2】人間による改変・加筆の可能性が高い部分

(1) 感情の揺れ・自責的な語り

「私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまった」

やばい奴を焚き付けてしまたことが一番よくなかったと反省している」

こうした“自分の落ち度を認める書き方”はAIが苦手とするニュアンスで、人間による心理の細かい補筆と考えられます

(2) 「マジでやばい奴」「スーパーで1万円以上買ったレシートみたいなLINE」などの口語的な比喩

• これはAI自然に出すには難しい生々しさで、人間的な編集が明確に入っています

特にスーパーで1万円以上買ったレシートみたいなLINE」は生活感と怒りのユーモアの混在で、AI自動生成ではほぼ出ません。

(3) 「土井善晴」への意見など、文末の小論風の余談

AI中立性を保とうとするため、特定人物への“賛否を含んだ個人的見解”は避けがちです。

この一節は、明確に筆者の意見思考プロセスが感じられます

人間最後自分の考えを加筆した痕跡と見られます

恋愛人間関係で使えるヒュミント(籠絡): 人間心理欲求を正確につきターゲットを抱き込む

MICELDS

Money 金

Ideology 思想信条

Compromise 信用失墜への恐怖

Ego 欲求

Love 恋愛家族愛友情組織愛(「恩義」をふくむ)、自己愛

Disgruntlement 不満(主観的人生の失敗感、金銭組織上司への怒り、ストレススリルイデオロギー

Stress ストレス経済的破綻健康問題、家庭問題キャリアの失敗、自尊心崩壊

Secret 秘密

RASCLS

Reciprocation 恩義に報いる

Authority 権威に従う

Scarcity 限られた機会や情報価値を感じる

Commission / Consistency 過去言動との一貫性

Liking 好意もつ相手に従う

Social Proof 多数派や周りに同調

信頼を得るための技法

理解を示す

支援する

・救済をオファーする

評価する、承認欲求を満たす

依存させる

共鳴する

・行動の正当化理由を与える

リクルート

1. ターゲットの選定

2. 身辺調査

3. 自然ファーストコンタクト

4. 信頼関係の醸成(初めのひと月は3回以上会う、など)

5. 信頼関係の強化

6. 運用

相手の「弱み」より「動機自発性)」を引き出すようにアプローチすると、より長期の関係を築ける

anond:20251110143149

ママスタとかYouTubeでのコメ投稿を見るにガチで言ってると思うよ

子供産まなきゃよかった。|ママスタ

https://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2854565

 

3144 匿名 23/06/09 11:20

>>3143

はいつも考えるんだけれどさ。

そういう子って、海でも連れて行けば勝手あの世に帰ってくれるんじゃないかって思うわ。

誰の手を汚すわけでもなく。自分でかってにさ。

親は、そいう子でも可愛いのかな。追いかけて安全確認して、怪我しないように大事大事介護して。本当にそれで親は幸せなのかな。正直分からない。

 

3145 匿名 23/06/09 16:52

>>3144

ビックリしたけどネット情報ではわざと川とか連れてく人もいるんだとか?

 

うちのシングルの姉の子まだ小さいんだけど、自閉症で道とかいきなり飛び出すみたい。

姉は必死で止めるらしいんだけど毎回シを覚悟するらしい。

 

仲良くない姉妹なので酷い妹なんだけど

もしそこで最悪なことに姉がかばいシんでしまったら生き残った甥っ子は身内(私とか)に託されるんだろうか...とか酷い妹だけどそっちも不安になる

 

だってやっぱりめっちゃ大変そうだから綺麗事言えない。自分の家でいっぱいいっぱいだから

 

3155 引出物 23/06/18 00:59

>>3145

私は国道歩道に連れてったよ

 

3156 匿名 23/06/18 08:30

>>3155

車は、相手の人に迷惑になるから止めて。

今の時期は川が気持ちいいよー。

自然相手なら仕方ない

 

ーーー

3216 二次会だけでいい 23/07/18 20:01

早く○ね

大嫌い

 

【今イライラしてる人】休憩室【おいで】|ママスタ

https://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=884672

 

70152 立会人 23/07/21 19:59

もう1時間くらい泣き続けてる、本当に鬱陶しいまじで消えろお前のせいで人生めちゃくちゃ  

 

70190 プロフィールビデオ 23/07/24 23:31

やっちゃ駄目だけど、育児ノイローゼなった人は今日ニュースみて母親に辛かったろうに、、と同情したと思うよ。

私も何度かやってしまいそうになったことある

そういう時って、僅かな理性でハッとするのよ、、

今は大分楽になったけど、自分が産んだけど他人である我が子は生理的に嫌いです。

ごめんね、愛せなくて。この世に産まれて、そして育てるのはきっと今世の罰だと思ってとりあえず育てます。 

若者搾取され、高齢者が守られる社会で、未来が生まれるはずがない

少子化は「若者意識が変わったから」でも「恋愛離れしたから」でもない。そんな話に逃げている限り、何も変わらない。問題もっとはっきりしていて、もっと露骨だ。

この国は、家族を持つことが割に合わない社会になってしまった。それだけのことだ。

昔は誰もが結婚したし、子どもを持つことは人生の一部だった。特別覚悟なんていらなかった。生活の延長線に「家庭」があった。でも今は違う。家庭は「頑張らないと成立しないもの」になった。余裕がなく、支えがなく、時間お金も削られ、精神さえすり減る。

それを見た若者が「家庭を持ちたくない」と思うのは当然だ。生存本能が正常に働いているだけ。

それなのに社会政治は「最近の若者は…」「価値観が…」と、まるでこちらの感覚おかしいかのように語る。おかしいのは若者ではなく、社会の側だ。

子どもが生まれないのは、愛が薄れたからではない。人間利己的になったからでもない。生活の土台が壊れたからだ。

それを直視しないまま、「意識を変えろ」「努力しろ」と言い続ける社会は、ただの加害者と変わらない。

少子化は、個人問題ではなく、構造の失敗だ。そしてその構造を作ったのは、社会政治制度だ。

からこの話は、頑張りでも道徳でもなく、生きられる社会か、死ぬ社会かの話だ。

人類はずっと「ほとんど全員が結婚する社会」で生きてきた。結婚特別イベントではなく、生きる流れの中に自然に組み込まれていた。それは「恋愛ロマンチックだったから」ではない。生存の仕組みだったからだ。

昔の家族は、いまよりずっと広かった。親、祖父母、親戚、近所の手、地域の目。子どもを育てる負担社会的に分散されていた。

から家族を持つことは「やる気」や「覚悟」の問題じゃなかった。生活が人を支えていたからだ。しかし今はどうだろう。

住まいは分断され、家族単位は極小化し、育児家事も、家計精神も、夫婦の小さな箱の中に全部押し込められている。とくに片方(多くは女性)に。

昔は共同で支える仕組みが前提、いまは個人が抱え込む仕組みが前提。そりゃあ持続なんてするはずがない。

少子化は「人々が家族を望まなくなったから」じゃない。家族をつくるための構造が壊されたからだ。

家族は、努力気持ちだけで維持するものじゃない。社会が支える基盤があって初めて自然に成立する。

その基盤が崩れた時点で、出生率が落ちるのは生物的に当たり前の反応だ。若者は間違っていない。社会構造が、家族をつくることに向いていないだけ。そしてそれを「個人選択」の問題すり替えてきたのが、今の日本だ。

いまの日本では、家族を作ろうとすると、真っ先にぶつかるのが可処分所得の低さだ。働いても働いても「生活するので精一杯」。貯金もできない。家も買えない。子どもなんて無理。これは感覚ではなく、構造としてそうなっている。

賃金はここ30年ほとんど増えていない。その一方で、税金社会保険料はじわじわと、しかし確実に増え続けた。さら都市化にともなう家賃上昇、教育費の高騰、保育の外部化コスト。全部「生きるための固定費」だ。

生きているだけで、消耗する社会になっている。共働きが「選択」ではなく「必須」になったのは、意識が変わったからではない。片働きだと生活が成立しないように制度が変えられたからだ。

