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2025-09-06

古墳時代井戸端フォーラム

ニケーア公会議(325年)は、キリスト教初の**公会議(エキュメニカル・カウンシル)**であり、教義上・教会史上きわめて重要な意義を持ちます

🏛️ ニケーア公会議の結果(要点まとめ)

項目 内容

開催年 325年

開催地 ニケーア(現・トルコのイズニク)

招集ローマ皇帝 コンスタンティヌス1世

目的 アリウス主義への対処キリストの神性を否定

🔹 主な決定事項

① アリウス主義異端認定

• アリウス(アリウス派)は、こう主張していました:

✝️「キリスト(御子)は被造物であり、父なる神とは異なる本質を持つ」

→ 「御子は神に“似た存在”だが、“同じ神”ではない」

• これは、キリストの神性を否定すると見なされ、異端宣言されました。

② ニケーア信条の制定

アリウス主義に対抗して、正統教義としての**信条Creed)**が制定されました。

キリストは:

「父と同質(ホモウシオス) consubstantial with the Father」

であり、**神そのものである(真の神からの真の神)**と明記されました。

教会暦の調整:復活祭の日付の統一

• 各地で異なっていた**復活祭イースター)**の日付を統一する方針が決定。

太陽暦を基にして、春分最初満月の次の日曜日とする(現行の方式の基礎)。

④ 一部の教会規定カノン)の制定

一夫多妻禁止

司教聖職者の任命や従属関係に関する規定

• 再洗礼否定(正統的に洗礼された者への再洗礼不要

📜 ニケーア信条抜粋

我らは一なる主イエス・キリストを信ず、

父より生まれし独り子、すべての世に先立ちて生まれ

神よりの神、光よりの光、

真の神よりの真の神、

造られずして生まれ

父と**同質(ホモウシオス)**なり…

この信条は後の公会議コンスタンティノポリス公会議・381年)で若干補足され、「ニケーア=コンスタンティノポリス信条」として今も多くの教会で用いられています

🔚 ニケーア公会議の意義

意義 説明

🔸 教義統一 キリストの「神性」を正統として明確化

🔸 異端排除 アリウス主義異端とし、教会の一体性を守ろうとした

🔸 皇帝の関与 初めてローマ皇帝コンスタンティヌス)が教会会議を主導 → 政治教会関係が深まる

2024-05-08

anond:20240506080216

キリスト教は、三位一体説を採り、父(神)と子(イエスキリスト)と精霊は違うペルソナだが同一の実体としています

これらはみんな同じで、キリストは神(と同一の実体

これは散々議論があって、キリスト人間じゃねーか、と主張したアリウス派ネストリウス派その他多数などは異端とされました。

ニケーア公会議エフェソス公会議などでそうなったんです。

たぶん浸透には時間がかかったかもしれませんが。

イスラム教は、キリスト預言者の一人で人間であって神じゃないっていう立場なので、キリスト教から見れば異端であってます

2024-04-14

anond:20240413110732

新約聖書読むとイエスと神は別な存在だとしないと意味がわからない箇所あるんだよな。アリウス派異端扱いされたのがよくわからない。

イスラム教ではイエス預言者扱い。

2021-07-27

anond:20210727215737

マジでミスった。モルモン教徒に「へー、オタクの教派はー」みたいに攻めたら、「その問題はこうやって解決した」って感じで返されて、本当に窮した。統一教会のレン中にチャレンジしたら、未だに旧ロゴのレン中が対応してくれて、なんか韓国の連中の劣化している愚痴聞かされた。エホバの連中は「輸血問題」で闘おうとしたら、「私はするよ?」と返されて、逃げてきた。なんか知らないババーが「キリストの愛を信じるか?」と言うもんだからアタナシウス派アリウス派三位一体齟齬」をついたら、俺以上の知識で返されて、危うく「全く知らない新興キリスト教」に入信しそうになった。コエーよ。

2011-02-13

鯖田 豊之 ヨーロッパ中世世界歴史9) 河出書房

ヨーロッパ中世とはどんな時代だったのかを、独自性と一般性を交えて、絶妙なバランスでまとめている。

本書の主要な記述の中で、特に気になったところだけ簡単にメモ

封建制度が成立するまで

ローマ帝国崩壊後、ゲルマンによるヨーロッパ治世は次々に短命に終わった。(東ゴート、フランク、西ゴート、ヴァンダル王国)。背景にはゲルマン信仰するアリウス派ローマ人が信仰するカトリックという宗教面の対立があった。上手く国がまとまらいままに、9世紀頃からノルマン人の侵入が始まる→略奪による領土の荒廃→国防は機能せず、地場権力者が城壁を作ってごく小さなテリトリーの防衛を行う→そこを中心に農民があつまり、商人があつまり、騎士が集まる。自治の中心が地場の領主にシフト国王形骸化)。

日本封建制欧米封建制と、一口に言っても違う。

ヨーロッパ騎士ドライ権力関係で主君とつながる。日本武士は忠義で主君に仕える。従って「二君に仕えず」が絶対だった日本とちがって、ヨーロッパは一人の騎士が複数の主君と契約を交わすのはざらだった。戦争の時でも、ヨーロッパ騎士は「●日間まで出陣する」と契約書に書いていれば、たとえ戦闘継続していても、途中で帰ってしまった。

ローマ貨幣制度ラテン語は残った。

地中海商業破壊されずに維持された。一方で、話し言葉としてのラテン語は、人々にリテラシーを身につけるボトルネックとなった。


国王」と「皇帝」の違い。

皇帝の方が一段上。皇帝キリスト教の神に認められた支配者。


騎士道」の盛衰

封建制の発達とともに、先頭の仕事が少なくなった兵士たちの間に生まれた。騎士時代遅れになるのは、1400年頃の100年戦争期あたりから弓矢や大砲技術が発達しすぎて、鎧の防御では間に合わなくなったためだ。彼らはぜいたくを美徳とした点において日本の「武士」とは違う。また、騎士は無学だった。文字が読める人間ほとんどいなかった。

十字軍」の疑問。なんで、400年以上も前から取られてたエルサレムをとつぜん取り返そうとしたのか。

→背景にはヨーロッパ全土へのキリスト今日のて。土着の神々をキリスト教の「聖者」として吸収(例えば、サンタクロース)。

十字軍の帰結。

→封建領主に対する王権の強化。代わりに法王権力は結局十字軍が失敗したことから凋落。

なぜその後イギリスフランスがまとまってきたのに、ドイツはままらなかったのか。

ドイツ皇帝海外侵略に熱心で、内政をおろそかにしていたから(特に地中海遠征。たとえばフリードリヒ一世(1152-90)のシチリア遠征)

 
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