はてなキーワード: レイヤーとは
自分が言いたいことは、ほぼ書かれてるけど、一点付け加えるとするならば、
例えば、理屈で最初描こうとして、つまり、東村アキコの言うロボットを描いてw
それに肉付けしても、なんか変…、となったら、感覚で描き直す、
みたいなの自分はやっちゃってるんだけど、
あー、まずフリーレンに限って言うなら、髪の毛があるから、顔の輪郭はもう考えないで、
最初のお題の絵みたいに、顎について考えちゃ駄目なんだよね…😟
もう、顎のことは考えない
日本のアニメ絵で、記号みたいにでも顎の線が入ってるけど、あんなのまずは考えない
特にフリーレンみたなのは丸顔なんで、半ば球を描くような感覚で、
あと、例えば、髪の毛がまったくないハゲというかボウズだったらどうするか、
色々なコツ、アプローチがあるけど、一点追加するなら、「輪郭」を意識するのが大事
誰だったかな、ガンダムのメカデザだったかな、モビルスーツは輪郭で考えてる、って言ってた人がいて、
人間って、パッと見で、物体の種類を判別するのに、まあ色とかもあるけど、輪郭を意識してるってのがあって、
例えば、スターウォーズとかのメカデザであった気がするんだけど、メカのシルエットだけ最初描くんだよね
すべてのキャラ、メカのシルエットを描いて、決めて行って、当然シルエットの内側はまだ考えない
シルエットだけで、それが何なのか見分けができるようにする
色々試行錯誤したり、直感でアタリをつけてるうちに、こんなシルエットがしっくりくる、と思ったら、
そこから内側を適当に埋めちゃう、眼鼻を福笑いして、調整してみる…😟
あー、デジタルはこれができるから良いんだよね、福笑いが簡単にできる
神に描くときはできない…
あと、その辺の本屋に売ってるルーミス本とかジャックハム本とか、どれも載ってると思うけど、
日本のアニメの顔をまず描こうとするから難しいんであって、リアルな顔を骸骨から描くのは勉強になる
骸骨描いて、筋肉とか肉付けして、全体を調整してみる
日本の典型的なアニメの顔、漫画の顔は立体的にかなりウソが混じっているので、難易度が高い…😟
だから、まずルーミス本とか模写してみる、そっちの方が絶対に誰でもできるようになる
そういう昔のアメコミみたいな顔とか人物を描けるようになってから、日本の漫画絵をどう描くか考えた方が良いと思う
X-MENのジムリーとか、北斗の拳とか、ああいったウソ筋肉も、本物の筋肉をどう再解釈して描くのか?
みたに考えた方が、いきなりウソ筋肉を描くのとは違う解釈というか、腑に落ちるものがあるはずなので、
まあ、アオリは何にしても難易度が高い、プロでも難しいはず…😟
そういえば、イデオンの湖川友謙さんの絵なんかは、アオリを比較的描きやすい…😟
上述したように、昔のアメコミみたいな絵だから、リアル寄りだから
だから、富野監督は、いわゆるオタク絵っぽいのが嫌いで、安彦氏や湖川氏の絵はちゃんと立体を意識した絵なんで、
あと、棘の中に、フリーレンの耳の位置は骨格を意識したらいい、みたいに書いてる人がいるけど、
これは違うというか、上述したように、日本の漫画絵アニメ絵は立体的なウソが混じっているので、骨格から起こしても駄目です…😟
横顔でほっぺに口があるような絵を平気で日本は描くわけです
だから、これも最終的には感覚なんで、ことぶきつかさ先生も感覚で意識したいと思っているのだと思う
あと、湖川友謙氏のアニメーター向けの本があって、私も二冊持ってますけど、
あの本の中で、いわゆる日本のアニメ絵、オタク絵をクソミソに評価していますけど、あれにはちょっと正直イラッとしたというか、
みんながみんなイデオンやダンバイン、エルガイムみたいな絵が良い、というわけではないわけで、
あの本の中で湖川氏が鬼の首を取ったように、記号として描かれた足とか、
あー、伊藤岳彦というか、幡池裕行名義というか、ああいう感じの絵を湖川友謙氏がクソミソに赤で修正してるんだけど、
絵も音楽も、なんだかんだ、最終的にはなんでもあり、自由なはずなんで、こんなオタク絵は駄目、というのはナンセンスだと思いました…😟
でも、湖川本買って、湖川氏の絵を真似てアオリを描いてみる、は良い勉強になるはずです
なければ、その辺の本屋で売ってる、人体を骨格から描く、みたいな本でも十分です
そこから、どうウソを描いたら、いわゆるプロが描いているオタク絵になるのか、を模索していくのがいい、
あとシルエットですね…
デジタルなら、別のレイヤーで人物の内側を黒で塗りつぶしてみるとか、そういうのがデジタルはできるのでオススメです
輪郭で、自分の絵がなんかおかしい、ということに気付く可能性がある
> 要件は「密接な関係のある他国に対する武力攻撃」+「日本の存立への明白な危険」
> 実際の法制度はもっと多層的・条件付きになっています。
ここを詳しくお願いします
いちばん大事なところなので、「集団的自衛権(存立危機事態)」が動くまでの条件を、かなりちゃんと分解して説明しますね。
2015年安保法制で、日本が自衛隊を動かす主な「状況の箱」はざっくり次の3つです(法的にはもっと細かいですが、ここでは重要な3つだけ):
→ 「密接な関係にある他国」への攻撃が、日本の存立を脅かすとき
→ 放置すると日本への攻撃につながりかねない事態(でもまだ武力行使はしない)
あなたが聞いている部分は、この②の 存立危機事態=集団的自衛権 のところです。
