はてなキーワード: 花札とは
ババァ親衛隊が物語都合過ぎてキモいぐらいしか気になる所なんてなくない?
あっ、大筋がウォーゲームの焼き直しだけど全体的に質が下がってるのはちょっと駄目だわ。
あと今になって見直すとカズマのキャラデザが趣味全開でキモく感じるなあ。
つうか親戚全体的にご都合ムーブなのも気になるっていうか、それを気にならなくするような演出が出来てないよね。
花札も意味不明っつーかせめてタダの運ゲーじゃなくて「相手がイカサマしたのを見破る」みたいな流れじゃなきゃ物語性が駄目やん。
あーまーなんだかんだ5個ぐらい文句はついちゃったけど、未来のミライの場合は20個ぐらい文句つけられそうだから全然マシじゃんね。
駄作扱いは言い過ぎだよねー。
整理券なしでは入れないほどの盛況
誰も「スイッチ2」買ってない。
実はスイッチ2も普通に売ってて何なら特設レジも設けてあってその後ろには
これでもかってくらい積み上げてあって段ボールからまだ出してないカートンも積み上げてあるほど在庫潤沢なのに
一体だれが買ってるんだろ?
不思議。
ちなみに自分はスーパーマリオのマフラー、ゼルダのハンドタオル×2、ヨッシーのクッキー(本当のクッキー)、マリオの花札、ニンテンドークロック、Nintendo FUKUOKA限定ボールペン、ゼルダのロンロン牛乳キーホルダーを買ったよ。
24,840円だった
楽しかったなぁ
すっかり中年になって思ったのは、町のおもちゃ屋が減ったなぁということ。
おもちゃ屋は、遊びへの門戸だった。
ファミコンソフトを求めて入って、そこからミニ四駆にハマったなぁ。
俺は昭和の後期の生まれだけど、ベイブレードつながりでベイゴマを廻すのを見せてもらったり、ゴム動力の模型飛行機を買って、爺ちゃんと組み立てたこともあった。
竹ひごをロウソクで炙って曲げて枠を作って、トレーシングペーパーのように薄い紙を張って翼にした。
現代っ子には、紙以外のものを切ったりするのは新鮮で、竹や木を加工するのが楽しかった。
借りた物を無くしたり壊したりして、謝ったり他のもので埋め合わせたり、今となってはいい思い出だ。
うちには長男6歳と次男4歳がいるんだけど、この歳からずっとYouTubeとテレビばかり。
今はプラレールやトミカで遊ぶけれど、あと数年もするとホントにYouTubeしか興味がなくなりそうで怖い。
少し前に、ニンテンドーラボというダンボール工作を長男と楽しんだ。
長男は作ることに、次男は触ることが楽しいようで、次男が壊し、長男が直すのを繰り返している。
妻の目にはゴミにしか映らないみたいだけど、また買ってやるつもりだ。
なぜおもちゃ屋が減ったんだろう?
やはり少子化かなんだろうけど、他にもある気がする。
ソニーがプレステソフトをコンビニで売り始めたのは大きいなと思う。
爺ちゃんが俺に彫刻刀や肥後守を使わせるのを、母は嫌がってた。危ないとか、家が汚れるとか。
誰かの家に玩具を持ち寄ったり貸し借りしたりしにくいんだろうな。みんな学童保育に預けられちゃってるし。
あるいらショッピングモールの有料プレイスペースや習い事や塾。
安全だけど、それでいいのかな?と思ったりする。
しかし、春の若葉の色や、ウグイスがよく止まる梅の木にやってくるメジロの羽の色(鮮やかな緑色)と混同され、「うぐいす色」として明るい緑色が一般的にイメージされるようになりました。
特に、花札の「梅に鶯」の札に描かれた鳥の色が鮮やかな緑色だったことも、この誤解を広げた一因と考えられています(実際には梅によく来るのはメジロです)。
また、和菓子の「うぐいす餅」や「うぐいす餡」の色も、鮮やかな緑色をしていることが、このイメージを定着させる要因の一つと考えられます。
江戸時代には、ウグイスの羽の色に近い茶色系の「鶯茶(うぐいすちゃ)」という色が流行しました。
当時は、「鶯色」という言葉が「鶯茶」を指すこともあったようです。
明治時代以降になると、くすんだ黄緑色が「鶯色」として広まりました。
このように、本来のウグイスの羽の色と、人々の抱く「うぐいす色」のイメージにはずれが生じたと考えられています。
花札とかでええやんね。
増田は「ふしぎ花札屋 銭任天堂」というタイトルの童話を知っているかな。
むかしむかし、小さな村に銭任天堂という名前の不思議な花札屋がありました。そこではどんな願いも叶うと言われる、特別な花札が売られていました。しかし、その花札を手に入れるには、心からの願いと努力が必要だとも言われていました。
村にはピカチュウという名の元気な男の子と、ツッパニャンという茶目っけたっぷりの猫が住んでいました。ある日、ピカチュウは「もっと素敵な友達が欲しい」と思い、その願いを叶えてくれるかもしれない銭任天堂の花札屋を訪れました。
銭任天堂の店主は、ピカチュウに一組の花札を渡し、こう言いました。「これらの花札を使って心からの努力をすれば、願いが叶うだろう。しかし、安易に使ってはいけないよ。」
早速ピカチュウとツッパニャンは、その花札を使って願いを叶えるための旅に出ました。二人はさまざまな村を訪れ、その地の人々と友達になっていきました。その度に、花札の力は少しずつ輝きを増していきました。
ある日、彼らは少し不気味な森に迷い込みました。そこでは、花札の力を悪用して自分の欲望だけを追い求めた人々が、姿を変えてさまよっていました。ピカチュウとツッパニャンは、このままではいけないと心から思い、その森の中で出会った生き物たちを助けることにしました。
彼らの助けを借りるたび、花札の輝きは増していき、ついには森全体が光に満たされ、闇に閉じ込められていた人々も解放されました。ピカチュウは気づきました。真の願いとは、自分だけの幸せを追い求めることではなく、みんなで幸せを分かち合うことだと。
こうしてピカチュウとツッパニャンは、多くの友達と共に村に帰り、その特別な瞬間が村中に広まりました。村人一同は二人を心から称え、彼らが新しい友達と築いた絆はいつまでも続きました。
なお、言ってることは支離滅裂なので、元増田には賛同できない。
(ポケモン カードゲームはM;TGのパクリ、とでも言われたんだろうか)
さて、下記を条件として、カードを使うボードゲームの始祖を考えてみよう。
とりあえず、辿り着くのが下記。
モノポリーのルーツとして、有名なゲーム。1904年というのは、アメリカのエリザベス・マギーが、このゲームの特許を取得した年だ。
後のモノポリーでは贅沢税マスに止まると、一定のお金を支払うだけだが、このThe Landlord's Gameでは、ゲーム終了時に得点となるカードを購入することができた。カードには、贅沢税を払うのに相応しい「ゲーム終了までは能力のない」品々が書かれていた。
コレクション要素としても悪くないルールには感じるが、The Landlord's Gameの多種多様なバリエーションが作られていく中で、このルールは早々に削除された。
次にモノポリーの血統に専用カードが登場するのは、ルイス・トゥーンとフェルディナンド・トゥーンがチャンスと共同基金の2種類のカードを持ち込んだ、1931年のことだ。
1904年から遡ろうとすると、もう、伝統的ゲームか、すごろくの類、トランプや花札ばかりになって、専用カードを使ったアナログゲームというのが、ピンと来ないのだけれど、誰か後は頼む。