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2025-07-27

明鏡訪談 劉仲敬(2017年6月5日)『顛覆大一統中國史觀』

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

1. 問題設定──「大一統史観」の枠組みを疑う

劉仲敬は理系思考(可否の証明反証)を重視し、問題解決できないなら“問いの立て方”自体が誤っている可能性を指摘。

近代中国史は「日本はできたが中国はできなかった」「帝国主義ソ連のせいだ」といった恨み節に終始。各論有効でも、全体像説明できない点で枠組み自体を見直す必要がある。

2. 民主憲政と「帝国」──そもそもの発生背景の違い

民族国家民主憲政は同期形成

英仏などの「地方国家」は、一度ローマ神聖ローマ帝国を脱してから成立した。

中華帝国大清中華人民共和国)は「多民族多文化大帝国」で、帝国体制下で民主憲政は成立しない。

帝国要件

日本明治維新で「東アジアイングランド」として帝国体制離脱

韓国近代大清帝国の外へ出て民族独立国家

台湾香港中華民国という限定的枠組みの下で事実上自治民主化を経験

3. 「諸夏/諸亞」モデル

諸夏(Zhuxia)

周代以降、文化的儒家文明を共有する諸侯国群を指す古典用語。「中華」「華夏」の原義に近い。

諸亞(Zhuya)=内亞(Inner Asia

草原地帯ウクライナ満洲モンゴル新疆中東)の遊牧文化圏。騎馬・商隊による技術情報交流が活発。

対立構造

春秋戦国期の分裂状況をモデルに、現代東アジアも「諸夏の群雄割拠+諸亞の衝突」で捉え直し、宋明以降の大一統体制が「競争」を奪い、技術市民社会発展を阻害したと論じる。

4. 民族主義の三モデル比較

東西の大多民族帝国大清神聖ローマ帝国オスマン帝国)を例に──

大帝国主義大清・大俄/大オスマン

文化的包摂主義華夏・泛斯拉夫/泛突厥

小民族主義(諸夏/小波蘭・トルコ共和国

成功例は「小民族主義」:帝国解体後に小さな民族国家民主化を先行して実現。

5. 台湾香港──「植民地文化民族主義政治民族主義」の連鎖

台湾

「華独」(中華民国枠のまま台湾のみ統治)と「台独」(台湾共和國)を使い分けるが、後者欧州民族発明典型

冷戦下のサンフランシスコ条約体系(1952年「臺北条約」)を“盾”に、事実上安全保障を獲得。法理的に「中華民国在台」を温存する方が有利。

香港

粤語という文化的共通性が古くからあり、文化民族主義は既成事実

返還交渉での「一国両制」失敗と梁振英政権裏切りから政治民族主義(港独)が急浮上。

「退出六四集会」など符号化された分断動員によって、反中本土派選挙勢力を拡大。

6. 公民民族主義 vs. 文化民族主義

公民民族主義市民社会成熟度が基盤)は論理的には最も合理的だが、選挙運動動員の「シンボル」としては文化言語的な分かりやすさに劣る。

香港台湾でも「粤語」や「中華民国枠」といったシンプル記号 πολιtics が大衆動員を左右。

7. 思想役割──歴史的必然の“追認”にすぎない

劉仲敬自身も「思想歴史を変えるのではなく、歴史の潮流が思想を求める」ことを強調。

東アジアの大一統体制から分権競争へ──「諸夏」モデル東アジア適用される時代が来る、という予見。

まとめ:

近代中国の「大一統・大中華」史観は、帝国民主民族国家歴史的段階論を見落としている。

民主憲政は「小さな競争する民族国家」でしか成立せず、東アジアの再民主化は「春秋戦国的分権と競争」の再現から始まる──この視座が本インタビューの核心です

https://liuzhongjing.medium.com/%E6%98%8E%E9%8F%A1%E8%A8%AA%E8%AB%87%E5%8A%89%E4%BB%B2%E6%95%AC-20170605-%E9%A1%9B%E8%A6%86%E5%A4%A7%E4%B8%80%E7%B5%B1%E4%B8%AD%E5%9C%8B%E5%8F%B2%E8%A7%80-793c1956ff24

劉仲敬が2020年8月に行った「發明蔣經國與發明李登輝インタビューの要約

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

概要

このインタビューでは、劉仲敬が蔣經國(蒋経国)と李登輝という台湾の二大政治指導者遺産について、特に蔣經國の政治スタイルとその本質分析しています。核心は、蔣經國が「共産党式の幹部体制」を内在化した上で、台湾独自制御したこと、そして李登輝以後にその遺産が別の方向に「発明」されていったことです。

■ 主なポイント

1. 蔣經國の人格と訓練背景

若い頃にソ連で訓練を受けたため、蔣經國の性格共産党幹部候補的。

情報部門幹部運営において共産党的な「粛清」や「双重道徳」が基本思想

家族道徳を利用可能資源とみなす「布爾什維克」的な思考

2. 台湾統治国民党内での権力掌握

台湾では「外来政権」として、容赦ない支配可能

古い軍閥派閥情報機関を使って粛清し、「幹部党」を築く。

1950〜70年代国民党の「レーニン主義的純度」の最高潮

3. 技術官僚地方派閥の台頭

経済発展により技術官僚地方中産階級派閥政治)の影響力が拡大。

彼らは本来レーニン体制とは相容れないが、蔣經國は「とりあえず使える」と判断

本土派の成長も黙認。ただし、真の危機は「統一戦線による国民党の再赤化」。

4. 蔣經國の判断と「本土化路線

本土化路線は長期計画ではなく、その時々の「緊急対処」だった。

政治家とは「今この瞬間の危機」に対応する存在であり、理想設計とは無縁。

廖承志との対話拒否し、統派との距離を取り続けたのも、「統一戦線型の危機」が即時だったから。

5. 李登輝と「蔣經國の遺産」の再定義

蔣經國の死後、部下たちは状況に応じて彼の遺産を「再発明」した。

特に李登輝は、「蔣經國の意志」を引き継いだという形で民主化本土化を進めた。

実際には、蔣經國自身も**「後のことまでは考えていなかった」**可能性が高い。

6. 政治家と知識人の違い

政治家:紙の船で嵐を航海するような存在、常に危機の中で動く。

知識人完璧設計を求めがちだが、現場感覚がない。

歴史的偉業に見える決断も、ほとんどが**「急場しのぎ」**であったという現実

結論

蔣經國は、共産党式の統治術とアメリカとの協調を活かしつつ、台湾における国民党体制一時的に安定させたが、それは理想に基づくものではなく、その場その場で最も緊急な危機対応する「即応的政治判断」の積み重ねに過ぎない。そして彼の死後、その行動の意味合いや「意志」は、後代の政治家によって再構築(=再発明)された。

https://vocus.cc/article/5f33a32dfd89780001ac4120

 
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