夢だけでなく、腐の見る専で同人誌買ってた事もあるし、男性向けジャンルに居た事もある。
ただ最近は古いジャンルばかり漁ってるから最近の界隈の雰囲気について知らない事も多いのでそこは大目に見てください。
まず夢女子の語源となった夢小説とは何なのかという話からしたい。
おそらく、夢小説を読まない人にとっての夢小説とは「原作キャラクターではない人物を登場させ、自分の名前をつけるなどして、キャラクターとの恋愛を楽しむ小説」という認識ではないだろうか。
長年の夢小説に慣れ親しんできた人の中には、この定義はちょっと合わないなと感じる人もいるだろう。
そもそも夢小説の定義は書き手や読み手の間でも長年フワッフワの状態のまま宙を漂っていたし、夢小説がそうなのだから夢主の定義もまたフワッフワだ。
ある人は夢主は自分だから没個性でなくては認められないと言う。自己投影する。
ある人は夢主は単なる舞台装置にすぎないので、性格はどうでもいいし、自分とも思っていないと言う。感情移入はしても投影はしない。
ある人は疑似恋愛を楽しみ、ある人は原作にはあり得ない状況(非恋愛多数)を楽しむ。※1
つまり夢小説を定義づけるにあたって「夢主や小説の内容、自己投影の有無は基準にならない」。
我々が楽しんでいる小説に共通するのは「夢主の名前が変更できる(名前変換)」または「夢主の名前を登場させない(ネームレス)」という機能だけなのである。※2
よって夢小説とは、「名前変換」あるいは「ネームレス」を機能として有する小説の総称である。というのが私の認識している夢小説の定義だ。夢小説とは文庫本やウェブ小説に近い言葉だと思っている。
※2補足。この前提があるので、「名前変換機能がある乙女ゲー」の乙女ゲー主人公を主人公とした「名前変換なしの二次創作小説」は夢小説ではなく、カップリング小説であると見る向きが強い。なお、名前変換機能がある乙女ゲーの名前変換ありの二次創作小説は原作準拠のカップリング小説、もしくは夢小説である。こちらは書き手の認識による。
初出は定かではない。
ドリーム小説スレを遡ったら2015年に「夢女子」という言葉が使われている。一応2010年まで遡って検索したけど0だった。
吐き捨てスレでは2012年に1件書き込みがあった。こちらは2008年まで遡った。
少なくとも2012年には存在していた言葉のようだ。有識者求む。
なお、2016年のスレには「夢女子って自称しにくいよね」という話題が出ており、夢女子という言葉が頻出している。
この当時の認識としては、夢女子は以下のような人を指すための言葉だったようだ。
・夢小説を読んでいる、または書いている人
・夢絵や夢漫画を描く、見る、読んでいる人
・キャラにリアコしている人
私が初めて「夢女子」という言葉を強く意識したのは、2014年頃アニメイトで「夢⭐︎恋-ドリコイ」を見た時。「商業もついに腐女子のみならず夢まで手を伸ばしてきたか……」と思った。
ただ「夢女子とは二次元キャラに本気で恋するオタク女子」という説明には違和感があった。それが夢の全てじゃないと感じてたんだと思う。友達に夢小説のゆの字を出したら蔑みの視線を向けられるような時代だったのもあり、ドリコイを手に取る事はなかった。
その頃まで、夢小説読み友達や個人サイトのブログからも「夢女子」という言葉はあまり見聞きした覚えがない。
言葉の意味は変化するものだ。夢女子という言葉もまた2016年頃の定義から変化してきた。
現代では「夢女子」とはほぼ「リアコ」と似た意味を持つ言葉になったのではないかと思う。(なぜ変化したかについて詳しくないので記述できないが、最近の使い方を見るにこの定義に間違いはないのではないかと思う)
2016年当時の3種類のうち、「キャラにリアコしている人」という意味が特に強くなり、他の意味は付属品のような扱いになったように感じる。
夢小説に絡めて言う「夢女子」とは、「リアコなので夢小説という疑似恋愛も嗜む」という認識なのではないか。
