はてなキーワード: 乳袋とは
エロはカレー粉の様なもの。ほんの僅かでも分量加減を誤れば料理全体の味覚のバランスを崩して「全部カレー味じゃん」ってなる。
ぶるんぶるん常に揺れてる乳袋が画面内にあるだけで、そこに目が吸い寄せられるだろ?
もう、そうなるとストーリーや主題(他の調味料や素材の風味)が僅かな筈のエロ(カレー味)に侵食される。
いや好きだよ?カレー。
でも今はホクホクした芋の甘さを感じて欲しいから、カレー粉を抜いてみたわ。
って言ってる人間に、カレーの美味さがわからんのか!カレーを貶めるのは許さん!カレーを世界から抹消しようとしてるな!カレーは俺が守る!貴様が!泣いて謝るまで!カレーを!口に!捩じ込んでやる!
話聞いてる?って呆れるんだよ。
原作者の味付けが絶対正しい、それ以外の味など認めないって思い込むのは、作品の可能性を狭めてしまって勿体無いよ。ましてや、原作者はアニメを絶賛してるって何度も言及されているでしょうが。
正直ずっと思ってるんだよね。そりゃ漫画やアニメに出てくるような極端な「胸だけ綺麗に分かれて服に収まってる」状態はデフォルメされすぎだろってのはわかる。
でも現実にも、伸縮性のある布や水着、あるいは体にぴったりした服を着れば、胸の形がくっきり出て布の上に“袋”みたいに浮き上がることは普通にあるんだよ。
実際にスポーツウェアとかフィットしたワンピースとか見たことある人ならわかるはずだし、なんなら街中でも目に入る機会がある。
なのに「乳袋なんて存在しない!これは完全に架空の産物!」って必死に否定する人が一定数いるのがほんと不思議。
なんか自分の見てきた現実が全てだと思い込んでるのか、あるいは「オタク的表現を現実に持ち込むな!」っていう反射的なアレルギー反応なのかもしれない。
でも冷静に考えたら「乳袋的な状態はある」ってだけの話で、別にフィクションを正当化するための言い訳でも何でもない。
むしろ、デフォルメや強調を楽しむために現実にある現象を拡張して描いてる、ってだけのこと。
R18のゾーニングは男性向けでは既に行われていて、それ以上を求められているのが現状なので、「BLにもそれ以上を求められるか?」が本番だから
④性を強調していると解釈され得る描写(頬を赤らめる、性的なメタファー等)
上記のうち男性向けでゾーニングされているのは①(②も一部はある?)で、
③、④も求められる事があるor求める人がいる状態(所謂ゾーニング論者がゾーニングを求めているのは③、④の認識)
そして①(②も?)のゾーニングが求められているor求める人がいる、という状態
仮にBLで①がゾーニングされ、男性向け並みになったとして、その後問題になるのは
「男性向けには③、④のゾーニングを求める人がいるが、それならBLにも③、④のゾーニングを求めるべきではないか?」という事で、ある意味ではここが本番
「BLはエロだけじゃない」と言う腐女子の方も居るし、それが正しいのもわかるけど、
問題は「エロじゃないBL」でも③、④に該当する場合はゾーニングの対象になり得る、という事
性交も性器描写もなくても、ただ顔を赤らめていたり、性的な強調(と解釈可能な描写)が入っていれば、将来的にゾーニングの対象になり得る、それをどう思うか?というのが
男性向けと同様に考えた場合の「いまの議論」であって、①をゾーニングするというのはその手前の手前、前提の話に過ぎない、というのは分かって欲しい
その上で自分の意見を言うと、男性向け、BLともに①のゾーニング、せめて②までが適切で、③、④のゾーニングは必要ないんじゃないの?というのが自分の意見
「BLもゾーニングすべき」という人は腐女子当事者の方にも居るとは思うけど、③、④のラインまでゾーニングすべき、と思っている人はそこまで多くは無いんじゃないか?と個人的には思っているけど、実際どうなんだろうか?