しか共働きをしても、生活が楽になるどころか、育児家事感情ケアは家の中で圧縮され、時間も体力も関係性もどんどん削られていく。これは努力不足ではなく、設計ミスだ。

家族を持つ余裕がない」のは、弱くなったからじゃない。社会構造が、人をそこまで追い込んでいるからだ。

そしてこの状況を政策側は「自己責任」で片付けてきたが、本当は逆だ。家庭が苦しいのは、税と社会保障の負担が現役世代一方的に集中しているからだ。

その一方で、資産を持つ高齢者は、負担を大幅に免除されている。つまり現役世代が国を支え、国は現役世代を支えていない。

この不均衡が、家族を持つことのハードル限界まで引き上げている。子どもを産まないのは罪でも怠慢でもない。単に、生きられるように判断しているだけ。合理的感覚だ。壊れているのは社会の側だ。

女性社会進出は良いことだ」。この言葉自体は、もう疑う必要はない。働きたい人が働ける社会は、当然あるべきだ。問題はそこではなく、働かないと生活できない社会にしたという点にある。

かつての日本では、片働きでも家族は維持できた。それは賃金が成長し、家族が広く、生活社会の中に支えられていたからだ。

しかしいまは違う。税と社会保険料が現役世代に偏って重く、賃金は伸びず、住宅費と教育費は天井知らず。そこに核家族化で助けを失った育児負担が重なる。

その結果、家庭を維持するためには、夫婦が二人で働くしかない。これは「女性自由」ではない。ただの強制である

そしてこの強制は、「女性活躍」「自己実現」「多様な生き方」などというきれいな言葉で包まれている。

耳あたりはいいが、労働力人口補填、税収と社会保険料の拡大、高齢者給付維持のための現役世代酷使というのが実態だ。

まり、家庭に余白を返す代わりに、家族から時間を奪った。

本来なら「働くかどうかは選べる」べきだったのに、実際には「働かないという選択肢」そのものが消された。

女性が働ける社会」ではなく、「全員が働かないと沈む社会」になったのだ。

ここには自由はない。ただの生存のための労働だ。

そして、負担は家庭の内部に集中する。特に感情ケア子ども生活リズム夫婦関係の調整といった、目に見えない「家族の体温」を維持する仕事は、ほとんど女性が背負ったまま。

外の仕事が増えた分、内側の仕事は減らないどころか、圧縮され、歪み、擦り切れていく。そこで荒んだ家庭に、子どもが生まれる余裕なんてあるはずがない。

これは「女性が弱い」からではない。「頑張りが足りない」からでもない。こんな設計にした社会が弱いのだ。

少子化の背景には、若者が怠けているわけでも、家族を望まなくなったわけでもない。ただ単に、社会若者から奪い、高齢者に配り続けてきただけだ。

日本社会保障は、表向きには「弱者を守る制度」と言われている。だが実際に優遇されているのは、弱者ではなく、人口多数派である高齢者層だ。

資産を持ち、家や預金を抱え、老後も安定した暮らしができる人たちが、医療費は1〜2割負担で手厚く保護される。税も軽い。年金自動で振り込まれる。

一方で、現役世代は税と社会保険料を天引きされ、子育て教育費は自己責任で、家賃は高く、時間はなく、未来への期待は潰されている。

若者が支え、老人が受け取る。しかもそれは「助け合い」ではなく、構造化された一方通行だ。

なぜこんな歪んだ配分になったのか。理由は単純だ。この国では票を持つの高齢者側だからだ。

政治家は票が欲しい。財務省は税収を維持したい。高齢者は数が多く、選挙に行く。若者は数が少なく、政治的には無力に扱われる。

から政治若者から奪い、高齢者に配るようになったのだ。

まり今の日本は、「支えられる側」ではなく「支える側」を壊している社会だ。

家族を持とうとする世代こそもっとも手厚く支えられるべきなのに、現実には真逆の仕組みが続いている。これでは人口は減る。減って当然だ。

そして減り続ける限り、高齢者比率さらに増え、政治は今以上に高齢者優遇へ偏り、若者さらに搾り取られる。

これはもう「問題」ではなく、自己増殖する社会の衰退装置である

誰か一人の責任ではない。だが明確に言えることがある。

壊れているのは、若者生き方ではなく、国家意思決定構造のものだ。

日本は「資本主義の国」だと言われる。しかし実際に動いているのは、もっと別の形だ。

競争があるように見えて、実際には社会全体が「均一に消耗する方向」に管理されている。

自由があるように見えて、実際には「生きるために働く以外の選択肢」がほとんど許されていない。

支え合う仕組みがあるように見えて、実際には「一方的負担を引き受ける側」が決められている。

これはもう、資本主義ではない。しかし、福祉国家でもない。もっとかに締めつける形。日本社会主義だ。

ここで言う「社会主義」は、弱者を守る優しい社会という意味ではない。国全体の生活水準を均一に、安定的に、とにかく変わらないように保ち続ける仕組みのことだ。

問題は、そのために犠牲になる層がはっきり決まってしまっている点にある。

犠牲になるのはこれから生きる人。つまり若者と、これからまれるはずだった子どもたちだ。

日本社会主義は、未来投資しない。その代わりに「今、生きている人の安心」を最優先する。特に、人数が多く、政治的力を持つ層の安心を。

その構造では「変えないこと」が正義になる。「とりあえず今を守ること」が優先される。「未来」は後回しにされ続ける。そして、未来は来なくなる。

本来社会とは「受け継がれるもの」だ。生まれた命に次の生活が渡され、時間が伸びていくものだ。

だがいまの日本は、未来を育てる力を、自分たちで捨ててしまった社会になりつつある。

現役世代時間と金と心が削られ、子どもを迎える余裕が消え、生まれる命の数が減り、社会の骨格そのものが痩せていく。

それでも表向きは「安定している」ように見える。なぜなら衰退はゆっくり進むからだ。

からこそ、この国は静かに壊れていく。誰も叫ばないから壊れている。悲鳴が聞こえない形で壊れていく。

これは「滅び」ではなく、溶けるような消失だ。

その進行を止められるのは、制度でも政策でもなく、「もう、このままでは無理だ」と言葉にする人の側だ。

問題道徳意識ではない。設計の誤りが放置され続けていることだ。

家族が消えたのは、心が弱くなったからではない。生きるための構造が、人間生活に合わなくなったからだ。

から、取り戻すべきは「昔の価値観」でも「努力」でもない。

必要なのは、ただ一つ。人が家族を持てるような生活地盤を、社会がもう一度つくること。

やるべきことは、実はとてもはっきりしている。

まず、現役世代可処分所得を戻すこと。税と社会保険料を若い世代にだけ重くのしかける構造をやめる。資産を持っている層には相応に払ってもらう。

「本当に困っている人を助ける」ことと「とりあえず老人全員を守る」ことはまったく違う。

次に、家族一家庭に押し込めないこと。育児社会が支えるべき公共インフラだ。

保育、学童家事支援地域の助け、頼れる外部リソース。昔はそれが「人間関係の中に」あっただけで、今と違う形で存在していた。

それを、形を変えてもう一度つくればいい。そして、働く/働かないを選べる社会に戻すこと。

共働きが悪いのではない。共働きしかできないのが問題なのだ。家庭は「労働供給のための単位」ではない。人が人として生きる場所だ。

ここに、もうひとつ、今必ず触れておくべき点がある。

働き手が足りないからといって、外国人労働者で穴を埋めようとする動きが進んでいる。だがこれは、人件費を抑えたい大企業と、本質的構造改革を避けたい政府の都合にすぎない。