2014年7月の閣議決定と、それを受けた平和安全法制(2015年)で、
「限定的な集団的自衛権」を行使できる条件は、次の3要件全部を満たすときだけとされています。
「台湾そのもの」をここにストレートに当てはめるかは、かなり解釈上デリケートな話ですが、基本線としては「日米同盟の相手」が前提と考えられています。
ポイント:
「攻撃されるのが日本かどうか」は問われていない。あくまで「相手(他国)が攻撃されている」状態が出発点
という、かなりハードルの高い条件です。
ここもまた、
「どこまでが必要最小限度なのか」は、かなり政治的・軍事的判断が絡むため、
後から「行き過ぎだった」と評価される余地を残しつつも、法律はフワッとした言葉で枠だけ決めている、という構図です。
要件は「密接な関係のある他国に対する武力攻撃」+「日本の存立への明白な危険」
と超ざっくりまとめたものでした。
でも実際には、そこにさらにいくつかの「レイヤー(層)」が乗っています。
台湾周辺で何か起きたとき、いきなり「はい存立危機です」とはならず、
まずはこんな感じで段階的に見られます:
どの箱に入ると認定するかで、できること(後方支援までか、武力行使までいくか)が変わるので、
よく誤解されるのが、
というイメージですが、日本のバージョンはかなり限定されています。
なので、米軍がどこかで軽度に攻撃を受けても、「それで日本の存立が危うくなるか?」がYESにならない限り、
条文上は集団的自衛権の武力行使はできない(という建前)になっています。
たとえば台湾有事だけをとっても、ケースはいろいろあり得ます:
同じ「台湾有事」と言っても、どの程度のエスカレーションか、どの範囲で攻撃が行われているか、によって、どの箱が使えるか・どこまで武力を使えるかが変わるため、「多層的」と表現しました。
これは、存立危機事態(限定的な集団的自衛権)のコア要件を2行に潰したもので、
厳密に言うと次のようになります:
さらにその前提として、
今後は台湾を正式に国家承認しまーすなんて一言も言ってない(そのような公式声明とは全く文脈もレイヤーも発される場も違う)高市答弁をこじつけで非難してたサヨクは
中国がド直球で「沖縄は日本ではない」と言ってくると、これに比べて自分たちはなんて無理やりなこじつけで騒いでたのだろう… と気づくどころか
ただ単純に「ほーら見ろ!高市のせいで中国が怒っちゃったじゃないか!」と得意満面。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/a3ebcda94a088141687820538cbed2696028ecfa
話変わるが共産党の末端の人ってマジメでいい人が多い。災害ボランティアの現場でも身を粉にして働く。彼らなりに世のため人のためということを考えている。それが必ずしも幸せな結果に結びつくわけではない…のは他の勢力も同じことだ。
今の中国の振る舞いが気に食わない、高市氏の発言にスカッとした。それは結構だ。個人の感想としては自由だろう。だが、それを国家の外交戦略として肯定し、従来の「どっちつかず」な態度を「弱腰」だの「中国への阿り」だのと断じるのは、あまりに国際政治のイロハが分かっていない。「敵か味方か」「善か悪か」という幼稚な二元論でしか世界を見られないのなら、外交について語るのはやめたほうがいい。
まず決定的に理解が足りていないのは、中国という国家における「面子」の機能だ。お前らはこれを「中国人のプライド」程度の、単なる感情の問題だと思っているのだろう。だから「相手の顔色をうかがう必要はない」などと言えるのだ。
中国共産党体制において、面子とは統治の正当性を担保するシステムそのものである。「中華民族の復興」を掲げる以上、核心的利益(台湾など)で公然と面子を潰されれば、彼らは体制維持のために、経済合理性を無視してでも強硬手段に出ざるを得なくなる。つまり、相手の面子を潰すという行為は、相手から「合理的な判断(=戦争は損だからやめておこうという判断)」を奪い、暴発へと追い込むトリガーを引くことに他ならない。
高市氏の発言が危ういのはまさにここだ。「守る意思」を示すのは良い。だが、それを言葉にして相手の逃げ道を塞げば、相手はコスト度外視で殴り返してくる。相手を暴発させずにコストだけを認識させる、そのギリギリのラインを突くのが外交であり、素人の喧嘩自慢とはわけが違うのだ。
さらに絶望的なのは、相手国を一枚岩の「悪の帝国」としてしか捉えていない点だ。中国共産党内部にも、経済合理性を重視し、欧米との協調を模索する穏健派(非強硬派)は確実に存在する。彼らは、今の独裁体制の中で息を潜めながら、強硬派の暴走を止める機会を窺っている。
日本が「一つの中国」という建前(面子)を維持し続ける最大の意義はここにある。我々が面子を立ててやることで、中国国内の穏健派に「日本も配慮しているのだから、我々も過激な行動は慎むべきだ」と主張するための論拠(武器)を与えているのだ。
それを「白黒つけろ」といって放り投げればどうなるか。
中国国内はナショナリズム一色に染まり、穏健派は「売国奴」として粛清されるか、沈黙するしかなくなる。結果、中国の意思決定は強硬派に一本化され、軍事衝突のリスクは跳ね上がる。「どっちつかず」をやめるというのは、敵の内部にいるブレーキ役を自らの手で殺すのと同義だ。これほど利敵行為に近い愚策があるか?