注目されていた増田を読んで、まずまとめ方が雑じゃね?と思ったのだった。
子どもたちと性について話してると、「いかに性欲を出さないか」「抑えるか」「モラル」「嫉妬の気持ちをコントロールする」のような鬱々とした方向になっていく。
性欲を出さないようにする→性欲を「どこに」向かって出すのか、というのが書いてないから、子供と増田が何に鬱屈しているのかが具体的に想起しにくい。
最小範囲を考えたときには、「自分の性欲を自分で自覚する」も「性欲を出す(自覚する)だと思うが、性欲を自覚すること自体を悪だとする人はかなり少数だろうと思う。
一方で、最大範囲を考えたときに「性欲をいつでもどこでも発露してオッケー」とする者も、同じように少数だろう。
中ぐらいのレンジを考えてみよう。これもまたもう少し整理が必要だと思うので思考の整理棚を用意する。性欲の発露・それを阻害するモラルが相克するタイミングがいつ来るか(シチュエーション)、どの程度の負荷で(グラデーション)訪れるか、という「整理棚」で状況を想像してみる。
例えば友達とエロ話をするというシチュエーション。教室(職場等も可)で大声で、またはひそひそと。またはニヤニヤとエロ話をする。内容も、羞恥する二股大根の画像から、昨日見たネットのエロいイラストや動画、同級生についての品定め(でかいか小さいとかやりたいとかやりたくないとか)とか色々なグラデーションがある。
また例えば恋愛や、彼女・彼氏の関係というシチュエーションもある。楽しくセックスする~むりやりやろうとする。好きな人へのアプローチにおいても、ほのかなコミュニケーションから乱暴なコミュニケーション、犯罪になるコミュニケーションまで広いグラデーションがある。
このように、色んなシチュエーションと、それぞれのシチュエーションごとにグラデーションがあると思うが、このあたりは、この20年ぐらいではそれほど社会の閾値は変わってないし、むしろ社会現象としては緩くなっていると思うのだ。
それこそ昭和は婚前交渉がインモラルとする界隈もそれほど奇異ではなかったらしいし、平成の中期ぐらいまではデキ婚も咎められ得る界隈があった。一度穿いたパンツを売ったり、売春をする素人も当たり前にいる現代の方がずっと開放的。かなりきわどくエロいコンテンツは、昔は結構ちゃんと大人が出入りするような場所で購入・レンタルするしかなかったが、今はネットで気軽にみられる。昔よりずっと開放的。そしてそういうコンテンツは男性向けが多かったものが女性向けも出ている。十分開放的だと思う。
『出さないか』『モラル』については前述のとおり、そんなに大きく変化していないと思うので、むしろ「そりゃあるさ、だからコントロールしようぜお互い」と定義できる方が鬱々する余地は減ると思うのだ。
一方で、そのコントロールのしかたについてが難しい。そして、確かにそのコントロールに関する情報の伝達ルートや情報の質が異なってきているような気はするのだ。
『抑えるか』についての適切な情報(自慰をする、猥談するなら適切な場で適切な人と、など)を子供が得られていないとしたら、割と問題だなと思う。
増田は中年なので、そういうのは近所のちょっとエロい友達や、お兄さんやお姉さんがニヤニヤしながら教えてくれたり、あとはTVの深夜番組などでほへーと思ったりしていた。確かにこのチャネルは現在は少なくなっていそうだ。トゥナイトⅡとかギルガメッシュナイトがあればいいんだろうか。タモリ倶楽部の尻タイトルも今やない。したがって、何なら親がサポートしていいところかもしれない(増田は中年なのでそれはキモいなと思うが、なんせ少子化だし子供だけのコミュニティでエロ情報をやり取りできる余地が少なそうだ)
