2025-07-21

参政党の躍進と“信仰”の構造

※この記事特定政党を支持・非難する意図ではなく、

社会における“政治信仰”の関係性についての私見です。


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最近参政党を「カルトだ」と揶揄するような発言を多く目にする。

もちろん、事実として宗教団体との関係性や思想の偏り、陰謀論的な言説が含まれていることへの批判もあるだろう。

けれど、私はそれ以上に――

政治のものが、今、宗教役割果たしているのではないか?」

という点に、強い関心を抱いている。

日本は「無宗教の国」と言われることが多い。

仏教神道文化として根づいていても、個人の行動規範世界観宗教が介在する場面は少ない。

キリスト教価値観道徳ベースになる欧米諸国と比べれば、

私たちは「死後」や「救済」や「正義」を語る言葉をあまり持たない。

では、その“空白”はどこに埋められていくのだろう?


本来宗教とは何か。

それは「人はなぜ苦しむのか」「どう生きるべきか」「世界意味はあるか」という問いへの、

意味づけの装置であり、共同体規範であり、希望供給源だった。

だが、その役割希薄化した社会において、

信仰”の代替物として政治機能しはじめる。

参政党の支持構造に見られる“信仰”の構造

参政党は、多くの若い世代や「これまで政治に関心がなかった層」の支持を集めた。

それは「わかりやすい敵と味方の構図」「覚醒物語」「真実を知った者だけがたどり着ける道」など、

まるで新宗教構造酷似している。

見えてくる宗教的特徴:

強いカリスマ性をもった語り手

世界の“真実”を知るための啓蒙

正義邪悪の明確な区分

信じることで仲間になれる共同体

外部批判者への強い敵意

これを「カルト」と一言で断ずるのは簡単だ。

だがそれよりも私が気になるのは、なぜそこまで惹かれる人がいるのかということだ。

意味を渇望する社会で、「正義を語る者」が選ばれる

現代日本は、希望が見えにくい。

経済成長の実感もない

雇用不安定

人間関係希薄

政治は難しそうで遠いものに見える

そうしたなかで「あなたは正しい」「国を変えよう」「私たちこそ真の日本人だ」と呼びかける声は、

まりにも魅力的に響く。

それは信仰と何が違うのだろうか。

結論:「政治宗教化している」という視点を持つべきでは?

参政党に限らず、今の政治空間には“宗教的な構造”が蔓延しているように思う。

議論より断罪

理屈より信念

修正より排除

思考より信仰

そんな傾向が、右にも左にも見られる。

参政党はカルトだ」と言う前に、私たちは問うべきかもしれない。

政治宗教になりはじめているのではないか

そして、それは何を私たちが失ってきた証なのか。

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