はてなキーワード: スク水とは
原作読んでてアニメも普段見てるような人ならあの水風呂スク水のシーンなんて「ああ原作は裸だったけどアニメ化の際に配慮してスク水にしたんだな」って秒で理解するでしょあの記事読むまでもなく
本当に「今更どうした?」って感じ
原作読んでてアニメも普段見てるような人ならあの水風呂スク水のシーンなんて「ああ原作は裸だったけどアニメ化の際に配慮してスク水にしたんだな」って秒で理解するでしょあの記事読むまでもなく
本当に「今更どうした?」って感じ
あのインタビュー読んで「ノイズ」を消すことの危険性をわかっていないんだなあと感じた。
自分はアニメ見始めてすぐに原作読んだ勢なのだけど、ぼっちちゃんが水着で水風呂に入ったシーンで「おもしれー女」というキャラで認識してしまった。
でも、これは誤解だよね。
ぼっちちゃんの奇行は衝動的、ストレスからの逃避であって、「水風呂に入るなら水着だな!」という斜め上思考なものではない。
脚本家が「ノイズ」を削った結果、新たな「ノイズ」が作品に紛れてしまった。
原作にない要素を付け加える危険性を、脚本家はどこまで理解していたんだろう。
ぼざろのアニメ化で一番消された「ノイズ」は喜多ちゃんの存在そのもの。
原作での喜多ちゃんは、存在そのものが陰キャへの暴力となっていて、陰キャ3人を吹き飛ばしてしまう。
そうじゃないと喜多ちゃんはいけ好かないキャラになってしまうから。
必要悪。
喜多ちゃんはぼっちちゃんの信仰者、保護者的の側面が強調され、その結果、ぼ喜多のカップリングが覇権を握った。
TVアニメシリーズの『ぼっち・ざ・ろっく!』としては正しかったと思う。
だけれど、「ノイズ」を削除したことでメインキャラクターの存在自体が歪められたのも確か。
スク水シーンだけど、別に3枚目のあたりをカットしても氷風呂に入浴することは伝わるし
映像は不自然なく繋げることもできて、4枚目のように水中が不透明になってて裸体を一切見せる必要なんてなく
スク水着せることでケツ見せるシーンが増やせるようになっただけだ。
まあ、脚本家と言っても木っ端だが…
そもそも脚本家の仕事わかってない奴が多そうだなと思ったのでそれ交えつつ書く。
結論から言うと吉田恵里香はすげーーーーーーまともなことを言っている。
批判してる方は頭にきてよくわからなくなってるだろうが相当分が悪いと思った方がいい。
脚本家ってのは実際のところ、すさまじいほどの調整役だ。
原作を汲み、監督の意向を汲み、時にはスポンサーの意向を汲み、ドラマなら事務所や役者の意向を汲み…そうやって話をなんとか成立させるのが仕事だ。
オタクにとっては原作第一だが、そも金がないと(スポンサーがいないと)映像化できないので、大人の都合で泣く泣く筋を変えて…といったこともある。(特撮なんかは顕著だ。どんなに話の流れ的に無理矢理でも絶対にオモチャを出さねばならない。)
で、ここでバランスを欠くと、セクシー田中さん問題のようなことに発展しかねないのでこの辺り非常に慎重にバランスをとっていかなければならず日々気が狂いそうである。
そういった中でぼざろ制作陣と吉田恵里香は「原作の良さを生かし、本来のターゲット層も喜ばせながら一般層にも当てる」という難易度Sの技をやってのけているのでマジですごい。
しかもこれは
②原作者自身も「原作より良くしてもらった」と喜んでおり(はまじ先生のツイートを見た)
ので、正直外野がガタガタ言うことではない。
(まあ現在原作者がどう思っているのかはわからないが、何を言っても火に油なのでしばらく無言なのではないかと思う。)
吉田恵梨香は原作を「素晴らしい」と絶賛した上で、”覇権を取るために”ノイズになる部分を除いたと言っているので
原作を「ノイズ」と言った!みたいな上げ足取りはどうかと思う。
スク水については
・ぼざろアニメ化にあたってのメインテーマである「バンドを通しての成長」には関係ない
・大衆向けを狙うには明らかにノイズとなる(描写について不要な議論を巻き起こす可能性もある/それこそ過激なフェミがあれこれ言う可能性もあるし)
