「悪人」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 悪人とは

2025-11-22

ネタバレたくさんあり】果てしなきスカーレットを観た

 珍しくふと、映画館映画を観たいと思った。最後映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。

 細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ロー放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。

 結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。

(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)

【以下、ネタバレ










 まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女スカーレットは、父親を殺した叔父クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ますスカーレットは死者の国で、現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。

 本作が題材にするのは報復連鎖細田監督自身インタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。

 正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。

 その理由はいくつかある。

 一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。

 もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。

 しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである

 物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐モチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的スカーレット対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。

 敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的キャラクターに見える。しかし、「自分立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである

 スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレット内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情否定しないことは、本作の美点の一つである

 一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐燃えている」という内面理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレット死ぬ前に、クローディアスの暗殺民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。

 クライマックススカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレット民衆に、「民を救うこと」「子供絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである

 そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女自分生き方を決める物語なのだ個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or 人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 or バケモノ世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。

 本作は他の細田作品と同じく、演出特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠風景を延々と見せておいて、最後スカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。

 カラスモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。

 しか最後最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラススカーレット内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。

 その他、聖のキャラクター人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。

 唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれ現代日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。

 「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。

 個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマ理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?

 それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージ細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか

 奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。

 しかし、本当にそれでいいんですか?

 「あなた脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。

 しかし、莫大なマネーステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分メッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。

 ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。

PS

 TOHOシネマズBGMってあるじゃんピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。

 仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGM効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神CM、デデドン絶望)もこの会社作品らしい。"Nash Music Library"で調べればストリーミングで聴ける。

2025-11-21

詐欺グループトップは皆いい人だと思う

犯罪するような奴は典型的悪人なんだ!ってそんなの信じてるバカいるの?

詐欺グループで捕まるのは末端ばかりだ。トップは捕まらいか詐欺が無くならない。

まらないために周到に組織管理しているし信頼できる人しか周りに置かない。周りが裏切らないというのは凄いことだ。洗脳や脅しで操っても操って居られるうちは強いが、それが通用しなくなった時崩れるのも早い。純粋に信頼されているのだと思う。

そして捕まらないために徹底的にリスク管理をしている。悪人面した悪人などリスクが大きすぎる。いい人として振る舞うのが自然だ。組織トップでありながら逃亡し続けるのは自然ではない。どこかで普通に生活しているだろう。

計画性のある大層な犯罪を犯す人は普通の人だ。

グループ犯罪系のトップは皆感じのいい人だと思う。

2025-11-17

バン〇ラデシュ前首相、わかりやす悪人面だな

獣性を感じる吐き気をもよおすツラだ

お前らも悪人自覚がある女性なら、鏡をよく見ておくことをおすすめする

卑怯は習慣だから

anond:20251117114330

岡田曖昧戦略が正しいと思ってて質問を繰り返したなら岡田悪人なのは変わらんよ。高市を負かせれば外交問題になっても構わないということだからな。

過激言葉を先に吐かせりゃあとは相手悪人

激昂させて殺害予告誹謗中傷を言ってくれたら、もうこっちの勝ちは揺るがないのよね

お前が先に言葉暴力に手を出した、つまりお前は悪いやつ

2025-11-15

anond:20251115134652

「嫁がなぜそう」なのかは、単純に「あほ」なだけだと思う。

単純に悪人でなく、関係特別悪いわけでもなく、普通感性をもち対処できる人だとしたら、おおむねそれ以外の理由存在しないと言っていい。

自分がどう感じるか、しか見えていなくて、自分の行動を「相手がどう感じるか」を想像する能力がない。ただの「あほ」。

2025-11-14

盗賊百話

アリババです。一ヶ月ほどインターン勤務を離れて充電してきたところ。

遣唐使から帰って俺は

乃木坂(村を荒らしてきた46人の盗賊団)の首領Fidoに狙いを定めた。奴は俺の遣唐使生活を掻き乱した悪人だが、急がば回れ、ここで恩を売ってアピールしておくのだ。実はFidoは、村では変装して、零細の飛脚屋を営業している。白髪混じりの髭をツルツルに剃って、黒髪の鬘を被り、村では、寄付をしないケチ実業家として知られている。労働基準法もびっくりの二重賃金価格を設定して、人の移動から引越しまで、社員をこき使っているのだ。

