はてなキーワード: 判断とは
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
批評家の森脇透青氏から「強姦未遂」の被害を受けたと、知人の七草繭子𓆏N魔女氏がツイッターで告発した。当事者間では早期に和解に至ったようだが、なお一部では紛糾しているようにみえる。いま大きな論点になっているのは、「強姦未遂の事実はあったと大っぴらに告発した以上、当事者間の和解などで済ませず、最後までやり抜くべきだ」という主張である。その結果として、七草繭子𓆏N魔女氏が責められている状態になっている。この論点を支えているのは、「強姦未遂」という重大な犯罪行為そのものを、森脇氏が直接には否定していないのだから~という理屈のように思える。以下では、この誤謬について述べたい。
まず、犯罪行為として論じる以上、刑法上の理屈で考えることになる。森脇氏の事実説明によれば、本件は3年前の出来事である。この時点では、旧来の強姦罪はすでになく、改正後の強制性交罪が適用されることになる。強制性交罪は、旧強姦罪と異なり、口腔性交も「性交等」に含まれる。したがって、もし森脇氏がフェラチオまでさせていたのであれば、それは「未遂」ではなく「既遂」と評価される。そこまで至っていない場合であっても、キスや胸を揉むといった行為態様があれば、強制性交未遂罪だけでなく、強制わいせつ罪(既遂)の適用も検討される。服の上から短時間であれば自治体の条例違反に留まることもある。いずれにせよ、本件を刑法上「強姦未遂」と表現するのは、そもそも誤りである。
では罪名は何か、つまりどの罪が実際にどのような形で適用されるかどうかを、第三者が判断し得る程度の証拠も、現時点では示されていない。ここでいう証拠とは、七草氏の主張だけでは足りず、森脇氏が、行為態様だけでなく「強制的な行為であった」という当時の認識を七草氏の言うとおり全面的に認めるか、その様子を撮影した映像が存在するといった高度に信用できる材料を指す。そうしたものが仮にあるにせよ今は出ていない以上、第三者が断定的に判断することは難しい。なお、PTSDであれば「強制性交致傷」か「強制わいせつ致傷」も視野に入る。ただ、両罪とも無期懲役もあり得ることから裁判員裁判の対象となるため法的コストが跳ねがること、当該行為がPTSD発症に直結したという立証も伴うことなどから(裁判で弁護側が診断書を不同意にする)、適用される可能性は低い。
「強制的」とは何か。強姦罪も強制性交罪も成立するのに「暴行・脅迫」が必要であり、これを指す。その立証のハードルが高いということで近時、無理な法改正があったことは記憶に新しい。言及している人は少ないが、森脇氏の説明でもこの点についてもきちんと触れている。七草氏は森脇氏の身振り手振りに「脅迫の意図を感じた」のに対し、森脇氏は無自覚であって「脅迫したり、不満を表現する意図は一切ありませんでした」としている。こちらも、上記と同じ理由で録音などの客観証拠がなければ害悪の告知があったとは推認しにくいので森脇氏の否認主張を覆すのは難しいだろう。もっとも七草氏は「強度のあるもの」と述べているが、それを下支えする根拠や状況は詳しく示されていない。
森脇氏は、この件について「解釈の相違があった」と説明している。かなりオブラートに包んだ表現だと推察されるが、平たく言えば「同意があったと思っていた」という趣旨である。これは、犯罪を構成する要件である「故意」(違法であると分かっていながら、あえてその行為をすること)を否認するものであり、故意の除却事由である。これを覆すには、「同意があったと思ったはずがないだろう」と客観的にいえるような事情が必要になる。極端な例を挙げれば、面識のない女性を路上で襲っておきながら、「同意があったと思っていた」という言い訳は通らない、ということである。森脇氏の場合だと、同世代であり、権力関係がなく、長年の知人であり、場所もホテルで、少なくとも一緒に入室することまでは同意があったという点については、当事者双方の共通理解となっている。このような事情を踏まえれば、客観的にみれば「同意があると推認しうる状況」又は「同意があったと思っていたと推認しうる状況」であったと評価できなくもない。
