山上のテロ容疑者扱いは変わらず、単に教団側の被害者性が強まってしまうので、仮に事件を起こした背景の悲劇性が語られても教団の違法化には繋げにくかっただろうな。 殉教者が発生して教団側の結束が強まることの有害性のほうが勝るかもしれない。 もし直接の元凶の母親を殺していたら、事件の背景となった教団の悪質性がナラティブとしては喧伝されそうではあるが、よくある新興宗教に陥った人間ドラマ程度のものとして消費されていた可能性が高いと思う。 「山上=加害者」「教団=被害者」となると違法化に繋げにくいのでそこを回避する必要があった。 「山上=加害者」「教団=トリガー」「母親=被害者」だと世間へのインパクトという面で弱い。 「山上=加害者」「教団=トリガー」「元総理=被害者」これが教団の悪質さを最も効果的に世間へ広めることに繋がったよな。