カルトに人生を侵食されることの恐ろしさって事を言いたいんだよな。いやアレは「恐ろしさ」なんていうよくある言葉では言い表せないナニカなのだという思いが、その支離滅裂な語り口を選ばせるのかもしれないが。
でもその感じって実はカルト被害に限らないんだよね。例えば子供を誘拐された親とか、レイプに遭った人とか、ひき逃げで身障者になった人とか、誰のせいでもないが死病を得た人とかは、何をやっていても普通に今ここに居ても、同時に異次元に閉じ込められているようなものだ。分厚いガラスに封入されながら同時に日常生活を送っているようなものだ。ここにいるけどここにいない存在になる。その人の苦しみは他人にはわからないから。
あるいは根深いコンプレックスにやられてる童貞オッサンなんかも、傍目にはショボいながらも大した不自由もなく暮らしてるようにしか見えなくても、真っ暗な宇宙に浮かんでるような心持ちで生きてるのかも知れない。
そういう奴が(新潟や岡山で実際あったように)自分を救うために女児誘拐することは、やむにやまれぬ真剣な行為と言えるのだろうか。なわけないよね。攫われて人生奪われる女児はたまったもんじゃないからね。
山上の行動はどんな角度から見てもただ下劣だよ。山上の境遇が同情に値する苛烈なものであったことと、山上がクズであることは両立する。
長くなったので読みにくいかもしれません あと、あまりここの空気感を理解できていないかもしれません 半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます 乱文...
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自分は新興宗教が好きではないし、世間は山上被告や母親をバッシングするだろうが、苦悩の果てにその行動を選ばざるを得なかったように思う。 なのでこの文章を読んで、山上被告や...