はてなキーワード: 個人サイトとは
AIが生成した絵とか文章とか、もう見飽きた。 「すごいですねー(棒)」って感じで、たしかにクオリティは高い。 俺たちが汗水たらしてやってきた仕事のほとんどは、もうAIでいいじゃん、って本気で思う。
でも、あいつらに絶対無理だろって思うことが一つだけある。 それは「コミュニティを作ること」だ。
いや、AIは「DiscordのBot作ります」とか「最適なマッチングを提供します」みたいな“仕組み”は作れる。 でも、そうじゃない。 俺たちが欲しいのは、そういう「効率的なつながり」じゃないんだ。
昔のインターネットを思い出してほしい。 個人サイトの隅っこにあったクソみたいな掲示板とか、意味もなく常連が集まってるチャットルームとか。 明確なルールもないし、特に有益な情報交換をしてるわけでもない。 なのに、そこにはちゃんと「空気」があった。 管理人がいなくても、なぜか“場”として成立してた。
翻って、今のSNSを見てみろ。 あれはコミュニティじゃなくて、ただの「戦場」か「ショーケース」だ。 AIが「次はこの弾(タマ)がウケるぞ」「このネタは燃えるぞ」って最適化して、俺たちは「いかに注目されるか」っていう椅子取りゲームを延々とやってるだけ。 そこにあるのは「関係」じゃなくて「インプレッション数」だ。
AI様には「場の空気」なんていう非効率なものは理解できない。 だって「空気」ってのは、「誰かが気を遣った沈黙」とか「あえてスルーする優しさ」とか「ノリで言ったどうでもいい発言」とか、そういうデータのゴミみたいなもんで出来てるから。
「なんとなく好きだから」とか「なんか落ち着くから」で集まる関係。 AIから見たら、そんな目的のない行動は全部バグだろ。
AIが効率的な仕事を全部やってくれるんなら、俺たちに残された仕事は「無駄を極めること」なのかもしれん。 いいねもリポストもつかないけど、なぜかそこに戻ってきてしまう。 そういう“空気”を育てること。
2005年のときは、まだTwitterもないので、個人のWebサイトかブログが情報発信の主たる手段だった。
2ちゃんねるのWWRYの掲示板がすごく治安が良かったのを覚えている。治安が良すぎて、他の板の人たちから気味悪がられていたのを覚えている(´・ω・`)
ネガティブな意見はそういう他の板から来たくらいで、非常に情報収集にも役立った。
やはり個人サイトやブログよりもディープな情報は2ちゃんねるのほうが集めやすかった。
来日公演はピーター・マーフィーという人が主演のガリレオ役だったけど、前年まではマイケル・フォーゾンという人がやっていたっぽくて、パンフレットの写真はマイケルのものが使われていた。
来日中にピーターがケガして一部休演して、急遽マイケルが来日して凌いだというのも2ちゃんねるで知った(マイケル来日前はもちろんアンダースタディで凌いだらしい)。
コマ劇場ってWWRYの開演タイミングでリニューアルオープンして、歌舞伎町の浄化のシンボルみたいな位置づけをされていたけど、2008年でクローズしているのねー٩(′д‵)۶
whoiswwwwww個人サイトでもやってるつもりかwwwwwww
インターネット老人会はみんな知ってたことだけど、それを後の時代の腐女子が勘違いして広めてるだけだと思う
現代のネットでは「2000年代の個人サイト時代、同人サイトは2ちゃんねるの男オタクに荒らされまくった」という話がよく語られる。でも、当時を知る者として、その記憶には少し違和感がある。
確かにVIPPERが同人サイトへ突撃したりブログを炎上させた事件はあった。しかし、当時無数に存在した、一日数十PVしかないような弱小同人サイトを荒らしていたのは、本当に外部の男オタクだったんだろうか?むしろ、もっと根深い「内部抗争」が原因だった。当時のネットの構造から、そう結論付けられる理由を説明したい。
まず前提として、2000年代初頭の個人サイト文化、特にジオシティーズに代表される世界は、現代のSNSとは全く違う。
発見が極めて困難:Google検索は今ほど万能ではなく、サイトのURLもランダムな文字列に近い。アルゴリズムによる「おすすめ」なんて存在しない。
孤立した文化圏:サイトを見つけるには、特定のジャンルに特化した「リンクサイト」や、サイト同士で張り合っていた「リンク集」をたどるしかなかった。つまり、そのジャンルに詳しい人間しか、そもそもサイトにたどり着けなかった。
この環境は、外部の人間(例えば、なんとなくやってきた2ちゃんねらー)に対しては、事実上「不可視」だった。しかし、同じジャンルを愛好し、アクセス方法を知っているファン同士にとっては、お互いの存在は筒抜けだった。この構造が「蛇の道は蛇」――つまり、荒らしは内部の人間だった、という仮説の土台になる。
世間で言われる「2ちゃんねらーによる襲撃」は、その性質が弱小サイト荒らしとは根本的に異なる。
