2025-10-26

世の中の常識は変わる、ということが理解できないと意識アップデートは出来ない。

絶対的普遍価値観「っぽい」もの存在するけれど、

それ以外の価値観は、もうユルユルなんですよね。

10年・20年・30年・50年・100年と物差しスケールを切り替えればそれはわかること。

そのへんの歴史的俯瞰視点があれば、意識なんて簡単アップデートできるんですけどねえ。

はてな界隈には、

葬送のフリーレンとか銀河英雄伝説とか、

俯瞰的な視線優越感に浸るタイプ物語を、

好きな人が多い。

その割には、実際の自分価値観とか、そういうものに対しては、俯瞰的な視点を持てない人が多いんだよなあ。

最近、少しだけ話題になった「ちゃん」づけで他人を呼ぶことなんて、まともな企業ではこれからは使えなくなるという話、とかは簡単理解できることのはずなんだけどな。

どういうわけか、スッと納得できる人が多くない。

あれは、〇〇というケースであって、なんたらかんたらで、あるから、、、とかなんとか理論武装「っぽい」ことを主張しだす。

なんだかなあ、、、と思う。

世の中の流れとして、考えられないのが、とても不思議

俯瞰的な視点で見れば、どんどん窮屈な方向へと社会は向かってるんだから、人の敬称とかもどんどん制限がかけられていく社会になるのは当然。

そういう流れの中で「ちゃん」づけは不適当である、ということが社会認識されればどうなっていくのかはわかりそうなもの

でも、なかなかどうして、頑固な人はそれが理解できない。そして、老害へ、、、。

自分がどう思うかよりも、社会がどう変化するのか?頭は柔らかくしてかないと、ね?

とはいえ未来はがどうなるかはわからないというのも事実なんだけどね。

価値観アップデート反動みたいなものが来ることだってありえるから

トランプみたいな人が日本にも現れて、行き過ぎた価値観アップデートダウングレードさせる方向へと持ってく可能だってある。

それはそれとして、あるのはあるけど、まあ現状はどんどんと息苦しくなる方向へと向かってるという認識は持たないと。

いけないんじゃないですかね。

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