という2点において取り除くのは実に真っ当と思う。
原作はきららという男性向け媒体ゆえ読者サービスとして裸を入れていたが、
「アニメ化にあたり女性や子供にも楽しんでもらいたい」となれば調整するのは真っ当だろう。
あとは批判派を見ていると
というコメントがあるが、脚本を書く上では(というか漫画家や編集と話していても)
「テーマに対してこの表現はノイズになる」「ターゲットへのアプローチに対してこの台詞はノイズになる」
という言い回しはデフォだ。知らん人には強いワードに見えるのでわからんことはないがまぁそんなキレることでもないぞ…と思う。
あとは、
・「加害性」というワードが悪い
というコメントもあるが、あのインタビューは「性的な描写には加害性がある!」のような話はしておらず
『恋せぬふたり』(2022年/NHK)というドラマにおいて「恋愛の暴力性」の話をしているだけだ。
>「恋愛を扱うドラマが描かれるときって、『恋愛しないと成長しない』とか、『恋で人生の全てが変わる』みたいな、恋愛が人生において最も重要なものとして描きがちというか、その考え方を押し付ける暴力性があるのではないかと、以前から気になっていたんです」
つまり「自分は恋愛が好きだからこそ、それを表現する時には嫌な人に押し付けてないかその加害性を考える」といった話をしているだけである。
強いて言えば、タイトルにつけたKAIYOUはバズらせようとしてこのワードチョイスしただろうからそれはどうよと思う。
あとは
というやや無理矢理な批判もあるが、あれはターゲットを女性に振ったからああなったのだろう。(売るためにはよくある。トリコの後半みたいなもん。)
男性向けのアニメとなれば女キャラのサービスシーンを出すのと同様なので、主義主張は一貫している。
というか監督らの意図(どういう層をターゲットにするか?)にあわせて変えるのが脚本家の仕事なのでこれについてはただ仕事してるだけだろう。
で、肝心のぼざろ部分だが、
>「原作ではひとりちゃん(※主人公の後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです」
>「現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。
>「原作がまず素晴らしく、原作サイドもとても協力的で、監督含めスタッフも音楽チームも本気で動いてるし、けろりらさん(※キャラクターデザイン/総作画監督)もすごく良い絵を描いてくれている。制作の段階からこれなら覇権が取れるって思える作品なのに、そうしたノイズがあると多くの人に見てもらえなくなってしまいます」
前述した通り「大衆向けにするために引っかかりそうな部分を取った(売りになる部分だけを残した)」ということしか言っていない。
まあ批判派は、知らない内にポリコレ意識がある(吉田恵里香は最後にゾーニングの話もしている)制作陣の手の上に乗せられていたことが恐怖だったのだろうと思うし、
裸などを楽しんでいることを「加害性」と言われいてるようで(言ってないのだが)居心地が悪かったのだろうと思うし、
この流れでゾーニングが進むのはたまったもんじゃないと思ってるのだろう。気持ちはわからないでもない。
ただ残念だが客観的に見ると
「それまで原作との比較もせず批判もせず無邪気に楽しんでいたのに性的表現を消されていると知るや否やキレだす残念な人間」
になってしまっているのは気づいたほうがいいと思う。せめて「意図はわかるが、俺は男性向けに作ってほしかったぞ!」と言うか「ぼざろは楽しんだが、ゾーニングには反対!」というほうがいい。
まあ、脚本家と言っても木っ端だが…
そもそも脚本家の仕事わかってない奴が多そうだなと思ったのでそれ交えつつ書く。
結論から言うと吉田恵里香はすげーーーーーーまともなことを言っている。
批判してる方は頭にきてよくわからなくなってるだろうが相当分が悪いと思った方がいい。
脚本家ってのは実際のところ、すさまじいほどの調整役だ。
原作を汲み、監督の意向を汲み、時にはスポンサーの意向を汲み、ドラマなら事務所や役者の意向を汲み…そうやって話をなんとか成立させるのが仕事だ。
