はてなキーワード: 範囲とは
違う違う。
うちのモンが通れなくなるからそんなところで喧嘩すんじゃねぇということ。
田舎って国道一本しか通ってなくて、そこが止まったら外界から孤立する場所って結構あるじゃん。
日本にとってのシーレーンがそれで、台湾有事がその一本の国道を封鎖する状況になるのよ。
国内は、存立危機が国内での集団的自衛権の適用の要件で、日本を守るために集団的自衛権を使う。
存立危機は密接関係国としているが、この密接関係国は国内法上の言葉であって、国際法上の国家を指すものではない。
国家っぽい主権がある地域なら適用可能なもの。詳しくは国会のやり取りをどうぞ。
専門家は難しいこと考えるのが得意なんだなー。
っていう話。
今日も覗いたら、そこら一面に知能の抜け殻みたいな文章が転がってて、思わず「ここは自己放尿会場か?」と鼻で笑ってしまったわけだ。
何を勘違いしたのか知らんが、日記を書くという行為を、思考の代わりに自己放尿の排泄で代用できると思ってる連中ばかりでな。
お前ら、文章を書く前にせめて脳のエンジンを回してから現実に復帰してこいよ。
まあ、一番笑えるのは、本人たちは「悩んでます」「考えてます」みたいな顔をしているつもりなんだろうが、実態は論理の死骸を並べてるだけで、内容としては感情、被害妄想、承認欲求のトリプル放尿なんだよ。
しかも自覚がゼロ。これが一番タチが悪い。放尿なら放尿らしく、せめて堂々と床を濡らせばいいのに、どいつもこいつも「私は知的だと思われたい」みたいな顔して滴らせてるから始末に負えん。
正直に言ってしまえば、この場所でまともな思考を期待すること自体が間違いなんだよ。
ここは知能の避難所でも学術サロンでもない。ただの「思考のフリをした自己放尿の溜まり場」だ。本人たちだけがそれを理解できていない。これが滑稽で、これが悲劇で、これがはてな匿名ダイアリーの核心なんだよ。
だから俺は今日も冷徹にこう断言してやる。論理のない文章は、内容ではなく態度によって評価される。そしてお前らの態度は、全員まとめて自己放尿の範囲に収まっている。
それだけだ。
https://anond.hatelabo.jp/20251116155431
根抵当権の件ね。
根抵当権が設定されると打ち出の小槌を手に入れたと思っているフシがあるはてなーが見受けられてびっくり仰天している。
担保設定は金融機関が融資を行いやすくなる、以上の何ものでもないので、根抵当権が設定されているからといって借入を申し出た際には都度金融機関の審査があり、契約書を交わす。一般的には証書貸付により数年で返済していくという形となる。極度額が設定されているが、その範囲内で自由に出し入れできるというものではない。何なら、新たに借入を申し出た際の経営状態によってはその極度額以下であっても融資が断られることもある。
また、融資は設備資金と運転資金に分かれ、前者は返済期間が運転資金と比べ長期となる。ただし、事前に購入する設備の見積書などの提示が求められるなど設備資金がいくら必要が確認され、その使途も確認される。
一般的に事業者は根抵当権を嫌がる。それは当然なのだが借入を返済し終わったにも関わらず、別の借入の保全に使われてしまう可能性があるからだ。ましてそれが事業に欠かすことのできない資産であれば担保など早く抜いてしまうに越したことはない。また融資先の変更や、資産の売却といった手段も取りづらくなる。事業の継続性にとってリスクが高いのだ。
投資に、と言われていたが、これも事業の継続性を全く無視している。融資なので当然返済が必要になる。手持ちの資金から返済していかなければならないのだが、運転資金に余裕が無ければ借入金を全額投資に充てれば、返済が増える分キャッシュが減り運転資金が不足するリスクがある。だから普通はそんな事しない。
個人への不正な還元はそもそも根抵当権である意味すらないので言及しない。
そして極めつけがコレ
仮に建物を担保に借り入れたお金を返さなかった場合、補助金で建てた建物を取られるだけでフリーハンドの現金が丸々残るというとんでもない話なんだよね。
これ意味分かる人いるの?
