はてなキーワード: 食洗機とは
母はいつも台所のシンクに洗い物を溜めていた。「浸しておいたほうが汚れが落ちやすいから」「一度に洗ったほうが効率的だから」みたいなことを言うのだが、それは調理用の流しと洗い場が別々の、店舗の厨房みたいな条件下の話だ。
流しが一つしかないのにそこに汚れ物を詰め込んでいったら作業効率は落ちるしリセットの労力も跳ね上がる。
以外に正しい運用法はない。
大家族でもなければ食洗機は必要無い。(というか母みたいなアホは食洗機も使いこなせないだろう)
シンクがパンパンでどうしようもなくなると、専業主婦の母は父や息子たちにバチギレして「自分ばかりが家事をさせられている」「せめて洗い物ぐらいしたらどうなのか」と叱咤してどうにかさせていた。
「溜めずに、使ったそばから洗えば何でもないのにな〜」というのは後年自分で発見したことで、幼い子供の頃は母の言う通り家事は苦行であり母は偉大なのだと思っていた。
〜〜〜
「夫の家事参加」みたいな文脈で「料理は妻」「片付けは夫」で分担してますというパターンがある。
だからそれ洗い場が別の厨房じゃないと意味ないって。洗い物は調理の一部なんだから。「溜める口実」でしかない。
自転車整備で「ネジ緩めるのはボク、締めるのはあなた」というくらい無駄な分業である。なんでそんな非効率なことをするかというと、作業効率以外の目的があるからだ。
シンクの正しい運用がはっきりイメージできてなくて「洗い物はアホでもできる純粋な苦行」と思っていて、そこを引き受けることで主婦のご機嫌取りをするのが真の目的という構図である。かつての我が家のような。
食洗機のない我が家では、夕食後の食器洗いは夫婦の共同作業だ。私がスポンジを握り、妻がキッチンペーパーで拭く。無言の協奏曲のようなこの作業のなかで、いつもと違う時間が流れる。
箸を手に洗っているとき、ふと気づいた。私は決まって一組の箸をまとめ、いっぺんに洗っているのだ。丁寧すぎると妻に笑われるほど、皿の隅々まで磨き上げる私が、箸だけはなぜかペアとして扱う。その奇妙なルーティンは、まるでDNAに刻まれた儀式のようだ。
思い返せば、箸を使うときも二本を揃えることに無自覚の快感を覚えていた。並んだ箸が作る対称と余白のバランスは、日々の食卓に無言の安定感をもたらす。しかし、箸はそれぞれ確実に違う役割を果たしている。動かす箸、支える箸。機能は似て非なるものなのに、洗う瞬間だけは機械的に同じ扱いをしてしまう。
「箸は一体、何者なんだろう」と自問した。ナイフとフォークなら一本ずつ細部を確認しながら洗い、スプーンも柄から先端まで丁寧にゴシゴシやる。なのに箸だけは二本まとめて、手早く流してしまう。この小さなズレは、私の思考の盲点を示しているように思えた。
箸を丁寧に一本ずつ洗う実験を始めてみる。やはり丁寧に一本ずつ洗うと満足いく完璧な仕上がりが得られた。しかし、そのぶん時間はかかる。効率か、質か。家庭のリズムは、わずかなズレでも崩れてしまう。だが、気づきを放っておくわけにはいかない。
箸をまとめて洗うクセは、安心できるお約束事なのかもしれない。慣れた動作、変わらない所作が、心のどこかで安堵をもたらしているのだろう。だが、そこに隠れた盲点を分解し、新たな視点を得ることで日常は豊かになる。
暮らしの儀式をもう一度見直す――箸一本一本に意識を向けることで、雑に流されていた細部が輝きだす。朝のコーヒーカップ、夜のリモコン、玄関の靴べら。どれも、まとめ洗いから解き放たれた瞬間に、違う表情を見せてくれるだろう。
まとめることに安堵し、分解することで発見する。箸一本から始まる、家事という名の小さな旅。今夜もまた、スポンジを手に取りながら、私はその旅路の続きを探す。
その隣には私がグズグズと箸を洗い続けるのを少しイライラしながら、でも寛大な心で見守ってくれる妻がいることはとても幸せなことだ。
今どき食洗機あるのにまんさんは使わないの?
・ロボット掃除機があると「コイツが巻き込むと危ないからなー…」と渋々床に物を置かないようになる
・長いもの(コードとか)が長いまんまだったり袋がむき出しだと目がチラチラしてくるのか妙に散らかって見えてくるので片付ける
・洗面所の鏡は帰宅して手洗うついでにピッピって手の水気を飛ばしてからティッシュで拭く
とか聞いてると、うちの旦那をまじまじと見てしまう。今隣で寝てるんだけどさ。
旦那は年収2000万までは行かなくても、それに近いくらいは稼いでくる。
で、育児めっちゃやってる。オムツをかえたりするのはもちろん、お風呂にも入れるし、休みの日に連れ出して遊びにいくのもやる。
家事もやってくれる。洗濯機は乾燥までついた全自動だし、掃除はロボット掃除機があるし、食洗機もある生活だけど、残りの家事は炊事以外ほぼほぼやってくれる。
仕事はどのくらい多忙なのかわからないけれど、家庭優先で仕事量をセーブしてるところはあるらしい。実際、子どもが熱出したとかで早退してくると、旦那も仕事を早退して面倒を見にやってくる。土日出勤とかないし、仕事を持ち帰ってくることもほぼないし、残業することも滅多にない。
それでも毎月100万以上現金で持ってくる。自営じゃないよ、給料の手取りでだよ。
結婚する前、付き合い始めるときは正直この人変な人だなというのが印象だったよ。でも、当時無職の病んでるデブ(私)に生きてていいって言ってくれた人は旦那だけだった。
なので、変な人でも全然良かった。
結婚してから約10年だけど、その間に旦那は何度か転職をして、その度に年収が上がる仕事に決めてきて、正直今旦那が額面だといくら稼いでいるのかとか正確には知らない。
まるで妄想の中のスパダリの様なんだけど、いや、この生活が本当に全部妄想だったらどうしよう。
私がやってる家事は炊事とトイレ掃除くらい。育児でやってることはオムツかえたりたまに旦那の代わりにお風呂に入れることとか病院に連れて行くのは大体私って話くらい。仕事はアルバイト。
旦那からはもっと家事育児に参加してほしいって言われる。それはそうだろう。
ただ、旦那はなんで自分はこんなに稼いでるのに家事育児なんかやらなきゃいけないのか、みたいなことは一切言わない。自分もやって当たり前だって思ってる。
旦那の話をすると、すごい旦那さんだとよく言われる。収入のことは言わないけど、家事育児に参加してくれる姿勢の話をするとすごいと言われる。
そりゃそうだ。うちの旦那はすごい。
というわけでタイトルに戻るんだけど、高給取りでも育児するべきなのかは分からないけれど、高給取りでも家事育児をしてくれる男性はいて、そういう人はそれを当たり前だと思ってそうって話でした。
なんかさ、定期的に出てくるよね。
でも本当に昭和に戻ったら少子化って止まるの?って話なんだけど、結論から言うと止まらないよ。
まるで昭和時代がバラ色だったかのように語るけど、データも歴史もまったく見てないノスタルジー脳なんだよね。
まず現実見ようか。
1950年には3.65人だった合計特殊出生率が、1975年にはもう1.91人まで低下。
逆だよ。専業主婦が当たり前だった時代に、出生率は落ちてるの。
そもそも、家事も育児も自動化・外注化が進んだ現代で、専業主婦って必要?
専業主婦なのに最初は料理も掃除も一切しなかった。更に癇癪持ちで、かつ結婚後に境界性人格障害を隠していたことが判明。キレると別人格が出て来て罵倒の限りを尽くしてくる。
普段の言動も試し行動が常に透けており、普通に会話してるだけでも疲れる。
結婚後1年で別人格に罵倒された際に離婚する方向に至ったが、その後は心を入れ替えて料理はするようになったが、後片付けが全く出来ておらず、洗濯物も生乾きで積まれている状態。
食洗機も乾燥機もあるのに、家事が殆ど進んでいない。お手伝いさんを雇う話をしたら、家に人を入れたくないと断固拒否。
帰宅したら常に話し相手をせねばならず、風呂やトイレにも付いてくる始末。
俺が年収2000万ほどあるから、専業主婦出来ているのが楽なのだろうと思う。
結婚前に子供を作らないことで入籍したが、最近は友人の子供が可愛くて自分の子供が欲しくなっているが、妻が母親になっても子供に過干渉となるのは目に見えているし、非常に悪影響があると分かっている。
さっさと離婚すれば良いのは分かってるけど、腹を決めて帰るとメチャクチャ優しかったりして決心が揺らぐというのが何度もあった。