「○○でいい」という言葉は、労力を軽んじているから出てくるのではなく、その対象である○○が軽んじられているから出てくるのだと思う。
いま話題の“そうめん重労働問題”を見ても、「そうめんでいいよ」という言葉に対して「そうめんを作るのは大変なんだぞ」と反論する声がある。
しかし実際のところ、この言葉はそうめんを作る手間をなめているのではなく、「正直、特に食べたくはないけれど、まあそれでも仕方ないか」というニュアンスで発せられているのではないだろうか。
たとえば、これがハンバーグだったらどうだろう。「ハンバーグでいいよ」とはまず言わないはずだ。むしろ「ハンバーグがいい!」と積極的に指定されるだろう。
つまり「○○でいい」という言葉には、作り手への軽視ではなく、食べ手にとっての優先順位の低さや消極的な選好が表れているのである。
これに気づいている人が大半で気付かない読解力が低い人が怒っているのをドン引きして同意だけしているという事実
悲しいなぁ
「ハンバーグでいいよ」って普通に言うだろ
言わねぇよ異常者が 精神病棟でひき肉でもこねてろカス🖕
すまないね この人は神経症が極まって「他人は自分を不快にさせる存在であって欲しい」と願うようになってしまったんだ