2025-07-16

清潔感とは何かを考えてみた

先日、数年ぶりに台湾に行った

日本より暑く湿度も高いのに、街の人たちに驚くほど清潔感があった

若い男性どころか中高年男性までさらりとして笑顔がさわやか

若い女性露出健康的で明るい

姿勢や顔からだつき、汗や服の整え方だけじゃない

内面の狭さ、暗さのようなものが人からにじみ出ていないのだ

清潔感がない、というのは、そう考えると、心身が貧しく下品っぽい、ということで

指摘されるとキレてくるのはそういう人間からだし、清潔感のない人が多いというのはそういう人が多いということだ

以前は感じなかった差を感じるのは、それだけこの数年で日本が貧しくなったからだろう

悲しい

成金ヤッピー、イキリ商社マンや全身シャネル清潔感があるとはいえないことからもわりと当を得ているはずだ

露出の多い女性への痴漢盗撮も心根の卑しさ、下品さに該当する

6月半ばに台北で現地女性盗撮した日本人観光客男性逮捕されていた。そのような犯罪日本人、という認識だそうだ。非常に恥ずかしかった)

下品さとは何が下品かわからない状態から下品ですよといったところで当の本人にはなんら響かない

下品がわからないということは上品もわからないということだから社会文化もそりゃ劣化する

下品普通になれば清潔感もないのが人の自然になる

下品と不潔は近いものだが、上品と清潔は違うもので、世の中には確かに上品にみせかけた下品構造があって、貴族社会なんてまさにそうで、だからこそ形と精神の美意識が非常に重要だった

矛盾を孕んだ貴族の美意識新時代では淘汰されることがわかっているから『山猫』のランカスターはただ悲しいのだし

そこに説得力を持たせるのが成り上がり庶民には決して獲得できない本物の貴族であるルキノ・ヴィスコンティの画面の隅々まで贅沢な美意識なのだった

そして庶民成り上がりはそういった美意識を豪奢から清潔感に転じて市民になった

終わってしまったものというのは老人の思い出のように安全で変わりようがないので、多くの人が貴族サムライ王族を愛でたいのは当たり前だが、それを現代ゾンビのように甦らそうとするのはかなり危険

必ず劣化する。元々がろくでもないものならなおさら

贅沢な映画が見たくなったなあと思いながら鏡を見てお前に清潔感はあるかと問いかけるがうすぼんやりとして良く見えないのだった

メガネを買い替えなきゃ明日も見えない夏。暑い

  • 清潔な服や身だしなみもそうだけど ・猫背じゃない ・目線がちゃんと前 ・はきはきとした喋り方 ・しっかりした歩き方 は本当に大事。

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