オタクにとっては原作第一だが、そも金がないと(スポンサーがいないと)映像化できないので、大人の都合で泣く泣く筋を変えて…といったこともある。(特撮なんかは顕著だ。どんなに話の流れ的に無理矢理でも絶対にオモチャを出さねばならない。)
で、ここでバランスを欠くと、セクシー田中さん問題のようなことに発展しかねないのでこの辺り非常に慎重にバランスをとっていかなければならず日々気が狂いそうである。
そういった中でぼざろ制作陣と吉田恵里香は「原作の良さを生かし、本来のターゲット層も喜ばせながら一般層にも当てる」という難易度Sの技をやってのけているのでマジですごい。
しかもこれは
②原作者自身も「原作より良くしてもらった」と喜んでおり(はまじ先生のツイートを見た)
ので、正直外野がガタガタ言うことではない。
(まあ現在原作者がどう思っているのかはわからないが、何を言っても火に油なのでしばらく無言なのではないかと思う。)
吉田恵梨香は原作を「素晴らしい」と絶賛した上で、”覇権を取るために”ノイズになる部分を除いたと言っているので
原作を「ノイズ」と言った!みたいな上げ足取りはどうかと思う。
そういえばノイズについては、安倍晋三いじりのシーンを除いたところが印象的だった。
https://x.com/RyMfegzBUFNoZ8k/status/1880588138474820026
・ぼざろアニメ化にあたってのメインテーマである「バンドを通しての成長」には関係ない
・大衆向けを狙うには明らかにノイズとなる(政治についての不要な議論を巻き起こす可能性がある)
という2点において取り除くのは実に真っ当と思う。
スク水についても基本は同じ考えだろう。
原作はきららという男性向け媒体ゆえ読者サービスとして裸を入れていたが、
「アニメ化にあたり女性や子供にも楽しんでもらいたい」となれば調整するのは真っ当だろう。
あとは批判派を見ていると
というコメントがあるが、脚本を書く上では(というか漫画家や編集と話していても)
「テーマに対してこの表現はノイズになる」「ターゲットへのアプローチに対してこの台詞はノイズになる」
という言い回しはデフォなので、わからんことはないがまぁ無理矢理難癖つけてるな…と思う。
あとは、
・「加害性」というワードが悪い
というコメントもあるが、あのインタビューは「性的な描写には加害性がある!」のような話はしておらず
『恋せぬふたり』(2022年/NHK)というドラマにおいて「恋愛の暴力性」の話をしているだけだ。
>「恋愛を扱うドラマが描かれるときって、『恋愛しないと成長しない』とか、『恋で人生の全てが変わる』みたいな、恋愛が人生において最も重要なものとして描きがちというか、その考え方を押し付ける暴力性があるのではないかと、以前から気になっていたんです」
つまり「自分は恋愛が好きだからこそ、それを表現する時には嫌な人に押し付けてないかその加害性を考える」といった話をしているだけである。
強いて言えば、タイトルにつけたKAIYOUはバズらせようとしてこのワードチョイスしただろうからそれはどうよと思う。
あとは
というやや無理矢理な批判もあるが、あれはターゲットを女性に振ったからああなったのだろう。(売るためにはよくある。トリコの後半みたいなもん。)
男性向けのアニメとなれば女キャラのサービスシーンを出すのと同様なので、主義主張は一貫している。
というか監督らの意図(どういう層をターゲットにするか?)にあわせて変えるのが脚本家の仕事なのでこれについてはただ仕事してるだけだろう。
で、肝心のぼざろ部分だが、
>「原作ではひとりちゃん(※主人公の後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです」
>「現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。