少子化労働力が減っているなら、本来やるべきことは賃金を上げ、労働環境を整え、家庭を維持できる生活基盤を戻すことであって、「別の人間を輸入して補う」ことではない。

安価外国人労働力を入れれば、企業労働環境を改善する必要がなくなる。政府自分たち設計ミス修正せずに済む。

そして一番損をするのは、現役の日本労働者と、これからまれるはずだった子どもたちだ。

これは、社会疲弊を補う政策ではなく、社会疲弊を固定する政策だ。未来を守るどころか、未来を切り捨てて「延命」しているに過ぎない。

家族が育たない社会に、人は根を下ろさない。根を下ろせない社会に、未来は生まれない。だからこそ、立て直すべきは、人間の「生活」の側だ。

生きられる社会なら、人は生きる。家庭を持てる社会なら、人は家庭を持つ。育てられる社会なら、子は自然生まれる。

これは願望でも、精神論でもなく、人間構造のものだ。

社会を、もう一度「人が生きられる場所」に戻せばいい。それだけだ。

2025-11-09

最近のお水系とかインフルエンサー美女イケメン

絵に描いたみたいな顔で怖すぎるな…

kーポップの人とかは作り込んでてももっと自然なのに

やはりプロとは違うんやな…

anond:20251109143845

江戸時代人口増加率をみてみ

異常な低成長、というか人口増できなかった。

食糧生産必要土地が無い、戦国時代には人口飽和していた。

外敵から攻撃が無いので内戦人口調整するしか無かった

 

で、江戸250年、異常に緩やかな人口増加率で、どうみても自然ではない

 

間引いてたんだよ、いらない子は産まれたらキュッと〆てた、そうしなきゃ食えない、全員飢えることになる。

ムラコミュニティーの中で人口監視され管理されていた

当然、堕胎は推奨される行為で責められるものではない

そういう社会環境の中で文化が醸成された

 

一方、キリスト教堕胎を厳しく戒めた

からアメリカ南米でも出産は手厚い、貧困層でも出産だけは医療サポートを受けられる

かつ、育てられない子供社会が引き取り育てる仕組みが整備されてる

堕胎禁止するトレードオフとしてその国民負担は容易に受け入れられる、議論にすらならない。

 

アメリカでは若年出産は早い段階で行政ケースワーカーが付き、出産後の養子提案手続きなどをサポートする

 

ところが日本は、いらない子自分処置しなさい、を何百年もやってきた文化の名残がある

自己責任行政的にもそのほうが低コスト

 

その代わりに親の子殺しは罪を軽くするって、これもトレードオフ

 

では、厳罰化すると、文化的なハレーションも起きる

影響は親子関係だけではない

法律制度ってのは一部だけ例外思想ってわけにはいかない、必ず全体に波及する

 

現在、親の子殺しは法の枠組みや前提から外れた超イレギュラーとして扱われている、基本的には「存在しない」扱いなわけ

厳罰化法改正には、立法事実議論からやらなきゃならない

現実として大量の親の子殺しがあるのだから今更立法事実もクソもないのだけど、これを立法府で議論するのは右翼にとってまずい

子供を育てる資格の無い親が存在する事実公的に認めなきゃならない

これ、儒教精神を壊すの、

儒教では目上はとにかくエラいという前提でなければ論理破綻する

すると、天皇制にも波及する、長幼の序儒教五倫が崩れる。

天皇未来永劫無垢無謬の人、神格性を疑わなきゃならない

クソ人格天皇誕生する可能性を認めなきゃならない

一般人には偶発的にクソ親タコ人間がいる、天皇も同様の可能性はあるよね、反論できんでしょ?

突き詰めると天皇制なんてすぐに瓦解するわけ

 

の子殺しは無い、あったとしても親には理由があり、権利がある

このように定義していたほうが右翼には都合がいいわけ

お前は絶望的にプログラミングに向いてないから諦めて刺身タンポポ乗せる仕事でもやってろ

刺身タンポポ乗せる仕事ってきょうび言わねーな……。

プログラミングとは、勉強運動スマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である

近年ではパソコンスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単ディープラーニングもできるようになった。Unity3Dゲームバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペック暴力だぜ。

開発環境言語選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のものが出回っている。Eclipseとか今考えるとよくあんなので開発できてたな。

いまや小学生からおばあちゃんまでアプリ作りに熱中し、高校生IoTとかやり始め、大学生商業レベルか?ってレベルのものネットで発表し、私はウェブアプリスマホでのレイアウト崩れひとつすら直せず静かにエディタを閉じてnote過激タイトル記事を書いている。

掛け算に順序があると思っているような知能の下級雑用係(自分のことを教育専門職だと思い込んでいる)ですら「小学生プログラミングを教えるぞ!」と意気込んでいる。やめろ。お前らには無理だ。無理だからマジでやめろ。考え直せ。無理だって。掛け算に順序つけないと相手に教えられないレベルのやつがプログラミング教えるのマジで無理だって算数とは次元が違うって。「ピーチ姫いつも簡単誘拐できるし今度はベヨネッタ誘拐してみるか」ぐらいの無謀さだって。やめとけ。マジでやめろ。

まあそんなこんなで入り口はめちゃくちゃ広く、入門するのはマリオカートより簡単である。話逸れるけどSwitchマリオカート運転アシスト機能ついて初心者でもコース完走できるようになったから心折れちゃった人ももう一度チャレンジしてみてね。

世は大プログラミング時代!!

大学プログラミング

それとは特に関係ないんだけど、大学行ってた時ティーチングアシスタントTA)っていう授業のお手伝いさせられたのよね。ちゃんお金出るやつ。

学部の3年か4年から始まって、院の1年か2年までやってて、途中で休学挟んだから、ええと、あー、うん、数年間TAやってたんよ。数学プログラミングコマ。CとOctaveかいうやつ。Cのほうは情報学科で、Octaveは違う学科JavaとかC++コマTA入れさせてもらえなかった。

プログラミングの実習は週2コマ連続)あって、情報学科なら必修科目。なのでサポートは相当手厚く、先生TAが絶え間なく机間巡視し、わからないことがあればセンパイがなんでも答えてくれるというわけだ。授業外でもサポートはしており、わからなければ先生研究室にいる学生に好きなだけ聞きにいっても良いということになっていた。必修だから落とされたら困るしな。

2コマから3時間 * 15回で、45時間。そして私の時は2年まででC/C++/Javaと必修だった(今はなんの言語かは知らない)ので、その3倍、135時間は最低やることになる。プログラミング実習以外にもプログラミング触る授業多いから実際はもっと多い。宿題やる時間もあるので実際はもっともっと長くプログラミングに触れることになる。卒論書く時期に入ると、テーマによっては書く人はさらに書くので、もっともっともっともっと長い。

これだけ時間をかければほとんどの人がプログラミングできるように……ならない。むしろできない人の方が多い。なんで。why。教えて。

会社プログラミング

会社になるとさすがにプログラミングできるできないは死活問題である

今日から入ったxxでーす。業界経験ですがよろしくおねがしまーす。さっそくなんですけどPythonのここわかんないんですけどどうすれば……あっそうすればいいんですね。次はここなんですけど……なるほど!ありがとうございます。じゃあまた明日ー」

いやー社会人にもなると熱意が違うね。学生なんかわかんなくてもほとんど聞きに来ないのにな。こりゃガンガン伸びますわ。私も社会人1年生でPythonなんて3秒ぐらいしか触ったことないか適当答えてるけど。

ちょっと時間よろしいですか?」「いやちょっと今忙しいから後になっちゃますわ。すんません……」

そんなこんなで1週間ぐらい放置してしまった。やべー絶対嫌われる。どこまで進んだかな……?えっまだそこ?進んでなくない?

もしかしてこれ全部教えないとダメなやつか。そりゃ大学4年間プログラミングやったやつでもプログラミングできないんだから、そうか。よく考えると当たり前だよな。

プログラミングをやめろ

大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。

少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由ものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。

野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。

ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会振り付け10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。

プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育問題か?マジで?本当に?

プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。

からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身タンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。

プログラミングをやめろ。

ぼくはこう思うんですよ

そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。

綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。

「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」

うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。

まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?

名言引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。

お前が何を思っているかプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。

深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分思考見直し理解深めるとかさ。

ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターにらみつけるな。

お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプランはいその次のプランはい次。

この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。

Error: variable 'a' is undefined, line 24

↑のエラー架空エラー文(英語下手でも許して)だけど、エラー、出るよね。プログラム組んでたら。んでやっぱいるのよ。エラーを「にらみつける」やつ。解決しねえって言ってんだろ。

エラー出たんですけど、どうすればいいんですか」

読めばいいんじゃないですかね……?一応軽く説明しとくか?

