2025-08-15

戦後80年の学びは「祈り」でなく「行動」で示さないと

目新しい意見でもないと思うのだけど、あんまり最近目にしないので敢えて提示しておく。(幼稚で初歩的な内容だから見かけないだけかも)

戦後80年の節目で、ウクライナ他山の石として私達が取るべきスタンスは、「戦争悲惨で避けるべきだが、戦争しないためにはあらゆる努力必要」だろう。あらゆるの中には、残念だけど戦争の準備も含まれる。能動的に戦争を防ぐ必要がある。

クラウゼヴィッツ喝破したように、戦争政治の一形態に過ぎない。戦争を防ぐには戦争が「コスパが悪い」手段にならないといけない。なので、自衛力を高めたり、多国間安全保障協定を結んだりして、戦争を仕掛ける側の損害を大きくする必要がある。あるいは、叶うなら、火種火種のうちに消すような外交努力必要かもしれない。

ロシアウクライナ侵攻は、戦争状態に突入したのはまず全面的ロシアが悪いと思っている。私達が得るべき教訓はロシアから得るものではなく(戦争を始めない、なんて当たり前すぎる)、残念ながら吹っ掛けられたウクライナから得るべきだろう。特に台湾有事というそこそこ現実的リスクを抱えている以上、私達は明日の我が身としてウクライナを見なければならない。政府や国は中国との外交米国アジアオセアニアでの相互安全保障自衛力強化、などやるべきことをやっているが、戦争抑止には決定的ではない(ように素人目には映る)。

矛盾を孕むのだけれども、戦争を避けたいならば、戦争を吹っ掛けられた時に「高く付く」と思わせないといけない=戦争上等、みたいな態度を示さないといけない。自分家族や友人が悲惨体験をしないためにも戦争を吹っ掛けるようなメンタリティの国に譲歩しないための体制必要。…なんだけど、表面だけ見ると、ただ戦争忌避しないタカ派と何も区別が付かないので、個人スタンスとしても取りにくいのが事実

とは言え、確実なのは戦争は根絶とは程遠く、発生させないための不断努力必要である、というのはやっぱり変わらないだろう。具体的手段議論があるけど、平和は決して祈れば手に入る物でもない。戦争悲惨さを見つめ直したら、受動的ではなく能動的に戦争を防ぐ心構えを考えよう。多分、それはあなたが日々の仕事を真面目にやって、日本経済を安定させるだけでも良いのかもしれない。

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