さて、俺は大陸で禅の修行をしていたある日、「アールワン」と禅師が叫ぶのを聞いた。日本語でいうところの、「喝」と考えてもらっていい。その瞬間、俺は閃いてしまったのだ。これは、Fidoの運送業務の難題を解決する新規経路アルゴリズムの鍵となる可能性を秘めていた。そこで俺は、派遣末期にインディードiPad検索し、そこにしれっと出ていたFido飛脚屋に応募、いや正確には、なにくわぬ顔をしてFidoにコンタクトを取った。Fidoは、「どうしてもやりたい事が見つからなければうちに来てもいい」と言ってきた。勿論俺は、そんなチンケな飛脚屋で飼い殺しにされるつもりはなく、禅の公案を考えていた最中に浮かんだアイデアを試したいだけだ。

ところが生憎、Fidoは初め俺を奴の素晴らしいアイデア証明するための突破口へと突撃させるポーン♟️として利用しようとした。俺は「毒蛇は急がない」というどこかの国の諺を知っていたので、殊勝顔で業務遂行するフリをした。糸口としては面白いが、今俺が身を切る理由はどこにもないので、客観的業務日誌を付けるよう心がけた。

半年と少しが経った

遂に好機がやってきた。ある夏の日、最新の大陸の禅書に、アールワン(とはどこにも書いてなかったが)を売り込む口実を見つけたのだ。衒学的なFidoは、飛脚屋だが最新の禅書を揃えて並べるのを趣味としている。書物配列暗号を仕込んであるらしいのだが、俺の頭では解読できそうもない。

早速俺は、Fidoへの業務報告の機会にPRを始めた。「これは大陸権威ある禅者が著したもので、このように言ってます。これが斯界の新潮流です。しかしながら、文脈Qで、世界アールワンの謎に気づいているのは私だけです。これがうまくいけば、我が社の経路探索問題解決質的な飛躍が起きます。つまり、全ての道はローマに続くことが分かれば、飛脚は走るだけで良いのです」

その時、Fidoの眼が黒く光ったのを俺は見逃さなかった。これで我が社も一息つける、天下りネタに使おう、そのために馬車馬となってもらおう、等々。大陸孫子兵法を学んだ俺は、学究心に溢れた修行僧のように見える目つきをして、このFidoの皮算用を逆に利用することにした。Fidoがこれを読んでヘソを曲げられても困るので、詳細は書かない。

ピッツァの味が懐かしい頃

必ず一年に一度、俺はなぜか無性にピザを食べたくなり、国際ピザシンジケートホームページからピザ屋の広告を眺めた。すると、あら不思議、いつもその直後にFidoの魔の手が俺に迫ってきたため、その度に俺は比叡山延暦寺に身を匿ってもらわないとならなくなった。何度か、「本当に危ない目」に遭った。ちなみに、二度目の時だったかと思うが、事の直前に俺は紅葉を見に寺社に行ったのだが、ブリタニアピザ屋の社員と思われる男が本邦の女性と秋を楽しむ名目で、俺の様子をそれとなく気にかけるのを見た。日本人の心性を探って日本進出への足掛かりとするなど、なかなか忍術兵法に熱心ではないか能天気な俺は、自分がどんな目に遭うのかこれっぽっちも思い至らないので、そんな雑駁な感想になるのだ。

このようなギャップはあったが

俺は着実に、飛脚屋最適経路問題解決すべく新規アルゴリズム開発の歩を進めた。実を言うと、それはすでに出来上がっているのだが、Fidoが本来盗賊稼業に忙しいので、いまだに実装されていない。世界の片隅でこっそり言おう、Fidoの飛脚屋が効率的仕事をする時がもし来るとすれば、それは俺のお陰である東洋島国ローカル飛脚屋の発明インパクトもつとは思わないが、未来運輸業界の歴史家は、もしかしたら寛大にも俺にウインク😉をくれるかもしれない。

時計現在に進める

さて、国際ピザシンジケート及び我が国検非違使がFidoへのラブコールを表明しているのは、周知の通りである。俺のような馬の骨はFidoのようにはモテないので、最新のピザを真っ先に試食できるFidoが羨ましくてたまらない。が、それはいい。