最近ネットでは「中国に配慮するリベラルは中国の手先だ」といった短絡的な言説が溢れているが、知性の劣化もここに極まれりだ。「相手の主張に賛成すること」と、「国益のために相手の面子に配慮(マネジメント)すること」は、全く別のレイヤーの話である。
「一つの中国」を表面的に支持しつつ、裏で台湾と実質的な関係を強化する。この「戦略的曖昧さ」こそが、中国を縛り付け、現状変更を許さず、かつ戦争という最悪のコストを回避するための、最も冷徹で計算高い「封じ込め政策」なのだ。これを「信念がない」「コウモリだ」と批判するのは、高度な嘘で成り立っている国際社会の現実から目を背け、自分に気持ちのいいカタルシスを求めているだけに過ぎない。
我々が求めているのは、一時の感情的満足ではなく、明日も平和に暮らせるという実利だ。そのためなら、笑顔で嘘をつき、嫌いな相手の面子を立てることくらい、大人なら当たり前にやるべきことだろう。
レイヤーが違う。ブルシットジョブは職業を指すんじゃなくて作業・仕事の単位の話。
例えば「稟議書にハンコ押すときにお辞儀するように押さなきゃダメとかいう謎マナーが徹底されているかチェックする作業」みたいな本質的ではなく価値創出してないゴミみたいな仕事のこと。
「完全に間違いではないけど、順番も前提もごちゃ混ぜで、理論としてはかなり雑」という評価になります。
一緒に論点をほどいていきましょう。
増田さんの主張を整理するとこうなる
という流れですね。
教科書的には
それによって
産出量(Y)↑
利子率(r)↑(貨幣需要↑の結果)
であって、いきなり「貨幣価値が減る(=通貨安・インフレ)」と直結はさせません。
貨幣価値(インフレ)に直接効くのは、大元ではマネタリーベース・信用創造・期待のほう(金融政策)
「需要を増やす」→ 経済がフル雇用に近づく → その過程でインフレ圧力が高まるかもね
という間接ルートです。
だから
増田さんは、
と言ってますが、
マクロモデル(IS-LM / マンデル=フレミング)の世界では順番逆です。
財政拡張 → 金利↑ → 資本流入 → 通貨高(変動相場・資本移動自由)
であって、
という話ではありません。
(もちろん現実の中央銀行が「為替を意識して」金利判断することはありますが、それはまた別レイヤーの話)
つまり、理論の話をしてるところに「為替是正のための政策反応」を混ぜてしまっているので、
増田さんは
実際には:
高い利子率を求めて資本流入
通貨が名目・実質ともに高くなる(通貨高)というのが標準結論です。
つまり、
なんですよね。
あります。
ただし、それは別の前提・メカニズムを明示すべきです。
例えば:
「国債刷りまくり→将来のインフレ or デフォルトが怖い」と見なされる
通貨建て資産の実質価値低下が意識され通貨安になる(新興国あるある)
G↑で景気は良くなるが、政策金利は低いまま(あるいは国債買取で押し込む)
これは「近年の日本で積極財政+YCC+ゼロ金利」みたいな話と絡めるとイメージしやすいです。
なので、
「積極財政で円安になるケースも確かにある。でもそれは金利を抑え込む金融政策や、信用・インフレ期待の悪化がセットになったとき」
という条件付きの話です。
増田さんのように財政だけを取り出して「積極財政=円安」と断定しかも「金利は円安を直すために上げる」という逆順ロジックは理論的にはかなり雑です。
それなりに筋がある部分
→ 状況次第で(特に中央銀行が緩和的なら)そういうことはありうる
「インフレ・通貨安が進みすぎると、中央銀行は金利を上げてそれを抑えにいくことがある」
為替是正のために金利を上げるという順番を、理論のメカニズムと混同
モデルの話では
現実には
財政の中身
などで通貨高にも安にも振れうる
なんかTwitterで「2.5次元のクール系キャラが笑ってはいけないしてるの好き」に対して「お前じゃなくて作品見に来たんだが……となる」となり「ハプニング許せない人はナマモノ向いてないよ」ってなってておいおい待て待てとなってる。
俺も「笑ってはいけないしてるの好き」ではある。オモロいもん。でも笑ってはいけないに対して“過剰に盛り上がるファンの雰囲気”は嫌いだ。「俳優じゃなくて作品見ろよ……」となる。
皆がそれぞれに「あ、笑ってはいけないしてる☺️」ってなるのはわかるけど、「笑ってはいけないだー!🤩」てなって過剰に盛り上がるの違うだろ。何がメインなんだよ。
回替わりアドリブパートで笑いとることに快感得てるのが見えるのもキツイ。お前じゃなくて作品見せろ。そういうメンツに限って全体のクオリティは微妙だったりする。さらにそういう作品のファン層は回替わりアドリブと中の人透け透けMCだけを目当てにしてる。
2.5って何回も見に来てくれる俳優厨がいるから成り立つジャンルであって、俳優厨たちはそういうアドリブを求めてるからwin-winでありlose-loseなんだけども。
日替わりアドリブは構わない。私は曲が違うとかも全然アリ。「毎日違うことが当たり前」だもん。
アドリブパートでガチアドリブしてるのは論外だけどね。ましてや2.5でね。2.5って「アニメキャラが現実にいる…!」が醍醐味なのに急に中の人見せられてもって感じ。そもそもおもんないしね、ガチアドリブ。
〇
あと2.5次元俳優がハロウィンに便乗して「俺もガチコスプレたい😏2.5次元俳優だし😝」みたいなメンタリティはどこから来るの????各セクションへの大侮辱に感じる。お前がキャラを作ってるのって演技だけでありウィッグも衣装もメイクも撮影も画像編集も全部全部プロの方が大金掛けてお前のために準備してるからキャラになるのであって。全部セルフプロデュースでやってるレイヤーの上位に立てるわけないやろ。(誰のこと言ってるの💦)
〇
単発の2.5は全然行くけどシリーズものはもう行かね。俳優厨のファンミみてえじゃん。じゃあ俳優がファンミでやれよ。キャラ挟んで原作オタク巻き込んで資金回収すな。ビジュアルはめっちゃキャラだけど正味ずっと中の人だしチケ代高ぇ割にはパフォーマンスがすごい訳ではないし。(なにに向けて言ってるの💦)
2.5しか見てなかった頃はそれでも良かったけどガチミュージカルとか宝塚とかも見るようになったらもう無理。払う価値感じん。
プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。
