やれトイレの長さがどうの、やれ元AV女優が来たウェディングドレスがどうだの、いろいろな議論があるけど、個別の問題を具体的に議論するのは好きなようにやればいいけど、時々表われる「これは人権だから無条件でこちらが正しい(異論は認めない)」みたいな雑な人権談義が気にいらないんだよなぁ。
無条件で認められるべき人権(例えば生存権)は確かにあるだろうけど、無条件で認められるべきだからこそ無条件で認められる範囲というのは常に抑制的であるべきではないか? と思う。あれも人権だから、これも人権だからとイチゼロで無条件で認めることを要求すると、他者の尊厳を侵害するような人権になりはしないか? と。
なんとなくずっと違和感があるのはトランスジェンダーの人権。トランスジェンダー(特にMtF)の「人権」を認めるために女性更衣室や女子トイレの利用を認めろ、という話。この「人権」はいわば「尊厳」にあたるわけだが、他の女性が安心して着替えや排泄ができるというのも「尊厳」であり「人権」だろう。そのような主張を「TGの人権を認めないのか!」と糾弾する様子を見て、あまりにも人間性を失った「人権」であるなと。
まあ、つまるところ「人権」に対して何がしかの議論を入れようとすると「人権は無条件に認められるものだ、そんなこともわからないの?」と一方の人権のみを主張して議論を打ち切る連中、単純に嫌い。あと、高々一個人の発言を、たまたま目にとまっただけで、かつ隙があるからという理由で、針小棒大に取り上げてあーだこーだと攻撃する連中も嫌い。
このおばさんのほうがこわいだろ