というのも、はとっちが水尾の表面的な部分でなく、本質的な部分を好きになっているといくら物語中で描かれていても、それを"消費"する人たちが「地味で目立たないアタシの良さに特別気づいてくれるイケメン男子のラブコメ」みたいな誤った受け取り方をして再出力してるのが、二次創作やらコメントやら見てるとわかってウンザリしてくるからだと思う。
萌えてる当事者たちは絶対そんなことないって反論するだろうけど、でも水尾が少しでもブサイクだったら絶対今みたいに萌えてない。なぜなら、男女でかなり距離の近い関係性を築けているヨンスや野呂みたいなやつらとの関係性で恋愛萌えしてるやつ、マジで一人も見たことないから。実際はああいうやつらと親交深めていって結婚しがちなんだけどね。
鷹見単体、もしくは鷹見と水尾両方から恋愛的な矢印向けられてるやつとかはめっちゃ多い。結局そういうことなんだろう。
鷹見とはとっちの関係性をすぐ恋愛に持ち込む人とかも嫌なんだよな。あそこは原作者から直々に恋愛関係にはならないと言及されてたのに…。
「これ鷹見絶対はとっちのこと好きなやつじゃんーー!!」みたいに騒いでる人を見てる時の感情と、こないだ、エレガント人生のお二人が結婚した時に見かけた理解ないコメントに感じた感情は似ている。
男女というだけでライバル心や友情などの感情が全て恋愛に集約されていくのが嫌だ。
前々からマイノリティを丁寧に描く作品の割に読者の理解が追いついてないと感じている。
桃やたまきの話の時も「男を知ったら治る」「今はまだ思春期でわからないだけ」みたいな、当事者には絶対かけちゃいけないタイプのコメントとかかなり見かけたし、それと根本は同じ問題な気がする。
細々と裏でお仲間同士妄想するのは誰も止める権利ないし別にいいんじゃねとは自分も思うんだけど、この作品自体がキャラクターの感情や考え方、それとおんなじような立場の現実の人たちのことをすごく丁寧に扱ってくれる作品だからこそ、妄想癖の人たちに表に出こられた時の嫌悪感が出てしまうのかなとは思う。
まあジャンプラだし、いろんな年齢層の人がいるんだろうなとは思う。
個人的には鳩野の恋愛の動向は追いたいが、恋愛がメインになってしまったらそれは最初にあったふつうの軽音部の良さが無くなってしまう気がするので、恋愛展開は反応も良いし求める声が大きいとは思うんですが、あくまで軸は恋愛のみに限らず思春期少年少女のいろいろと、音楽であってほしい。