最後に確認しておくと、この種の事案で保護される法益は「個人の性的自由」である。その観点からすれば、当事者双方が和解に至っている場合には、仮に非親告罪であって犯罪として成立し得る場面であっても、国家権力が処罰する必要はない(つまり、起訴猶予による不起訴)、というのは、ごく一般的な運用である。
まとめると、犯罪の成立が極めて曖昧なため、当事者間の和解で済ませてもいいし、外野の口出しする余地があるというのは前提を欠くということだ。もっとも、森脇氏には、刑法的にみれば行為様態の面でも事実認定の面でも、反論しうる余地が十分にあった。だが犯罪行為が成立し得ない形で言い分を散りばめながらうまく謝罪を行い、和解に至っている。その点を斟酌しても、外野はこの事態を自らの主張を拡散するための足がかりとして利用するのではなく、むしろ森脇氏の復帰を後押しすべきだろう。付言すると、自分は「3年」に引っかかる。森脇氏は七草氏に出るところに出られても勝てる自信が最初からあったから長期にわたって感情を逆なでしてしまい、結果として今回の告発を招いてしまったのではないか。その行為がツイッターの公共性や性被害の告発といった観点でいかに論じられるかは関知するところではないが、少なくとも犯罪と決めてかかってどうこうというのは止めたほうがいいのは確かだ。また逆に、七草氏の手元にある証拠が森脇氏の言い分を潰せるまでに強いものだったため森脇氏が謝罪に出た可能性もなくはないが、それこそ和解した2人が墓まで持っていくべき事情であって、外野が口を出すべきではない。
ともあれ、他人の性被害を「核弾頭」のように扱い、自身の主義主張を社会に拡散させようとする姿勢は、結局のところ、どこぞのMetoo運動と何ら変わらない。また、言論人のような活動をネットで展開している人たちが、立場はどうであれ、本来は謙抑的に行使すべき刑法の積極的運用を望んでいるようにみえたのも皮肉に思えた。
所謂コミカライズ作家発掘やラノベの挿絵を付ける人を探すお仕事(それ以外もやってるけど)してるんだけど
この人良さそうだなって人を仕事用の私用垢でフォローしてデータ取ったりする
んでやっぱり伸びる人や仕事たくさん取れてる人は一定の傾向あるからメモ代わりに書き残しておく
あと先に言っておくけど今の業界は基本pixivもニジエもクロスフォリオもほぼ見ません
あと不思議とAI学習禁止も書いてない人のほうがあきらかにフォロワーや仕事量が増加する傾向がある
発表されてる分だけでカウントしてるんで総量はわからないけどね
1個目とも関連するけどチョー大事、日々一定のツイート数で安定してる人とかは高評価
思い出したかのように病みツイート連発する人とかは単発仕事すら入れたくないからね
今の業界のトレンドとして絵の上手さはそこまで要求されず、全てにおいて安定している人(メンタル・生産速度)がとにかく要求されてる
画像サイトを見ないのもその兼ね合いで日々どういった事をツイートしてるかを見て判断するためにやってる
あと政治的発言が多いと敬遠されるみたいな事いってる人がたまーにいるけどそこは全然考慮しないよ
政治的発言多い人は大体メンタル不安定な傾向があるのでそのせいだと思う
凍結回避用の男性垢は今回除外で主にお仕事用垢と日常垢に分けてる傾向の強い女性イラストレーターが当てはまる
基本的にお仕事垢と日常垢分けてる人は日常垢が病み垢になりがち
これをせめて鍵垢で、ファンや他人から見られない場所で吐き捨ててるならそれは理性的な行動であると判断します
見出し通り
正直これ基準にするのはあんまよくないんだけど他に数値化されたものがないから仕方ない
