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2025-11-14

盗賊百話

アリババです。一ヶ月ほどインターン勤務を離れて充電してきたところ。

遣唐使から帰って俺は

乃木坂(村を荒らしてきた46人の盗賊団)の首領Fidoに狙いを定めた。奴は俺の遣唐使生活を掻き乱した悪人だが、急がば回れ、ここで恩を売ってアピールしておくのだ。実はFidoは、村では変装して、零細の飛脚屋を営業している。白髪混じりの髭をツルツルに剃って、黒髪の鬘を被り、村では、寄付をしないケチ実業家として知られている。労働基準法もびっくりの二重賃金価格を設定して、人の移動から引越しまで、社員をこき使っているのだ。

さて、俺は大陸で禅の修行をしていたある日、「アールワン」と禅師が叫ぶのを聞いた。日本語でいうところの、「喝」と考えてもらっていい。その瞬間、俺は閃いてしまったのだ。これは、Fidoの運送業務の難題を解決する新規経路アルゴリズムの鍵となる可能性を秘めていた。そこで俺は、派遣末期にインディードiPad検索し、そこにしれっと出ていたFido飛脚屋に応募、いや正確には、なにくわぬ顔をしてFidoにコンタクトを取った。Fidoは、「どうしてもやりたい事が見つからなければうちに来てもいい」と言ってきた。勿論俺は、そんなチンケな飛脚屋で飼い殺しにされるつもりはなく、禅の公案を考えていた最中に浮かんだアイデアを試したいだけだ。

ところが生憎、Fidoは初め俺を奴の素晴らしいアイデア証明するための突破口へと突撃させるポーン♟️として利用しようとした。俺は「毒蛇は急がない」というどこかの国の諺を知っていたので、殊勝顔で業務遂行するフリをした。糸口としては面白いが、今俺が身を切る理由はどこにもないので、客観的業務日誌を付けるよう心がけた。

半年と少しが経った

遂に好機がやってきた。ある夏の日、最新の大陸の禅書に、アールワン(とはどこにも書いてなかったが)を売り込む口実を見つけたのだ。衒学的なFidoは、飛脚屋だが最新の禅書を揃えて並べるのを趣味としている。書物配列暗号を仕込んであるらしいのだが、俺の頭では解読できそうもない。

早速俺は、Fidoへの業務報告の機会にPRを始めた。「これは大陸権威ある禅者が著したもので、このように言ってます。これが斯界の新潮流です。しかしながら、文脈Qで、世界アールワンの謎に気づいているのは私だけです。これがうまくいけば、我が社の経路探索問題解決質的な飛躍が起きます。つまり、全ての道はローマに続くことが分かれば、飛脚は走るだけで良いのです」

その時、Fidoの眼が黒く光ったのを俺は見逃さなかった。これで我が社も一息つける、天下りネタに使おう、そのために馬車馬となってもらおう、等々。大陸孫子兵法を学んだ俺は、学究心に溢れた修行僧のように見える目つきをして、このFidoの皮算用を逆に利用することにした。Fidoがこれを読んでヘソを曲げられても困るので、詳細は書かない。

ピッツァの味が懐かしい頃

必ず一年に一度、俺はなぜか無性にピザを食べたくなり、国際ピザシンジケートホームページからピザ屋の広告を眺めた。すると、あら不思議、いつもその直後にFidoの魔の手が俺に迫ってきたため、その度に俺は比叡山延暦寺に身を匿ってもらわないとならなくなった。何度か、「本当に危ない目」に遭った。ちなみに、二度目の時だったかと思うが、事の直前に俺は紅葉を見に寺社に行ったのだが、ブリタニアピザ屋の社員と思われる男が本邦の女性と秋を楽しむ名目で、俺の様子をそれとなく気にかけるのを見た。日本人の心性を探って日本進出への足掛かりとするなど、なかなか忍術兵法に熱心ではないか能天気な俺は、自分がどんな目に遭うのかこれっぽっちも思い至らないので、そんな雑駁な感想になるのだ。

このようなギャップはあったが

俺は着実に、飛脚屋最適経路問題解決すべく新規アルゴリズム開発の歩を進めた。実を言うと、それはすでに出来上がっているのだが、Fidoが本来盗賊稼業に忙しいので、いまだに実装されていない。世界の片隅でこっそり言おう、Fidoの飛脚屋が効率的仕事をする時がもし来るとすれば、それは俺のお陰である東洋島国ローカル飛脚屋の発明インパクトもつとは思わないが、未来運輸業界の歴史家は、もしかしたら寛大にも俺にウインク😉をくれるかもしれない。

時計現在に進める

さて、国際ピザシンジケート及び我が国検非違使がFidoへのラブコールを表明しているのは、周知の通りである。俺のような馬の骨はFidoのようにはモテないので、最新のピザを真っ先に試食できるFidoが羨ましくてたまらない。が、それはいい。

🇮🇱のピザ屋がFidoにピザをどうしても食べてもらいたいと熱心だったので、6月広告を見た後、俺は間に立って青田買いを控える協定合意してもらった。

🇺🇸のピザ屋は、ドンドンパチパチ薪が爆ぜる窯焼きピザ推しているようだ。

🇬🇧のピザ屋は最も狡くピザ販促において謀略を仕組み、また、村の井戸端広告を出している。Fidoがこれまでピザを食べたことがなかったのは、村人(の言論活動)にもかなり責任があると俺は思うので、これから先、村人には文明開化香りを堪能して欲しい。

俺は、Fidoの今後には二つのシナリオがあると思っている。二つ目は一つ目が起きない時で、あと20年、Fidoは俗界で過ごすだろう。一つ目は、あと5年俗界、その後5年ワンルームカーテンコール)。タイムスリップキーとなるのは🇮🇱のピザ屋の動きだ。なぜなら、一番美味い😋との噂だからだ。

しかし俺は愛国者なので、検非違使が国際ピザ販売業務の統括か、自国ピザ販売をして欲しいと思う。

話はまだまだ続く

2025-03-07

ユダヤ教と禅の共通点とは?