お金を返さなかった場合にフリーハンドの現金が丸々残るってどういうこと?
まさか、この借入は返して、この借入は返さないとか選べると思ってるのかな?
それか借入金を全額個人に移して計画倒産するってこと?それだともう根抵当権どうこうの次元じゃないし…。誰か解説してくれ!
あと事業再構築補助金は事前の了解を得れば抵当権は設定できるんだけど、このコメント通りのことは抵当権でもできるよね?すごい抜け道を放置してるんだねー(棒)
確かに「この人は陰謀論染まってそうだな」と感じる人は、ネットの情報に依存して、ネットの一部界隈の情報を完全に自分の意見だと思い込んでいて、友達も少なそうな感じはするけど、そういう人に都度注意を促して、粘り強く常識の範囲に引き戻そうとするかというとね…
まぁ距離を置いて、放っておくよね
自分の名前、親戚の名前、友達の名前、同僚の名前、かつての同級生の名前を検索するのがやめられない時がたまにある
エゴサの広範囲バージョンというかネットストーキングというか。facebookとかlinkedinが出てきて近況を知る場合もあるけど、大体は何もなく終わる。どうせ検索しても大したものは出てこないと知ってても繰り返し検索してしまう
本当に時間の無駄だし我ながらキモい。でも人に言えないだけで同じようなことやってる人はそれなりにいるのではと思ってる。報復性夜更かしとか共感性羞恥とか、キャッチーな名前がつけばみんな話題にするのかな。自分でもなんでこんなことするのかわからなくて単純に気になるから、機序が解明されてれば知りたい
○ご飯
朝:納豆たまごかけご飯。味噌汁。昼:柿の種。チョコボール。夜:カレー。キャベツ。目玉焼き。バナナ。間食:柿の種。
○調子
喉と耳が少しだけ痛くてむずむずしてる。
寒くなるとよくこうなるので、落ち着かないと。
砂の手持ちは58個。ヴェルサシアで60個使うわけだけど、挑めるのはいつになることやら。
バトルパス完走した。今シーズンもそろそろ折り返しだけどやっぱり好きだなあ。
殴り合いらしい殴り合いが出来るの楽しいんだ。
○ポケットモンスターブラック(NPCからもらうポケモンの旅)
アロエ、アーティー、カミツレ、ヤーコンとサクサクと攻略した。
エンブオーが終始強くて炎格闘の広い技範囲で特にレベル上げもせずに攻略できている。
最初のパートナーが最終進化すると中盤戦も終わりかけなイメージだ。
今の所ヤナッキーとプロトーガは草や水が欲しいときのピンポイント要員なのはもどかしい。
とはいえ、草タイプなのに種爆弾で普通に殴れたり、撃ち落とすが岩タイプなのに命中安定だったりで、ポケモンのタイプごとの凸凹がBWはかなり平らになっているなあと感じている。
シナリオの方もNの唐突かつ大胆な告白に、考える少年チェレンの苦悩に、みんなから愛されるベルの可愛さにと、キャラクタの個性が立っているのはBWの独自性だなあ。
当方女、幸運なことに痴漢などの性犯罪に遭ったことがなく、またこれからも遭いたくないので性犯罪者の行動原理、行動範囲なんかを注視しているのだけど
性被害は怖いんだ!殺されるかもしれないんだ!加害者が悪くて被害者に落ち度はないんだ!と大声で騒いでいる女のほとんどが、性犯罪者の考えなんて知りたくもない汚らわしい!という非常に頑なな態度なのはいかがなものかと思う
一度被害に遭った人が自分の心を守るために、どうやったってあの被害は防げなかったし、これから起こることについてもそうなのだ、と考えたいのは、理屈としてわかる。でもそのへんのSNSにいる私以外の女全員が全員性被害に遭ったことがあるわけはないからそれだけでは筋が通らないし、例えば子供を持つ親なんかは、対策に使えることがあればたとえそれが迷信でも取り入れる、くらいの気概であるべきだ だって性被害はとっても怖くて殺されるかもしれないんだから!