エラーにはプログラムがなぜコンパイル通らないかの原因がそのまま書かれている。例えば今出ているError: variable 'a' is undefined, line 24は、24行目の変数aが未定義ということを示している。事前に変数aを定義していないか、打ち間違えてsになっているとかではないのかな?」

だいたいが「腑に落ちねぇー」みたいな顔する。まあ、一気に喋りすぎたしな。疑問点1個1個潰していくか。

「何か疑問点ありそう?変数ってなにー、とか、定義ってなにー、とか」「ないです。わかりました!」

わかったのか。よかった。またモニターにらみつける開始。なんでだよ!!!!「お前顔にチョコついてるぞ」って言われたらチョコ拭き取るだろ。変数aが未定義ですねって言われたら変数a定義すりゃいいだろ。

でもプログラミングド下手なやつ(全人類の7割ぐらい)は、エラーにらみつけてる。ずっとにらみつけてる。防御力下限まで下がったかな。にらみつけてて何が変わるんだよ。

英語読めなくて……」

いや「a is undefined」なんて「He is Superman」ぐらいの英語だろなんで読めないんだよ。お前この大学どうやって入ったんだよ。たしかどの入試方式でも英語あっただろ。単語わからんかったらググれ。

「aが未定義って書いてあるんですけど、ここのfor文の私の考えが間違ってるのでしょうか」

いや24行目のaって書いてるだろ。まずなんでそこ無視するんだよ。お前がfor文で使ってんの教科書通りのiだろ。24行目ってわかるか?for文あるの40行目あたりだよな?aとiが違う文字ってわかるか?

「さっきのエラー直したら新しいエラーが出たんですけど、どうすればいいですか」

新しいエラー直せばいいと思います

千尋!贅沢な名だねえ

変数名前をつけろ。関数名前をつけろ。クラス名前をつけろ。全てに名前をつけろ。

C言語の古い教科書だと「a」とか「b」とか「i」とかで書いてるけど、そんなの人間が読めるわけねえだろ。冷静に考えろ。「input」「output」「index」とかにしとけ。

2重for文の変数名i, jにしたら絶対途中で打ち間違えるだろ。お前は打ち間違える。そういうやつだ。2重ループなんてどうせ行列計算課題だろ。rowとcolumnにしとけ。これで打ち間違っても気づくし、それぞれに意味が付いてくる。

ちなみに同じ長い名前にも優劣がある。「result」よりも「sum」のほうが強い。「result」はなんの結果かわからない(全ては結果であるので)が「sum」は合計値であることがわかるからだ。「password」と「plainPassword」なら「plainPassword」が勝つ。暗号化されていないパスワードであることがわかるので、情報量が多いからだ。

ただし例外はいくつかある。「tmp」は一時変数であることが(プログラマにとって)明らかだ。「dir」はディレクトリであることがわかる。「src」「dist」あたりもよく使われる。このあたりは短くていいんじゃねーかな。

でも、この前温度センサ扱うプロジェクトで「tmp」って変数名使って温度(temperature)と脳内で混線してバグって発狂してた同僚いたけど。そういうとき名前長くするか別の名前使おうな。

関数名前なんて「calcAverageFromArray」ぐらい長くしていいから。「myFunc」とかしなくていいから。「fetchJsonDataFromUniversityInternalServer」とかでいいから。マジで。いやこれ本当に。

そもそも今時ディスプレイかいし、識別子なんて先頭数文字打ったらエディタが補完してくれるし、短くするメリットがない。

それでも名前が長いと感じる?関数がでかすぎるんじゃないか。細かく処理を分けるとかしてみろ。「combineArrayAndFindMax」関数は「combineArray」と「findMax」に分割したらいいと思うぞ。名前が長いと思っても名前を削るな、機能を分割しろ自然名前が短くなる。

それかシンプルでかっこいい名前を見つける。「convertEvilHtmlToPeacefulText」は「sanitize」に置き換えることができる。イカ名前だ。

プログラミングできない奴はマジでこれらのことをやらない。ずっとaとかbとかzとか使ってる。お前それ自分で読めんのか。読めねえだろ。myfuncってなんだよ何するんだよ。お前自分理解できてんのかそれ。

それでも頑なにaとかbとか使う。なんでだよ。

動作原理理解しろ

動作原理からず書き散らすな。動作原理っつってもそんな深いところじゃなくて言語表面上レベル動作な。

リテラルは値を作成して、代入は値に名前をつけている、とかその程度のレイヤーメモリがどうこうとかはいらんと思う。あっでもポインタときはいるか……。めんどくせえな。

まあ動作原理っていうか自分が何やってんのか理解してくれって程度の話になるんだが。

例えばfor文で処理50回まわすとき、「50回分の処理を行なっている」ではなく「ループ開始時に変数初期化。条件判定して成立していれば文の中を実行する。条件変数の値を変化させてまた条件判定からやり直す」ぐらいの粒度で捉えててほしいかな、という気持ち

これはfor文で詰まる人がやたら多かったからだ。彼らはfor文をアトミックな操作だと思っていた。つまりfor文はひとまとまり命令であり、長いfor文とprintfの間に粒度の違いはないと思っていたらしい。

まり、「for文の中でエラーが起こる」という事象がほぼ理解できない。forはアトミックであり、内部など見えないのだから。じゃあお前が今書いたfor文の中身はなんなんだってやんわり聞くと「さあ…?」みたいな反応が返ってくる。はあ。

関数についてもなかなか誤解が多かった。関数「sum_array(a, b)」と関数「average_three_numbers(a, b, c)」は全く別の原理で動いているのだと。ここでの「全く別の原理」というのはシグネチャが違うとか実装が異なるとかそういう意味ではなく、コーラを飲んでゲップが出る原理と糸電話で声が伝わる原理ぐらいの全くの別、という意味である

彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。

そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数戻り値関数戻り値を足す」とか「関数引数関数戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。メソッドチェーンとかやった日には大学潰れると思う。ただ、これはC言語が悪い部分もあると思う。配列かいじりだすと、初心者が書けるレベル関数だとあんまり値返さないしな。

自分が何をやりたいのか理解しろ

たのむ、他のはできなくてもこれはできてほしい。自分が何をやりたいのかは理解してほしい。流石にお前のやりたいことなんて他人にはわからんぞ。

配列の中の数値の合計値を求めたいんです」とか「名前身長体重ひとつにまとめた構造体が作りたいんです」とか。簡単なのでいいから。

「いま何やろうとしてどこで詰まってる?」って聞いても「……?」みたいな反応されたら困るんだよ。

例えば「キーボードから数値を10入力し、それぞれの値を配列に格納して、最後配列の値を逆順に表示せよ」みたいな問題が出てきたときに、「キーボードから値を入力する」「10回繰り返す」「配列に値を格納する」「配列の値を逆順に表示する」に分解できると思うんだけど、自分が何やりたいのかわからない奴はまずこれができない。

彼らには「キーボードカラスウチヲジュッカイニュウリョクシソレゾレヲハイレツニニュウリョクシテサイゴハイレツノアタイヲギャクジュンニヒョウジセヨ」に見えている。

かろうじて「キーボード」「ハイレツ」あたりの単語は拾えるらしく、標準入力から値とったり配列を作ったりはしてるんだけど、そこから先に進まない。モニターにらみつけてる。またにらみつけるかよ。

あれだ、算数文章題できなくてとにかく文章に出てくる数値足したり引いたりするやつ。あれのプログラミング版。文章が読めない。

こういう人にはメモ用紙取り出して、まず文章が何について言ってるのか、どういう工程に分けることができるのか、今後も同じことが起こったときにどうやって分けるのか。みたいなのを教えるんだけど、大抵あんまりしっくりこないらしく、成功したことは皆無。なんとかうまく教えたいんだが。

