1. 「新しい全体主義(Neo-Totalitarianism)」と呼ばれる未来
想定される歴史的認識:
SNS、ビッグデータ、アルゴリズムによって人間の言論と行動が“空気”で自動制御される時代。
法や暴力ではなく、「バズとスルー」による社会的制裁と排除。
旧来の全体主義(国家・暴力・情報統制)ではなく、「民主的自発性を装った統制」。
この文脈でのキーワード:
群衆管理型の権力(クラウド型ファシズム)
自由を錯覚する隷従(自由な投稿、だが無視される or 制裁される)
批判不能な“感情の独裁”
→ 未来人は「この時代の人々は気づかずに、全体主義に自分から加担していた」と記述するかもしれない。
2. 「ポスト公共圏の時代」として記述される未来
観点:
ハーバーマス的な「公共圏」が崩壊した後の社会構造。
誰もが発信するが、相互理解は成立せず、議論もなければ意思決定もない。
情報が意味を持たず、「騒音(ノイズ)」だけが増幅される時代。
結論としての未来人の言葉:
「この時代の人々は“声を持った”が、“聞き手を失った”。」
3. 何も問題視されないまま継続する未来(最悪)
想定される理由:
支配があまりに巧妙で、誰も苦痛を感じない。
言論空間は個人の自慰と化し、反論も不要になる。
人間は「意味ある対話」を諦め、「快楽的投稿」を続ける。
この場合、未来人はこう言うだろう:
「21世紀初頭、人類は“対話”を喪失したことすら認識しなかった。」
Permalink | 記事への反応(1) | 14:57
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興味ないね
3. 何も問題視されないまま継続する未来(最悪)へいらっしゃいませ
魔晄中毒ってやつさ