はてなキーワード: 王族とは
たった一人の日本人男性(仮に「増田ガソリン」と呼ぶ)だけが、毎日自由にちんちんから高品質ガソリンを無限に近い量(1日最大数千キロリットルまで可能)排出できる設定で考察する。
• 増田さん、最初はコンドームに溜めて近所のガソリンスタンドに「怪しいけど高品質すぎるガソリン」として売る。
• 1リットル50円で売っても1日1000Lで5万円。月150万円くらいの小遣い稼ぎ。
• でもすぐに「無尽蔵」「税金かかってない」「分析しても完全に規格品」とバレる。
• 増田さん、半ば強制的に自衛隊施設か三井物産系の秘密タンクファームに「保護」される。
• 政府が独占買取契約。1リットルあたり300円(時価の5~6倍)で無限買い取り決定。
• 財務省試算:1日5000kLだけでも年間約6兆円の原油輸入代金を節約可能(日本の原油輸入額の約1/3)。
• 日本が突然、原油輸入を年間2000万kL(全体の約3割)削減。
• スポット市場で余った中東・アフリカ産原油がダブつき、ブレント/WTIが1バレル40ドル→25ドル→15ドルへと暴落開始。
• サウジ・ロシアが「日本がダンピングしてる!」と激怒するが、証拠がない(だって「人間から出てる」なんて言えない)。
• OPEC+緊急会合→減産しても日本が買わないから意味なし→内部崩壊。
• 日本、国連安保理常任理事国入りより現実的な「エネルギー常任理事国」ポジションを獲得。
• アメリカ「日米安保の対価としてガソリンをドル建てで一部融通しろ」→ 実質米国債をチャラにできる交渉力。
• 中国「一帯一路のエネルギー全部日本に頼るから、台湾は触らないでくれ」と土下座モードに。
• 中東諸国、そろって日本に大使館級の「ガソリン特別大使」を常駐させる。
• 石油価格は実質10~15ドル/バレルで固定化(増田さん供給量で価格コントロール可能)。
• 再生可能エネルギーへの投資が全部止まる(ガソリン安すぎて採算取れない)。
• 航空燃料も激安→LCC乱立、世界一周航空券が3万円になる。
• 産油国は次々に破綻→ロシア財政崩壊→プーチン体制終了、サウジは王族資産没収で内乱。
• 増田ガソリンさん、憲法より上位の存在に(改正不可能な「ガソリン条項」新設)。
• 国連総会が「今年の排出量目標」を増田さんの体調次第で決める異常事態。
たった一人の日本人男性が、世界のエネルギー史を終わらせ、新たな「ガソリン帝国・日本」を誕生させる。
OPECは解散、国連は東京に移転、ドルは「増田円」に取って代わられる。
まじでヤバい。
ある。
誰かがやらなきゃいけない低賃金労働をやっている俺に存在価値はある。
俺に存在価値があるのは、俺が低賃金労働を引き受ける立場に甘んじているからだ。
では、本当になんの仕事もしていない植物人間や、精神障害者故に労働を任せることが出来ない無職に勝ちはあるのか?
