2025-04-29

定型発達の正体は「恐怖感の麻痺特性だと思う

定型発達とは、リスク存在無視した方が都合がいい場合認知をゆがめてリスクが無いように振る舞う特技を獲得し、同時にその認知のゆがみによって引き起こされる問題他者への擦り付けを含めて回避する手法もセットで習得することで社会効率よく回せるようにする特性だと言える。

(広義には定型発達には上記のような所謂「声の大きな人」ムーブができる人間に付き従う振舞いをする人も含むようなので実際には2タイプ以上居ると言えるが、集団を特徴づけているのは間違いなく上記タイプである

しかし、この認知のゆがみはシステム設計時には明確に不利に働くので、この特性の保持者はシステム設計というフィールドにおいては著しく不利な状況におかれる。

にもかかわらず、残念なことに社会の他のフィールドにおいての成功体験が強すぎるが故に、自らの仕様バグ製造機っぷりを顧みることなく「自分達が活躍できない場は有ってはならない」と言わんばかりの傲慢な振舞いをする人間があまりに多い日本のような国のシステム構築現場では

「声が大きい人」によって引き起こされる悲劇が後を絶たず、大きな組織システム更改がどれも上手くいかない事態が近年多数発生し、なかば社会問題化している。

AIの発展によってこの定型発達者が公害として扱われる分野が「人間が直接かかわらなくて良いタスク」化して再び成功体験を強化できる日が来るだろうか?

私見ながらそのような日は訪れることがなく、むしろ定型発達者はネアンデルタール人のように消えゆく運命にあるのではないかと思う。なぜならトランプ政権のようなものを生み出した自家撞着を引き起こしている段階に突入してしまっており、特性として有害性が周知され過ぎてしまっているためだ。

今の定型発達者が廃れたからと言って、その人たちに虐げられてきた人々が日の目を見るようになるかというと必ずしもそうでもない(なぜなら虐げられてきた人々はさらに古い特性の持ち主である可能性が高そうなためだ)が、

盛者必衰意味を我々があらためて噛みしめるように理解することはほぼ間違いないように思う。

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