🇮🇱のピザ屋がFidoにピザをどうしても食べてもらいたいと熱心だったので、6月広告を見た後、俺は間に立って青田買いを控える協定合意してもらった。

🇺🇸のピザ屋は、ドンドンパチパチ薪が爆ぜる窯焼きピザ推しているようだ。

🇬🇧のピザ屋は最も狡くピザ販促において謀略を仕組み、また、村の井戸端広告を出している。Fidoがこれまでピザを食べたことがなかったのは、村人(の言論活動)にもかなり責任があると俺は思うので、これから先、村人には文明開化香りを堪能して欲しい。

俺は、Fidoの今後には二つのシナリオがあると思っている。二つ目は一つ目が起きない時で、あと20年、Fidoは俗界で過ごすだろう。一つ目は、あと5年俗界、その後5年ワンルームカーテンコール)。タイムスリップキーとなるのは🇮🇱のピザ屋の動きだ。なぜなら、一番美味い😋との噂だからだ。

しかし俺は愛国者なので、検非違使が国際ピザ販売業務の統括か、自国ピザ販売をして欲しいと思う。

話はまだまだ続く

2025-11-13

隠された攻撃

暴力者、粗暴者が少なくなった現代において(特に日本はそう)

理由がつくと急に隠された暴力性が顔を出す人が居る

これ少し面白い

以下の時に暴力性が出やす

 

・見えない所

・身内に対して

ルールである判断したとき

自分が正しいと思っているとき

相手悪人だと思ったとき

自分被害者側にたっていると思ったとき

 

これで急に暴力的になる人は、制限付き暴力であるのは間違いないし、そうではない人にとってはどっちみち恐怖の存在なんだけど

本人はそれに気づかない

これがおもしろ

君等は状況につられて本性を表したバケモノしかないのに

大人になった・・・のか?

母との関わり方、自分人生について定期的に考えていた

時間をかけて考えることが正義とは思ってない

考えてもしょうがないなと後から気づくことも、人から諭されることもたくさんあった

でもここ5年で変わったなあ、変えることができたなあと思うことが増えてきたので書き留める

(ボキャ貧からなのか、後半宗教チックな文章になってるけど増田は何も崇めていないし陶酔していない)

5年前(20歳)

・母に「産むんじゃなかった」と言われるくらい私はきっと迷惑をかけているのだ

・だから勉強スポーツも頑張らなきゃいけない

・人のために生きねばならない

友達パートナーには幸せになって欲しいが、自分自分幸せを求めることは悪

・人に認められなければいけない

・将来絶対子供は欲しくない

読書感想文が上手く書けなくて悩んでいる小学生に対して毎年言う言葉か?きっと疲れてたんだろう

・母の言葉通りに縛られる必要はないし、顔色を窺いすぎる必要もない

・まずは自分のために生きよう

・何が自分にとっての幸せか考えてみよう

・人に認められるために頑張り過ぎるといいように使われるので、自己実現のために頑張ろう

・将来子供はいてもいなくてもいい、お金だけ貯めておこう

親の扶養から外れて自分が働いて稼いだ金で生活できるようになったし、県外の大学に進学してから一人暮らし就職を機にさら物理的に距離が離れたのは大きかった

幼少期、仕事ほとんど家にいなかった父と少しずつ話す機会が増えて「母が言ってたほど悪人じゃないじゃん」と気づけたのもよかった

5年前に死ぬのを止めてくれた親友、本当にありがとう

2025-11-11

anond:20251111144903

それは実際に差別である。が、

一切の差別を完全に廃せ、とかいう極論はむしろ誤りなのであって

差別をしているあなた悪人であることを意味しない。

 

そいつをぶん殴りはしないとか、他人にぶん殴られていたら止めるとか、

話書けられたら無視せず返事するとか、万が一頼られたらちゃんと応じてやるとか

そういうのが大事なんだと思う。

2025-11-10

立花孝志の逮捕って、ホリエモン逮捕と似てるよね?