近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。
開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のものが出回っている。Eclipseとか今考えるとよくあんなので開発できてたな。
いまや小学生からおばあちゃんまでアプリ作りに熱中し、高校生はIoTとかやり始め、大学生は商業レベルか?ってレベルのものをネットで発表し、私はウェブアプリのスマホでのレイアウト崩れひとつすら直せず静かにエディタを閉じてnoteで過激タイトル記事を書いている。
掛け算に順序があると思っているような知能の下級雑用係(自分のことを教育専門職だと思い込んでいる)ですら「小学生にプログラミングを教えるぞ!」と意気込んでいる。やめろ。お前らには無理だ。無理だからマジでやめろ。考え直せ。無理だって。掛け算に順序つけないと相手に教えられないレベルのやつがプログラミング教えるのマジで無理だって。算数とは次元が違うって。「ピーチ姫いつも簡単に誘拐できるし今度はベヨネッタも誘拐してみるか」ぐらいの無謀さだって。やめとけ。マジでやめろ。
まあそんなこんなで入り口はめちゃくちゃ広く、入門するのはマリオカートより簡単である。話逸れるけどSwitchのマリオカート、運転アシスト機能ついて初心者でもコース完走できるようになったから心折れちゃった人ももう一度チャレンジしてみてね。
それとは特に関係ないんだけど、大学行ってた時ティーチングアシスタント(TA)っていう授業のお手伝いさせられたのよね。ちゃんとお金出るやつ。
学部の3年か4年から始まって、院の1年か2年までやってて、途中で休学挟んだから、ええと、あー、うん、数年間TAやってたんよ。数学とプログラミングのコマ。CとOctaveとかいうやつ。Cのほうは情報学科で、Octaveは違う学科。JavaとかC++のコマはTA入れさせてもらえなかった。
プログラミングの実習は週2コマ(連続)あって、情報学科なら必修科目。なのでサポートは相当手厚く、先生とTAが絶え間なく机間巡視し、わからないことがあればセンパイがなんでも答えてくれるというわけだ。授業外でもサポートはしており、わからなければ先生や研究室にいる学生に好きなだけ聞きにいっても良いということになっていた。必修だから落とされたら困るしな。
2コマだから3時間 * 15回で、45時間。そして私の時は2年まででC/C++/Javaと必修だった(今はなんの言語かは知らない)ので、その3倍、135時間は最低やることになる。プログラミング実習以外にもプログラミング触る授業多いから実際はもっと多い。宿題やる時間もあるので実際はもっともっと長くプログラミングに触れることになる。卒論書く時期に入ると、テーマによっては書く人はさらに書くので、もっともっともっともっと長い。
これだけ時間をかければほとんどの人がプログラミングできるように……ならない。むしろできない人の方が多い。なんで。why。教えて。
会社になるとさすがにプログラミングできるできないは死活問題である。
「今日から入ったxxでーす。業界未経験ですがよろしくおねがしまーす。さっそくなんですけどPythonのここわかんないんですけどどうすれば……あっそうすればいいんですね。次はここなんですけど……なるほど!ありがとうございます。じゃあまた明日ー」
いやー社会人にもなると熱意が違うね。学生なんかわかんなくてもほとんど聞きに来ないのにな。こりゃガンガン伸びますわ。私も社会人1年生でPythonなんて3秒ぐらいしか触ったことないから適当答えてるけど。
「ちょっとお時間よろしいですか?」「いやちょっと今忙しいから後になっちゃいますわ。すんません……」
そんなこんなで1週間ぐらい放置してしまった。やべー絶対嫌われる。どこまで進んだかな……?えっまだそこ?進んでなくない?
もしかしてこれ全部教えないとダメなやつか。そりゃ大学4年間プログラミングやったやつでもプログラミングできないんだから、そうか。よく考えると当たり前だよな。
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
Error: variable 'a' is undefined, line 24
↑のエラーは架空のエラー文(英語下手でも許して)だけど、エラー、出るよね。プログラム組んでたら。んでやっぱいるのよ。エラーを「にらみつける」やつ。解決しねえって言ってんだろ。
「エラー出たんですけど、どうすればいいんですか」
「エラーにはプログラムがなぜコンパイル通らないかの原因がそのまま書かれている。例えば今出ているError: variable 'a' is undefined, line 24は、24行目の変数aが未定義ということを示している。事前に変数aを定義していないか、打ち間違えてsになっているとかではないのかな?」
だいたいが「腑に落ちねぇー」みたいな顔する。まあ、一気に喋りすぎたしな。疑問点1個1個潰していくか。
「何か疑問点ありそう?変数ってなにー、とか、定義ってなにー、とか」「ないです。わかりました!」
わかったのか。よかった。またモニターをにらみつける開始。なんでだよ!!!!「お前顔にチョコついてるぞ」って言われたらチョコ拭き取るだろ。変数aが未定義ですねって言われたら変数a定義すりゃいいだろ。
でもプログラミングド下手なやつ(全人類の7割ぐらい)は、エラーをにらみつけてる。ずっとにらみつけてる。防御力下限まで下がったかな。にらみつけてて何が変わるんだよ。
「英語読めなくて……」
いや「a is undefined」なんて「He is Superman」ぐらいの英語だろなんで読めないんだよ。お前この大学どうやって入ったんだよ。たしかどの入試方式でも英語あっただろ。単語わからんかったらググれ。
「aが未定義って書いてあるんですけど、ここのfor文の私の考えが間違ってるのでしょうか」
いや24行目のaって書いてるだろ。まずなんでそこ無視するんだよ。お前がfor文で使ってんの教科書通りのiだろ。24行目ってわかるか?for文あるの40行目あたりだよな?aとiが違う文字ってわかるか?