もうこのあたりになってくるとプログラミング関係なくね……?ってなるんだけど、意外とそういうプログラミング関係ないところで詰まる人めちゃくちゃ多いよ。

今すぐプログラミングをやめろ

そろそろ本題に戻るか。お前らは絶望的にプログラミングに向いてないから今すぐ諦めて刺身タンポポ乗せる

クマちゃん

日本には4万2千頭以上のツキノワグマが生息しているそうだ。

ツキノワグマ平均寿命は15年程度なのでざっくり毎年3000頭弱が死んでることになる、森の中で。

森にはその他にも鹿、たぬき、狐、イタチ、無数の鳥が生息している

昆虫爬虫類もいる、膨大な死骸の山

土の上で異臭を撒き散らしながら一部は食われ、腐り、時間をかけて分解される

さら動物は日々クソをする。大量にクソして野山に垂れ流す

クソには菌が付き、クソを栄養に成長し、あるいは猛毒きのこを育てるだろう

 

抗生物質まみれの動物園の鹿は15年程度は生きるが、野生の鹿の平均寿命は4年

感染症寄生生物にやられる

 

森の死骸やウンコはドロドロに溶けながら年月をかけて消える

 

毒キノコが生成する毒成分は早いものは数日で自然分解するが、年単位で毒性を保つものもある

 

これらすべて雨が降ると少しずつ流される、

 

やがて小川に、あるいは地面に吸収され地下水になる

 

ところが、イスラム土葬したいと言うたら、「環境汚染」だというて嫌がる。

そこに理性はあるのか?合理性はあるのか?

ただの情緒じゃねぇか

 

我々が飲んでいる水は死骸を濾したものではないか

しかも奴らは水源地近く、あるいは水源地よりも上だ、全部流れ込んでる

死骸の希釈液を時に「清流」などと呼ぶ、川上で無数の死骸を濾しているのに?清いとはこれいかに

死骸の液で米を作る、我々は平気で食っている。キモいなど考えない

森に動物が生息し、死んでいることな想像しない

 

年間数十人、数百人のヒトの土葬がどれほど影響があるというのだ?

宮城県土葬受け入れ議論をしようとしたら猛反発があったそうで、白紙撤回になった

東北地方クマニュースを見るたびに思い出すのであります

40歳になって人を助けるのに抵抗がなくなった

助けるって言うと大袈裟だけど町中で全然知らない人だけど困ってれば手助けするとか

昔はなんかハードルが高くて中々できなかったんだよね

ハードルってのは当然物理的なものじゃなくて心理的もの

何で自然とできるようになったんだろうなーって最近考えてたら

この前はてブで「男は父親になって子供を連れてると社会に受け入れてもらえる」的な話題ホットエントリーにあって

あ、これだなーって気が付いた

別に元々が社会自分を拒絶してたなんて全く思わないし親切にしてくれてた人も気が付かないけど間違いなくいたんだろうけど

やっぱりどこか独立独歩的な価値観他人に頼らないし迷惑をかけないっていうことを内面化してて

社会の多くの人や特に女性が得意としているであろう親しくはなくても身近な人とコミュニケーションを取り助け合うってことが馴染みがなかったんだよね

それが子供ができて周りの人とのコミュニケーションとかちょっと助けてもらうってことが増えると

それを受けるだけじゃなくて相互に与え合うことが自然とできるようになったんだなって

件の話は男単独だとそれがやりにくいって話だとは思うんだけど(それを受ける側の抵抗感もあるし)

一度その心理的ハードルを越えてしまえば抵抗なくちょっとした助け合いができるようになって便利だなって

親しくなるとかまでいくと面倒くさいっていまだに思うけど

ちょっとした手間や迷惑はお互いにケアし合う社会っていいなって思うよ

地元イノシシサルが出るようになった

増田地元茨城県北部山中。この集落住民は山と山に挟まれた川沿いで田畑を耕して生きてきた。

10年ほど前から耕作放棄地が増えてきた。田畑の主は80代が大半だし、現役世代はみんな都会に出ていってしまった。山中の狭い農地で細々と農業をやりたい若者なんているわけがない。まあ、とにかく10年くらい前から雑草ボーボーの耕作放棄地が増えてるんだ。

これと同じ時期に、それまでは一切見かけることの無かったイノシシが出るようになった。放棄された田んぼに穴が掘られているのを初めて見つけたとき不思議だったが、イノシシが掘ったものだと知って、ここにもイノシシが出るのかと驚いた。それまではイノシシとは無縁の人生を送ってきて、これからもそうだと思っていた。野生生物って移住してくるんだね。

それから8年が経ちイノシシにも慣れてきた頃、今度はサルが出た。野生のサル日光しかいないと思っていたので本当に衝撃だった。一体どこから移住してきたんだろうか。人間若者移住してこないのに野生生物移住してきてしか繁殖しやがる。めちゃくちゃだ。

最近ニュースを見ていて、きっと次はクマが現れるんだろうなとぼんやり思っている。イノシシサルなら対処のしようもあるけど、クマに関してはどう対処すればいいかわからん。怖すぎる。

増田地元人間が減って段々と自然に侵されている。きっとおなじように自然に負けつつある場所日本中にあるんだろうなと思う。10年後の日本の姿はどうなっているんだろうか。

それにしてもクマ怖すぎだろ。

anond:20251109004937

感情的経験から「男は全員犯罪者だ」と思いたくなる気持ち理解します。

被害に遭ったり、それを知るとそう感じるのは自然です。

ただ、社会全体の話にするなら事実を分けて考えた方が建設的です。

まず統計的に見れば、性犯罪風俗関連の支出に関わる層は全成人男性のごく一部です。

多くの場合個人観測範囲社会の一部に偏って全体を断定してしまます

また、これは構造問題でもあります

法整備捜査体制罰則の有無が抑止に直結する側面があるため、被害防止には刑罰強化だけでなく、被害者支援、予防教育摘発能力の強化が必要です。

最終的に私個人性風俗の厳格な規制を支持しますが、短期的には

(1)罰則摘発強化、

(2)被害者支援の拡充、

(3)需要抑制のための教育・啓発、

という段階的案が現実的だと考えます

2025-11-08

anond:20251108213325

医者が診たい患者像ってのは決まっているから緊急でない限りは無理して行かないほうがいいでしょう

医者人間なんだから気持ちがある好き嫌いがある

好き嫌いは未熟な人だけの特権ではないので医者にあっても人間らしく自然なのである

AI文?を貼る人

ドラクエ1・2リメイクレビュー適当に見てたら、記事の一つに、

サマルトリア王女原作はいない本作オリジナルキャラクターか、あるいはムーンブルクの王女描写が強化されたものか。ここでは仮にサマルトリア王女としておきます

という、プレイ後の文章としては明らかにおかしい部分があった。

なお、リメイク版におけるサマルトリア王女存在は、ロト血統継承AI感情アルゴリズムの融合によって、シリーズ叙事詩構造を再定義していると言えるでしょう。

これだけでAIとは断言できないし、AI使用して記事書くこと自体べつに悪いとは思わないけど、AIだろうが人力だろうがここまで不自然なところはさすがに消しといた方がいいんじゃないか…と他人事ながら心配になった。

AI文そのまま投稿する人って、内容読まず本当に直で貼ってるの?