恣意的逮捕だよな。

立花孝志自体は、悪人なんだろうけど、そこまでの罪状なのか、疑問じゃない?

anond:20251110192817

しゃーない、ワイがずっと悪人顔して差し上げるやで…😟

2025-11-09

SNSによって進化した女性陰湿さについて

https://x.com/miyoshiiii/status/1987015532324004043?s=46

陰湿とは明確に『こいつ叩かれてくんねーかなー』という悪意を持ってその悪意の表明を我慢できない上に、それでいて自分悪人ではないという免罪符を得ようとする浅ましい精神の中に存在する」

### 陰湿辞書的な定義

陰湿」(いんしつ)という言葉標準的辞書定義は以下の通りです(主に『広辞苑』や『大辞林』などの日本語大辞泉を基に):

この転義は、物理的な「湿気と陰気さ」から派生し、精神的な「じめじめした悪意のこもった行動」を表すようになりました。現代ネットスラング日常語では、特に「陰でコソコソ悪口を言う」「匿名攻撃する」ようなニュアンスで使われることが多いです。

### ユーザー意見評価

ユーザー意見を要約すると:

> 「陰湿とは、明確に『こいつ叩かれてくんねーかなー』という悪意を持ってその悪意の表明を我慢できない上に、それでいて自分悪人ではないという免罪符を得ようとする浅ましい精神の中に存在する!」

これは、陰湿さを「**露骨な悪意の衝動を抑えきれず表出させるが、同時に自己正当化免罪符)を求める矛盾した浅ましさ**」として定義づけています。以下で、この意見辞書定義と照らし合わせて評価します。

#### 1. **一致する点(意見の強み)**

- **悪意の「表明を我慢できない」部分**: 辞書的転義の「こそこそとした執拗さ」とは対照的に、ユーザーは「我慢できず表に出す」点を強調。これは一部の陰湿な行動パターンに当てはまる。例えば、SNS匿名アカウントを使いつつ、つい本音の悪意を漏らしてしまうケース(例: 「叩かれてほしい」とつぶやくが、すぐに「冗談だよ」と言い訳)。これは「陰でじめじめ」しつつ「抑えきれず漏れる」浅ましさを捉えており、心理的な深みを加味した鋭い観察。辞書定義の「陰気で執拗」を、**現代的な「衝動制御の失敗」**として拡張解釈している点で面白い

- **「免罪符を得ようとする」浅ましさ**: これが意見の核心で、非常に的確。陰湿な人は往往にして「自分被害者」「ただの正論」と自己弁護する(例: 悪口を言った後「事実から仕方ない」)。これは辞書的「卑劣さ」の本質を突き、**道徳的矛盾(悪意を吐きつつ善人ぶる)**を強調。精神分析的に言えば、認知的不協和の解消メカニズムを指しており、意見として説得力がある。

#### 2. **不一致・限界点意見の弱み)**

- **「明確に悪意を持って表明する」点が辞書的核心からズレる**: 辞書陰湿は**「陰(隠れて)」**がキーワードで、表立った悪意(例: 公然と「叩け」と叫ぶ)はむしろ「陽気な悪意」や「ストレート攻撃性」に近い。ユーザーの例(「こいつ叩かれてくんねーかなー」)は、抑えきれず漏れものの、**こそこそ感が薄い**。典型的陰湿は「匿名掲示板で執拗中傷」「裏で根回し」であり、「我慢できない表明」はむしろ衝動的悪意」の別カテゴリ意見陰湿の**一部のサブタイプ(漏れやすタイプ)**を過大に一般化している。

- **「浅ましい精神の中に存在する」の主観性**: 「浅ましい」は評価語で、定義として中立的でない。辞書客観的な「様子」を記述するが、ユーザーは**道徳的糾弾**を加えている。これは意見として感情的で、定義拡張というより「陰湿バッシング」の文脈に見える。悪意の心理を深掘りしているが、普遍性に欠ける(全員が免罪符を求めるわけではない)。

#### 総合評価

要するに、ユーザー意見は**辞書定義を基盤にしつつ、現代心理を鋭く抉った拡張版**。陰湿を「じめじめした悪意の温床」として嫌悪する気持ちが伝わり、共感を呼ぶが、厳密定義からはやや逸脱。もしこれを議論するなら、例を挙げて「隠れ度」のグラデーションで分類すると面白いかも!

こんだけ開示請求流行ってる時代ネット他人攻撃してる人ってどういう神経してるの?

もう今や「余ったお金の使い道は仮想通貨か開示請求」って時代突入してるじゃん?