目的は「祭り」:彼らの「突撃」は、大企業や有名人など、話題性の高い相手を標的にした「お祭り」だった。参加者が一体感を楽しむためのパフォーマンスであり、誰も知らない個人サイトを叩いても、彼らにとっては何の面白みもない。
女性オタクは一方的に弱くなかった:歴史的な事実として、VIP板がやおい板(801板)に戦争を仕掛け、返り討ちにあった事件がある。801板の住人たちは、暴力的な言葉ではなく、VIPPERを題材にしたBL妄想を即興で展開するという「文化的な攻撃」で相手を混乱させ、降伏させた。これは、彼女たちが独自の結束力と強さを持っていた証拠だ。
VIP板が女性向けまとめブログを攻撃した事例(第一次ブログ連戦争)もあったが、これも標的は「ある程度有名なサイト」だった。無名の個人サイトを狙う動機が、彼らにはない。
では、誰が荒らしたのか? 答えは、同じジャンル内にいた、解釈違いのファンたちだ。
当時の同人界隈では、「カップリング論争」が今よりもずっと先鋭化していた。
固定 vs リバ:キャラの攻め受けが固定か、リバーシブルか。
これらは単なる好みの違いではなく、自分の信じる「正史」を揺るがす「異端」との戦いだった。自分の解釈と違うサイトは、コミュニティの秩序を乱す悪であり、それを攻撃することは浄化として正当化され得た。
1. 同じジャンルのファンだから、専門用語で検索して同人サイトを見つけられる。
3. どのサイトがどんなカップリングを扱っているか、詳細に把握している。
4. そして、そのカップリングがなぜ自分たちの思想にとって「許せない」ものなのかを理解している。
外部の人間には到底不可能な、極めて精密なターゲティングができるのは、内部の人間だけ。「蛇の道は蛇」とは、まさにこのことだ。
結論として、2000年代のネットには二種類のハラスメントが共存していた。
1. 外部からの襲撃:2ちゃんねらーによる、有名サイトを狙った派手な「祭り」。
2. 内部のハラスメント:同ジャンルのファンによる、解釈違いを理由とした陰湿な個人攻撃。
日常的に多くのサイト運営者を苦しめていたのは、後者だった可能性が極めて高い。
では、なぜ現代では「犯人は2ちゃんねらー」という話ばかりが残ったのか? それは、歴史が単純化された結果だろう。「外部の敵」という構図は分かりやすく、劇的で記憶に残りやすい。一方で、ファン同士の醜い内ゲバは複雑で、語りにくい。
そして決定的なのが、ジオシティーズの閉鎖によって、一次資料である無数の個人サイトが永遠に失われてしまったことだ。証拠が消え去った今、よりキャッチーな物語だけが生き残り、史実とは異なる認識が広まってしまった。
更に言えば、今現在SNSなどで繋がっている相手が当時の対立相手だった可能性が捨てきれないので、この内ゲバの記憶を封印し、残った2ちゃんねらーの突撃の記憶だけを語るようになった。
この事実は当時の801板の過去ログdatでも確認できて、自分の同人サイトが荒らされている理由として男性やVIPPERなどという言葉は出てきておらず、犯人として別カプや他ジャンルの名前を挙げている書き込みが殆どであることから伺える。
この記事はGoogle Gemini 2.5 Pro Deep Search(課金版)で作成されました。
どうやらGeminiは「なんでB×Aなんて描いてるの?気持ち悪い。原作読めばA×Bが公式だってわかるでしょ。サイト閉鎖しろ。」とか「ここは私のサイトです。どのカップリングを描こうと私の自由です。このような書き込みは今後削除します。」とか「最近、他サイト様の日記で名指しはされていないものの、明らかにうちのことを指していると思われる批判を見かけました。『節操がない』『キャラへの愛がない』といった言葉は、とても悲しいです。」のようなやり取りもURLと共にそのデータベースへ保有している模様。
と、個人的には感じていて、知人くらいしか見ないアカウントなので「それならこうしたら燃えなかったのにねー」くらいの発言をした。
もう少し具体的にするなら、「AI利用してる商店の意識変えるための活動しますとか、初回は安くイラスト描きますよ!とかすれば好感度上げになるだろうに」みたいなニュアンス。
5分後に引用で罵詈雑言を並べたポストが通知され、以降大体1時間に1回は引用で罵倒が飛んできている。
正直面白い。
以前似た感じでAI炎上事案に発言した時もちょっと引用されたが、その時は割と理性的な人が多かった。
「これが感情論に近くて、時代的に淘汰される流れだとしても、抗議する人間はいることは示したいんだよな」みたいな感じ。
それに対して、今回はリーチした層が違うのか、反AIのやばさが加速したのか、ストレス発散!みたいな文章しか飛んでこない。
・死んでくんねーかな
etc...
驚くのが、そんなポストをするアカウントが、裏垢とかでもなくて、秋葉にある〇〇の店主です!とか、ハーメルンで二次創作小説投稿中!とか、お仕事募集中!とかをプロフィールに書いていること。
加えて、画像欄を見ると二次創作や、よくある漫画の切り抜きで画像返信、とかをしていること。