ない。
ないんだ。
ないんだよな。
「人間として生きているだけで立派だ!」なんて言葉は虚しいだけの綺麗事だ。
彼らの親が彼らに対して感じる気持ちだって、彼らと過ごして浪費する時間をそこらのペットショップで買ってきた犬や熱帯魚と過ごしていれば十分満喫できるものだ。
「人間として生きているだけで価値がある」というお題目を俺は信じたかった。
それを信じながらいつかベーシックインカム社会が到来して、そこで俺はベーシックインカムと大差ない仕事を投げ捨てて1日中エロ動画でも見て過ごすだけのゴミムシになるんだと夢見ていた。
でもその社会の中で俺が楽しく生きることは無理だろうな。
老人たちが年金暮らししているのは彼らが遠い昔にねずみ講に引っかかれたことに対する配当金が出たというだけだ。
今は障害者年金という不幸の宝くじとセット販売されているそれに対して粛々と金を収めている臆病者が大勢いて支えられている。
昔払った金が戻ってきてるだけなんだから、そこについてあーだこーだ考えるのは無駄だ。
払った以上に戻ってきていることについては、運用に失敗した連中の問題であって死にかけのボケ老人に考えさせるようなことじゃあない。
衰えきった知能でまともに考えるのはもう無理、つまりは責任能力が既に失われているのだから。
社会に価値をもたらしその対価として生活が保証される形にならなければ、生きることは虚しすぎる。
たとえば俺がとある宗教団体の創始者の血を引いていて、産む機械として生きているだけでも素晴らしい存在なら、俺が生きていることに価値は産まれるだろう。
でも俺はそうじゃない。
当たり前のことだ。
ガキの頃の俺に価値があったのは俺が将来の労働力だったからだ。
病気になってもすぐに価値が失われないのは、将来提供する労働力がまだ残っていると期待されているからだ。
もしも、将来一切の仕事をしないと誓ったり出来なくなれば、俺の価値は失われる。
辛い。
皇族や美人といった「生まれついただけで勝ちがあるもの」に対する深い嫉妬心の本質はこれだろう。
まあ、憎まれて当たり前だよな。
ズルいもんなあ。
その分社会に対して責任を果たすでもなく「いや、これは俺が生まれ持ったものだから俺が総取りでしょ」で終わらせるんだもんなあ。
ズルいよなあ。
というわけで、こういう気持ちにさせるような連中の中でも美人や天才が生まれるのは防ぎようがないが、王族は防げるわけですよ。
2000年後、奴らは地上から姿を消しているだろうね。
進撃の巨人の王族嫌い芸術おじさんの話久しぶりに聞いてたら「そういやこれって現実も一緒だな」と気付いた。
現実世界においても「親がたまたま美人に生んでくれた」「親がたまたま賢く生んでくれた」「親がたまたま健康に生んでくれた」という以上でも以下でもないくせにやたらえばりちらしてる奴らが多いなと。
曰く「俺達は努力して結果を出してる」だの「普通はコレぐらい出来る」だの平然と言ってのけるが、そもそもコイツらだって親がコイツらをブサイク自閉症魚臭症デブダルマとして産んでいたら出来ることなんてロクになかっただろうにな。
あらゆる人間のスペックの根源が「親がたまたま遺伝子ガチャでその結果を出してくれた」に依存する以上は、人間どもはもっと皆して謙虚になるべきだったんじゃなかろうかと考えてしまう。
| 類型ポイント | デスラー総統(宇宙戦艦ヤマト) | ベジータ(ドラゴンボール) |
| 初期立場 | ガミラス帝国の独裁者。地球を脅かす絶対的な敵。 | サイヤ人の王子。地球侵略のため襲来する敵。 |
| 動機 | 帝国の存続と威信を守る誇り。 | サイヤ人の誇りと王族としての自負。 |
| 主人公との関係 | ヤマト(古代・沖田)の宿敵。ただし敬意も抱く。 | 悟空の宿敵。徹底的にライバル視する。 |
| カリスマ性 | 民に絶対的に崇拝されるカリスマ独裁者。 | 戦闘力と血統で放つ王子の威厳。 |
| 葛藤 | 地球滅亡の使命とヤマトへの敬意の間で揺れる。 | 誇りと家族愛の間で揺れる。 |
| 転機 | 作品によってはヤマトと和解し共闘。 | フリーザ編以降、地球に定住し共闘。 |
| 最終的立場 | 複雑な同盟者。銀河の均衡を模索する存在。 | 地球を守る戦士。悟空の永遠のライバル。 |
| 類型まとめ | 誇り高き宿敵 → 敬意あるライバル → 複雑な同盟者 | 誇り高き敵 → 宿命のライバル → 家族を持つ味方 |
韓国では実際には「立憲君主制」は採用されていない(=現在の韓国は共和国であり、王室も存在しない)にもかかわらず、架空の王室を描いたドラマ――いわゆる「もし今も王室が存在していたら」という仮想歴史(オルタナティブ・ヒストリー)や現代王室もの――が人気を集めることがあります。