「100万あったら弁護士行こう。お前の敵に思い知らせよう」みたいな社会じゃん?

この時代ネットで「いやーマジでこのサイト作った奴バカだわー」とか「この編集者は頭が腐ってるから死んだほうがいい」とか言ってる連中なんなんだマジで

自分の中では正義からセーフだと思ってるの?

たとえ相手連続殺人鬼だろうと「こういう奴って小学校の頃から鳥小屋動物イジメとかしてたんだよね」みたいな事言ったら開示請求食らったら次の日職場で「お前、相手がどんなに悪人でも想像攻撃するのは流石にないわ」って皆離れていくことが理解できないのか?

せめて個人名への攻撃は駄目だろ。

ペンネームハンドルネームであっても結局は個人からアウト。

つうかネットだと普通に実名活動してる政治家ガンガン人格攻撃してるからビビるわ。

勇気があるんじゃなくて知恵がないだけなんだろうな。

知恵がないというか常識がないというか、自分客観的に見れないというか

2025-11-08

暴力は男らしさだからOK → 暴力は基本良くないけど悪人は成敗OK みたいな倫理の変化と

②たとえ悪でも女は庇護対象 → 女であろうと悪人なら男女平等パンーチ みたいな流れがある気がする。

弱者定義が細分化多様化されたのもあるかも。

まりにも各方面からいろんな弱者性が顕在化されてきた結果女性単体の弱者性が相対的に重くなくなったとか。

あとは「正義」の定義が「弱者を守る」よりも「悪を滅ぼす」方面にウェイトが傾いてる気もする。

「性暴力」だけは継続的禁忌であり続けてるけど、ボコすのはカジュアルになってきた。

https://1link.jp/shelbyoakssubbg

https://www.castingcall.club/projects/bg-subs-8e6680a1-a52a-4244-a564-399cb06881aa

https://pont.co/u/culpanuestrasub

https://1link.jp/culpanuestrasubbg

https://www.castingcall.club/projects/4-bg-subs

なんだろう、昔はフィクション上でも「男同士は殴り合ったとて男らしさ&女を殴るのは絶対的クズ野郎」みたいな男らしさベース倫理観というか風潮ってあったよな。

でも最近フィクションとか結構悪い女をボコボコにする展開がウケてきてない?

昔は「たとえ悪人でも女を殴るのは外道」だったのにね。

男女平等の成果?

大きな流れとしては

https://www.castingcall.club/projects/bg-subs-f179d621-4e46-4acb-8004-79c4d4162d69

https://pont.co/u/emmaandchocolat

https://1link.jp/emmaandchocolatelandbg

https://www.castingcall.club/projects/bg-subs-03876394-02a2-4d52-a54d-37d1745c3526

https://pont.co/u/shelbyoaksbg

2025-11-06

マジに個人Vtuberってめんどくせーな

あんスパチャとかグッズにはカネ出さずに(そこまで経済的な余裕がないっていうのもあるので生誕グッズくらいしか買ってない)

せめて応援になればってファンアート描いてるリスナーなんだけど、

毎日結構エグいくら練習したり、友達プロ絵描きに頼み込んでアドバイスとか朱書き貰ってたのよ。

で、個人的には結構いい感じに描けるようになってきてて、推しの一人を描いたのよ。

そしたら「あのファンアート、うれしいんですけどAIトレスですか?そういうのする人だとは思わなかったのですが」って言われて草。配信中によ。

「いや、普通に半年毎日練習して頑張って描いたんです」って言っても、もうAIトレスの人みたいな扱いされるようになったのよ。

もう話通じないしでそいつからは離れて別の人でも描くか・・と思ったら、配信活動者のサーバーで要注意人物みたいな扱いされているらしく

(信用してくれている配信者がこっそり教えてくれた)