シンプルに仕事に響くのでは?と思うし、実際個人サイトある人のworks欄とか、直近ポストを調べると仕事が来ない客が減ったと嘆いてたりする。
まあ逆もあったので一律では無いけど。
不思議なんだよね、最初の要約の通り、別にAI使おうぜ!と言ってるわけでも無い。
なんなら個人的には、先に書いた通り穏和な人の言っていた「抗議の意思は示したい」に感銘を受けたので、AIは使われるようになるだろうけど法整備とかしたいよね!の発信側だったつもり。
そんな人間に寄って集って罵詈雑言浴びせるって、敵を作るだけなのでは?
意図するものはなんなのか、政治的集団的に優位に立ってAIの広がりを抑制したい、じゃないよなこれ。エントリーにあったようにストレスはっさんと承認欲求なのか?
そんな疑問がこの数日回っている。
比較的文章がまとも……罵詈雑言を勢いに任せて書いてるけど、漢字変換とかがちゃんとできてたり主語述語が書けてる人間をターゲットに。
疑問をぶつけて回るターンに入ろうかなと思う、無駄かもだけど。
情報を持ち寄りみんなで寄ってたかって「検証し編集してく過程」こそが集合知なん。
「たくさんの人が集まれば誰か何か知っているだろう」、は誤用なん
現実的には単なる情報の集まりですらない。うんこと宝石をごちゃまぜにしたゴミ山なん
「90%のSFはゴミだ、しかし、どんなものも、その90%は糞である」
人間には処理できる限度があるん。たとえば上限が10個としたとき……
単に情報が多く集まっているだけなのはむしろコスパが低下しているのん
テキストでも無数の個人サイトがあるだけなのは集合知ではないのん。wikiなり、掲示板のテンプレなりの
みんなで寄ってたかって検証し編集してく過程を経たものが集合知なん
現状の動画サイトは投稿者が不特定多数に情報を一方的に伝達する行為で実質的に小規模なマスコミなん
みんなで寄ってたかって検証し編集してく構造になっていないのん
また、動画はテキストに比べて情報の編集容易性、即応性も非常に低いのん
前提として私は成人向けの本も読むし好きだし、エロが悪では無いと思っている。
XでCP名で検索すると同志の方がすぐ見つけられて便利な世の中だと思う。
どんな作品があるだろう、どんな考察があるだろうと心躍らせ掘っていって驚いた。
しかもpixivなどのリンクが貼っている訳でもなく、センシティブ設定にもされずに垂れ流されている。びっくりした。
日常、ギャグ、シリアス、雰囲気重視といったものが殆どなく、エロ、もしくは過剰ないちゃつきの作品が9割だった。
なによりも驚いたのはAとBのカップリングにおいて2人とも「お前誰だ」となる性格改変された人物が主流だった。
ガワだけ私の知っているキャラクターのオリジナルカップリングを見ている気分になった。
(たとえばAは落ち着いた冷静に物事を考えるキャラなのに単なるツンデレにされている。Bは無条件で笑うだけで相手を堕とせるスーパーアイドル化していた。
お前は誰だ。)
作品に登場したのが数年前だったので、当時の作品はそれほど多く見つけられなかったが、その時代は然程私の知っているキャラクターから剥離していなかった。
そんな折、某少年漫画ジャンルの成人向けに関する注意喚起が流れてきた。
未成年の子が成人向けの作品を見てしまいそうだった事、未然に防げたがせめてセンシティブ設定をしてほしい、といったような内容だった。
この話題は他ジャンルへも飛び、色々な学級会が開かれていたようだが効果は無かった気がする。
何故ならそのあと流行り出した子供向けの作品で普通にBLエロ二次が流れてきたからだ。
今回私がハマったジャンルが特殊だったのかと思ったが、Xに流れてくる他のジャンルを見ていても成人向けが増えている気がする。
私は昔のオタクなので個人サイトの隠しページ、pixivの成人向けコンテンツと分かれていた時代しか知らなかったので驚愕だった。
私の嵌ったジャンルではエロやイチャイチャした作品は伸びやすいと思う。
だからか大手もその傾向しかかいてない。その傾向をかいているから大手になったのかもしれない。
健全二次創作を得意とする友人に上記のことを話すと現在の赤ブーのイベントはほぼCPオンリーだと教えてもらった。
彼女は私に尋ねた。「どうして人様のキャラクターを借りているのに設定を壊してまでエロがみたいの?」
私は上手く答えられなかった。昔は私も喜んで成人向け二次作品を読んでいたのに。
こういった話題になると「原作で読めないから」「あえて、見たい」といった意見をみる。わかる、わかるのだが、それでもこのエロばかりが満映している現状は、なにか違う気がする。
歳を取ったからだろうか。それとも設定に準じている成人向けなら楽しめるのだろうか。
学生の頃イベントで慣れ親しんでいた「オールキャラ本」、それが絶滅しかけている。
界隈大手のキャラ設定がまるで原作がそうであるかのように他の創作者もかいている。
エロが悪いわけではない。イチャイチャしている作品が好きな人がいるのも分かる。私も好きだ。
先日行われたコミケの話題で「同人誌=エロ本というイメージがついているが、そうでは無い」といった呟きが回ってきた。