「さっきのエラー直したら新しいエラーが出たんですけど、どうすればいいですか」
千尋!贅沢な名だねえ
変数に名前をつけろ。関数に名前をつけろ。クラスに名前をつけろ。全てに名前をつけろ。
C言語の古い教科書だと「a」とか「b」とか「i」とかで書いてるけど、そんなの人間が読めるわけねえだろ。冷静に考えろ。「input」「output」「index」とかにしとけ。
2重for文の変数名i, jにしたら絶対途中で打ち間違えるだろ。お前は打ち間違える。そういうやつだ。2重ループなんてどうせ行列計算の課題だろ。rowとcolumnにしとけ。これで打ち間違っても気づくし、それぞれに意味が付いてくる。
ちなみに同じ長い名前にも優劣がある。「result」よりも「sum」のほうが強い。「result」はなんの結果かわからない(全ては結果であるので)が「sum」は合計値であることがわかるからだ。「password」と「plainPassword」なら「plainPassword」が勝つ。暗号化されていないパスワードであることがわかるので、情報量が多いからだ。
ただし例外はいくつかある。「tmp」は一時変数であることが(プログラマにとって)明らかだ。「dir」はディレクトリであることがわかる。「src」「dist」あたりもよく使われる。このあたりは短くていいんじゃねーかな。
でも、この前温度センサ扱うプロジェクトで「tmp」って変数名使って温度(temperature)と脳内で混線してバグって発狂してた同僚いたけど。そういうときは名前長くするか別の名前使おうな。
関数の名前なんて「calcAverageFromArray」ぐらい長くしていいから。「myFunc」とかしなくていいから。「fetchJsonDataFromUniversityInternalServer」とかでいいから。マジで。いやこれ本当に。
そもそも今時ディスプレイでかいし、識別子なんて先頭数文字打ったらエディタが補完してくれるし、短くするメリットがない。
それでも名前が長いと感じる?関数がでかすぎるんじゃないか。細かく処理を分けるとかしてみろ。「combineArrayAndFindMax」関数は「combineArray」と「findMax」に分割したらいいと思うぞ。名前が長いと思っても名前を削るな、機能を分割しろ。自然と名前が短くなる。
それかシンプルでかっこいい名前を見つける。「convertEvilHtmlToPeacefulText」は「sanitize」に置き換えることができる。イカす名前だ。
プログラミングできない奴はマジでこれらのことをやらない。ずっとaとかbとかzとか使ってる。お前それ自分で読めんのか。読めねえだろ。myfuncってなんだよ何するんだよ。お前自分で理解できてんのかそれ。
それでも頑なにaとかbとか使う。なんでだよ。
動作原理わからず書き散らすな。動作原理っつってもそんな深いところじゃなくて言語表面上レベルの動作な。
リテラルは値を作成して、代入は値に名前をつけている、とかその程度のレイヤー。メモリがどうこうとかはいらんと思う。あっでもポインタのときはいるか……。めんどくせえな。
まあ動作原理っていうか自分が何やってんのか理解してくれって程度の話になるんだが。
例えばfor文で処理50回まわすとき、「50回分の処理を行なっている」ではなく「ループ開始時に変数を初期化。条件判定して成立していれば文の中を実行する。条件変数の値を変化させてまた条件判定からやり直す」ぐらいの粒度で捉えててほしいかな、という気持ち。
これはfor文で詰まる人がやたら多かったからだ。彼らはfor文をアトミックな操作だと思っていた。つまりfor文はひとまとまりの命令であり、長いfor文とprintfの間に粒度の違いはないと思っていたらしい。
つまり、「for文の中でエラーが起こる」という事象がほぼ理解できない。forはアトミックであり、内部など見えないのだから。じゃあお前が今書いたfor文の中身はなんなんだってやんわり聞くと「さあ…?」みたいな反応が返ってくる。はあ。
関数についてもなかなか誤解が多かった。関数「sum_array(a, b)」と関数「average_three_numbers(a, b, c)」は全く別の原理で動いているのだと。ここでの「全く別の原理」というのはシグネチャが違うとか実装が異なるとかそういう意味ではなく、コーラを飲んでゲップが出る原理と糸電話で声が伝わる原理ぐらいの全くの別、という意味である。
彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理を学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。
そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数の戻り値と関数の戻り値を足す」とか「関数の引数に関数の戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。メソッドチェーンとかやった日には大学潰れると思う。ただ、これはC言語が悪い部分もあると思う。配列とかいじりだすと、初心者が書けるレベルの関数だとあんまり値返さないしな。
たのむ、他のはできなくてもこれはできてほしい。自分が何をやりたいのかは理解してほしい。流石にお前のやりたいことなんて他人にはわからんぞ。
「配列の中の数値の合計値を求めたいんです」とか「名前と身長と体重をひとつにまとめた構造体が作りたいんです」とか。簡単なのでいいから。
「いま何やろうとしてどこで詰まってる?」って聞いても「……?」みたいな反応されたら困るんだよ。
例えば「キーボードから数値を10回入力し、それぞれの値を配列に格納して、最後に配列の値を逆順に表示せよ」みたいな問題が出てきたときに、「キーボードから値を入力する」「10回繰り返す」「配列に値を格納する」「配列の値を逆順に表示する」に分解できると思うんだけど、自分が何やりたいのかわからない奴はまずこれができない。
彼らには「キーボードカラスウチヲジュッカイニュウリョクシソレゾレヲハイレツニニュウリョクシテサイゴニハイレツノアタイヲギャクジュンニヒョウジセヨ」に見えている。