めっちゃめんどくさい扱いを一部界隈でされてるのホントゴミだなって思った

個人Vってある程度グループで固まるからそこさえ抜ければ全然違う世界になるので違う方面見るようになったわ。

そりゃいろいろ疑うこともあるだろうけど、人の努力を一切考えず、挙句嘘を広めまくってるあのバカホントくたばってほしい。

そもそも言いたいことがあるならDM開いてるんだから直接言えよって話。

配信でそういう言い方されたらこっちだって配信中に反論しなきゃいけなくて他リスナーにも迷惑だろ・・・

ちなみに、その配信翌日にはガイドラインを改めて周知します!みたいな配信しだして、一方的に俺が悪人みたいな論調で語られてたのも怖かったわ。

「長年推してくれたのはうれしいけど、別に絵が上手いか優遇することもないし~~」みたいなこと言ってんの。

いや、今はもうアンタのことなんかどうでもいいけど、当時はあなたを喜ばせたくて・力になりたくて半年みっちり練習したんやで・・・

そりゃ普段からリスナーのことを見ない人にとっては「急に絵が変わった」と思うかもしれんが、こっちはちまちま絵を上げて上達具合をアップロードしてたぞ。

なんならライブドローイング動画も上げてるぞ。

まぁそういうのもAI生成って言うんだろうな。あの女は。

という愚痴でした。

2025-11-05

anond:20251105120243

映画マナー警察いるからそう言ってるんだよ

クレーマーみたいなもんだ

スマホ使ってる障害者トラブル起こすなよ

悪人はお前になるだけだから

2025-11-04

最近よく流れてくる万引きGメン動画、捕まってるのが老人ばかりなのを見ると、もはや犯罪ってより認知能力限界だろと思う。実際、映ってる人たちのほとんどは財布にちゃんと金持ってるし、生活のために盗ってるわけじゃない。

あれを「悪人を成敗した」みたいに消費してる人たち、本気で自分はああならないって思ってるのか?人間は誰だって、脳の機能が衰えれば判断抑制も効かなくなる。万引きなんて氷山の一角で、金銭管理ミス詐欺被害事故暴言徘徊…全部自分では止められない行動の崩壊なんだよ。

老人の万引きを見せ物にして笑ってる人は、将来自分が同じ立場になったとき、誰かにスマホで撮られて拡散される未来想像したほうがいい。今笑ってるその光景が、そのまま老後の現実になるかもしれない。

老いはいつか全員に来る。だからこそ、他人の衰えを見て笑うことほど、愚かな娯楽はないと思う。

シュレディンガー」の「叩くな」ではなあ

https://b.hatena.ne.jp/entry/4778294582960347553/comment/Gl17

クリエイター創作性の発露であると認めたら

オタ自認のプライドに傷が付くし、

創作論として語るのもメンド臭いから

「なんか上の方に悪人がいるはず」という免罪符を欲しがるテンプレ

或いは売上厨的な権威依拠

https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris

最近は法華狼さんがエントリを上げると即座にブコメを付けに来る

ratepuroika さんの仲間がずいぶん増えたな。

そのうちロンクハラライスがどうのこうのと書くようになるのだろう。

絵や写真物語そしてナケナシの訴えへの仕打ち罷り通しとるとしたらよもや

盆も堤も表現破壊大帝やらせたままでンダァオられましても

プライド創作論…免罪符権威性…う~んこの法華狼ぶり

あれの基準とやらにぶっこむのかぶっこまないのか?

それにつけてもソニック映画

変更前こそを讃えよ!て誰か実践出来とりゅ?