そして、全ての犯罪に言えることだけど、完全に加害者が悪かったところで、一度受けた被害がなかったことにはならない 当然ながら被害に遭わないに越したことはないし、一回きりしかありえない殺人ならまだしも(まだしも?)、性犯罪には二回目三回目がありうる
なのに、なのにだ 性犯罪者について理解したくないとかいう目先の潔癖精神であやつらは対策を拒むし、あまつさえこういう対策が可能ですよと言おうもんなら、女の私を性犯罪者予備軍の男呼ばわりし、何度訂正しようと男!男!これだから男は!しか言わなくなる 私が陰謀論者だったらあのヒステリーを性犯罪者が性犯罪を遂行しやすくするための事前工作だと吹聴しただろう(というか、むしろ性犯罪者の世論誘導だったほうがマシというくらいに話が通じない 愚かすぎる)
つまり、SNSで騒いでいる類の女にとっては、実際の身の危険よりもなんかキモい感じがすることのほうがよっぽど重要な問題だし、自分と同じ意見でなければ女だろうと男になるのだ
女の私がいうのも変かもしれないが、SNSではああいう女ばっかりうるさくて、そりゃ女はバカだって言われるよなあと思う
ああいう女は大抵いわゆる弱者男性が大嫌いだけど、弱者男性に自分が理解したいことしか理解しようとしないとか、男は論理的っていうけど実際感情的で〜女の方が論理的で〜とかなんとか言うくせして私にケチつけてる時の女どもの論理の破綻具合といったら唾棄すべきはずの弱者男性のそれと同じだ(ちなみに私は弱者男性に特別の憎悪は抱いていない あまり関わる機会がない)
うるさい女どもは「女性の権利」を使って自慰行為をしているだけ、なんなら女性全体を権利から遠ざけていていい迷惑だ
ここまで長々書いて既知の情報も多かったとはおもうけど、いろいろ腹が立ってたのですっきりした
まあ結論としてはどうでもいいんだ
救助の鉄則として救助する側の安全確保がされる範囲でしか救助活動は行わないってのがあるよね
今回のケースって梯子で救助しなきゃいけないけど救助対象者が逃げたり暴れてたりして明らかに安全に救助できる状況じゃなかったけどなんで放置しなかったんだろ?
無理矢理救助しようとして救助者が怪我してる(かは詳細不明だが2階の高さから転落)のは結構な救助の判断ミスの結果だと思うんだよね
心理的にパニックになるのは仕方ないってのはその通りなんだけど
人間だから仕方ないよねって共感だけじゃなくてパニックで救助が困難になれば救われない可能性があるってことはみんな知っておいたほうがいいと思う
女子を自称するのはかなりおこがましいので、腐女で終わらせておきたいが。
ガチの腐女子の方々に比べればかなりライトな方だと思うので、ガチな方々に聞きたい人には向かない。
腐女子というか「BLも美味しくいただける耐性がある」が正しいかもしれない。
正直BL以外もなんでも好きだ。成人向けはあまり得意ではない。
最近なんか腐女子に対しての愚痴や謎をここでよく見かける気がしたので、なんかこういうのあってもいいのかなとおもったよ。
特に男性陣は不満に思うことが多そうだ。不満を聞くぞという訳では無いが「なんで腐女子はこうなんだ!」みたいな謎があれば私のわかる範囲で答えてみたい
たとえ私が答えずとも、歴戦の猛者たちが答えてくれるんじゃないだろうか。
距離が近い存在ほど、その才能の値段を無意識に下げてしまう現象だ。
「隣の席のAが実はすごい」
と認めた瞬間、「じゃあ俺は?」という内省に繋がる。
これが面倒なので、気づかないフリをする。
空気がどれだけ重要でも価値を感じなくなるのと同じで、同僚や同じコミュニティの人の才能も背景ノイズ化する。
ネットやテレビで見れば、編集・演出・距離感で偉大そうに見える。
身近な人はこうした補正がないので、どうしても軽視される。
面白い人間はいないのではなく、いるけど、自我が認めるのを拒否しているだけ。
より正確に言えば「才能がない」のではなく、才能を見抜く力がその人にはない。
