今にして思えば、「鬼滅の刃」や「葬送のフリーレン」の大ヒットは、排外主義時代を予告するものだったのかもしれない
これらの作品の敵、鬼や魔族というのは、人間に近い外見で言葉を交わすこともできるが、絶対に相容れず理解や協力が不可能な存在だ
勧善懲悪といえばそうだが、その「相互理解の不可能性」が「外敵は外敵であり、一線を超えて理解し合うことはできない」という見えない絶望とセットとも言える
そしてこの「理解し合えない外敵の存在」こそが、時代の気分だったと見なすこともできる
もちろん、先行作品として「進撃の巨人」があるわけだが、巨人との戦いは人間同士の戦いにシフトし、最終的に外交的な解決も示された分、有情だったのかもしれない
オッスオラ極右
チェンソーマン レゼ篇は大ヒット上映中!
A1 言葉を交わせて理解しあえる相手との戦い A2 言葉を交わせず理解しあえない相手との戦い B1 言葉を交わせて理解しあえない相手との戦い B2 言葉を交わせず理解し会える...
元増田の外見要素抜けてたわ B1 言葉を交わせて理解しあえない相手との戦い B1a 言葉を交わせて理解しあえない、外見が人間ぽい相手との戦い 無惨さま B1a 言葉を交わせ...
A2a 言葉を交わせず理解しあえない人間ぽい外見の相手との戦い きれいなゾンビ