「一生作業者やります!」で会社からOK貰ってそれで本当に死ぬまで「オッス!オラ作業長!オラは作業の長だから言われたことしかしねえし、作業の出来についての責任しか取らねえぞ!」で飯食って終われてる(か、ずっとそれで済ませられると夢見てる)っぽくて羨ましい限りだ。
組織内の都合やら社会の仕組みやらである程度出世してしまうとどうしても自分のよく知らない分野についても知る必要が出てくる。
経営的目線、各種法令への理解、他所の部署との調整も増えれば相手の人柄や人間関係の把握も重要になる。
扱う情報量が増えていくと曖昧さを許容したままだと処理能力の限界を超えてくる。
ダンパー数(人間が安定的な社会関係を維持できるのは150人前後が限界という研究成果に基づく数字)というものがあるが、つまる所人間の能力には限界があるわけだ。
曖昧なままの情報がいくつも重なると情報量が爆発的に増えていく。
なぜなら曖昧な情報はいくつものパターン分岐を引き起こし、それが相互に絡み合うことでさらなる分岐が連鎖的に起き続けるからである。
たとえばボードゲームで1手先を読むだけなら「自分がこう打ったら相手がこう返すかも」で終わるが、3手先を読もうとすれば「自分がこう打ったら相手がこう返すわけで、それについて自分がこう返したら相手は・・・」となり処理すべきパターンがおよそ2乗に膨らむわけだ。もしもここで、「自分が王手をかけでもしない限り、次の相手番は絶対にこれで来る。連続した手順を前提とした動きをしているのだから絶対にそうだ」と決めつけることが出来るなら、パターンが膨らむことはなく、自分の連続した2手分の動きに対して相手がどういう回答をするのかを想定するだけでいいわけである。
偉くなって処理する情報量が増えた人間が「曖昧な情報はいい。確定した情報をくれ」と口にする理由はこれだ。
曖昧なままの情報を渡されても自分の処理能力の限界を超えることを経験的に自覚しているのだ。
結局のところ、「情報の曖昧さに耐えられない人は頭が悪い雑魚なんだよ」と言ってるやつこそが、自分の処理してる世界の狭さに自覚がない雑魚でしかないのだ。
「37度以上ならコロナの疑いがあるから検診を受けてください」というルールに対して「いや、単に基礎体温が高いだけの人かも知れない。曖昧さに耐えろ」とケチをつけるのは賢いやり方ではない。もしもそれをすれば38度を出しているような人間さえも「俺はそもそも基礎体温が高いだけだ。今日の地球は重力が強いだけで俺はデブじゃないんだ」と言いだしかねないリスクに世界がさらされる。それならば余計な曖昧さは許容せず「とにかく37度を超えたら医者に行け」とする方が皆のためになるわけである。
自分の小さな世界の自己満足のために「曖昧さを許容しろ!」と叫び続ける行為の幼さに築けない人達、彼らこそが「広い世界の持つ曖昧さに怯え、自分がよく知っている範囲の世界に閉じこもることを選んだ臆病者」なのである。
37度は白人なら標準のレベルだけど 38度が標準の民族はいないんですよ
いないと断言するのは悪魔の証明すぎるだろw
平均身長3メートルの民族はいないので いると証明したいならどうぞどうぞ
でもマサイ族の垂直ジャンプ力と視力は凄いですよね?
学問的な姿勢としては曖昧さを許容するというか「曖昧である」というのを誤魔化さないことの方が誠実。学者が簡単に何かを断言したら危うい奴だとみなされる。 しかし実務的な世界...
俺は今カス増田という立場でただちょっかいを出すためだけにコメントしているぞ(自己開示)