>「原作がまず素晴らしく、原作サイドもとても協力的で、監督含めスタッフも音楽チームも本気で動いてるし、けろりらさん(※キャラクターデザイン/総作画監督)もすごく良い絵を描いてくれている。制作の段階からこれなら覇権が取れるって思える作品なのに、そうしたノイズがあると多くの人に見てもらえなくなってしまいます」
前述した通り「大衆向けにするために引っかかりそうな部分を取った(売りになる部分だけを残した)」ということしか言っていない。
まあ批判派は、知らない内にポリコレ意識がある(吉田恵里香は最後にゾーニングの話もしている)制作陣の手の上に乗せられていたことが恐怖だったのだろうと思うし、
裸などを楽しんでいることを「加害性」と言われいてるようで(言ってないのだが)居心地が悪かったのだろうと思うし、
この流れでゾーニングが進むのはたまったもんじゃないと思ってるのだろう。気持ちはわからないでもない。
ただ残念だが客観的に見ると
「それまで原作との比較もせず批判もせず無邪気に楽しんでいたのに性的表現を消されていると知るや否やキレだす残念な人間」
になってしまっているのは気づいたほうがいいと思う。せめて「意図はわかるが、俺は男性向けに作ってほしかったぞ!」と言うか「ぼざろは楽しんだが、ゾーニングには反対!」というほうがいい。
『自宅の風呂に全裸で入る』という極めて当たり前の行動を『全裸とかエッチすぎます!スク水を着せなきゃ!!』とかやってる方がノイズだろ。
エロの記号である巨乳スク水のせいで余計に如何わしいシーンになってた。
そのことに対して本人も薄々感づいているから、フェミ故の歴史修正主義で「私はアレをエロとして書いたつもりは1ミリもないのです」と喧伝しているんだろうね。
『自宅の風呂に全裸で入る』という極めて当たり前の行動を『全裸とかエッチすぎます!スク水を着せなきゃ!!』とかやってる方がノイズだろ。
むしろあの改変のせいでアホ故の暴走アクションからドズゲベサービスシーンに代わってしまった感じしかないわけで。
そもそも巨乳の女の子が巨乳であること自体が性的な媚だって決めつけ自体が『ミニスカートを履くのは男を誘ってるからなんでゲス!!!』と叫びだす痴漢と同じレベルでしょ。
つまる所、「そう思うのはお前の心が歪んでいるからだ」としか思えない発言の数々がヤベー奴として扱われているのであって、個々の単語が言葉狩りされてるわけではないよ。
いや、だが、はてなーはそのレベルの馬鹿もいるにはいるな……でもそんなレベルの馬鹿を相手しても意味ないだろ?
知能の外れ値は放置でおけ
家の風呂に入るのに何故かスク水を着せる、原作にはなく、物語に必然性もないのに主人公の男親が家事をしているシーンを入れ込む、など。
原作やモデルとなった人の生き方などを歪めたりすると非常にノイズに感じる。
表現活動や作家活動よりも思想活動などがきっつくて、作品を見る度にSNSでの発言や行動がちらつく
まだ物語が完結してもいないのにインタビューにしゃしゃり出てきて語るなど。作品で語れよ!と言うツッコミをしたい。
原作にもない、必然性もないのに謎の理論で入れ込まれる何か。カメオ出演がこれにあたるが、それに限らない。
脚本家があとで「これも仕事なので」みたいな雰囲気で言い訳していると、お前ノイズは取り除くっていったよね?って思ってしまう。
既に一期などがあるとか、原作がある作品では既にファンがいる。そして作品には複数の楽しみ方があるが、自らが示したそれ以外は認めないと言う様な形で強制するような改編。
さらに、楽しんでいるファンを「搾取」呼ばわりするなどすると、1位と2位と4位の合わせ技でもう無茶苦茶。
富野由悠季監督などはファンを叱るような言動をすることがあるが、それとは異質ななにか。
最近のアニメ化でふえていると感じるのがこれ。毒やブラックな部分、議論を呼びそうな部分を解毒して、漂白したようなもの。それが見え見えで見える奴。
世界展開をするためとか言い訳が一緒について回ることになるが、真正面からそう言った毒をも飲み込んで作り上げた作品は大ヒットや怪作と言われるものには絶対にならなくて、ただ失敗しなくなると言う事だけにやられているので、ノイズとして感じる。