まさにギレルモ・デル・トロが撮るフランケンシュタインだった。
う~~~~~ん、54点?
まずデル・トロだから50点のハードルがめちゃくちゃ高いことに言及しておきたい。
美しく作りこまれた美術、実力派の俳優によるアンサンブル、物語を盛り上げる音響これは大前提になってる。そしてこの映画はその点に関して言えばほぼ100点出てる。そしてそこは100点取って当たり前(50点)の監督がデル・トロ。
でもなぁ、今これをデル・トロが撮る意味is何?って感じだったな。
もろちん、デル・トロといえばモンスター監督なのは周知の事実で――あ、モンスタークレーマーとかモンスターペアレンツとかとは違って、文字通りモンスター(怪物)を撮る監督って意味ね――その原点が「Frankenstein: or The Modern Prometheus」にあって、この作品を撮ること自体が彼が映画を作り続けることの意味だってことは分かるんだけども。
でも今あえて「人間のほうが怪物より怪物だよね」「生命を作り出すことの意味」「父と子の円環構造」っていう、100回見た話をあえてやりなおす意味って何なんだろうと思ってしまった。まぁ、こんな文学的なテーマなんぼあってもいいですからねって言われたらそりゃそうなんだけど……
2部構成になっていて1部がヴィクター・フランケンシュタインが怪物を作り出し放棄するまでの話。
2部が放棄された怪物がフランケンシュタインを追いかけ悲劇に至る話。
今作ではおそらく普通の作品では「フランケンシュタイン博士が怪物を作りましたよ」って感じで流されることが多い1部をかなりの厚さで書いている。特に作るまでの話がめっちゃ長い。
スパルタ気質の高名な医者の父に育てられるも母を病気で亡くし「父親=医学」に不信を抱くという初期衝動。母親と同じ顔をしたエリザベス(ミア・ゴスの1人2役)に惹かれるマザコン描写。
そして怪物が生まれてからはオドオドオタオタと面倒を見る新米パパから、こいつ俺が思った通りにならんなと思えば体罰を行い、こいつ俺の手に負えんなと思ったら殺害を試みる毒親オブ毒親描写。
たっぷりと人間臭いヴィクター・フランケンシュタインが描写される。
まぁ2部は大体みんなが知ってる目の見えない老人との出会いを経て怪物は知恵と人間らしさと生命の円環構造を学び、ヴィクターに「嫁作って♡」と訴えるもヴィクターは拒否。その過程でヴィクターは愛するエリザベスを殺害、ヴィクターVS怪物の戦いが今幕を開ける。
ここで父親が母親を(見)殺したと思ったところが初期衝動だったヴィクターが、母親と同じ顔をしたエリザベスを殺してしまうという引き継がれるカルマの展開は原作より良かったなと思った。
で、最終的に疲れ果てたヴィクターは原作通り船に助けられるが原作と違って怪物も乗り込んでくる。
そこでこれまでの話をそれぞれするのが第1部、第2部になっていて、それらが統合した最後にヴィクターは「自分が怪物の父親であること」を認め怪物に赦しを求め、怪物はそれを受け入れる。
ヴィクターが自分の父親にできなかった「許容」を獲得することで毒親の連環から抜け出し、怪物は一人静かに去るのであった。
こうやってまとめてみると普通にいい話で草。
特に「フランケンシュタイン」というタイトルに恥じない「怪物」ではなく「ヴィクター・フランケンシュタイン」を主役に据えしっかりと掘り下げ、フランケンシュタイン=ツギハギの怪物という印象そのままにフランケンシュタインこそが怪物だったという結論も見事だと思うの。
でもあくまで普通にいい話なんだよなぁ。俺の中のデル・トロ像が例えばマイベストアクションムービーのの一つである「ブレイド2」の監督だったり、旧ヘルボーイだったりパシフィックリムだったりするもんだからその大エンタメ監督が今撮る作品がこれかぁって正直思っちゃった。わかるよ、デル・トロの最近の真骨頂は怪物に対する愛のある視線でパンラビとかシェイプオブウォーターとかキノピオとかもちゃんと見たからそれくらいは分かるんだけどさぁ!
あ、そこ改心して終わりなんやっていう。最近、ジェームズ・ガン作品を多く見てたからっていうのはあるかもしれない。ガンだったら間違いなく怪物が反省しないヴィクターぶっ殺して森の目の見えない老人とエリザベスと一緒に新しい家族作って終わったもんな。