かろうじて「キーボード」「ハイレツ」あたりの単語は拾えるらしく、標準入力から値とったり配列を作ったりはしてるんだけど、そこから先に進まない。モニターにらみつけてる。またにらみつけるかよ。
あれだ、算数の文章題できなくてとにかく文章に出てくる数値足したり引いたりするやつ。あれのプログラミング版。文章が読めない。
こういう人にはメモ用紙取り出して、まず文章が何について言ってるのか、どういう工程に分けることができるのか、今後も同じことが起こったときにどうやって分けるのか。みたいなのを教えるんだけど、大抵あんまりしっくりこないらしく、成功したことは皆無。なんとかうまく教えたいんだが。
もうこのあたりになってくるとプログラミング関係なくね……?ってなるんだけど、意外とそういうプログラミング関係ないところで詰まる人めちゃくちゃ多いよ。
今すぐプログラミングをやめろ
その生成された増田の文章は検索情報羅列系だから「好き嫌い」みたいな感情を揺さぶる文章ではなく「上手い下手」という巧拙を出す文章でもなく、ただ単に「便利」というだけの話なんだよな。ジャンルとしては攻略wikiみたいなもの。
しかもそれはネット上の検索情報を羅列したものだからAIは得た情報を「整理」しかしてない。プロンプトで操作するにしてもその命令文に何の捻りもない。
だからAIであるという以前に人間である増田の思想の薄さがここで垣間見えるんだよな。
AIで文章を書くにしてももっと上位レイヤーの情感や思想、トリックを描いて訴えたいもんだが、まあ所詮この人間増田には無理とみえる。
長年通ってる美容室を変えるか迷っている。
自分が歳をとったこともあり客層の中で浮いている気がしてならないのだ。
わりとカジュアル目(ハイトーンとか個性派系)の美容室なこともあり、お客さんの大半は20〜30代前半までぐらいっぽい。
この数年は同年代の人を見かけなくなった。
カットしてくれてるのは昔からずっと店長さんで、技術的にこの人でなければ!!って感じではない。(いい人ではある)
なので変えてもいいのだが、じゃあどこに??って感じである。
そもそもアラフォーがメイン層かつハイトーン得意です!みたいなところがそんなに多くない。
なんていうのを何かの本で読んだけど、確かに「アートとそうでないものの境界線」があるとすると、作品を見た時に考えるべき物事のレイヤー数が多いか少ないかという感じがある
どんなに素敵な絵でも、考えるべき奥行きが無ければアートにならない
逆に言えば、その辺にある既製品でも、作者が少し工夫をしてそれらを付与できればアートになり得る
その理屈を学び、自分なりの理屈をつけて他人を納得させる(騙す)ことができる技術が、現在のアートという意地悪な見方もできる
そして、鑑賞者にもその奥行きを見抜くための知識と技術の習得が求められるという点で、現代アートの鑑賞は知的なクイズ(一定の知識がないと分からないクソゲー)になり得る
絵をやめて1年。
光の中でチヤホヤされる絵師の裏、影でもがいた末の私の無駄な2年間
Twitterを始めた理由はFantiaに誘導して金稼ぎしようというやましい気持ちでした。
そして勿論描く絵はr18です。r18は簡単に見てもらえますからね。しめしめと舐め腐っていました。
過去に一度だけpixivでr18を描いたことがあって、banされないかと怯えながら投稿した絵が1000ブクマ行ったのがきっかけです。
その絵は描きたいから描いた絵です。コマ割りなんてぐちゃぐちゃ、フォントも変、タグも全く付けてないのにスマホの通知が止みませんでした。
それに浮かれてTwitterとかいう薬物に手を出してしまいました。
しかし、やってみれば誰も見向きもしない。
pixivのフォロワーは何をしているんだ。私がsnsを始めたんだぞ。
何度見てもフォロワー0。
…いやいや、私なら1000人は行けるだろうと、甘い夢を見て早速一枚投稿
ですが反応は無し。やってられるかと早速Twitterを見なくなりました。
元々snsをスマホに入れないと固く誓うほど興味のない戦場だったので、この段階では諦めは早かったんです。
数日後、なんとなくTwitterを覗いてみたんです。
消そうかなぐらいの気持ちでした
開いてみるとフォロワー500……
天にも登るような気持ちでした、誰が私を見つけてくれたのか、爆発のきっかけは誰だ。
RT覧をスクロールすると何人かの1000フォロワー、万フォロワー持ちの人がRTしていたのです
認められた、同じ界隈に認められたんだ。
……なんて勘違いしていました。
今だからわかりますけど、跳ねる人は最初から1000フォロワーになるんですよね。
ふんぞり返った私は、さっそく描きかけで辞めていた絵の続きを描いて投稿
これも同じくらいにはrtされてウキウキでした
は?2枚目上げたんだから+500増えろや。
そんな事考えながらもTwitterとは継続が大事と聞いて、次の絵を考えます
色々と何か創作意欲の湧くいいアイデアの種はないものかと、散々探しましたがありませんでした。
きっと神にいいねされたというのが、ある意味で私の中の無意識の目標を達成していたのてしょう。
仕方ないので期限以内に間に合わせるため惰性のような絵を一枚二枚と上げて様子見が続きました。
そしてだんだん絵を投稿した後のフォロワーの数や、いいね、リツイートの数が気になりだします。
何故いいねしないんだ、何が足りないんだ。
pixivにいた頃は好きな物を気分で描いて投稿していたのに、なんというザマでしょう。
いいねの数に囚われて、金に目が眩み、絵の魅力を出せない状態に陥ってしまいました。
絵とは描いた人間の楽しいが染み付いたものに目が留まると思うんです。
子供の絵って思うがまま描いた絵ですよね。
それに比べて私は、人の目を気にして絵の魅力を殺している状態。
毎日頭を掻きむしりながら、こたつ机に座布団で腰を曲げて目をしぼませ画面を睨みながら、ペンタブを走らせる
大量の人体や、塗り方の資料とどこをどう塗るかの予定の暗記、レイヤーの暗記
お前らこういうのがいいんだろ?こういうのをいいねするんだろ?テカテカに彩度高めで塗ってやったぞ?