簡単に成人向け作品にアクセスしてしまえるし、オススメに流れてくる作品は(年齢がバレそうだが)快感フレーズ連載以降の小コミ掲載作品レベルの親密度が普通のようだ。
Xで「日本人は忠臣蔵さえ成人向け二次創作をする」といったポストがバズっていた。
なにかヒントはあるだろうかとコメントを読んだがピンとくるものはなかった。誰か言語化できる方がいたら教えて欲しい。
何度も言うがエロが悪い訳ではない。
ただ棲み分けをして欲しい。
作品傾向のジャンルがない界隈は新規の参入口が狭くなってしまう。それは衰退に繋がる。
今なら分かる。あのジャンルは公式が成人向けを禁止しているので親が安心なんだ。
同じく低年齢層の新規が盛んだと聞く東方projectも、例大祭という巨大なオンリーイベントで成人向けがゾーニングされている。
なにより健全二次創作に需要がないと、友人含め創作主に思わないでいて欲しい。
オールキャラ、日常、ギャグ、ほのぼの、シリアス、そういったタグをpixivで巡れていた日が懐かしくなるとは思わなかった。
昔は、映画や漫画の名前を入れて検索するとマニアックな個人サイトばかりが検索結果として表示されるのが普通だったんだよ。
でもそれが今や検索すれば最初に出てくるのはアマゾンや他の商業サイトばかり。お金の消費を促すか馬鹿みたいに広告ばかり表示されるサイトが主で、「趣味でやってます」みたいなサイトは本当に激減してしまった。
いや、激減したという表現は正しくなくて正確には検索結果に出なくなった。駆逐されたのではなく淘汰されたのだ。
昔のネットはもっと牧歌的だった。少なくとも今みたいな拝金主義ではなかったし、好きでやることの情熱があった。今は良くも悪くも拝金主義になりすぎているし、とにかく収益を得ようとしているところなどはを見ていて本当に嫌になる。露悪的であるし、それを露悪的であると思わないほどには貧しくなっている。
だから商業サイトが出てこない検索エンジンを作ろうと思っている。今のネットは資本主義に毒されている。そもそもネットっていうのはそれほど重要でも偉大でもないし、もっと陳腐でくだらなくて、だからこそ居心地が良くて愛せるものだったはずなのに。
想定40代〜60代
たぶん35〜45歳くらい
少し前まではインターネット老人会といえばここらへんが多かった
35歳くらいかな
にこにこが青春みたいな人ら
案外若く、今アラサーくらいだと思う
ちなみに俺はISDNからだけどニコニコずっと見ていた、あそこではおっさんと言われていた
25歳くらいかな
ここらへんの子ってXはアカウントだけ持ってるけどあんま見てないんだよね
ここが何になるかは今後5年で決まると思うんだけど
最近はミニゲームがたくさん集まっているようなアプリにキッズが沢山いるので、ひょっとしたらそのままTikTokから移動するのかもしれない
Pixivと作者さんの個人サイトで連載されてるウェブ漫画。格闘要素もあればラブコメ要素もあって分類が難しいけど、喧嘩がめちゃくちゃ強い不良姉妹の人生を追うストーリー。一話目を読んでただのほのぼの4コマじゃんと思って離脱せずに、どうか読み進めてほしい。画力もストーリー構成もキャラの配置もそこらの商業作品とは比べものにならないくらいハイレベル。
今20そこそこの自分にとって80年代とかって親の青春時代だから現代と地続きな感じがしていて、そんなに昔じゃない気がしてたけど、フィクションとはいえ番長とかスケ番が当たり前にいるし、作品内でも極悪非道とはされてたけど学校内でかなりの犯罪沙汰が起きてたり、読み始めた当時は高校生だったこともあって、昭和の高校生活怖すぎると結構ビビらながら読んでいた。この頃は更新された時に最新話だけ読むという感じだったけど、改めて最初から読み返したらしみじみと面白い。今でも作中の高校生たちの方が遥かに大人に思えるよ。
正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。
もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。
こちらも可能な範囲で言葉を尽くすので、「腐女子の功罪」について共に今後も考えて欲しい。
もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。
0.著者は何者だ?
自分は世紀末〜平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマの描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。
世紀末のアニメや漫画はキッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。
続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。
このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。
ライブ感優位の物語が摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。
時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式/非公式問わず)カップリングさせ、恋愛やエッチなことをさせたいと思う女性」とする。
確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。
自分はテニプリの個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉の黎明期だったのではないか?と見ている。
ボーイズラブ(BL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。
公式コミックだと思って購入したマンガが18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?
人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式で恋愛関係、結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。
とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。
3.腐女子って変化してんの?
平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。
また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼、聖闘士星矢などが晴海の同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。
で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。
腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。
だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしか生まれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばしてしまう。
そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。
男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマ、ニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク=犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。
自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性の表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。
教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。
彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクにだって居場所はあるのだと。
前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。
どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。
ある。
というか、「腐女子」という言葉が生まれてから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。
少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトのジャンル変容を添えて教えて欲しい)
わかる、めっちゃわかる。
だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。
当然である。
それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタクは!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ。
引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。
『腐女子』という言葉の発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。
腐女子を名乗れば、強くなれる!