Skebとか挿絵とかコミカライズ担当とか、ちゃんと宣伝する人めっちゃありがたいしそういう人はお願いして良かったってなるし安心できる
作家自身に宣伝させるのはどーなの?宣伝は版元の役割じゃねーのという声も昔は聞こえてたけど今は「作家も自己プロデュースしないと生き残れないだろ」という意見が主流になっちゃったね
ここは良いのか悪いのか分からんわ
まあこんな感じ
まあこのへんできてたら絶対仕事増えるよって感じなんで参考になれば
これで最後にするが、文章にある私が脅迫に感じた物音は脅迫に感じる程度には強度のあるものであり、その後泣き出すほどのものであったとは言っておきます。何故苦しいであろう中会うことができるのかは、被害後一年間にわたって森脇氏の名前を見るだけでも嘔吐感がするような時期を経て、3年間ここに書ききれない様々な苦しみがあったからこそ、直接会って対話することができ、手打ちにすることができた。関係を継続したのはその方が森脇氏にとって仕事面の差し支えがなるべく出ず、現状自身の心身にとっても良いだろうと判断し、互いにとって総合的に良いと結論を出したからである。
前髪メッシュ、インナーブリーチ、全頭ダブルカラーまで実に様々な子が割と普通にその辺歩いているけど理由は簡単、親族か知人に美容師がいる可能性が矢鱈と高いから。大体は母親か、そのご友人あたりであることが多い。
そもそも彼ら彼女らの保護者からしてハイトーンやビビッドカラーの髪をしている人が結構いる。子どもたちからそれとなく聞かされるところによれば、職業柄その辺りの融通が利く仕事をされている方々が多いのもやはり土地柄なのだろうか。
そもそも現代の子どもたちは派手な髪色の人間を怖がらないどころか寧ろ憧れ、好む。黒などの地毛暗髪でいる方が逆に「なんで染めないの!?」と謎にキレられるので厄介なくらいだ。
大人からすれば「そんなご家庭は〜…」「教育に良くない〜…」等と思う人もいるかもしれない。しかしたかが頭髪とかいう死んだ細胞の色一個で、その辺りの判断をする時代では最早なくなりつつあることを私は伝えたい。まあそれはそれとして、ブリーチ狂いの派手髪中毒者の一意見的に申し上げるなら、子どもは頭皮も髪もかなり繊細なので実際やるか否かは慎重に考える必要があるとは思うのだが。
「BTS・ジンさんに“無理やりキス” 日本人の50代女を強制わいせつの罪で在宅起訴」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.livedoor.com/article/detail/30011782/
の報道に対して、
「キスできるくらい密着させるイベントがおかしい」て趣旨のブコメが複数ついてて、しかもスターも付いてて凄い。
「できる状態にある」ことと「実際にやる」は天と地の差がある。
普通は「できる」「けどやらない」んだよ。
「女性専用車両があるのに、わざわざ男女共用車両に乗ってきて俺に尻を撫でられるくらい密着してきた女がおかしい」
と言い訳したり、ひとけのない夜道を一人で歩いてた女性を暴行した男が
こんなアタオカなブコメが一つ二つでなく複数ついて、しかもスター集めてるはてブって場、すごいよね…怖いよ。
いやわかるよ、加害者が女で被害者が男性だからこんな責任転嫁して加害者を免責しようとするブコメが複数つくんだよね。
男女逆で、男が加害者で女性が被害者だったら、こんなブコメ絶対つかないしスターも集めないよね。
この、「女性は何歳になってもいい年した大人であっても、判断能力や自制心に劣る愚かな存在だから、社会が・男が守って庇護しなければならない」系のブコメ、
ものすごく性差別的なのに、とりあえずやらかした女には得する内容だから、女がやらかしたニュースには必ずつくよね…
「周りが悪い、制度が悪い、社会が悪い」てブコメ書いて騎士として守ろうとしてあげてるんだよね。
これではてブの普段の正義は「男女平等」なんて嘯いてるんだから、ほんと呆れるよ。