そしてある時、パタリと絵を描くのをやめました
絵を描かないといけない。と考えていることに気づいたんです
楽しくない、気だるい、嫌なことがフラッシュバックする。何か食べながらじゃないと落ち着かない
そんな鬱みたいな状態だったので、そろそろ資料集めしとかないとってタイミングでPinterestを削除したんです。
それからは解放されたようでしたが、他人の絵を見ることが辛くなりました。
いまだに上手な人の絵は称賛よりも嫉妬心が強いです
生まれたときから環境が整っていて、気づけば絵を描いてるみたいな幼少期だったんだろうな…。
こちとら2年叩き上げ、毎回知らない人間の関節と筋肉、ロボデザイン、サイバーパンクファッションに頭を抱えているというのにサラサラ描きやがって
デザインもお上手でいらして?お父様お母様のたっぷりある資金と愛情で美大卒でございますか?そうであってくださいまし。
美術部出身、彼氏持ち万フォロワー絵師、ボディメイクも欠かさない。
まあ、素晴らしい努力とスケジュール管理の才能がお有りで。ぶん殴ってやりたいです
奴らが苦しむ姿が見たいからです。
一 背景と気づき
誰かの手を借りなければできない。
だからこそ――
それが、この構想の出発点である。
二 目的
途切れず、安全に、誰にでも行き渡らせる。
その仕組みを少しでも国の手に取り戻す。
LINEのような見慣れた画面、
「どこに何を出せばいいのか」という
そして、傷ついた心に早く気づけるAIを。
(7)災害への備え
(8)国内産業の育成
(9)透明で倫理的な利用
高齢者の端末は、
いずれの端末も、
「話す・見る・押す」だけで完結できるようにし、
そしてAIが、
人の目よりも早く見つけ出す。
この道のりは、一足飛びにはいかない。
見た目も操作感も変えずに、
裏側だけを静かに入れ替えていく。
一歩ずつ、全国へ広がっていく。
五 実行体制
それぞれが、自分の持ち場で小さく働く。
けれど、その総和が、
六 これからの道すじ
試作端末とアプリを開発
結びに
誰かが取り残されないように、
暮らしの隅々まで、
朝の炊飯器のように、
誰でも迷わず使える――そんな端末を。
それが、この国の新しい「手ざわりのあるデジタル」になる。
現状のPixivはAIによる粗製濫造に侵されている。いや、AI投稿作品は棲み分けされてるでしょ?と思うかもしれないが、普通に「AI生成作品」にチェックを入れずに投稿されているにも関わらず、その実AIのポンだしというものが少なくない。というかかなり多い。
※ここでいうイラストとは少なくともAIによるポン出しは含めない
これは我々がインターネットをする上で心情としている「嫌なら見るな」に反するものだ。嫌なのに見せつけられている例のAAのような状況だ。
これは(AI絵を投稿するユーザー以外の)全てのユーザーにとって不利益だ。ではなぜPixivは厳格に規制せずユーザーのモラルに甘える(と言っても崩壊しているのだが)態度を貫くのか。
現状のAI絵はわかりやすい。t2iかi2iのポン出しか、良くて微修正したくらいだ。細部を見れば溶けている画像は絵というより絵っぽいものだ。
いわゆる「AI絵師」を自称する人にはそれなりの主張があるかもしれないが、描くという工程を得ていない画像はイラストとも言えない出来のものだ。
まぁそういう絵を規制するのは簡単だ。「下絵すら描かずにAIで作成した作品はAI生成作品とします。AI生成作品は投稿しないでください」とするだけでいい。
じゃあ「下絵(線画)は自分で描きました。塗りはAIに任せました」という作品はどうなるのだろうか。まぁこれも塗りという一番厄介な工程をすっ飛ばしてるのでAI生成作品に含まれるかもしれない。
少なくとも全ての工程で手描きしてる絵師からすれば自分と同じ列に同じ作品として展示されるのは「ふざけんな」と思うだろう。
じゃあ定義を広げて「作成過程における大半をAIに依存して作成した作品をAI生成作品とする」という基準に改める。…というかこれが現状のPixivの規制なのだが。
まぁこんな曖昧な基準じゃ「いや、t2i/i2iで画像を生成するのもプロンプトという技術とガチャという試行錯誤が必要で〜」と訳のわからん理屈で「手間をかけたからこれはイラスト!」という主張で投稿する奴が現れているのが現状。
じゃあやっぱり「制作過程の一瞬にでもAIが関わっていたらAI生成作品です」とすると、疑いの余地なくAIの関わりを断つことができる。できるが……
例えば「塗るといい感じに影を着色できるブラシ」とか「環境に適応していい感じに光を表現できるブラシ」というのが現れるとする。
現実的な悩ましい色の選択と難しいレイヤーの合成方法をすっ飛ばして『ビル街の中にある街路樹から漏れる淡い光を表現できるブラシを作成して』というだけで望ましいブラシと色を簡単に作成してくれるツールが現れたら?
アンチAI過激派なら「機械学習によって生成されたブラシによる着色なんて味がない」というだろう。
しかしこれから現れるAIネイティブ世代にとっては「いや、ブラシが生成されてもそれでうまく描けるかは結局力量だから」となる可能性は高い。あくまでブラシはツールで、最適解のブラシを手に入れたとして最高の絵が描けるわけではない。
というかこれは現状でも議論できる話で、例え完成品のイラストに1ピクセルも反映されていないとしても、AIによって生成された画像を参考に構図を決めたり着色してたりしてたら?