自分は腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。
平成初期、まだ昭和の価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然と蔓延っていたのがオタク世界のインターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクのオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。
そもそも「PCという高額商品とインターネットに月額課金」という特殊な環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。
人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?
そんな時代にオフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。
(参加した事ないけど一緒にtalk!時代のガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)
ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性にしかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。
上澄はとことん品位があったものの、底辺はマジで救いようがなかった。
中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代のインターネッツだ。
こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。
下ネタで絡まれ、マウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。
ポイピクなどで見られる「パスワード」機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタク達から身を守るために必要とした防衛機能の名残である。
誰かと繋がりたい。
でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。
当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラや人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。
ただイラストを描いただけなのに。
ただ感想を書いただけなのに。
女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタや嫌がらせのコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。
ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。
「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?
わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw
あ、文字読めねぇのかwwww」
こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉なアイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。
というか、この『腐女子』という言葉のインパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。
それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。
そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。
同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク=腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれてしまったのも痛かった。
ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラルに勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。
女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。
多少は本命の女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…
これが平成初期女児向けコンテンツのスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。
筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。
ディズニー黄金期のリトル・マーメイド、美女と野獣、アラジンの3コンボと派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナはウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラとかめっちゃ捏造して遊んでた。
そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代の存在を否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクターや女性読者との関係を否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子は原作の敵」に見えてしまうのである。
そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。
それが省略されて夢。
男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分の名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットとホームページ制作ツールの進化によって可能になった。
それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラやゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクがじわじわとケータイサイトを中心に姿を現し始めた。
同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様系女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。
しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。
筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様系女子は間違いなく存在した。
そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である。
かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。
ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。
これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。
しかも夢女子は腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである。
夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子の名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。
ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想や公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。
「推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである。
で、その視点から見ていて夢女子も腐女子も「推しキャラ」という存在にめっちゃ入れ込むタイプのオタクという点では似てるよなぁと感じている。
たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。
キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味ないかなとは思う。
思うのは仕方ないし、内心の自由だし。
正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。
もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。
こちらも可能な範囲で言葉を尽くすので、「腐女子の功罪」について共に今後も考えて欲しい。
もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。
0.著者は何者だ?
自分は世紀末〜平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマの描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。
世紀末のアニメや漫画はキッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。
続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。
このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。
ライブ感優位の物語が摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。
時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式/非公式問わず)カップリングさせ、恋愛やエッチなことをさせたいと思う女性」とする。
確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。
自分はテニプリの個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉の黎明期だったのではないか?と見ている。
ボーイズラブ(BL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。
公式コミックだと思って購入したマンガが18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?
人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式で恋愛関係、結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。
とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。
3.腐女子って変化してんの?
平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。
また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼、聖闘士星矢などが晴海の同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。
で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。
腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。
だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしか生まれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばしてしまう。
そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。
男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマ、ニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク=犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。
自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性の表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。
教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。
彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクにだって居場所はあるのだと。
前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。
どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。
ある。
というか、「腐女子」という言葉が生まれてから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。
少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトのジャンル変容を添えて教えて欲しい)
わかる、めっちゃわかる。
だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。
当然である。
それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタクは!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ。
引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。
『腐女子』という言葉の発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。
腐女子を名乗れば、強くなれる!
自分は腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。
平成初期、まだ昭和の価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然と蔓延っていたのがオタク世界のインターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクのオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。
そもそも「PCという高額商品とインターネットに月額課金」という特殊な環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。
人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?
そんな時代にオフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。
(参加した事ないけど一緒にtalk!時代のガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)
ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性にしかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。
上澄はとことん品位があったものの、底辺はマジで救いようがなかった。
中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代のインターネッツだ。
こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。
下ネタで絡まれ、マウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。
ポイピクなどで見られる「パスワード」機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタク達から身を守るために必要とした防衛機能の名残である。
誰かと繋がりたい。
でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。
当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラや人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。
ただイラストを描いただけなのに。
ただ感想を書いただけなのに。
女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタや嫌がらせのコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。
ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。
「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?
わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw
あ、文字読めねぇのかwwww」
こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉なアイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。
というか、この『腐女子』という言葉のインパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。
それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。
そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。
同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク=腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれてしまったのも痛かった。
ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラルに勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。
女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。
多少は本命の女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…
これが平成初期女児向けコンテンツのスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。
筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。
ディズニー黄金期のリトル・マーメイド、美女と野獣、アラジンの3コンボと派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナはウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラとかめっちゃ捏造して遊んでた。
そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代の存在を否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクターや女性読者との関係を否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子は原作の敵」に見えてしまうのである。
そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。
それが省略されて夢。
男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分の名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットとホームページ制作ツールの進化によって可能になった。
それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラやゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクがじわじわとケータイサイトを中心に姿を現し始めた。
同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様系女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。
しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。
筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様系女子は間違いなく存在した。
そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である。
かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。
ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。
これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。
しかも夢女子は腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである。
夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子の名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。
ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想や公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。
「推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである。
で、その視点から見ていて夢女子も腐女子も「推しキャラ」という存在にめっちゃ入れ込むタイプのオタクという点では似てるよなぁと感じている。
たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。
キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味ないかなとは思う。
思うのは仕方ないし、内心の自由だし。
2003年夏、私立女子校のコンピュータ室。中学1年生の私は2ちゃんねるに出会いました。
「HTMLを使ってホームページを作ろう」という授業で、当時ハマっていた「ツ◯サ-RES◯RVoir CHRo◯iCLE-」と、小学生の頃好きだった「カードキャ◯ターさ◯ら」を題材にすることにしました。どちらもCL◯MP先生の作品です。