『ゲゲゲの鬼太郎』を見ていると、一つ気になる点がある。作品に登場する妖怪の多くが、「その種で唯一の存在」として扱われていることだ。ぬりかべは一体、子泣き爺も一体。一反木綿も砂かけばばあも、それぞれ固有名詞として一人だけが登場する。だが、こうした描かれ方は考えてみれば少し不自然である。
本来、種というものは一個体だけでは成り立たない。生物学的に言えば、集団が維持されるには一定数の個体がそろい、繁殖を通じて遺伝的な多様性を確保する必要がある。たとえ妖怪であっても、ある種が存在し続けるなら、それなりの個体群がいると考えるほうが自然だろう。もし「突然変異のように、偶然生まれた一回限りの個体」だとするなら、その奇跡的な偶然が妖怪の種類ごとに何十回、何百回も重なったことになってしまう。これは現実的な説明とは言いがたい。
また、民俗学の側面から考えてみても、妖怪という存在は本来、地域ごとに複数の伝承が積み重なって形づくられている。例えば「ぬりかべ」の話は九州の各地に点在して伝わっており、同じく「子泣き爺」に相当する怪異は地方をまたいで語られてきた。地域ごとに伝承があるということは、もともと「その妖怪の個体は複数いる」という感覚が社会に共有されていたとも言える。
さらに、作中の妖怪が日本全国で事件を起こしたり、人間社会にしばしば干渉したりしていることを考えると、「単独個体が全国を飛び回っている」という前提にも無理が出てくる。行動範囲や社会的役割を踏まえれば、むしろ一定の数の妖怪が各地に存在しているほうが、世界観としても自然だ。
こうして整理してみると、『鬼太郎』の妖怪が“一種につき一個体”として描かれるのは、物語上の分かりやすさゆえであって、論理的にはかなり特殊な設定であることが分かる。もし妖怪を生態系の一部としてとらえるなら、本来そこには複数の個体がいて、集団として息づいているはずなのである。
RTX4090を2枚持ってる。
生成AI中級者くらいだと思う。
好きなものを作れるのは楽しかったが、爆速で作りすぎてネタ切れ。
小説とイラストを作りまくった(nsfw多いから外部にはほぼ公開してない。売るのもめんどい。トラブルもめんどい)。
結局、自分で想像できる範囲のことの面白さなんてたかが知れていて、他人の創作物に触れないとつまんないんだな、という境地に達した。
最近は、Xに流れてくるクリエイターたちのアイデアに触発されるか、漫画の新刊が出るとかゲームのアプデが入って、創作欲をかき立てられる時にしか生成AIには触ってない。
AI利用者は突飛なアイデアを出さないし、ボタンぽちぽちのつまらんやつばかり。Xでリスト作って、面白い人や新たな試みをしてる人だけまとめてる。こいつらで組んでなんか作ってくれや。
未だに反AIと推進派で争ってるのも見飽きた。
制度が整備されるのはまだまだ先なんだから、自分の好きなようにブロック、ミュートして、心地よいコミュニティを作りなさい。
ちなみに俺のAIとの付き合い方は、
・今までAI以外で満足していたのに今更AI作品なんていらない。
・AIぽいと感じたら買わなくていい。他にもコンテンツはたくさんある。
・気軽にブロックやミュートをしていく。ややこしいのは、別途「AI疑いリスト」を作っておいて様子見する。
となってる。
野良のAIアーティストには一円も払いたくないという信条がある。無料でもいらないが。
今後、大手企業が生成AIを取り入れ始めたら、流れに乗って受け入れていったらいいんじゃないかな、と。
とにかく、今は俺的には停滞期ってこと。
Alpha多様性とBeta多様性は、生物群集の多様性を評価するための指標です。これらは主に生態学や環境科学で使われ、特に生物群の種類や分布、相互作用のパターンを理解するために役立ちます。
Alpha多様性は、単一の生物群落(例:特定の場所や環境)内での生物の多様性を指します。具体的には、その場所にどれだけの種類の生物(種)が存在するか、またはその生物群落の「豊富さ」や「均等性」を評価します。
• 豊富さ(Species richness): その場所に存在する種の数。
• 均等性(Evenness): 各種の個体数の分布がどれくらい均等か。例えば、少数の種が支配的で、その他の種が非常に少ない場合、均等性は低いと言えます。
