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最近、参政党を「カルトだ」と揶揄するような発言を多く目にする。
もちろん、事実として宗教団体との関係性や思想の偏り、陰謀論的な言説が含まれていることへの批判もあるだろう。
けれど、私はそれ以上に――
「政治そのものが、今、宗教の役割を果たしているのではないか?」
という点に、強い関心を抱いている。
仏教や神道は文化として根づいていても、個人の行動規範や世界観に宗教が介在する場面は少ない。
私たちは「死後」や「救済」や「正義」を語る言葉をあまり持たない。
では、その“空白”はどこに埋められていくのだろう?
それは「人はなぜ苦しむのか」「どう生きるべきか」「世界に意味はあるか」という問いへの、
意味づけの装置であり、共同体の規範であり、希望の供給源だった。
参政党は、多くの若い世代や「これまで政治に関心がなかった層」の支持を集めた。
それは「わかりやすい敵と味方の構図」「覚醒の物語」「真実を知った者だけがたどり着ける道」など、
見えてくる宗教的特徴:
強いカリスマ性をもった語り手
信じることで仲間になれる共同体
外部批判者への強い敵意
だがそれよりも私が気になるのは、なぜそこまで惹かれる人がいるのかということだ。
経済成長の実感もない
そうしたなかで「あなたは正しい」「国を変えよう」「私たちこそ真の日本人だ」と呼びかける声は、
あまりにも魅力的に響く。
それは信仰と何が違うのだろうか。
参政党に限らず、今の政治空間には“宗教的な構造”が蔓延しているように思う。
理屈より信念
そんな傾向が、右にも左にも見られる。
「参政党はカルトだ」と言う前に、私たちは問うべきかもしれない。
そして、それは何を私たちが失ってきた証なのか。