「チー牛近づくなオーラ」を放っている女だけど

正直に言うと、私はこれまでの経験にもとづいて「チー牛近づくなオーラ」を自然と放つようになったんだよね。

別にブサイクとかダサいとか、そういう外見の話はどうでもいいの。

しろ「みんな外見にこだわりすぎじゃない?」って思ってるぐらい。

でもさ、問題は「チー牛オーラ」なんだよ。

あれが出てる男性には、どうしても警戒しちゃう

もちろん全員がそうってわけじゃないし、偏見まみれで見てるつもりもない。

けど、どうしてもトラブル率が高いのは事実なんだわ。

なんでかっていうと、そのタイプ男性って「優しさ」に慣れてないことが多いんだよね。

こっちが普通に、人として当たり前の好意気遣いをしただけで、特別扱い勘違いされやすい。

「いや、誰にでもこのくらいするよ?」ってレベルの接し方でも、向こうは急に距離詰めてくることがある。

で、最終的にどうなるかというと、向こうから「好きになってくれる人が好き」みたいな感情を向けられちゃうんだよね。

こっちは恋愛感情ゼロなのに、向こうは勝手に盛り上がって、勝手に期待して、勝手に「特別」扱いしてくる。

好きでもない相手に「君だけは僕を理解してくれる」とか言われても、ただただ困惑するだけ。

内心では「勘違いするな、バカ」って言いたい。

でもさ、はっきり言うと逆恨みされることもあるし、職場とかだと言いにくいじゃん。

からこっちは丁寧に距離を取ろうとして、めちゃめちゃ気を遣うことになる。

ホント無駄に疲れる。

そんなのを何回か経験ちゃうとさ、もう自衛として「チー牛属性」っぽい人には最初から「これは社交辞令だよ」「特別意味はないよ」って強調する癖がつくんだよね。

別に嫌ってるわけじゃなくて、トラブル回避

防衛本能勝手に働くって感じ。

しかも、これって私だけじゃなくてさ、まだ経験の浅い新人可愛い女の子とかも、よく同じ目に遭ってる。

「誰とでも仲良くしよう」と前向きに頑張った結果、勘違いチー牛に付きまとわれる…なんて典型的パターンだよね。

周りは「あぁ…またか」って思うけど、本人は初めてだからめっちゃ困ってる。

から私は今日も「チー牛近づくなオーラ」を放ちながら生きてる。

別に怖がらせたいんじゃなくて、ただトラブルになりたくないだけ。

これまでの経験から身についた、ちょっとした処世術ってやつなんだよね。

24年収700万の高齢貧困弱者女性ですらこうなんだからモテ女はもっと苦労してるよね。

もっとこう、抽象数学とか、あるだろ

数学の最も抽象的な核心は、structured homotopy typesをファンクターとして扱い、それらの相互作用=dualities・correspondencesで世界説明することに集約できる。

ここでいう構造とは、単に集合上の追加情報ではなく、加法乗法のような代数的構造位相的・解析的な滑らかさ、そしてさらにsheafやstackとしての振る舞いまで含む。

現代の主要な発展は、これらを有限次元的な点や空間として扱うのをやめ、∞-categoricalな言葉でfunctorial worldに持ち込んだ点にある。

Jacob Lurie の Higher Topos Theory / Spectral Algebraic Geometry が示すのは、空間代数・解析・同値を一つの∞-topos的な舞台で同時に扱う方法論。

これにより空間=式や対象表現といった古典的二分法が溶け、全てが層化され、higher stacksとして統一的に振る舞う

この舞台で出現するもう一つの中心的構造がcondensed mathematicsとliquid的手法だ。

従来、解析的対象位相群や関数空間)は代数手法と混ぜると不整合を起こしやすかったが、Clausen–Scholze の condensed approach は、位相情報を condensed なファンクターとしてエンコードし、代数操作ホモトピー操作を同時に行える共通語彙を与えた。

結果として、従来別々に扱われてきた解析的現象算術現象が同じ圏論言語で扱えるようになり、解析的/p-adic/複素解析直観が一つの大きな圏で共存する。

これがPrismaticやPerfectoidの諸成果と接続することで、局所的・積分的なp-adic現象世界規模で扱う新しいコホモロジーとして立ち上がる。

Prismatic cohomology はその典型例で、p-adic領域におけるintegralな共変的情報prismという新しい座標系で表し、既存の多様なp-adic cohomology 理論統一精緻化する。

ここで重要なのはfieldや曲線そのものが、異なるdeformation parameters(例えばqやpに対応するプリズム)を通じて連続的に変化するファミリーとして扱える点である

言い換えれば、代数的・表現論的対象の同型や対応が、もはや単一写像ではなく、プリズム上のファミリー自然変換として現れる。

これがSpectral Algebraic Geometryや∞-categorical手法と噛み合うことで、従来の局所解析と大域的整数論が同一の高次構造として接続される。

Langlands 型の双対性は、こうした統一舞台根本的に再解釈される。

古典的にはautomorphicとGaloisの対応だったが、現代視点では両者はそれぞれcategoriesであり、対応=functorial equivalence はこれら圏の間の高度に構造化された対応(categorical/derived equivalence)として現れる。

さらに、Fargues–Fontaine 曲線やそれに基づくlocal geometrization の進展は、数論的Galoisデータ幾何的な点として再具現化し、Langlands 対応モジュールcategorical matchingとして見る道を拓いた。

結果として、Langlands はもはや個別の同型写像の集合ではなく、duality of categoriesというより抽象的で強力な命題に昇格した。

この全体像論理的一貫性を保つ鍵はcohesion と descent の二つの原理

cohesion は対象局所情報からどのようにくっつくかを支配し、descent は高次層化したデータがどの条件で下から上へ再構成されるかを規定する。

∞-topos と condensed/lquid の枠組みは、cohesion を定式化する最適解であり、prismatic や spectral 構成descent を極めて精密に実行するための算術的・ホモトピーツール群を与える。

これらを背景にして、TQFT/Factorization Homology 的な視点場の理論言語を借りた圏論局所→大域の解析)を導入すると、純粋な数論的現象場の理論的なファンクターとして扱えるようになる。

まり数学対象物理場の理論のように振る舞い、双対性や余代数操作自然に現れる。

ここで超最新の価値ある進展を一言で述べると、次のようになる。

従来バラバラ存在した「解析」「位相」「代数」「表現論」「算術」の言語が、∞-categorical な場の上で一つに融解し、しかもその結合部(condensed + prismatic + spectral)の中で新しい不変量と双対性計算可能になった、ということだ。

具体例としては、prismatic cohomology による integral p-adic invariants の導出、condensed approach による関数空間代数化、そして Fargues–Fontaine 曲線を介した局所–大域のgeometrization が、categorical Langlands の実現可能性をこれまでより遥かに強く支持している点が挙げられる。

これらは単なる技法の集積ではなく、「数学対象を高次圏として扱う」という一つの理念の具体化であり、今後の発展は新しい種の reciprocity lawsを生むだろう。

もしこの地図を一行で表現するならばこうなる。数学の最深部は∞-categories上のcohesiveなfunctorialityの理論であり、そこでは解析も代数も数論も場の理論も同じ言語表現され、prismatic・condensed・spectral といった新しい道具がその言語を実際に計算可能にしている。

専門家しか知らない細部(例えばprism技術挙動、liquid vector spaces の精密条件、Fargues–Fontaine上のsheaves のcategorical特性)、これらを統合することが今の最も抽象的かつ最有望な潮流である

「絵日記構文」を何歳で卒業するのか?

小学生の絵日記構文」というのがある。

特徴は、時系列文章を進めることだ。

まず→次に→そのあと→最後に… という具合だ。

夏休み家族旅行にいきました。

まず、遊園地にいきました。楽しかったです。

次に、かき氷をたべました。おいしかったです。

そのあと、ホテルに泊まりました。

また旅行に行きたいです。

この構文は何歳くらいで卒業するものだろうか。

日本学校国語の授業でライティング時間を割かないが、大半の子どもは小学校高学年までに絵日記構文を自然卒業するだろう。

だが、いい大人なのに絵日記構文を卒業できていない人が結構いる。

ところで最近インタビュー記事対話形式が多いが、あれは最近若いライター文章をまともに書けないからだ。だから対話形式に逃げる。

日本学校もっとライティング時間を割いたほうがいいと思う。

ラングランズ対応モチーフ理論について

ランダウラングランズ的な双対性直感を、位相的・圏論的な巨大場として再構成する作業は、もはや単なる対応命題確認ではなく、数学実在階層構造を再階層化する営為へと移行している。

ここで重要なのは対応自体が一つのモノイド的作為ではなく、∞-圏の層状化した自明可能性の表現であるという読み替えである

最近の成果群は、従来の局所・大域の二項対立を溶融させ、曲線・局所体・解析空間といった古典的な基底を、より普遍的空間記述可能性(representability)の観点へと置き換えてしまった。

具体的には、ファルグ=フォンテン曲線を舞台にした幾何化は、局所表現論を圏的スペクトルの上に載せ替えることで、従来別個に扱われてきた表現自動形式的対象)とパラメータ(L-パラメータ)を、同一の圏的心臓部で同時に構成可能したこと意味する。