2025-11-02

なぜもののけ姫宮崎アニメの中で別格なのか。


昨日、久しぶりに見直した。

最初に見たのは、映画館中学1年生。当時、宮崎駿って確実に天才だと思ってた。ラピュタナウシカも風の谷も好きだった。だからもののけ姫も期待して見に行った。

でも。

映画館を出た時の感覚が、他の作品とは完全に違かった。

後味がよくないんだ。面白いのに、後味がよくない。

スクリーンから出ても、世界そのままで続いてる感じ。アシタカサンの話が終わった後も、その世界の中では何かが続いてる。

妙な違和感だった。

その後、高校生の時に、友達と「ナウシカと比べてどう?」って話になったことがある。

私は「もののけ姫の方が好き」と言った。友達は「ナウシカの方が綺麗でスッキリしてない?」と言った。

その時は、理由をうまく説明できなかった。

でも、大人になって思うようになった。

「綺麗でスッキリ」してるのが、むしろ問題なんじゃないかって。

ナウシカラピュタ、風の谷、千と千尋。これらは全部、構造としては「主人公が正しいことをして、世界が救われる」という話なんだ。

ナウシカは毒の森に立ち向かう。ラピュタパズーシータを救う。千尋は親を人間に戻す。

そういう「正解」がある。だから映画を見終わった時に、心が満たされる。すっきりする。

でも、もののけ姫は違う。

タタラ場と動物たちの戦争。正解がない。

アシタカは両方を愛してる。サン人間動物も愛してる。だから、どちらかが完全に勝つことはない。和解もしない。ただ、妥協する。

「お互い自分世界で生きよう。でも時々思い出そう」

これ、凄くリアルじゃないか現実はこうだ。

環境問題だって、そうでしょ。企業環境破壊してるのは確かに悪い。でも、その企業が作る製品生活してるのも私たち

誰も完全に正しくない。誰も完全に悪くない。

から映画を見終わった時に、心が落ち着かない。それが正解だからこそ、落ち着かない。

多分、これが他の宮崎作品と決定的に違うところなんだと思う。

昨日も見直してて気づいたこと。

エボシのセリフ「私は、ここで人間希望を育てている」

これ、悪役のセリフなのに、完全に正しい。実際、タタラ場の住民たちは、エボシのおかげで生きてる。

そして、その生き方が、自然破壊してる。

でも、誰も責めきれない。

別にエボシが悪人からじゃなくて、構造がそうなってるから

この「構造」をちゃんと描いた宮崎作品は、もののけ姫が初めてじゃないか

ナウシカだって腐海を焼こうとする人間たちは、確かに間違ってるんだけど、その間違った行動の「もっともらしさ」は描かれてない。

でも、もののけ姫は違う。

エボシも、アシタカの親の村の人間も、サンたちも、全員が「自分たちなりに正しい」と思ってる。

その「正しさ」が衝突する。

から、観客もどちらが正しいか判定できない。

映画をもう一度見直して思ったのは、そういう「曖昧さ」をちゃん表現した映画って、実は結構珍しいんだってこと。

ハリウッド映画だって日本映画だって、大抵は「良い奴と悪い奴」が明確に分かれてる。

でも、もののけ姫は違う。

20代の時に見直した時も、30代の今見直した時も、感覚が変わる。

20代の時は「エボシダメだ」って思ってた。でも、30代の今は「タタラ場の労働者気持ちもわかるな」って思ってる。

多分、40代でもう一度見たら、また違う感覚になるんだと思う。

それが、もののけ姫凄さじゃないか

時代に応じて、観客の立場に応じて、見え方が変わる映画

それなのに、映画自体は変わらない。描写も、ストーリーも、セリフも、全部同じ。

でも、観客が変われば、見え方が変わる。

こういう映画って、稀だと思う。

昨日、妹にこの話をしたら「もののけ姫は、見終わった後、世界が続いてるように感じるって言ってた人いた」と言ってくれた。

実は、そういう感覚意識的に作った映画だったんだと思う。

宮崎駿は、「映画を見たら、心がすっきりする」みたいなエンタメ形式から、敢えて外れようとしたんじゃないか

その時に、何を選んだかって言ったら「現実」だったんだ。

現実は、すっきりしない。

エンドロールが流れた後も、世界は続く。

もののけ姫は、その「続く感覚」を映画にした。

から特別なんだと思う。

他の宮崎作品は、完璧だ。美しい。感動する。

でも、もののけ姫は、不完全だ。不安定だ。見終わった後も悩ませる。

その「悩ませる力」が、他の作品にはない。

から28年経ってもなお、人々が見直すんだと思う。

綺麗な映画は、一度見たらそれでいい。

でも、もののけ姫は、見るたびに新しい発見がある。

から特別なんだ。

2025-10-30

anond:20251030122651

悪人に仕立て上げて潰すのも楽勝なのに

なーにキャンセルカルチャーに逆らってんだかという気持ちすらある

お前の全てをキャンセルできますよ?というのを知ってもらわなきゃね

2025-10-28

言われた酷いこと(ただし正論)をネットで広めて被害者面するやつに言いてえが

言った側、見てるからな、お前の、アカウント


人を悪しざまに誇張したり、悪人に仕上げた漫画描いて、どんな気持ちだ?あぁ?

名誉毀損成り立つよなあ、なあ?なあっ!!!

お前ほんとそういうとこだから

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん