2025-09-15

お餅が食べる

私がお餅を食べたくなると秋の到来を意味する。

スーパーで丸餅を買う。あんこきな粉も用意せず、ただ焼いただけの素餅を口に入れると、遠い昔の小学校運動会記憶勝手脳内スクリーンに映し出される。あの青空、半袖、砂埃、体操着、母の作ってくれた味気ないおにぎり……そしてなぜか餅。

最近はカビが生えないパック入りの餅も多いけど、昔ながらの固まった鏡餅ガリガリ割る作業が好きだった。無駄に力をこめた金槌の打撃で餅が真っ二つになるとき、なぜか秋ではなく冬も一緒に砕いている気分になったものだ。餅を食べたくなるたびに、歳月の通過を骨で感じる。当たり前に見えて、当たり前じゃない季節の移ろいだ。

小腹が空いて深夜に餅を焼いた夜、「秋だな」と思いながら窓辺に立つと、残暑が抜けきらない熱気がまだ微かに部屋を満たしている。虫の音も消え、風の匂いも消え、ただ遠くで街灯がぼんやりと瞬いているだけ。口の中で餅がじんわり広がるその瞬間、窓の外にふと違和感が――羽虫でも飛んだかと思ったら、ものすごい光が空一面に広がった。

ソファに座ろうとした体がふわりと浮き上がって、そのまま床と体がひき離されていく。餅は口の中からまだ消えてない。あれこれ考えるよりも先に、視界が銀色の光で埋めつくされた。

このまま餅と一緒に、どこかものすごく遠い場所まで連れていかれそうだ。残暑の残る秋の夜、最後に感じたのは、焦げた餅の香りと――部屋の天井が遠ざかっていく奇妙な浮遊感だった。

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