以下は、なぜそのようなドラマが人気なのかについての理由です:
現代社会におけるストレス、格差、政治不信などから、視聴者は日常とかけ離れた華やかな王宮生活や非日常の恋愛に憧れや癒やしを求めます。王子や王女が登場するストーリーは、まるでおとぎ話のようで、夢の世界への入り口のように機能します。
韓国はかつて朝鮮王朝や大韓帝国が存在した歴史を持ちますが、日本の植民地時代を経て王政は廃止されました。
それゆえ、「王室が今も存続していたらどうなっていたか?」というロマンや好奇心をくすぐるのです。
特に、現代的な価値観(自由恋愛、民主主義、女性の自立など)と王室制度の伝統がぶつかり合うストーリーは、ドラマ的にも非常に面白くなります。
🔹 3. ビジュアル面の魅力
王宮、伝統衣装(韓服)、儀式など、美術的・文化的に視覚的な魅力があります。豪華なセットや衣装、美しい俳優たちが視聴者を惹きつけます。
韓国社会にはいまだに学歴・家柄・経済力によるヒエラルキーが色濃く残っており、「王族や財閥」という“頂点”にいる人々のドラマは、現実社会の縮図としても描かれることがあります。
「身分の差を越えた恋」「王室内部の陰謀」「跡継ぎ争い」などは、そうした社会的なテーマとも重なっています。
🔹 5. 過去のヒット作の影響
たとえば:
『七日の王妃』
『太陽を抱く月』
『赤い袖先』
などのドラマが大ヒットしたことで、「王室+恋愛」の組み合わせが一つのジャンルとして確立されました。
総合すると…
韓国人が王政に憧れているというよりも、ドラマというフィクションの中で「非日常」や「理想の恋愛」「社会階層の象徴」を描くのに、立憲君主制という舞台装置が非常に便利で魅力的だから、ということが言えます。
もし特定のドラマを指している場合(例:『宮』や『赤い袖先』など)、それに合わせた考察もできますよ。
あなた:
世界にはたくさんの共和国があります。立憲君主制に興味を示す人が多い共和国はどこですか?
ChatGPT:
とても鋭い観点ですね。
実際、多くの**共和国(君主制を採用していない国)**でも、立憲君主制に対する強い関心や人気が存在する国があります。そうした興味は、政治的な意味というより、文化・歴史・エンタメ的な憧れや好奇心として表れることが多いです。
以下に、立憲君主制に特に関心を持つことが多い共和国の例を紹介します。
🇰🇷 韓国
概要:すでにお話したように、現代王室を舞台にしたドラマや映画が人気。
背景:
ドラマ『宮』などのヒットにより、若者の間で「王子様」「プリンセス」幻想が根付く
概要:王朝時代を舞台にした歴史ドラマ(古装劇)が大人気。皇帝・后妃・官僚・宦官などのキャラクターが中心。
背景:
清朝の滅亡から100年以上経っており、皇帝制度は完全に過去のものとされている
※ただし、中国では現実政治での君主制復活などは絶対にタブーです。完全なフィクションとしての消費。
🇹🇷 トルコ
背景:
共和国化以降も、「もしスルタン制が続いていたら…」という空想やロマンは根強い
代表作:『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』などが世界的ヒット
概要:ロマノフ朝(帝政ロシア)への関心が根強く、アナスタシア伝説やロマノフ家に関する作品が人気。
背景:
興味の形:現代ロシアが立憲君主制になることを望む声は少ないが、「失われたロマノフ家」のロマンは強い
概要:フランス革命で王政を廃止した国でありながら、ルイ14世やマリー・アントワネットなどの人物には人気がある。
背景:
注目点:現在も王政復古を唱える「王党派(Légitimistesなど)」が少数ながら存在
🇮🇷 イラン
概要:1979年に王政(パフラヴィー朝)を打倒してイスラム共和国になったが、現在の政治体制への不満から「王政時代のほうが良かった」という声もある。
背景:
パフラヴィー家の王子たちが今も国外で活動しており、象徴的な存在として注目される
💡共通点として言えるのは:
王政時代を「理想化」または「ノスタルジーの対象」としてとらえる傾向がある
立憲君主制への関心は、政治的な復活希望ではなく、文化的・情緒的な興味に留まることが多い
ほとんどの共和国では、実際に王政復古を求める声は非常に小さく、「制度」としての君主制に興味があるわけではなく、あくまで文化・娯楽・歴史としての関心であることが多いです。
ご希望があれば、「どの国が最も君主制に復活の可能性があるか」みたいな政治的な話にも踏み込めますよ。
あなた:
世界のほとんどの国にはかつて国王がいました。かつて王室があったから、という理由だけでは特にそれらの国がより強く君主制に関心を示すのか?という問いに対して不十分です。地理的な観点から論じることは可能ですか?