これが「男女平等」なら実現させちゃいけないよ。
別に新作じゃなくても旧作含めたら月に2,3本みたいのがある人は少なくないし
高い安いの二択判断も変で1万違ったら安い方がいいけど
1000円しない差なら利便性とるわな
仕事におけるコミュニケーション能力ってなんだろう。俺は「職務上の目標を達成するために、他人と円滑に会話をして、必要な情報を双方向的に伝達できること。またその関係性を構築できること」がコミュニケーション能力だと教わった。
その上で、俺は仕事中に他人とあまりしゃべらないことを選択することが多い。
たとえば、過去に言葉遣いに関する細かい揚げ足をとられたり、身の上話をしたら間違った解釈をされて、噂として拡散されたりした。
様々な見解がある。もちろん、不適切な表現をしてしまう自分にも非はあるかもしれない。10人中9人は「そんな言葉遣いまで気にするの?」って部分まで、「あいつがああ言ったから」とぐちゃぐちゃ言う人はいる。
個人情報を自己管理すべきだという意見ももっともだ。同時に「嘘の噂話を広めるなんてケシカラン!」と思う人もいる。
賛否あると思う。
その上で、自分からコミュニケーション(発話するという選択)をとった結果、他人とトラブルに発展したら、「職務上の目標を達成するために、他人と円滑に会話をして、必要な情報を双方向的に伝達できる状態。またその関係性」ではなくなると思うんだよな。
相手が自制できないことを予期して、自分はなるべく黙った方がローリスクだと判断してる。「もっといい方法があるんじゃない?」と言う人もいるかもしれない。
人間関係でトラブったら他人は基本的に責任をとらない。このことを認識しておくのはとても重要だ。
10:0でどちらかが悪いと言えるケースが少ないから、簡単に言い逃れができてしまう。「あいつが悪い。だから俺はこうしたんだ」などとトラブルメーカーは自己正当化することがある。このとき、自己開示した情報を悪用されないようにすべきだ。
また、トラブルが拡大して収集がつかなくなると相手も謝罪することさえできなくなることもある。そうならないよう、相手と自分のどちらかがバランスをとるべきだと考える。
あまりしゃべらないと、コミュニケーション能力が足りてないだの協調性がないだのなんだとと他人に怒る人がいる。けど、あなたの言うコミュニケーション能力って何?
これを読んだあなたも考えてみてほしい。
中国は台湾に武力侵攻するときは、米軍と直接の交戦はない判断したときだけだろ。
その状態で何ができるの?
本稿は、2025年にリリースされた乃木坂46の40thシングル「ビリヤニ」が、
というマーケティング構造(本稿では“日清構図”と呼ぶ)と比較し、
節目の40枚目という重大なタイミングで採用したのかを分析する。
本研究では、ChatGPTおよびGemini、二つの生成AIから得られた
乃木坂46は「清楚」「正統派」「王道」というブランドイメージを確立している。
本稿は、その“異様さ”を原点に議論を進める。
そのため「ビリヤニ」は異常値(アウトライヤー)として扱える。
という“ふざけても大丈夫な強度”はマーケティング界で頻繁に取り上げられる。
乃木坂46は、
これらが重なり、日清構図同様に
よって“ビリヤニ”は
として説明できる。
しかし、
ここから導かれる仮説は次の2つ:
→ ゲストからビリヤニ文化(南アジア、ハラール圏等)を聞いた点も歌詞に接続。
ただし偶然にしては整いすぎているのが本件の核心である。
歌詞中で、
と説明した内容と一致する。
したがって、
または
という逆転現象が起こる。
ラジオは偶然ではなく、
秋元康が“情報収集・感化・伏線”のいずれかを意図した可能性が高い。
そして曲の成立は
AI 2体(ChatGPT×Gemini)を用いて
情報の「影」を消すことで初めて到達できた
本稿自体が、
なんかもう外交問題以前に「感情>>>理屈・道理・実利」になっとる人が国内にめちゃくちゃ多いことに恐怖を覚える