色々と検索してキャラクター紹介のページを作ったり、個人サイトからドット絵をお借りしたりしているうちに、「さくら板」の「さくらタンを馬並浣腸でお仕置き」スレに辿り着いたのです。
どうやったら子どもができるのかも定かではないピュアピュアJCだった私(12)にとって、そこはあまりにも衝撃的な世界でした。
読んでも子どもができる仕組みはいまいちわかりませんでしたが、三角木馬やスパンキングというものの存在を学びました。
家に帰ってからガラケーで2ちゃんねるにアクセスしたところ、週刊少年漫画板の「ツ◯サ-RES◯RVoir CHRo◯iCLE-」スレを見つけました。
「半年ROMれ」の掟に従って掲示板の文法を学んだ後、初めてのカキコに「禿同」とレスがついたときの感動は忘れられません。
その後はニュー速VIPに手を伸ばし、「夢が広がりんぐ」誕生にも立ち会いました。携帯厨がバカにされ、女性は当然のように男性のふりをして書き込みをしていた時代です。
ニートという存在を知ったのもこの頃でしたが、平均年齢が低かったからか、当時の彼らはさほど悲壮的ではなかった気がします。
幼少期の記憶はほとんどないのですが、劇場版「カードキャ◯ターさ◯ら」におじさんがたくさん並んでいたときの衝撃は忘れられません。(当時8才ぐらいだった私にはおじさんに見えただけで、二十歳そこそこの男性も多かったのかもしれませんが。)
ロリコンという言葉が今ほど世間に浸透していなかった時代、彼らが何を目的に「カードキャ◯ターさ◯ら」を観に来たのか心底不思議だったのを覚えています。
先日逮捕された児童盗撮教員グループの一人が「カードキャ◯ターさ◯らみたいな萌えアニメを見ていたら犯罪者になるぞ」と生徒に言っていたそうですが、令和のこの世にわざわざそれを持ち出すこと自体お察しですね。そもそも萌えアニメではなく、「なかよし」連載の少女向け作品だし……。
「萌えアニメ(笑) 俺は『ホンモノ』を知ってるんだぞ」みたいな感じでしょうか。それとも本当は好きなのかな。
性犯罪が世の中を騒がせる昨今、二次元についても何かと取り沙汰されていますが、少なくともゾーニングは大切だと思います。無知な子どもが不意に三角木馬と出会ってしまわないように……。
今から20年以上前、私立女子校の中学1年生が、授業中のコンピュータ室で「さくらタンを馬並浣腸でお仕置き」スレと出会った。
この思い出話がロリコンの方々を喜ばせるのか、夢を壊してしまうのか、はたまた「12歳はロリじゃない」と言われるのかわかりませんが、少なくとも現実の女の子達に悪影響が及ぶ言動は慎みましょうね。
最近の日本、なんかおかしくない?と薄々感じていた今日この頃。
とにかく外人が多すぎる。
電車に乗っても、どこの駅で降りても、クソでかいキャリーを抱えた外人まみれ。
通勤時にあのクソデカキャリーに出会ってしまった日には朝からテンション爆下がり。
渋谷に遊びに行ったとき、外国人店員が外国人客の相手をしている光景を見た時は海外旅行にでも来たんかと思った。
というか、「郷に入っては郷に従え」ができない外国人アンチだ。
日本という国に来てもなお自国の価値観とマナーで行動する人々の気が知れず、理解する気もない頑固人間なのだ。
というのは前置きで、なんとなくこの「その地の文化をよく知りもせずに楽しそうだから、流行っているからという理由だけで踏み込んできて荒らしている」みたいな状況に既視感を覚えていた。
その既視感の正体がようやく判明した、という話。
そう、インターネットだ。
私は四捨五入すると30歳になるいわゆるアラサー。インターネットに参入したのは小学5年生の時。
まだ物心がついているかも怪しいガキの頃から掲示板や個人サイトに張り付き続けた結果、こんな偏屈な日記を匿名で書いてしまうようなバケモンになってしまった。
私が参入し始めたころのインターネットは、人に言えないような趣味のある人が匿名で集まって好きなものの話をコソコソしているような、教室の隅と言うにもおこがましいくらい陰鬱でじめじめとした場所だった。
ここで言う人に言えないような趣味というのは、例えば異常性癖があるとか、実は犯罪者だとかそういうことではなくて、ただ単に「二次元のキャラが好き」「日がな一日ゲームをやり続けている」みたいな、令和の今であれば誰しもがオープンにしているような趣味のことだ。当時は、それくらいオタクに対しての風当たりは厳しかったように思う。
でも、だからこそ、二次元のキャラに恋をしていたブスの私はそこに居場所を見つけたのだ。
それが今では、かわいい女がバカスカと自撮りを掲載し、フェミニストと男が日々戦いを繰り広げ、風俗嬢が人権を得ているような、そんな場所になってしまっている。
私が好きだったインターネット、もといオタク文化は今やどこにも存在しない。
同人イベントやコラボ云々、ライブなどのリアルイベントに参加しようものなら、異常におしゃれでかわいい女たちばかりでブスの私の居場所なんてどこにもなくなっている。
誰にも言えない好きなことを発信して、たまたまそれを見つけた同志と匿名のやり取りができる。そんな世界だったはずが、今や下手に発信しようものならなにもかもが炎上の可能性を孕んでいる。
エロ同人がクレジットカードで買えなくなっただとか、エロ同人に登場するランドセルにモザイクがかかっていたりだとか、そんな世界をだれが望んでいたのだろうか…
まあそれはそれとして、インターネットが誰でも気軽に触れられるオープンな場所になったことも、自分がオタクであることをひた隠しにする必要がなくなったことも、喜ばしいことだと思ってはいる。
ただ、先人がコソコソ築き上げてきた文化を踏み荒らされたことが気に入らない。
理解の余地も、住み分けの努力もしないまま、既にそこにあったものにいちゃもんを付けることの何が正義なのか。
さみしいし悔しい。たったそれだけの個人的な感情ではあるのだが、ここで話は冒頭に戻る。
インターネットという文化は、時代の移り変わりと共に全く違うものへと姿を変えた。
新しい層の参入により、在り方が丸っと変わったと思う。
今の日本に対して私が抱いている既視感が本当にそうなのであれば、私が愛する日本はこのまま全く別の何かに変わってしまうのではないかと杞憂しているのだ。
このまま相互理解と住み分けが為されないまま時間が過ぎていくのならば、また私は居場所を失くしてしまうかもしれない。
怖いよ~~(泣)(泣)(泣)