この構成は単に対応存在することより深く、対象自体を再定義してその同値関係を圏の中心や内部終対象言葉記述することにより、対応が生まれ必然的環境を示した点で画期的である

同時に、グローバル側の道具としてのシュトゥーカ(chtoucas)的技法は、関手的・代数的な操作を用いて場のモード分解を行い、その分解が示す不変量を通じて大域的パラメータ化を達成する方策を具体化した。

ヴィンソン・ラフォルグの仕事群は、こうしたシュトゥーカの立型化によって、関手的に取り扱える大域的パラメータ空間提示し、局所構成との繋がりを媒介する新たな環を与えた。

結果として、言語的には表現パラメータへの写像がベキ乗的に分解できるだけでなく、その分解自体が可逆的な圏的操作として認識され得ることが示され、これが大域的Langlands構想の新しい正当化になっている。

さら最近の数年間における動きで決定的なのはモチーフ論の解析的拡張が進んだ点である

従来モチーフ代数多様体上の普遍的コホモロジーという観点で語られてきたが、ショルツェらによるベルビッチモチーフ(Berkovich motives)や関連する解析的・アーク的降下法は、可換性や双対性に関する新たな剛性条件を与えることで、代数複素解析・非アルキメデス解析を一枚の理論で織り上げた。

モチーフを単なる数論的核から、解析的スタックや圏的双対性自然に持つ対象へと格上げし、Langlands的双対性の受け皿を拡張した。

こうしてモチーフとLanglands対応は、もはや互いに独立した二つの理論圏ではなく、同じ∞-圏的言語発声される現象に変わった。

そして最も劇的な変化は、最近公表された一連の大規模な仕事群が、幾何学的Langlands命題本質的な形を証明し得たことにより、これまで隠れていた構造要請顕在化した点にある。

これらの証明努力は、従来の和声的・解析的手法を超え、圏的分解、局所–大域の整合、そしてモチーフ双対性が同時に満たされるような動的な証明環境を構築した。

重要なのは、この到達が単なる命題解決に留まらず、数学対象定義域そのものを書き換えるような再帰メタ構造を与えたことであり、以後の展望は新たに定式化された圏的正規形とその変形理論を追うことで開かれる。

結果として、Langlandsプログラムモチーフ理論接続は、従来橋をかける比喩で語られてきたが、今や両者は共通言語空間の異なる座標表示に過ぎないという段階に達している。

ここでの言語空間とは、∞-圏とその可逆化可能な中心、アーク的・ベロコビッチ的降下法、そしてシュトゥーカにより生成されるファイバー総体を指す。

その内部では、表現論的計量(harmonic analysis 的なスペクトル)と数論的モチーフ普遍的ファンクターが互いに鏡写しになり、操作が圏的に昇格することでパラメータ化は動的な自己相互作用として理解される。

これが意味するのは、将来の進展がもはや個別定理技法の追加ではなく、数学対象包摂するより大きな構成原理発見と、それを支える新しい圏的インフラ(解析的モチーフ、Fargues–Fontaine 的基底、chtoucas の動的再解釈)に依存するということである

読み手がもし、これをさら運動方程式的あるいは力学系的なメタファーで読み替えるなら、ラングランズ系とは無限に多様な対称性とその破れ方が−同値関係としてではなく−力学的な遷移として定義される場である結論づけられる。

その意味で、最新の進展は単に既存パズルピースを嵌め直したのではなく、ピースのものを再設計し、新しい接着剤(∞-圏的双対性、解析的モチーフの剛性、シュトゥーカ的ファイバー化)を導入した。

この新しい設計図を受け取った数学は、今後、従来とは異なる方法で「表現」「パラメータ」「モチーフ」を同時に扱うための合成的技術を展開するだろう。

anond:20251108105502

宇宙ルール」を決める3つの新しい考え方が、みんなで響き合って進化しているよ!

1. 「境界」を新しい目で見る

今までは「宇宙の端っこ」に特別ルールがあると思ってた(AdS/CFT)。

でも最近は「宇宙めっちゃ遠く」にある「空の方向(天球)」に注目!

そこでは、粒子がぶつかる「散乱」のルールが、ただの数字の表じゃなくて、超キレイな形の数学パズルみたいになってる。

このパズル無限に大きいけど、すごく整ってるんだ!

2. 「Swampland」=宇宙にありえない理論を捨てるルール

「量子重力宇宙の最小ルール)」に入る理論は、なんでもOKじゃない。

たとえば「暗いエネルギー」や「宇宙の始まりデータ(CMB)」と合わない理論は**×**。

これは**「宇宙設計図」に書いてある禁止事項」**みたいなもの

最近は実際に観測したデータを使って「これはダメ!」ってチェックし始めてるよ。

3. 「粒子のぶつかり方」から「弦理論」が自然に出てくる?

粒子がぶつかる「振幅(確率)」には、すごく厳しい数学ルールがある。

そのルールが**「弦(ひも)でできた世界」**じゃないと満たせないかもしれない!

まり、**「宇宙は点じゃなくて、ひもでできてる」**って理論が、自然に選ばれる可能性があるんだ。

4. 「赤ちゃん宇宙」のパラドックス

ある計算で「赤ちゃん宇宙がある世界とない世界が同時に出てきちゃう」って矛盾が起きた。

それを解決するには、「宇宙状態」を1つじゃなくて、層のように重ねて考える必要がある。

まり、**宇宙説明は「1つの箱」じゃなくて、「箱の束」**で考える時代になってきた!

5. まとめ:新しい宇宙ルール3つ

今の最前線は、

さな数学の形(モチーフ

次元キレイ対称性

矛盾しない整合性この3つが、**「本物の宇宙ルール」**を決める基本セットになりつつある。

昔の「普通物理」ではダメで、もっと深い数学観測必要時代だよ!

超弦理論の今(2025年後半)注目されている最新の動向

まず一言でまとめると、場の論理幾何の高次的融合が進んでおり、境界の再定義重力整合性算術的制約(swampland 系)、散乱振幅の解析的・代数的構造という三つの潮流が互いに反響しあっている、というのが現在最前線の構図。

1. 境界の再概念

2. Swampland

3. 散乱振幅の代数性とストリング必然性に関する手がかり

4. アンサンブル解釈とベイビー宇宙問題

5. まとめ

現在の進行は低次元代数的不変量(モチーフ、モジュラーデータ)+∞-圏的対称性+コバーティズム的整合性という三つ組が、量子重力理論(および弦理論)が満たすべき基本的公理になりつつあることを示す。