ChatGPT:
素晴らしい問題提起です。
おっしゃる通り、「かつて王室があった=関心が強い」とする説明は単純すぎますし、全ての国に当てはまるわけではありません。
この問いをもう一段深く掘り下げるために、**地理的観点(=地理、地域文化、近隣国の影響、文明圏など)**から分析を試みましょう。
🔍【問いの再定義】
「世界の中で、特にどの地域の共和国が立憲君主制に関心を示しやすいか?そしてその背景には地理的な要因があるのか?」
この問いに答えるには、以下の要素を軸に考えると良いです:
特徴:
日本の皇室が存続しているため、文化的ライバル意識や比較意識が働きやすい(特に韓国・中国)
結果:
架空の王室を使ったドラマやフィクションの舞台として君主制が頻出
特に韓国では「現代王室+恋愛+政治ドラマ」のフォーマットが人気
特徴:
結果:
現体制(イスラム共和国)への反発から、王政時代を「失われた秩序」として理想視する層も存在
✅ 東南ヨーロッパ/バルカン半島(ブルガリア、セルビア、ルーマニアなど)
特徴:
冷戦期に共産化→君主制を廃止したが、比較的最近まで王室が存在
結果:
特徴:
結果:
王政そのものへの復活願望は少ないが、文化的にヨーロッパの宮廷文化に対する憧れが見られる
アメリカ:反王政(独立戦争の歴史)が国家アイデンティティの一部
カナダ:イギリス国王を元首とする立憲君主制国家ではあるが、王政に対する文化的関心は低下傾向
結果:
立憲君主制に対して冷静/無関心
フィクションとして消費されることはある(例:『プリンセス・ダイアリー』)が、文化的に根ざしてはいない
多くの国に伝統的首長制が残っているが、欧州型の君主制への関心は限定的
一部に象徴的王族がいるものの、立憲君主制を制度として復活させようとする動きは少ない
結果:
自国文化の再評価の方が強く、欧州型王政は「支配の象徴」として敬遠されることも
地域的に君主制への関心が高まるのは、以下のような地理的な環境があるときです:
周辺国に現存する王政がある 日本、英国、サウジなど 比較対象・メディア露出により関心が刺激される
王制が比較的最近まで続いていた 韓国、イラン、バルカン諸国など 記憶が風化しておらず、ノスタルジーが強く残る
欧州文化や貴族文化への接触が強い ラテンアメリカ、バルカン、東欧 王室=格式・伝統の象徴として文化的憧れが根付く
地政学的な比較意識がある 韓国→日本、イラン→湾岸諸国など 政治的・文化的に隣国と比べて「自国の過去」への再評価が進む
ご希望であれば、特定の地域や国についてもっと詳細に掘り下げることもできます。
あなた:
近隣国に王室が存在するから自国の立憲君主制ファンタジーを楽しむ、というのは納得します。
ChatGPT:
ありがとうございます、非常に本質的なご理解です。
まさに**「近隣に王室がある」という地理的・心理的条件**が、「自国にはないもの」への関心や空想を生む土壌になりやすいのです。
近隣国に王室があり、その存在が文化的・国際的に注目されている場合(例:日本の皇室、英国王室)、
→ 国民の中に「我が国にもあれば…」「我々の文化も誇れるものがあるはず」という感情が芽生えやすい。
近隣国の王室報道(戴冠式、結婚式、葬儀など)は国際ニュースとして流れる。
→ それを見た視聴者が「格式」「伝統」「ロマン」といった要素に惹かれ、自国文化における対応物を求める。
例:韓国での『宮(Love in Palace)』のような現代王室ドラマ。