ユダヤ教と禅(禅仏教)は一見すると異なる宗教伝統ですが、意外な共通点も多くあります

どちらも深い精神性を持ち、内面の探求を重視する点で共鳴する部分がありますね。いくつかの共通点を挙げてみましょう。

1. 沈黙瞑想(התבוננות / Hitbonenut)

禅といえば座禅瞑想)が中心ですが、ユダヤ教にもהתבוננות (Hitbonenut, 内省)やהתבודדות (Hitbodedut, 孤独祈り)の実践があります

例えば、ハシディズム(חסידות)では、自然の中で一人になって神と語る習慣があり、これは禅の「只管打坐(しかんたざ)」に似た側面があります

どちらも「今この瞬間」に意識を向けることが大切です。

2. 矛盾を受け入れる(パラドックス理解

禅では「公案(こうあん)」という、論理的には答えが出せない問いを使って悟りを得ようとします(例:「一つ手で打つ音とは何か?」)。

ユダヤ教でもタルムードには、相反する意見が並べられることが多く、「両方とも正しいかもしれない」とする考え方があります

有名な例では、ヒレル派とシャマイ派の議論があり、「これはこれで正しく、あれもまた正しい」という精神根付いています

3. 日常行為を聖なるものにする

ユダヤ教では、「神との関係シナゴーグ(בית כנסת)だけではなく、日常生活の中にある」と考えます

食事をする前にブラッハー(ברכה, 祝福の言葉)を唱えたり、仕事や家庭生活を通じて神聖さを見出すことが大切とされます

これは禅の「作務(さむ)」の考え方と似ており、掃除料理といった日常の行動そのもの修行とする点と共鳴します。

4. シンプルさの美学ミニマリズム

禅では「無駄を削ぎ落とし、シンプル生活をする」ことが美徳とされます

ユダヤ教でも、物質主義にとらわれず、質素生活を尊ぶ伝統があります

例えば、ハシディズムの教えの中には「少ないもので満足し、それに感謝する」ことを強調するものが多く、禅の「足るを知る」という思想と通じるものがあります

5. 直接的な経験の重視

禅では、「言葉理論ではなく、実際に体験することが大切」とされます

これは、ユダヤ教の「行動を通じて学ぶ」という考え方と一致します。

例えば、シャバット(שבת, 安息日)を守ることは単なる教義ではなく、実際に体験することでその意味が深まるのです。

2023-01-12

公案問いてみよう

Q.父母未生以前の本来の面目とは何か?

詳しくいうと、両親が生まれる前のお前は何だ?という質問

自分はこれを聞かれて5秒で分かった

みんなは分かるかな?

2019-06-09

anond:20190608152440

三島由紀夫金閣寺』に住職南泉斬猫公案を話すくだりがあるが、ルビが「なんせんざんみょう」となっており、それ以来猫の音読みは「みょう」と思っていた。

https://blogs.yahoo.co.jp/fartooantares/19307747.html

2018-08-25

AI公案

昨今のAIの著しい発展を考えると、数年以内に禅の公案に回答するAIが出現してもなんの不思議もない。

ひとたび公案AIが出現すれば、たちまち精度を挙げて、過去いかなる禅師よりも優れた回答をするようになるだろう。

このようなAIが出現した時、そのAI仏性はあるか?

2017-12-09

6さいの公案

サンタ「欲しいものはあるか」

6さい「授業だから仕方ない。答えてやろう」

サンタ「おまえさんは悪い子か」

6さい「あなた悪者リストは空だ」

サンタ「おまえさんは良い子か」

6さい「あなたの善人リストは空だ」

サンタ「欲しいものはあるのかないのか」

6さい「あなた人生は空だ。人の苦に無知な愛すべきサンタよ、あなたに私の名を語ることはない」

anond:20171207120706

高校の時に教頭臨時自習の授業を受け持ち

最後10分ぐらいで談話をやりだした。

公案隻手の音声についてだ

まず公案についての説明など無く

なにかもにょもにょとわけの分からないことを

ほざきながら最後に無心になることだなどと

のたもうて特に落ちもなくその話は終わった。

自分は爺さんに公案がどのようなものか話を詳しく聞かされていたのでこのおっさんはほんとうにどうかしてる、金輪際全ての話は無視すべきだと誓ったものだ。

そのようなおっさんでも当時年収600万ぐらいもらいながら老後も悠々自適暮らしていたはずなので

あれは教職を目指せば楽して生きられるという彼の無意識の教示だったのだと年末進行で疲労困ぱいした頭で今それを思う。

 
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