しかし前述の通り、夢小説を読み書きする者(以下夢小説好きと呼称する)は必ずしもリアコではない。夢小説好きには、自己投影する人もいればただ物語として楽しむ人もいる。
よって現代の「夢女子」は「夢小説好き」を完全にカバーした言葉ではなくなった。
男性オタクは「全員」夢女子的な思考がある。は主語が大きすぎるので否定するとして。
「多くの男性オタクは夢女子的な思考をする傾向があるか?」を考えてみると、そもそも夢小説や夢女子の定義が曖昧なので、人によって真にも偽にもなるとしか言えない。
夢女子=リアコと考えるのであれば「男性オタクは全員夢女子的な思考をしている」という認識を受け入れられないのは当然。
一方、夢女子=「キャラと関わる「何者か」に感情移入しがちである」という認識であれば、男性オタクはかなり近い思考がマジョリティではないかと思う。
数年ほど艦これの提督をやらせていただいていたのだが、男性向けジャンルでは「何者か」を登場させて感情移入する楽しみ方を否定しない傾向があると思った。カプ者とTヘッド(オリキャラ提督)と画面の向こうの提督※3など別々の楽しみ方が共存していた。まぁ水面下での争いはあったのだろうし、それぞれ嫌う人もいただろうけど、少なくとも「何者か」に感情移入している人達を明確に気持ち悪いと言ったりとか、蔑みの視線を向けたりとか、そういうことはなかった。「推し」という言葉が登場する前はキャラは「嫁」だったし「ママ」だった。自分を主体にキャラとの関係性を考えるというのは夢女子的な思考ではないかと思っている。ただ男性向けはそこをはっきり区別したがらないという印象がある。本気で嫁と思っててもいいし思ってなくて純粋にネタで言っててもいい。そういうグラデーションを許容していたように思う。だからこそ居心地が良かったのだと思っている。
ラブプラスはキャラ×自分の典型的なゲームなので現代的な「夢女子」という言葉にばっちり該当すると思う。
※3 画面の向こうの提督は「何者か」に該当する。役職や立場のみ決まった「何者か」である。
ここまで語ってきて、ちょっと夢主について整理したくなった。計画性なく書いててごめん。
私が思う「夢小説」の「夢主」とは、即「自分」(=読み手、書き手)を意味するわけではない。もうワンクッション置いた存在で、「何者か」と言うのがいいのではないかと思ってる。あくまで私視点の話であって、夢主=自分と認識している人も勿論いる。
書いてる時は個性を意識するし名前も固定で書くんだけど(名前変換の準備の手間が減るし)それでも夢主は「何者か」であってキャラクターではないし自分でもない。読み手がキャラクターとして読みたいならキャラクターに、自分として読みたいなら自分になる。そういう存在だと思っている。
夢というジャンルの存在感が大きくなりすぎて、夢、夢女子、夢小説といった言葉の曖昧な定義が肥大化したり、完全にとまでは言わないものの語源の夢小説から意味が離れてきてしまった。
人によって定義が異なり、かなりブレブレである。だからこそ夢男子のポストは様々な意見が集まった結果バズったのでは?と思う。
現代の「夢女子」という言葉は「夢小説好き」とかぶる部分はあっても、イコールではない。なので2025現在では夢女子と夢小説好きは違う。という話でした。
ちなみに蛇足として、私の夢小説の原点は「ピカチュウが現実にいたらいいのになぁ」です。
ピカチュウと恋愛したいとは特に思ってないけど、一緒に遊んだりバトルしたりしたい。そういうのも私の認識する「夢」に含まれる。でも世間一般では「夢」はほぼ確実に恋愛を含む言葉になっちゃったから「夢」「夢女子」って言葉は使わないようにしてる。
以上です。乱文失礼しました。
2010年前後は 「好きなキャラには自分をカップリングするのが普通だろ?俺の嫁! なのに腐女子はなぜ好きな男キャラに他人(作中の男キャラ)をあてがうのか?理解できん」的な意見...