2025-11-01

自分バラでも買えば?みたいな

季節の変わり目に追いつけない体を抱えて、ベッドにうずくまった。

着重ねする必要がなくなったがゆえに、肌にかかっている布の軽さが物足りない。

「寝る前に換気して、空気を循環させた方がいい」という助言を律儀にまもり、手首のスナップをきかせて、窓を開け放つ。

カーテン呼応するように揺蕩い、爽やかな風が一気に部屋を満たす。

雲一つない藍色の空から、星ごと流し込まれたような心地よさ。額を撫でる風に目を細め、深く息を吸う。

外国人交流できるアプリを開く。

溜まっている「How are you doing?」に返す気が湧かないので、設定からアカウント削除」を選択し、すぐさまアカウントを作り直した。

ネイティブ言語日本 学びたい言語英語 

英語レベルは5段階。少し悩んで、3にする。レベルの横に、ドットが3つついたのを確認し、さっそく投稿を作る。

こんにちは、アキです。喋りたいかアカウント作成しました。チャット電話しましょう。」

なんどもアカウントを作り直してもなお、「アキ」を選びたくなるのはなんでだろう。呼びやすいからか、季節の秋が好きだからか、発音したときの響きが好ましいからか。

改名できるなら「あきらちゃん」になりたいな、と思ったことが何度かあるし、ニックネームアキちゃんと呼ばれたい。

本名はマ行とナ行で、どこか沼っぽく湿気ている。あきら、と声にしたときの、葉っぱをちぎったような爽快さに対するあこがれかもしれない。

投稿ボタンを押すと、少しの間もなく一つ目のいいねがつき、個人メッセージに「手を振る絵文字」が届く。

テンプレートの「調子どう?」「いい感じ」を数人相手に、三往復。

個人的に、チャットに含有される温度の低さが気に食わない。

だが、その日は、単調で使い古されたテンプレートを、目をこすりながら指で辿ることを選んだ。

4人を相手に、ほぼ同じ会話のキャッチボールをした。少しも色が変わらない自身の心を見やり、チャットルームを抜けたところで、「電話?」の無機質な文字列が目に入った。

電話しませんか、の8文字すら省略する、スナック菓子のような軽い姿勢に惹かれ、ポテチをつまむように「通話ボタン」を押す。

耳に届いたのは、岩が転がり落ちて割れたような、気だるげに崩した "Yo, what's up"だった。

20代大学生男子で、発音聞き取りやすいなと思ったら、ニュージーランド出身だった。時差が3時間程度あり、「オーストラリア日本の時差は1時間なのに」というと、「オーストラリアニュージーランドを一緒にしないで」と怒られた。

「それでさ、フィジックスがなにか説明できんの?みたいな」

だれた喋り方が、眠たい自分絶妙マッチしていて楽だった。

フィジックスがなんなのかすら知らない、というと「あー、ぶつりがく」と返してきたので、目を丸くした。

物理学って日本語知ってるの?」

「まあ、わかる」

日本語上手いね。どうやって学んだの」

「まあ…このアプリ始める前はなんもしゃべれなかったけど、なまけずに電話とかしたら上達した。で、物理学説明できる?」

やっぱり物理学説明できないといけないらしい。

息を吸い、悪いけど日常会話くらいしかできないんだ、と返した。

海外に住んでたのは小学生の時くらいで、と付け加える。

「へえ。どこ住んでたの」

オーストラリア

電話口の声のトーンがあがる。転がり落ちた岩から、水切りで投げ、水面で跳ねる石みたいだ。

「うわあ、だと思った。オーストラリアの人って女でも男みたいな喋り方するんだけど、そんな感じがした」

そして、なるほどね、と言い添える。

小学生のころだったら、本格的に専門の勉強とかはしてない感じか。了解した」

どうやら、物理学がなんなのか聞いてきたのは、英語レベルを測るためらしかった。言葉にトゲが少しもないから警戒はしていなかったが、特殊なモノサシのようにも思えた。

「で、なんでチャット電話募集してたわけ?」

「なんか寂しいなと思って」

「寂しい?」

孤独を感じたから。やっぱ今のなし、なんか恥ずかしくなってきた」

英語を学びたいから、と無難に流せるところだったが、口をついて出たのは「ロンリー」という単語だった。

言ってみてから自分状態自覚する。そして、少々オープンすぎたかと思い、早口になる。

彼は特段からかう様子もなく、「なんか悲しいことでもあったの」と聞いてきた。

「いや、悲しくはないんだけど。今こうやって話せてるから楽しいし。」

暗い空気を感じ取られたくなくて、会話を移そうとしたが、彼は話題の切り替えに乗ってこない。

「なにかあった?」

首をひねり、天井を見上げる。少し息をついた。

間をおいてまで考えたが、別に何もないのだった。

「本当になにもないんだ。ただ、人って社会の生き物だから。私は一人で行動するのが好きだし、店とかもひとりで行くけど、たまに人と喋りたくなる。それは、ヒトっていう動物社会の生き物だからだと思う」

「それはそう」

納得したらしい。英語でそこそこ言語化できた自分を、内心褒めつつ、落ち着かなくて言い添えた。

「君をカウンセラーみたいに扱いたいわけじゃないんだよ。だから気にかけてくれなくていいよ」

「なんでそう思ったの」

「どうして悲しいのか聞いてきたのが、こう、心配してくれているように感じて。暗い空気を感じ取ってたら悪いなと。人は人のことをカウンセラー扱いしちゃいけないと思うから。人はあるがままで良いわけだし」

「そんな気にしなくていいのに。別に、ヒトのことをカウンセラー扱いしてもいいんだよ。みんな、誰かをカウンセリングする義務がないことくらいわかってる。強制させてるわけじゃなく、そうしたいからそうするだけで、みたいな」

自分よりも2歳は年下で、語尾の「みたいな」に若者らしさが滲んでいるのが気になるが、それでも海外大学生はずいぶんまともだなと思った。自分よりも、ヒトとの距離感境界線の引き方に長けている気がした。

それにしても、知らない考え方だった。

人のことを便利に都合よく使っちゃいけない、というのが今の自分の考えだ。愚痴を聞かされると、「ゴミ箱にされた」と感じる。人はあるがままで良いわけだから相手になにかケアを求めるのは望ましくないと思う。

だけど彼は、「ヒトは在り方を選択している」わけだから、好きにふるまえばいい、というスタンスだ。

主観的見方しかしない自分と違い、それを受け取り、応答する側である彼の目線から、「自分だってこうしたいからこうする」と、立場を選んでいることを明示され、目からうろこだった。

なるほど。愚痴を聞かされ、人を励ますとき、私はいつも、都合よく使いやがってと腹を立てたりしたが、私はそのケア役割を「選んで」担っているわけか。

「その孤独感って、犬や猫、恋人で埋まらないの?」

彼のカウンセリングが続く。猫はいるよ、と答えてから、少々言葉に詰まる。

「あれ、猫じゃ埋まらない?」

埋まってる埋まってる、飼い猫のこと愛してるし、と返す。

話は自然と彼の恋バナに移っていった。

「今度日本に行くとき日本人の好きな子に会いに行くんだよね。性格が好きで」

「なんかロマンチックだね」

「どこが。ただ会いに行くだけだよ」

拒絶されたらショックだなあ、とぼやいている。きっとうまくいくよ、と励ました。ニュージーランド留学に来ていた女子らしい。

「それで、君は好きな人いないの」

「いないよ。必要かな」

必要ではないけど、恋愛楽しいよ」

「確かに楽しいね。でも、恋愛プロセスあんまりきじゃない。考えてしゃべったりしないといけないし」

「それは、今まで良い関係を築いてこれなかっただけでは?」

どうやら2個目のアドバイスをもらってしまったらしい。確かにその通りなんだけどさ。でも本当に言いたかったのは、恋愛プロセスの中、もしくは先に、自分の体を当然のように要求されることの不健康さだった。まあでも言わないことにした。

その後も、気だるげだがポップコーンポコポコ跳ねるように、軽いフットワークでいくつか話題をまたがり、「もう寝るわ」の声で通話の幕は閉じた。

切り際、「自分バラでも買えばいい」と言われたから、「買う買う」と返す。

「買ったら写真送って」というので、「それは約束できない」と目を逸らすと、「それじゃあ意味ないじゃん」とごねられる。

子どもは寝な、と言うと少し怒ってきたのがちょっと愛らしかった。

次の日、バラドット絵を書き、彼に送っておいた。買ったよ、バラ

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