2025-09-04

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夜を超える夢、夢を超える夢――その言葉を、私はいまも生田緑地の丘に立つとき思い出す。

 小田急線が丘のふもとを走り、その向こうに新宿摩天楼が霞む。春や秋の宵には、武蔵野台地のはてに東京の灯がちらちらと瞬き、湾岸の明滅と重なって、まるで大きな銀河のように見える。あの夜、彼はそこに立っていた。

 「この光を見ろよ。世界を照らすんだ」

 彼は烈しい声でそう言った。社会に侮られたと感じる魂の奥底から、どこか英雄の夢を引きずり出そうとするように。

 やがて彼は、その烈しさを収めきれず、ウクライナへ渡った。

 南ウクライナの大地は、春になれば黒々としたチョルノーゼム(黒土)の平原が続き、空はどこまでも広い。その平原に彼の姿はあった。SAS教官から授けられたと信じたナイフを携え、自衛隊で扱った軽機関銃を構え、そしてアニメ小説に見た幻影を己の背にまとっていた。

 「ベルくんみたいだろ」

 と笑いながら刃を振るう姿を、彼は動画にして送ってきた。その映像のなかの表情は、秋葉原の雑多な軍用品店で玩具の銃を抱えていたときの無邪気さと、なんら変わらなかった。

 だが、現実戦場は烈しい魂を顧みはしなかった。

 ロシア軍砲撃は、彼の信じた「死に戻り」を許さず、ナイフも、機関銃も、ただ鉄と火薬の奔流のなかに呑み込んだ。ニュースには「抵抗なく制圧」とだけ、冷たく記されている。

 思えば――この平和日本のなかで、烈しい魂はしばしば行き場を失う。多摩丘陵一角夜景を前に語った夢は、黒土の大地で炎となり、そして燃え尽きた。

 彼は誤ったのか。あるいは私たちが誤っていたのか。

 その答えを私は持たない。ただ、あの夜、丘の上から見た東京の光が、いまも私の胸の奥に残っている。世界を照らす灯だと信じた彼の言葉とともに。

ウクライナ多摩江ノ島相模湾箱根

地名を列挙しただけのようであるが、そこにはひとりの若者の軌跡が、まるで風土歴史に導かれるようにして刻まれている。

生田は、小田急線新宿国会議事堂といった政治経済の中枢に三十分もあれば届く近さにありながら、背後には江ノ島の白砂、さら箱根の峻嶺をひかえる

この「都会と牧歌結節点」ともいえる地で、彼は夢想したのである――己が「ロシアを倒し世界を救う電光超人グリッドマン」に変じる姿を。

多摩は古来、武士団発祥地でもあった。

坂東武者がここから都をにらみ、時に反抗し、時に吸収されながら歴史をつくっていった。

その風土が彼にとっての原風景となったのは、偶然ではあるまい。

彼は、東京の光の海を遠望しながら、そこに「なろう小説」の主人公栄光――極上の美少女たちに慕われ、社会を見返す人生逆転の物語――を幻視した。

同時に背後には、古き自然神秘を湛える箱根の山がそびえている。

権力牧歌文明自然未来過去。その境目に立たされるのは、若者の魂をして、しばしば極端な夢想へと駆り立てるものである

だが、夢想の果てに彼が選んだのは、ウクライナという「現代史のただなか」であった。

そこで彼は、自衛隊で鍛えた技能も、地下格闘技ジムで培った肉体も、また国内戦闘スクールで学んだ秘術も発揮できぬまま、砲弾の一撃に倒れた。

近代軍隊というものは、個の技を圧倒する巨大なシステムである

その前に人間は、藁束が風に刈りとられるように消えていく。

彼は「槍の勇者のやり直し」を夢み、「盾の勇者の成り上がり」を志し、グリッドマンとして悪のロシアを討つと信じた。

しか現実は、近代国家という冷たい怪物であった。

彼が嫌った官僚主義のものの鉄鎖の網にかかり、物語主人公ではなく、歴史の一頁にすら記されぬ無名兵として死んだのである

人はしばしば「なぜ彼はそこまで零落したのか」と問う。

だが問う者自身もまた、会社という装置にすり減らされ、生活に押し潰されているではないか

墜ちていく彼を笑うことは、結局は自らを嘲うことに等しい。

彼は、大人になることを拒んだ。

夢や野心を手放し、現実に折り合いをつけることを「成熟」と呼ぶならば、彼は永遠に子どものままでいたいと望んだのである

だが時は残酷で、人を少年の心のまま中年にしてしまう。

その矛盾の痛みが、彼を戦場へと駆り立てた。

私は友人として思う。

彼は夢に殉じて死んだのではない。

彼は、時代のもの矛盾を背負わされ、その果てに命を燃やし尽くしたのだ。

そう信じるほかに、友として彼を悼む言葉を持たない。

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