はてなキーワード: 純粋科学とは
B: トランプ政権って、途上国援助の予算はバッサリ削ったのにNASAの予算は守ったんだって?どっちも生活に直結しないのに、なんで宇宙開発だけ特別扱い?
A: それはアメリカの保守派の文化と宗教観が関係しているんだよ。ポイントは「ドミニオン」っていう聖書の考え方。
B: ドミニオンって何?
A: 聖書の創世記に「地を従わせよ、すべての生き物を治めよ」って神の命令がある。英語だと「have dominion」って言って、人類に与えられた使命と解釈される。自然を管理し、文明を発展させる責任があるっていう発想だね。
A: アメリカの保守派は自分たちを「神に選ばれた民」だと考える伝統があって、新大陸開拓や西部進出を神の計画の一部として理解してきた。その延長で宇宙も「最後のフロンティア」と呼ばれるようになったんだ。だから宇宙探査は「使命を果たす行為」として語りやすい。
B: じゃあ途上国援助は?
A: そこが違う。保守派も援助自体は嫌いじゃないけど、本音では「福音を伝えながら」やるのが理想。ところが政府機関のUSAIDは宗教抜きで援助するし、リベラルな価値観を条件にすることもあるから、保守派にはむしろ不愉快に映る。「自分たちの税金で、リベラル派の価値観を押し付けてるだけじゃないか」と思われがちなんだ。
A: そう。だからUSAIDは同床異夢ができない。保守派から見れば価値観対立がはっきりしてるから支持が集まりにくい。予算削減しても政治的に痛手が少ないんだ。
B: でもNASAは?
A: NASAは逆で、いろんな立場の人がそれぞれ別の夢を投影できるんだ。科学者にとっては純粋科学、軍事にとっては宇宙安全保障、産業界にとってはビジネスチャンス。そして保守派にとっては、神が作った宇宙を人類が支配する使命――いわば「宇宙ドミニオン」の実践になる。しかも、現実に宇宙人が現れて神学的難問が突きつけられない限り、宗教とも衝突せずに同床異夢が成立する。
A: そうだよ。たとえばマイク・ペンス副大統領は、NASA関連の演説で詩篇を引用してこう言ったんだ。「たとえ天にまで行こうとも、主の御手が我々を導き、その右の御手が我々をしっかりと支えてくださる」。これは「宇宙探査は神に導かれた使命だ」というメッセージそのものだよ。
B: なるほど、それなら宗教保守派も宇宙開発を応援しやすいね。
A: そう。宇宙開発はアメリカ人にとって「新しい天地を切り開く使命」であり、同時に神学的にも「神が作った宇宙を理解し、人類の舞台にしていく行為」として意味づけられる。だから国民生活に直結しなくても、文化的アイデンティティを満たす政策として維持されやすいんだ。
A: そう。途上国援助は「誰の価値観でやるか」がすぐ衝突を生むし、宗教保守派が納得する形にはしにくい。NASAは「アメリカの使命」「人類の未来」「神の創造の舞台」という物語を共有できるから、同床異夢でまとまりやすいんだ。
B: つまり宇宙開発は、みんなが自分の物語を投影できる「安全な夢」なんだね。
A: その通り。だからこそ、トランプ政権はUSAIDを削ってもNASAは削らなかった。宇宙は国民の生活以上に、アメリカの自己像を支えているからなんだ。
科学っていうか工学の領域だから。社会においてリアルな問題として立ち上がるときに「科学」と呼ばれるものは。
原発(事故対応)は言うまでもなく核物理学だけでなく広範な分野に跨がるエンジニアリングの複合体。
抜き身の科学の原則を振りかざすことに意味があるという機会はそうないだろう。
それなのに、この世に純粋科学とそれ以外のゴチャゴチャしたおまじないしかないかのように「本来の科学的な姿勢とは〜」とか語る奴は学者馬鹿というか端的にモグリなんだろう。ガチなサイエンティストは嫌でも娑婆世間のリアルを相手に苦労を重ねているはず。
■「工学も科学だ」んなこた誰でもわかっとるわ。書き方が不十分だったかもしらんが。
科学全体の中の、現在進行形の社会との界面にある工学のレイヤー、政治や倫理が嵌入してくるその入り組んだシーンで起きてる問題において
基層から直接、基礎科学のプロトコルの断片を掬い上げてきて水戸黄門の印籠よろしくかざすことはなにか生産的ですか、ときに原理原則に立ち返ることの必要をいうなら「やれやれ、これだから一般人は」じゃなくインターフェース部分の科学コミュニケーションを本気で頑張らないと自己満足したいだけの説教バカかと疑われますよ
■「科学は当為を〜そうなの?」科学はまあなんのためというかそれ自体のために存在するとして、工学は人を幸せにしてなんぼなんだから当然そうだと思ってるけど?
身になる議論でとても面白いです。
申し訳ないですが、中段、「それを踏まえて、一点」以下は今回は議論を避けさせてください。今回僕のたてた日記のテーマの範疇を超えてしまい議論のコントロールができなくなる気がするのと、僕が国家のアイデンティティの一部に軍の保有が含まれるか否かは考えた事がなかったので少し考えてみたいということで。
それ以外の部分についてはご指摘の通りで、僕も「条件付きですが」戦争がない状態の方が望ましいと考えています。また、それを達成するための方法論として非武装主義は間違っていると考えています。いわゆる「サヨク」ではなく「まっとうな」革新/左翼/理想主義論者陣営が「理想論」として非武装を最終理念として掲げているというのは理解しています。しかし、その「理想論」のあり方も疑問に思っています。
なかなか議論を進められず申し訳ないのですが、これについては別に論を立てたいと思っているので短く返答します。
理由のひとつはは前エントリーにも書いた「かもしれない運転」であるべきだという事です。
僕は政治や経済といった、複雑さにおいて純粋科学の範疇を超えており、実験を行う事の出来ない分野においては保守的であるべきであると考えています。
なぜなら、「複雑すぎて人間には前提となるものの把握が困難過ぎ、いくら理論が正確そうにみえたとしても前提の把握が間違っており、結論が間違っていた」ということがあり得るからです。さらに実験でその理論が正確かどうかを確かめる事ができません。また、その理論を実行して失敗した場合に被害が非常に大きくなる場合があります(例としてはカンボジアなどどうでしょうか)。
ですので、「理論的に正しそうだから上手くいくだろう」運営ではなく、「歴史的にずっと残っているから必要なのかもしれない」運営、つまり保守的な運営をするべきだと考えます。
今回の事例に当てはめると、「非武装にしたら戦争がなくなるはずだから非武装にしよう」ではなく、「それぞれが武装しつつそれなりの小競り合いをしつつも世界は依然として続いているからそういった世界の方が持続性があるのかもしれない」ということです。