相手が何らかの見返りを求めている人間関係ってマーケット(市場)的にみると、自分自身や自分自身の一部を購入できる商品として見られてるってことなのかなと、ふと思った。
いや、正確にいえば人間が商品として扱われている以前からわかっていた。
昔、知人女性が「月50万円払う。君を飼わせてほしい」と見知らぬ男性から言われたと頬杖をつきながら語っていたことを思い出す。女性性は(特に18歳から24歳まで)容姿そのものに価値があって、それは(たとえば水商売みたいに)マーケット内にあり取引可能なんだ。そう思った。
翻って、俺はどうなんだ。
つい最近、自分が趣味も兼ねて集めてきた専門的な知識や情報を、善意で、とある人に渡した。理由はない。ただ相手のためになればいいと思った。
相手は喜んで話を聞いてくれた。おそらく元から私の専門知識が欲しかったのだろうと、出会って少し経ってからわかった。彼はたまに気を使って俺の仕事の愚痴などを聞いてくれた。
そういえば、いただき女子のマニュアルとやらにギバーおぢからはたくさんいただけると書いてあったらしいね。
マーケット(市場)的に見れば「資源をどれだけ安く、効率的に入手できるか」は重要だよな。同じように、他人と信頼関係を構築する技術も自分が得するためには必要だ。他人から効率よくギブしてもらえるからね。
俺が他人を信頼したいと思う気持ちは、いただき女子から搾取されたオッサン連中が抱いていた恋心と同じなんだろうかなあ。
人間は金の成る木で、商品で、どうやって安く買えるかが重要なのかなあ。まるで労働者と資本家の関係みたいに。
俺はただ、かわいそうだとかこの人の成長につながればいいとか、あるいはこの人が喜んでくれたらいいなと、そういう気持ちで他人を助けようとしてきた。我々の所属する共同体がよりよく、豊かになればいいと願って。それって市場原理主義者や個人主義者からすればきっと自己資源の無駄遣いで、自分にとって損でしかないからやる価値がないんだろうね。
相手の道徳観や倫理観をハックして自己利益を最大化する。詐欺師や頂き女子などにみられるサイコパスじみた世界観が一般の人間関係にさえ適用されるようになりつつある。