「世界恐慌で経済が行き詰まった結果、世界中でナショナリズムの高揚が起こりました、ドイツではユダヤ人差別が起こりました」みたいなのが歴史の教科書に書いてて何言ってんねんって思ってたけど、最近理解出来るようになってきたわ
マジでそれ
そもそも国民世論が戦争を望んで向かっていったってのが今の日本見てよーく分かったわ
多数派が正しいとは限らない
やっぱり敵国を作りあげてナショナリズムの高揚を煽るってのは支持率アップに効くんやなあ
高市がやってることは韓国中国がやってる反日政策の日本版だからな
民度も地に落ちたわ
高市はどうでもいいけど、国がどんなに貧しくなろうが物価が高騰しようが、中国に強気な態度を取れば信者はウレションして支持率も上がるんやなって
Xやエッヂを見てみなさい
Xではかなりの高市&支持者叩きがあるしツイートによってはついてる引用やリプが叩きばかりというものもある
https://x.com/shinjukuacc/status/1990306407099551887
https://x.com/kabumatome/status/1990690940931953065
エッヂとは5chが没落した今、現行の匿名掲示板で最大の掲示板でそこでは反ネトウヨ、反高市が主流だ
https://bbs.eddibb.cc/liveedge/
なんかもう外交問題以前に「感情>>>理屈・道理・実利」になっとる人が国内にめちゃくちゃ多いことに恐怖を覚える
「世界恐慌で経済が行き詰まった結果、世界中でナショナリズムの高揚が起こりました、ドイツではユダヤ人差別が起こりました」みたいなのが歴史の教科書に書いてて何言ってんねんって思ってたけど、最近理解出来るようになってきたわ
マジでそれ
そもそも国民世論が戦争を望んで向かっていったってのが今の日本見てよーく分かったわ
多数派が正しいとは限らない
やっぱり敵国を作りあげてナショナリズムの高揚を煽るってのは支持率アップに効くんやなあ
高市がやってることは韓国中国がやってる反日政策の日本版だからな
民度も地に落ちたわ
高市はどうでもいいけど、国がどんなに貧しくなろうが物価が高騰しようが、中国に強気な態度を取れば信者はウレションして支持率も上がるんやなって
以下の文章を読んだら、普通は「台湾に対して武力攻撃が発生したら、武力行使が生じうるよ、具体的には、アメリカが台湾に行ったら防ごうとして武力行使される、そういうケースならあり得るよねー」ってだけの話ってわかるだろうに、なぜか台湾が攻撃を受けたらだとぉぉぉぉぉ!とか意味不明な発狂してる。
〇高市内閣総理大臣 これはやはり他国に、台湾でしたら他の地域と申し上げた方がいいかもしれませんが、あのときはたしか台湾有事に関する議論であったと思います。台湾に対して武力攻撃が発生する。海上封鎖というのも、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて対応した場合には武力行使が生じ得る話でございます。
例えば、その海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかのほかの武力行使が行われる、こういった事態も想定されることでございますので、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。
https://anond.hatelabo.jp/20251117185138
岡田氏の挑発・誘導に乗りすぎた高市氏の油断はあったと思う。ただ、元増田の引用の前に、議論にとって重要な前提・文脈がある。