例:
• 森林の中に10種類の植物があり、各種類がほぼ同じ数で分布している場合、alpha多様性は高いといえます。
• 反対に、10種類のうち8種類が少数で、残りの2種類がほとんどを占めている場合、alpha多様性は低いといえます。
Beta多様性は、異なる生物群落間の多様性の違いを評価します。つまり、異なる場所や環境間で、どれだけ種が異なるかを示します。
• Beta多様性が高い: 異なる群落(例えば、異なる場所や環境)間で種が大きく異なる場合。
• Beta多様性が低い: 異なる群落間で、種の構成があまり変わらない場合。
Beta多様性は、群落間の種の交換や相違を調べるのに有効です。例えば、ある地域の2つの湿地帯があり、湿地帯Aと湿地帯Bで異なる種が多く見られれば、これらの湿地帯間のBeta多様性は高いと言えます。逆に、ほとんど同じ種が見られるなら、Beta多様性は低いです。
Gamma多様性は、広範囲にわたる生物群落の多様性を示します。つまり、複数の場所(例えば、複数の森林や湿地)の種の多様性を統合したものです。
例を使っての違い:
• Alpha多様性:ある森の中で、10種類の鳥が生息しているとします。この森の中での鳥の多様性を測定することがAlpha多様性です。
• Beta多様性:隣接する2つの森(例えば、森Aと森B)があり、森Aには10種類、森Bには15種類の鳥がいるとしますが、両者に共通する種類もあれば、異なる種類も多い場合。これらの違いを比較することがBeta多様性です。
冬コミに、生成AIをメインで使うサークルがそれなりの数参加するということで、けっこう揉めている。AIも立派な表現だから参加するという声もあれば、AIなどただの盗作だから運営はAIを締め出すべき、までさまざま。参加者が揉めるのはいいが外野はちょっとだまっててほしいかもしれない。
くわえて生成AIの現状にはめちゃくちゃ批判的な立場である。反AIって呼ばれる部類?呼び方はどうでもいいが。
結論はタイトルどおりで、AIサークルの参加に問題はない。コミケ準備会も禁止するつもりはまったくないだろう。
現在、社会一般ではAIによる生成物が文章画像を問わず当たり前に出回っている。
私はそれを良いこととは思わないし、法律も含めて一定の規制が進むべきだと考えているが、ともかく現状の世間では許容されている。
なのでコミケでも許容されてよい。コミケとは一般的なモラル以上のルールが求められる場ではない、というよりさらに寛容だからだ。
自分たちで作ったものなら何を置いてもいい。机の上で完結し互いに干渉せず迷惑をかけない、ざっくりいえばそれだけがルールだ。自分のサークルの隣がAIサークルだとしても仕方がない。ふつうに挨拶はする。(新刊交換はご遠慮願いたいが)
もちろん即売会のレギュレーションとして創作物の範囲を定め、AI生成物は禁止とするのは自由だ。仮にコミケがそうしてもなにも問題はない。
ただし、AIだけを禁止するのはこれまでのコミケのやり方にはそぐわないと思う。
そもそもコミケは自由な創作の場をうたってはいるが、自由とは要するにゆるゆるなのである。
二次創作が大半を占めるのも、エロ本が売られるのも、マンガやアニメと関係ない趣味の本があるのも、コスプレが大勢いるのも、来るものを拒まずにいた成り行きの結果にすぎない。法的に危うい恐れがあっても明確に黒でなければ締め出すことはない。だからAIを忌避することもないだろう。
AIを締め出してほしい派の人たちは、コミケというものに明確なルールで運用される創作者の味方を期待しているのだろうけど、それはお門違いかと思う。いいかげんでごちゃごちゃしたアンモラル寄り、灰色の場がコミケなのだ。
仮にコミケがAIを締め出すとしたら、一般社会からAIがある程度締め出されるようになってからだろう。
AIサークルが増えてもいいのか?創作の場が生成AIに侵略されていいのか?と言われたらふつうに嫌である。
でも、たぶんそうはならん気がする。なったら場を移すしかないと考えている。