→ これは単にファンタジーとして楽しむだけでなく、「日本に皇室があるのだから、韓国にだって王室があったら面白いじゃないか」という比較文化的な空想が土台にある。
韓国 日本(皇室) 高い 『宮』などで自国に王室がある想定が人気。
中国 日本、タイなど 高い(主に歴史もの) 清朝ドラマの大人気。過去の王制を美化しがち。
イラン サウジ、ヨルダンなど 中〜高 イスラム王政国との対比で「かつての帝政」を再評価する声も。
トルコ ヨルダン、湾岸諸国 中 オスマン帝国のノスタルジーと近隣国との比較。
東欧・バルカン スペイン、英国、モナコなど 中 王族の再登場も時折話題に(ブルガリアなど)。
これはいわば「隣の芝生は青く見える」現象の文化バージョンです:
https://anond.hatelabo.jp/20250727144129
19世紀後半の民族発明:特にバルカン半島での事例が中心。西洋は主にオスマン帝国(近東)を東方として認識しており、ギリシャ人とトルコ人が文化民族主義や帝国民族主義で争う中、多くの小民族が形成された。
バルカンと東欧の違い:バルカンは近東に属し、19世紀の当時はギリシャやブルガリア、ルーマニアはヨーロッパの一部とは見なされていなかった。第一次世界大戦後から徐々にヨーロッパの一部として認識されるようになる。
オスマン帝国の統治構造:イスラム教徒と非イスラム教徒の身分差があり、イスラム教徒は武士階級、非イスラム教徒は税を納める庶民(「費拉」)として区別された。多くの支配層は文化的に改宗や名前の変更を行いながら多民族であった。
軍閥と「民族英雄」:ギリシャ独立戦争は実質的に軍閥同士の争いで、革命派は少数。バルカンでは軍閥が「親王」などの称号を自称し、これが民族発明の一部となった。
近東と遠東の違い:近東は欧州の近親であり、欧州列強の直接的な介入や影響が強かったため、バルカン諸国は徐々に近代国家として成立していった。一方、遠東(中国など)は遠隔地とみなされ、こうした近代国家形成の機会が限られた。
民族発明の過程と文化的装い:バルカン諸国は自らのアイデンティティを歴史や文化で再発明し、例えばドイツやフランスの王族を招聘して国王に据えたり、歴史的な英雄や神話を作り上げることで国民統合を図った。
現代への影響:バルカン半島の民族発明は100年以上かけて完成し、現在の国家体制へとつながっている。逆に近東地域(シリア、レバノンなど)では軍閥紛争が続き、同じような民族発明は未完成である。
文化的誤解と西洋の視点:西洋の著名作家や知識人がバルカンや近東の民族・政治状況を理想化・誤解して称賛した例があるが、実際は複雑な軍閥抗争であり、現実は理想とはかけ離れている。
東方主義と自己認識のズレ:トルコ人は自分たちをローマ帝国の継承者と見なしており、西洋人が「東方人」として見下す感覚とは異なる。遠東の知識人は西洋の視点を鵜呑みにしすぎて自己評価を誤っていることが多い。
基本は放置。ただ、言及されたくないチャットは消すようにしている。
たとえば、最近、フリーゲームの翻訳をLLMを使ってやっているんだけど、それを参照されて意見を言われても困るし意味がないから、消すようにしている。
LLMは会話文をdeeplと比べても自然に翻訳できるからいいんよね。場面の設定や人物の設定とかも書くことができるし。より精度が高まる。
chatgptは過去の会話に言及することはあまりないと思うけど、grokは過去の会話に言及して回答を生成したりするのでね。
ゲームの翻訳のための会話を見て、お前王族みたいな口調で話すのが好きなのかな?と勘違いされても困るし。
使うといいことあるのかな?