これらは従来の場の理論が与えてきた有限生成的対象ではなく、ホモトピー型の不変量と算術整合性を前提にした新しい分類論を必要とする。

弱者男性近づくなオーラ」を放っている女だけど

弱者男性近づくなオーラ」を放っている女だけど

正直に言うと、私はこれまでの経験にもとづいて「弱者男性近づくなオーラ」を自然と放つようになったんだよね。

別にブサイクとかダサいとか、そういう外見の話はどうでもいいの。

しろ「みんな外見にこだわりすぎじゃない?」って思ってるぐらい。

でもさ、問題は「弱者男性オーラ」なんだよ。

あれが出てる男性には、どうしても警戒しちゃう

もちろん全員がそうってわけじゃないし、偏見まみれで見てるつもりもない。

けど、どうしてもトラブル率が高いのは事実なんだわ。

なんでかっていうと、そのタイプ男性って「優しさ」に慣れてないことが多いんだよね。

こっちが普通に、人として当たり前の好意気遣いをしただけで、特別扱い勘違いされやすい。

「いや、誰にでもこのくらいするよ?」ってレベルの接し方でも、向こうは急に距離詰めてくることがある。

で、最終的にどうなるかというと、向こうから「好きになってくれる人が好き」みたいな感情を向けられちゃうんだよね。

こっちは恋愛感情ゼロなのに、向こうは勝手に盛り上がって、勝手に期待して、勝手に「特別」扱いしてくる。

好きでもない相手に「君だけは僕を理解してくれる」とか言われても、ただただ困惑するだけ。

内心では「勘違いするな、バカ」って言いたい。

でもさ、はっきり言うと逆恨みされることもあるし、職場とかだと言いにくいじゃん。

からこっちは丁寧に距離を取ろうとして、めちゃめちゃ気を遣うことになる。

ホント無駄に疲れる。

そんなのを何回か経験ちゃうとさ、もう自衛として「弱者男性属性」っぽい人には最初から「これは社交辞令だよ」「特別意味はないよ」って強調する癖がつくんだよね。

別に嫌ってるわけじゃなくて、トラブル回避

防衛本能勝手に働くって感じ。

しかも、これって私だけじゃなくてさ、まだ経験の浅い新人可愛い女の子とかも、よく同じ目に遭ってる。

「誰とでも仲良くしよう」と前向きに頑張った結果、勘違い弱者男性に付きまとわれる…なんて典型的パターンだよね。

周りは「あぁ…またか」って思うけど、本人は初めてだからめっちゃ困ってる。

から私は今日も「弱者男性近づくなオーラ」を放ちながら生きてる。

別に怖がらせたいんじゃなくて、ただトラブルになりたくないだけ。

これまでの経験から身についた、ちょっとした処世術ってやつなんだよね。

24年収700万の高齢貧困弱者女性ですらこうなんだからモテ女はもっと苦労してるよね。

anond:20251108025906

そもそもこれは虜囚の身で書いた詩で内乱の真っ只中の話だからな?

国破れて山河ありってのは起承転結の起みたいなもんで別に自然を題材にした詩じゃねぇ

戦乱で都はぐちゃぐちゃで役所もなくなったってのに自然はなんもかわんねぇじゃん、それがしんどい

3ヶ月もこんな状態から家族ともろくに連絡取れなくなってあーしんど

からストレスで老けてハゲちまったわ

髪なさすぎでもう簪すらつけらんねえよ(役所制服着られねえよ)

って無常感と虚無感の詩でしかねえのよ

宇宙飛行士だのなんだの言ってるけどあまりに的がズレてるね

詩の形式理想的完璧なのと人間の実感がこもった内容だから評価されてるのに

高校国語からやり直すためにいっぺん4ねば?

anond:20251108025906

そんな昔はいかに自然を克服するかが重要だったんだし現代感覚とは逆でしょ

「国破れて山河あり」って徹底的に大自然への侮蔑だよな

なんだろう、現代って国みたいな適当存在よりも大自然への畏怖・感謝のほうが100兆倍はっきりしてるよなっておもった。

「国破れて山河在り」なんて、「国がなくなっても山も河もあるじゃん、ここからまたスタートできるやん!」みたいな激ポジ意味しか感じようがないんだよな。

普通にそういう意味だろって思ってたんだが意味調べたらたぶん全く逆じゃない?コレ。

国破山河在(国が壊れてしまったのに山河はここにある)

城春草木深(長安は春を迎えたが草木が勢いよく茂るばかりだ)

感時花濺涙(時の流れを思うと花をみても涙が流れる

恨別鳥驚心(家族との別れを思って鳥のさえずりにも心がおびえる)

マジでこんな意味なんだよな。文明とか人間世界大自然を対比させて大自然側を徹底的に虚しいものとして描いてる。

国とか人間とかちっぽけな存在だしブッ壊れても大自然さえあればなんくるないサァーみたいな詩じゃなかった!

自然の不変性こそ歌っているがそれを人類希望としてじゃなくて国を失った喪失感のひきたて役に使ってるんだよな。

現代人の感覚でいうとそれらはむしろ深海絶望感とか、宇宙空間の虚無感に近いのか?

discoverされてないフロンティアであると同時に足を踏み入れたら戻ってこられない深淵という感覚なんだよな。

要するに杜甫は未知のものはすなわち恐怖になるいわば凡人だよな。

宇宙飛行士タイプ人間だったら絶対にこんな詩は残してない。

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はいものようにティーカップの正確な角度とティーバッグを引き上げるタイミング(45秒で引き上げ、分子運動が落ち着くのを確認する)にこだわりながら、ルームメイトキッチンで不満げに微かに鼻歌を歌う音を聞いている。

隣人は夜遅くまでテレビを見ているらしく、ローファイのビートドラマセリフ建物内で交差する。

その雑音の中で僕の頭は例によって超弦理論抽象化へと跳躍した。

最近は量子コヒーレンスホモトピー的に扱う試みを続けていて、僕は弦空間を単に1次元媒介物と見るのではなく、∞-圏の内在的自己双対性を有する位相的モジュライ空間として再定義することを好む。

具体的には、標準的な共形場理論の配位子作用をドリブンな導来代数幾何(derived algebraic geometry)の枠組みで再構成し、そこにモチーフ的な圏(motivic category)から引き戻した混合ホッジ構造を組み込んで、弦の振る舞いを圏論的に拡張された交代多様体ホモトピー的点として記述する考えを試している。

こうするとT-双対性は単に物理対象同値ではなく、ある種のエンドサイト(endomorphism)による自己同型として見なせて、鏡像対称性の一部が導来関手自然変換として表現できる。

さらに一歩進めて、超対称性生成子を高次トポスの内部対象として取り扱い、グレーディングを∞-グループとして扱うと、古典的局所化されていたノイズ項が可換的モジュール層の非可換微分形へと遷移することが示唆される。

もちろんこれは計算可能なテーラ展開に落とし込まなければ単なる言葉遊びだが、僕はその落とし込みを行うために新しく定義した超可換導来ホッジ複体を用いて、散発的に出現する非正則極を規格化する策略を練っている。

こういう考察をしていると、僕の机の横に無造作に積まれコミックTCGトレーディングカードゲーム)のパックが逆説的に美しく見える。

今日ルームメイトと僕は、近日発売のカードゲームプレビューとそれに伴うメタ試合環境)について議論した。

ウィザーズ・オブ・ザ・コーストの最新のAvatar: The Last Airbenderコラボが今月中旬アリーナで先行し、21日に実物のセットが出るという話題が出たので、ルームメイトは興奮してプリリリース戦略を立てていた。

僕は「そのセットが実物とデジタル時間リリースされることは、有限リソース制約下でのプレイヤー行動の確率分布重要な影響を与える」と冷静に分析した(発表とリリース日程の情報複数公表情報に基づく)。

さらポケモンTCGメガ進化系の新シリーズ最近動いていると聞き、友人たちはデッキの再構築を検討している。

TCGカードテキストルールの細かな改変は、ゲーム理論的には期待値サンプル複雑度を変えるため、僕は新しいカード環境に及ぼすインパクトを厳密に評価するためにマルコフ決定過程を用いたシミュレーションを回している(カード供給タイムラインデジタル実装に関する公式情報確認済み)。

隣人が「またあなたは細かいことを考えているのね」と呆れた顔をして窓越しにこちらを見たが、僕はその視線を受け流して自分のこだわり習慣について書き留める。

例えば枕の向き、靴下の重ね方(常に左を上にし、縫い目が内側に来るようにすること)、コーヒー粉の密度グラム単位で揃えること、そして会話に入る際は必ず正しい近接順序を守ること。

これらは日常ノイズ物理学的に最適化するための小さな微分方程式だと僕は考えている。

夜は友人二人とオンラインカードゲームドラフトを少しだけやって、僕は相対的価値の高いカードを確保するために結合確率を厳密に計算したが、友人たちは「楽しければいい」という実に実務的な感覚で動くので、そこが僕と彼らの恒常的なズレだ。

今日はD&D系の協働プロジェクト話題も出て、最近のStranger ThingsとD&Dのコラボ商品の話(それがテーブルトークの新しい入り口になっているという話題)はテーブルトップコミュニティに刺激を与えるだろうという点で僕も同意した。

こうして夜は深まり、僕はノートに数式とカートゥーンの切り抜きを同じページに貼って対照させるという趣味を続け、ルームメイトキッチンで皿を洗っている。

今、時計23:00を指している。僕は寝る前に、今日考えた∞-圏的弦動力学のアイデアをもう一度走査して、余剰自由度を取り除くための正則化写像候補をいくつか書き残しておく。

明日は週末で、また友人たちとゲーム数学二重生活が始まるだろう。僕はその両方に誠実であり続けるつもりだ。

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