とこのように、「コントロールを教育される現実の場」がないのでは、と仮説した上で、これはあんま良くないのではと思うのは、「現実にアジャストできるような性欲制御のイメージ」が錬成されない状態で、成熟した我々の社会で先人が既に研ぎ澄ましてきたエロが練り込まれたコンテンツがどんどん供給されていくということだ。
アニメや漫画やイラストで、それぞれ細分化された性癖に寄せカリカチュアやデフォルメされたエロが消費できる。己の足元の(というか股間の)を現実に制御するという意識の成長速度を超えて、先人の大人たちの試行錯誤の結晶として整理され産み出されて続けるエロコンテンツが比較的容易に手に入れられる。そこに現実との矛盾が生じ鬱屈が生まれるんでは。
でもまぁ、こんなのはAVが簡単にレンタルできる時代になった昭和後期以降にも、さんざん言われていたことではあるのだ。「AVのセックスは現実とは違う。若者がだめになる」「そんな恋愛ドラマみたいな人生普通ねえよ」みたいな文脈。これは酷くアホらしい封殺だと思う。
なので、ここでは「若者がだめになる」原因として、コンテンツの中身や仕組みではなく構造だという視点を加えてみたい。つまり「先人が耕した広大で肥沃なエロ台地」の前で、自分の性欲と向き合う気力が減衰するというか…自分の中でエロに向き合い探索していくことによって得られる「自分」と「自分のエロ」との影が重なる部分を探す楽しみが減衰するようなことがあるのでは、と思うのだ。乳袋の描き方の種類を画像検索して並べて見て分析できるようになってしまった現在の、そういう先人オタクの探索心が仇になるというケースというか…すでに誰かが整理された「欲」を目の前にして現実感がなくなるという感情はたまに思う時がある。
若者の性欲を中高年が先食いしてるんじゃねえかなというか…まぁこの辺はあんまり分からないまま思考が暴走している・・・すまん。
なので最後の『嫉妬の気持ちをコントロールする」』の唐突感について述べておこうと思う。
これは性欲文脈で語るべき話ではないと思う。恋愛または交際文脈である。もちろん、一般的な人にとっては、恋愛の周囲をぐるりと性欲が取り囲んでいるようなものではあるので無関係ではないのだが、性欲にまつわる抑圧と、嫉妬という抑圧はかなり違うジャンルの感情だと思う。
知らない間に
・露出が多いほどエロい(=布面積少ないほど、裸に近いほどエロい)
みたいな前提が共有されているような気がしてすごい違和感があった
・着衣ほどエロい。身体のライン出てる服は特にエロいけど別にそうでなくても少しはエロい。服脱ぐとつまらなくなる。水着も苦手。多分身体の曲線自体が好き。
・特定の服が好きとかはない。制服も好きだしおしゃれな私服もすきでシコるときに思い出してる。
・いわゆる健全絵、美麗イラストのほか、脳内の妄想で抜くことが多い。R18イラストとかアダルトコンテンツだと萎える。綺麗な服着てた道行く女性思い出したりとか、一般小説で女の子とデートに行ったりするシーンで抜く。
・妄想の中でも服を脱がせたりはしない萎えるので。背中に女の子の胸が当たっているとか、抱きしめて胸が当たっているとか女の子と手を繋いでいるとかそういう妄想で抜くことが多い。胸が好き説はある。でも露出されてると嫌。
まあAVで服脱いでる時点で?とはなっていたが(それ以降AVは解釈違いすぎて見なくなった)
露出があるほどエロいって考える人は歩いたり車乗ったり電車乗ったりする時にムラムラしたりしなさそうで羨ましい
こういう話って普段できなくて価値観共有する場とかないので、25年生きてて急に自分が異常かもって考えるようになった
どうなんだろ
急に3日くらいまえから、道行く女性だったり、明らかにそれ用ではない健全絵や小説をオカズにして抜くのはヤバいのではないかと思って自己嫌悪がすごいので書いた
乳袋は、巨乳の人が着衣すると乳の位置で布が下まで垂れるから太って見えるのを解消するための技法なんだよ