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高市:例えば海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかの他の武力行使が行われる。まあ、こういった事態も想定されることでございますので、まあ、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかっていうことの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。
(略)
岡田:日本の艦船が攻撃を受けてないときに、少し遠回りをしなければいけなくなるという状況のなかで、存立危機事態になるということは、私はなかなか想定し難いんですよ。そういうことをあまり軽々しく言うべきじゃないと思うんですよ。
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岡田氏は「米中が武力衝突しても、日本に攻撃のない海上封鎖くらいで集団的自衛権の発動はやり過ぎ」と言いたいようだ。
高市氏は、海上封鎖は存立危機事態になると言っている。これまでの話の前提は「海上封鎖の阻止に来た米軍に中国が攻撃したとき3要件は成立するか」なので、元増田の引用部では改めて言ってない。
元増田は、自分の主張のためにワザと省いたのか、「問題発言」の周辺に注目した結果たまたまなのか分からない。ただ、何度も読み返したにしては見落としてないか。まあ僕も詳しくないので読み方を間違ってるのかもしれない。誰かやさしく教えてほしい
先週末、銀座の歩行者天国を、私はいつもより少し早い足どりで歩いていた。
と言いたいところだが、実際には“歩かされていた”というほかない。
ひとの体温が、ちょうどぬるめの風呂のように肌にまとわりつく。
私は自分の足なのに、どこに向けて運ばれているのかわからなくなってきて、ふと「これは私の散歩なのか?」と疑いたくなった。
私は、まるで自分の神経がむき出しになったような顔つきで、これを眺めていた。
実を言うと、こういうことを書くと、いまではあちこちから叱られる。
しかし、ここでは思い切って白状すると、私は最近、中国人観光客と同じ空間にいるだけで、ちょっとイライラするようになってしまった。
疲れか、年齢か、単なるわがままか。
さて、そこで私は考えた。
——そもそも私は、何に怒っているのだ?
あまり気の利いた答えは出なかったが、どうやら相手の行動そのものよりも、
文字も教わり、思想も手ほどきを受け、食べものから建物のつくりまで、大なり小なり影響を受けている。
その事実を忘れたことはないつもりだが、銀座で人いきれに押されていると、そんな立派な話はどこかに飛んでしまう。
それで私は、観光客のざわめきの中で、
「ああ、私は今たいへん小さい人間になっている」と気づいたわけである。
この気づきは、銀座のどの高級店に入るよりも、よほど身にこたえた。
列を守り、空気を読み、声をひそめる。
それが美徳とされてきた。
ただし、これは日本語で書かれた“暗黙のマニュアル”なので、外国の人が読めるはずがない。
それでも私は、心のどこかで「少しは気を使ってほしい」などと思っている。
私だって、海外へ行ったときにどれほど現地の人を困らせているかわかったものではない。
そこで、一つ大事なことに気がついた。
——私は、観光客に怒っているのではなく、“自分の文化が特別扱いされない状況”に、なんとなく戸惑っているのだ。
なんとも情けない話だが、そう考えると肩の力が抜けた。
文化というのは、所有物でも家宝でもなく、ただそこにあるだけのものだ。
それに褒め札をつけてもらえないからといって、いじけるのはどうかしている。
ひとの流れが緩んだ瞬間、私は歩調を少し落とした。
胸のあたりの熱がすっと引いていく。
観光客の声は相変わらず大きかったが、なぜかさっきほど気にならなかった。
ひとの文化は違うし、違って当たり前だ。
それを文化の“摩擦”と呼ぶなら、その摩擦音に少しくらい耳を傾けるのも悪くない。
むしろ、こちらのほうが正しい街の歩き方かもしれないとすら思えてきた。
さて、思う。
——私はいったい、誰に怒っていたのだろう?