お気持ちの話をするなら「そういう楽はすべきではない、芸術とは自分の魂を込めることで手間を省いたものに魂は込められない」という人もいるかもしれない。
が、それは紙と違って簡単にRedo/Undoができるツールを使ってる人が言うべきではない。パソコンで絵を描いていない人だけが彼に石を投げなさい。
我々がコンピューターという便利なツールで描かれたイラストを当たり前に受け入れている以上、AIという便利なツールによって描かれたイラストを受け入れるのもまた時間の問題なのだ。
話を戻すとPixivがそういう「少しでもAIが関わってたらダメ!」という表明をすると、短期的にはいいが長期的にはユーザーが離れていく。
Stable Diffusionの登場はかなりの驚きだったが、既に歴史の中で似たようなことが起こってるのは承知だと思う。世界史で習ったイギリスの産業革命しかり、あるいはこの文脈でよく語られる「コンピューターが登場したことによって生まれたデジタルイラストには味がないと過去には言われていた」とかそういうのだ。
我々が今どんなに「AIはクソ」と主張しても10年後にはみんな使って当たり前のツールになっている。
想像の話だが、パソコンが生まれる前に存在していた「イラスト投稿雑誌」なるものがあったとする(※私はWindowsが生まれてから産まれているので、ガチでここら辺は私の想像)
そのイラスト投稿雑誌が「コンピューターイラストは誰でも簡単に描けて味がない!紙のイラストのみ受け入れます!」という主張をし、実践していたら簡単に時代の波に埋もれるのは想像がつくと思う。現実はパソコンで作成したイラストも受け入れる雑誌が現れて、そっちが生き残ると思う。
もちろんそれを現状のPixivにまんま当てはめることができるとは思えない。AIによるポン出し絵を投稿する人間にファンがつくとは思えない。ただ、AIを活用したブラシなどを使って描かれた絵なら、普通にファンはつくと思う。
まぁ結局、「AI絵は一律排斥しろ」というのは難しい。線引きが難しいからだ。またそうなった場合、厳格にAIを排斥するサービスは投稿者・閲覧者共に減っていくのは間違いない。
だからPixivは(現状では否定意見が多い)AIをある程度受け入れつつ、将来のAIネイティブ世代を受け入れる体制を作り続けないといけない。
そうじゃないと、AIを活用するイラストレーターがPixivから離れていくからだ(AI絵師(笑)ではなく)
そしてChatGPTから始まったAIサービスが普通の人間でも使えるようになった以上、AIに対して抵抗がある人間が減ることはあれど、増えることはない(まさしく産業革命に対するラッダイト運動のようなことは起きるかもしれないが、望むと望まないとに限らず、我々が機械に反発なく生活しているように、もはやAIを避けて生きていくのは無理なのだ……)
これが「AI絵は一律、厳格に対応しろ」と言う声にできない理由だと私は考える。もろちん、人的リソースの限界もあるだろうけど。
これはPixivに限った話じゃなくて、全ての芸術(音楽とか小説とか、あるいは動画とか)に及ぶ話だ。望むと望まないと、AIは使われてゆく……
「いや技術的な話じゃなくて、自分が描いた絵が無断で学習されて、それを使ったものが投稿されてるのが嫌なんだが」という人には『それはそう!!!!!!』と声を大にして賛同しておく。
しかし残念ながら、みんな大好きChatGPTですら著作権に対しては舐めた態度を取っている(Sora2とか…)ので、もうまじで残念ながら諦める以外の選択肢は極めて少ない。
だからこれを書いている私のスタンスは『』 もう時代の流れに身を任せて全てを諦め、そして自分の益になることは人から怒られない程度にAIから掠め取っていこう』だ。今の私の業務はChatGPTで成り立っている。
だからこの文章も別に「だからPixivはこうしろ!」とか主張するつもりはない。
「PixivはさっさとAI絵じゃないと偽ってAI絵の投稿するやつをどうにかしろ」という程度のことは常々思ってるが、それ以上のことを望むのは難しいんじゃないか、という考察をただ垂れ流しただけ。
C*****T:
CRITICAL ANALYTICAL REVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT: 精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造: 実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT: 弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS: ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層: 理論的借用】
↓
【表層: 顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン
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日本の教育現場では、児童・生徒がスマホ・SNSを利用することでいじめ・犯罪・自傷リスクが増大。
高齢者や中年世代も、スマホOSの変化により操作が困難で、生活に必要な情報アクセスに課題。
端末・OS・アプリが海外企業中心で、国民全体の生活基盤としての安全性・安定性が不十分。
政府アプリ(マイナポータル)の普及により、国民が行政デジタルサービスに依存する状況が増加。
デジタル機器利用がほとんど**「米や野菜の次元」まで多用されていることを鑑み、教育端末・高齢者端末を国産基盤で統一し、安全・安心な情報圏を確立**する必要がある。
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デジタル機器利用がほとんど「米や野菜の次元」まで多用されていることを鑑みて、OS/端末を国民に広く浸透させ、生活の基礎インフラとして安定供給する。
Google等の海外情報収集・広告モデルに政府が深く依存する状態を是正し、国内企業の技術・サービスを活用する。
LINE等国内企業製アプリのUI・UXを参考に、教育・高齢者向け端末の基本操作形態に転用。
マイナポータルと教育ポータルを連携させ、市役所・役場などの行政サービスへ安全にアクセスできる統一窓口を実現する。
いじめの「撮影→SNS拡散」を技術的に抑止し、第二次性徴期における心理的打撃を未然に検知・介入できる体制を作る。
中年・高齢者が既に慣れた操作感(ケータイ的操作)と、子どもの学習ニーズの双方を満たすUI/UXを提供する。
ネット遮断下でも安否確認・避難情報が機能する極小OSモードを整備し、国家レベルの迅速な対応を可能にする。
NECやLINE、国内スタートアップを連携させ、端末・OS・アプリの内製化・雇用創出を促進する。
情報利用の透明性(誰がいつ見たかの監査ログ)と、プライバシー・人権を尊重する利用ルールを制度的に確立する。
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操作方法は「トーク画面・アイコン・通知方式」を教育・高齢者向けに最適化
3-2. ターゲット端末
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LINE等国内製アプリUIを基本形として、教育・高齢者端末の操作性を最適化
TRON派生極小OS(Life-TRON)に移植する際もUI/UXの操作感を維持
互換レイヤーを用いて、Androidアプリも政府OS上で動作可能
4-2. サブフェーズ
OS設計・仕様確定 政府OS基盤設計 TRON系極小OSに国内UIを組み込み、教育・高齢者端末向け軽量UI・操作性を設計 IPA、TRON協会、NEC、LINE
移行用互換レイヤー開発 Androidアプリ継続利用 現行学習・連絡帳・SNSアプリを互換環境で動作。API/ID連携を政府OS標準に統合 スタートアップ、NEC
教育端末・高齢者端末実証 実運用テスト UI操作性、災害モード、ログ管理を確認 教育委員会・自治体
ポータル・アプリ移行 データ統合 教育ポータル・学習アプリ・SNS・行政サービスを政府OSネイティブ化 IPA、NEC、LINE、スタートアップ
全国展開・定着 完全移行 Android端末は段階的にフェーズアウト。全国学校・高齢者施設で展開 文科省・総務省・自治体
4. 段階的にネイティブ化・全国展開
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5. 実行体制
大手企業(NEC・LINE):端末製造・クラウド提供・UI転用
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6. 次のステップ