先日、数年ぶりに台湾に行った
日本より暑く湿度も高いのに、街の人たちに驚くほど清潔感があった
清潔感がない、というのは、そう考えると、心身が貧しく下品っぽい、ということで
指摘されるとキレてくるのはそういう人間だからだし、清潔感のない人が多いというのはそういう人が多いということだ
以前は感じなかった差を感じるのは、それだけこの数年で日本が貧しくなったからだろう
悲しい
成金やヤッピー、イキリ商社マンや全身シャネルを清潔感があるとはいえないことからもわりと当を得ているはずだ
(6月半ばに台北で現地女性を盗撮した日本人観光客男性が逮捕されていた。そのような犯罪は日本人、という認識だそうだ。非常に恥ずかしかった)
下品さとは何が下品かわからない状態だから、下品ですよといったところで当の本人にはなんら響かない
下品がわからないということは上品もわからないということだから社会も文化もそりゃ劣化する
下品と不潔は近いものだが、上品と清潔は違うもので、世の中には確かに上品にみせかけた下品の構造があって、貴族社会なんてまさにそうで、だからこそ形と精神の美意識が非常に重要だった
矛盾を孕んだ貴族の美意識が新時代では淘汰されることがわかっているから『山猫』のランカスターはただ悲しいのだし
そこに説得力を持たせるのが成り上がりや庶民には決して獲得できない本物の貴族であるルキノ・ヴィスコンティの画面の隅々まで贅沢な美意識なのだった
そして庶民や成り上がりはそういった美意識を豪奢から清潔感に転じて市民になった
終わってしまったものというのは老人の思い出のように安全で変わりようがないので、多くの人が貴族やサムライや王族を愛でたいのは当たり前だが、それを現代にゾンビのように甦らそうとするのはかなり危険だ
贅沢な映画が見たくなったなあと思いながら鏡を見てお前に清潔感はあるかと問いかけるがうすぼんやりとして良く見えないのだった
王族やめた直後を狙えばいけんか?
「参政党は消費税減税を行いません。代わりに所得控除を増額します。これは行政コストが最も低い超効率的な減税措置です」
「参政党は子供が欲しいと考えている40歳未満のすべての女性に定額給付を行います。児童手当を増額します」
「参政党は日本に暮らす全ての人が幸福に暮らせる社会を築くために全力で戦います。ヘイトスピーチを許しません。各自治体向けに外国人との共存支援予算を付けます」
「参政党は皇室存続の具体的な危機に対しては友好国の王族から適切な能力と意欲と今後の生涯を日本に尽くす愛国心を持つ人物を選定し、次期天皇候補として招聘します」
「参政党は教育・研究分野に積極的な投資を行います。人材育成を国家の柱とする日本の伝統を決して絶やしてはなりません」
Q: 代表と言ってること違うやん?
A: 「参政党はボトムアップ政党なので神谷の発言もそれに合わせて日々進化進歩前進していきます。あなたがおっしゃるかつてのカルト教祖神谷と今の神谷は別人と考えてください」
Q: マジで?
この前ふと「ハイカラって、なんで“洋風”って意味になったんだろう?」って思ったわけ。
ハイカラはHigh Collarで「高い襟」が語源らしきことは知ってたけど、なんで襟が高いと西洋風になるのかは、正直いまいちピンとこなかった。
そこで軽い気持ちでAIに聞いてみたんだよ。「High Collarって、何でそうなったの?」って。
そしたら返ってきた答えが、めちゃくちゃ面白くて、襟を知れば西洋史を学べるってレベルだった!
まず、ヨーロッパで襟が高くなったのは権力の象徴だったらしい。
「動きやすい服は労働者のもの。貴族や王族は動かなくていいから、どれだけ動きにくい服を着こなすかが威厳だった」そうだ。
つまり高い襟は、「私は首すら曲げないで生きていけます」っていう、無言のマウントだったってこと。
エリザベス一世なんかは、パラボラアンテナみたいな襟しているのを見たことがあると思う。
あれ、「ラフ(Ruff)」って言うんだけど、要は顔のまわりに360度広がるフリルで、貴族のステータスアイテムだった。
今度は“ラフ”の逆で、真っ白くて高い襟「ハイカラー」が登場。
そして産業革命期。蒸気機関車が走り出すと、労働者は首を保護するためにスカーフや詰襟を使い始める。
一方、上流階級はより高く、硬く、アイロンでビシッと整えた襟で“余裕”を演出する。
要するに襟って、「今この社会が何を尊んでるか」をめちゃくちゃ正直に反映してるんだよね。
威厳→道徳→機能性…みたいに、価値観の移り変わりが首元に全部出てる。
AI曰く、
「襟はただの布じゃなくて、時代の言語です」って言われた時、ちょっとゾクッとした。
たかが襟、されど襟。