相手か。
それとも、説明なしには伝わらない日本の文化を、どこか“偉そうに”抱え込んでいた自分自身か。
おそらく後者だろう。
そして、まあ、それならそれで仕方がない。
いわゆる下方婚をした。
現在両方アラサーだけど私が少し年下。私が大卒年収1200万強、夫が専門卒年収400万強。
私の両親は今は仲がいいものの、父が院卒士業、母が高卒で収入に数倍の差があり私が子供の頃は父がガチのモラハラだった。
父方の祖母からのいじめもあった。「増田の頭が悪くなったらお前のせいだ」と母が言われており、母が大好きな私は母を守るために死ぬほど勉強していた。普通に辛かった。
あたたかい家庭で育った母は小学校低学年の娘が怒鳴られながら、ストレスでおでこを掻きむしって夜中まで勉強している姿を見て本当に辛かったと思う。
何度か私と姉妹を連れて出て行こうとしていたが…というのは置いておいて…
とりあえずそういう家庭で育ったので、私はずっと「収入なんかいらない、とにかく優しい男性と結婚してあたたかい家庭を作るんだ」と考えていた。
願いが叶い今の夫と出会うことができた。
人の悪口を言わない、というかもうそういう発想すらなく、料理上手でおおらかで人に手を差し伸べることになんの躊躇もない。感謝の気持ちをいつも私に伝えてくれる。
決して裕福ではない家庭で育ち昔からご両親の手伝いをしていた苦労人。
感情の起伏が激しい私が基本穏やかに過ごせているのは夫のおかげでしかない。まだ子供はいないけど、もう100%いい父親になるのが分かる。
そんな夫にお金のことでイライラしてしまう自分がいる。本当に嫌で仕方がない。当たり前に自分が。
例1:「子供のことは、女性のほうが負担が大きいから増田に決めてほしい。どんな決断でも大切な増田の気持ちを尊重したいし、自分にできることは全力でサポートする」という100点の夫の言葉に「お前の収入でできることなんか限られてるだろうが。選択肢少ないのに選ばせてやったみたいなツラすんじゃねえよ」と思ってしまう ※選ばせてやってるなんて夫が思ってるはずがない
例2:夫のご両親に「車買うの?確かに大変ではあるけど楽しいし楽だよ~」と言われ、「どっちにしろ私が買うことになるので口出すんじゃねえよ。お前らのせいで私が一家の大黒柱になってんだろうが」と思ってしまう ※口出されてない、ご両親は良い人、大黒柱になったのは私の判断
例3:たった5000円くらいのものを夫に対して「貯金少ないくせに買い物してんじゃねえよ」と思ってしまう
例4:夫の趣味のものを置いておくスペースを見てイライラしてしまう。「私がほとんど家賃出してるの分かってんのか?」と…
もちろん夫が大切なので口に出すことはないが、思ってしまう。思ってしまう自分が嫌だ。自分の父と同じじゃないかと。
それに自分と同程度の収入で家事何もしないモラハラ気質と結婚したいか?と聞かれたら夫のほうが10000倍いいに決まってる。
というか人間性とかトータルで見たら超絶上方婚。自分には夫以上の人などいないことはわかっている。
わかっているのになぜこんなにお金関連でイライラしてしまうのか。こんなに大切なのに。
今は抑えられてるからいい。でも自分が病気になったり仕事がうまくいかなくなったり、妊娠出産でメンタルブレイクした時に夫にライン超えの言葉を投げかけるのではないかと思うとライフステージを進めるのが不安になってしまう。
自分があんなに苦しんだ冷たい家庭を再生産するのではないかと。
たとえ私がライン超えの発言を夫にしてしまっても夫は「ごめんね、そんな風に思わせて、できるだけ頑張るから」と心の底から思って言ってくれていつも通りお茶を淹れてコップまで洗ってくれることだろう。
私がたとえ心身ともにボロボロになっても死ぬまで支えてくれると心から信頼できる。そんな信頼を与えてくれる人に対して自分はお金のことだけでなぜ…
ああ( ^)o(^ )タスケテ…
(追記)
やっぱり私がおかしいのだと思うとなんだか安心した( ^)o(^ )ありがとう
100問中1問間違えただけで父に机バンバン叩かれながら「レジ打ちになりたいのか」と怒鳴られて育ち
そんな父を心の底から軽蔑してたはずなのに似たような感じになるの、辛い
いい落とし所を見つけられたらと
というか何人かの方が指摘してくれた通り、もしかしたらというかもしかしなくてもお金が原因じゃない気がする
はあ